教導職と神道教派—制度の視点から—
2024-09-14 日本宗教学会第83回学術大会(天理大学)【配付資料】
報告者:遠藤潤(國學院大學)
1. 報告の目的
近代日本において制度的な〈神道〉は、どのように成立し展開していくのか。明治初年から神道教派が成立するまでの具体的なプロセスを確認する。明治初年の法制度における教会・講社を端緒として、教導職における「神道」というカテゴリーの成立、その中での「別派特立」の意味、各教派が成立するまでの過程を論じる。日本における宗教的団体の編成が、明治初年の神社行政・宗教行政のなかで独特な形でなされたことを確認する(参照すべき法的環境の確認)。
2. 対象時期の概略
太政官に宣教使設置(明治2年7月8日)、教導局の廃止。 神祇省・宣教使が廃止、教部省が設置(明治5年3月)。 教部省の廃止(1877年(明治10)1月)
教導職の廃止(1884年(明治17)8月)
3. 国民教化の主題
「神教要旨」(明治2年6月):「神教」(『神教要旨略解』は明治5年9月以降の刊行)
宣布大教詔(明治3年1月):宣教使が「天下に布教」するもの。
宣教使によるキリシタン教諭の内容検討(明治3年6月前後):宣教使内での混乱…「黄泉国論争」で知られる。
「大教御趣意」(「大教旨要」)(明治4年7月)
三条教則(明治5年4月28日)
十一兼題(1873年2月)
十七兼題(1873年)
4. 〈信仰による結社〉の管理・管轄
講組織の取締をめぐる東京府と教部省の対立(1873年6月-8月)(高橋陽一「東京と大教院」『共通教化と教育勅語』)
各地方で結社している「講中」についてその方法を検査の上、「一派之教会」に。
講社の許可:修成講社(8月)、富士一山講社(9月)、身禊講社(12月)
「教院設置并講社手続」(教部省達 乙第38号)(1874年7月12日):統一的な「講社」(「教会大意」にもとづく「講社」と区別されるか)の出願方法を初めて定めた。 教会/講社の階層の上下を定める法令類は?
教会講社結集・説教所設置などは本人から地方庁へ届け出ること(内務省達戊第2号)(1883年3月15日)
5. 神道教導職の組織的変成:神職・僧侶以外の信仰的実践者は
(前史)近世から近代へ:宗教をめぐる国制環境の変化
近世:信仰的実践者の執奏家への入門(吉田家・白川家、土御門家)
吉田家・白川家などによる神職の執奏廃止
(例)幕末維新期における気吹舎門人の急増
神官教導職を「東西ニ部分ス」(明治5年4月29日):神官教導職(神社)
全ての神官を教導職に(明治5年8月8日)
東西両部の名称廃止し「神道」(「神道教導職」)に(1873年1月):「神道」「神道」カテゴリーの現出 神官・僧侶に限らず、有志の者を教導職に(1873年2月):◎有志の信仰的実践者(非神官・非神職、非僧侶)は、基本的に神道教導職に。 神仏合同布教の廃止(1875年4月)
「神道部分」を定める(3部)(1876年1月)
「神道部分」を4部に(1876年10月23日)
「神道部分」の廃止(1878年7月):「部分」は名目的区分という性格が強かったが、ここで神道教導職が名実ともにひとつの集団に。
祭神論争(1880-1881年):(→ひとつの「神道」の挫折)
神官教導職分離(1882年1月)
「一派特立」:「神道中各教会派名相唱特立差許」(1882年5月):「神道」という全体がありつつも、そのうち各「一派」があるありかた。 1886年(明治19)1月、神道事務局→神道本局。「神道」は神道教派の一つに。:全体をなす「神道」(ひとつの「神道」)の消滅。以後、新しい教派の成立は「特立」ではなく「独立」。 仏教:〈宗/派〉という階層性。
神道:〈教派〉(上位組織はない)。
6. 国民教化の主題と神道教導職・神道教派の展開
「教会大意」(明治5年4月)
「三条教則」を教会・講社の必要要件とする。
ただ、具体的にどのように遵守すればいいのか。
神道教導職に採用されること(1873年2月以降)
神仏以外の宗教者にとっては、〈信仰的実践〉を公認されること
試験(検定)を契機とした(採用要件としての)神道的・国学的学問の習得
三条教則、十一兼題、十七兼題
その性格:教導職の試験・任用を目的として提示された「兼題」(論題・テーマ)。
直接的には教導職およびその志願者を対象とするもの。
各種衍義書(解説書)の執筆・刊行:対象は同上。
神道教導職の志願者は、これを通じて「神道」・国学を学ぶ。
→信仰内容の変容・変成も(当該教団・人物のもともとの性格に左右される)。
(時代は下るが)
参考文献
井上順孝「社寺取調類纂に見る神道布教の実相」『國學院大學日本文化研究所紀要』60、1987年(井上(解説・翻刻)1990、および井上1991に所収)
井上順孝(解説・翻刻)『社寺取調類纂(神道・教化篇)』國學院大學日本文化研究所、1990年
井上順孝『教派神道の形成』弘文堂、1991年
小川原正道『大教院の研究 明治初期宗教行政の展開と挫折』慶應義塾大学出版会, 2004年 桂島宜弘「民衆宗教の宗教化・神道化過程:国家神道と民衆宗教」『日本史研究』500号、2004年
阪本健一『明治神道史の研究』国書刊行会、1983年
阪本是丸『明治維新と国学者』大明堂、1993年
阪本是丸『国家神道形成過程の研究』岩波書店、1994年
佐藤光俊「擬態としての組織化」『金光教学』18号、1978年
高橋陽一『共通教化と教育勅語』東京大学出版会、2019年
武田幸也『近代の神宮と教化活動』弘文堂、2018年 谷川穣『明治前期の教育・教化・仏教』思文閣出版、2008年 新田均「「明治十七年の公認教制度の採用に関する一考察:史料の翻刻と分析を中心に」『皇學館大学神道研究所紀要』7、1991年(新田 1997所収) 新田均『近代政教関係の基礎的研究』大明堂、1997年
林淳「近代の非僧非俗:鴻雪爪の肉食妻帯論」宗教史研究会(発表と資料)、2019年 林淳「近代仏教史の時期区分と教導職」東海/宗教史研究コンソシアム(発表と資料)、2023年 林淳「近世の陰陽道と近代の教派神道」第24回神道講座(講演と資料)、2024年
藤井貞文『明治国学発生史の研究』吉川弘文館、1977年[藤井 1977a] 藤井貞文「出雲大社教成立の過程:神官・教導職分離を中心として」『出雲学論叢』1977年[藤井 1977b]
柚利淳一『丸山教祖伝』丸山教本庁出版部、1955年