長泉寺
『新編武蔵風土記稿』ほかによれば、むかし穏田村の内字堂免と呼ばれるあたりに文治年中(一一八五―八九)創建の古刹があったが、宗門・寺号が伝わっておらず、観音堂のみがあった。
この本尊である観音を、名主長吉の先祖である田中左膳義直が大永年中(一五二一―二七)に自宅地に遷して草堂を営み、天文十五(一五四六)年、僧の春的をおいて守らせたという。
文禄元(一五九二)年、青松寺七世瑞翁が譲り受け、慈雲山長泉寺を唱えて法地とした。
年を経て堂宇が崩壊していったんほとんど廃寺となった。
青松寺十四世不中が復旧した。
寛永十三(一六三六)年秋、徳川家光が放鷹のときに観音縁起を聞き、地域の年貢を除いたという。