長谷寺
開帳
長谷寺の観音
長谷寺では古くから奈良長谷寺の観音と同じ木片で造られたという、小さな観音が祀られていたが、正徳六(一七一六)年この古仏を体内に納める形で二丈六尺の大きな観音像が建立された。
延享二(一七四五)年二月から大像観世音御首仏の開帳が行われた。
安永六(一七七七)年四月、本尊である二丈六尺観世音腹籠の像や古仏・霊宝の開帳がなされた。
腹籠とは、大きな観音像の中に小さな観音の収められているあり方を指している。
ちなみにこの大観音像は第二次世界大戦の戦火で焼失し、その後三丈三尺の観音像が造られて現在に至っている。
長谷寺では、京都の清水寺関係の出開帳も行われれた。
安永四(一七七五)年三月、京都の清水寺奥院千手観音および脇士の毘沙門天・地蔵菩薩、眷属の二十八部衆の開帳が催された。
文化九(一八一二)年三月には京都清水寺観世音の開帳が行われた。
後者について『武江年表』では参詣者多く、山内に諸商人の仮屋が軒を連ねたと記している。