国民教化の主題と神道教導職・神道教派の展開(公開版)
2024-11-15 大学院ゼミ補講
報告者:遠藤潤
1. 報告の目的
日本宗教学会学術大会(2024年9月)での発表(原題「教導職と神道教派—制度の視点から—」)を、時間をかけてやり直す。
9月の発表で示した目的
近代日本において制度的な〈神道〉は、どのように成立し展開していくのか。明治初年から神道教派が成立するまでの具体的なプロセスを確認する。明治初年の法制度における教会・講社を端緒として、教導職における「神道」というカテゴリーの成立、その中での「別派特立」の意味、各教派が成立するまでの過程を論じる。日本における宗教的団体の編成が、明治初年の神社行政・宗教行政のなかで独特な形でなされたことを確認する。
「神道教派」関係教団の歴史的理解のために。
共通する法的環境・歴史的条件を知る。
2. 主な対象時期の概略
太政官に宣教使設置(明治2年7月8日)、教導局の廃止。 神祇省・宣教使が廃止、教部省が設置(明治5年3月)。 教部省の廃止(1877年(明治10)1月)
教導職の廃止(1884年(明治17)8月)
その後
3. 近世から近代へ:宗教をめぐる国制環境の変化
4. 教道取調局・宣教使:小野述信の時代
「教道」:「教導」と通じて用いられる。
長崎におけるキリシタン教諭の開始(明治3年3月)。
宣教使によるキリシタン教諭の内容検討(明治3年6月前後) 「教」と「政」の相即をいう。
5. 教部省と教導職:「神道」の成立過程と国民教化の「課題」
神祇省・宣教使の廃止、教部省の設置(明治5年3月)
教部省は「教義ニ関係スル一切ノ事務ヲ統理スルヲ掌ル」とされる。
「教道」(教化)政策と「宗教的団体」(〈信仰による結社〉)に関する制度が密接に関わって整備されることとなった。
教導職の設置(太政官達第132号)(明治5年4月25日)
ただ、具体的にどのように遵守すればいいのか。
近衛忠房・千家尊福『神教要旨略解』(明治5年9月以降発行):『神教要旨』についてこの時点での解説 「第六条 一 講社興立ノ節ハ講社免許条例ニ照準シテ取扱フヘキ事」
[明治改暦:明治5年12月3日=1873年(明治6)1月1日]
以後、年は西暦表記とする。
「教部省へ許可ヲ請ヘキノ条」に「講社ヲ結フ者へ免許ヲ与ル事」が含まれる。「教部省章程」での規定を踏襲。大教院が受けた申請を教部省に上申する? 東西両部の名称廃止し「神道」(「神道教導職」)に(1873年1月) 教導職におけるカテゴリー(≓集団名)としての「神道」の登場
神官・僧侶に限らず、有志の者を教導職に補する(1873年2月)
有志の宗教者(非神官・非神職、非僧侶)は、基本的に神道教導職に入ることになったのではないか。 神道教導職に採用されること(1873年2月以降)
神仏以外の宗教者にとっては、〈信仰的実践〉(宗教行為)をある意味〈公認〉されること
試験(検定)を契機とした(採用要件としての)神道的・国学的学問の習得
三条教則、十一兼題、十七兼題
その性格:教導職の試験・任用を目的として提示された「兼題」(論題・テーマ)。:☆今後、この位置づけから見直す必要がある。
直接的には教導職およびその志願者を対象とするもの。
各種衍義書(解説書)の執筆・刊行:対象は同上。
神道教導職の志願者は、これを通じて「神道」・国学を学ぶ。
→信仰内容の変容・変成も(当該教団・人物のもともとの性格にも左右される)。
神徳皇恩、人魂不死、天神造化、顕幽分界、愛国、神祭、鎮魂、君臣、父子、夫婦、大祓
三条教則をいっそう具体的に展開したもの、という性格を持つ。
教導職の試験・任用を目的とする「兼題」(論題・テーマ)の提示。
国民一般に対してではなく、教導職に対して出された。
皇国国体、皇政一新、道不可変、制可随時、人異禽獣、不可不教、不可不学、外国交際、権利義務、役心役形、政体各種、文明開化、律法沿革、国法民法、富国強兵、租税賦役、産物制物
統一的な「講社」(「教会大意」にもとづく「講社」と区別されるか)の出願方法を初めて定めた。
教義・講社に関する大教院/中教院の職掌分担(1873年11月)
6. 神道教導職の自律過程と教派の登場
神仏合同布教の廃止(1875年4月)
「神道部分」を定める(1876年)
「神道部分」を定める(3部)(1876年1月)
「神道部分」が4部に(1876年10月23日)
「別派」が初めて許可される(1876年10月)。
「神道部分」を廃止する。神道の管長を「撰出」すること(1878年7月)
明治11年7月6日内務省番外達。
神官と教導職の分離(1882年1月)
「神官教導職区分ノ件」:「自今神官ハ教導職ノ兼補ヲ廃シ葬儀に関係セサルモノトス此旨相達候事/但府県社以下神官ハ当分其省ニ於テ適宜達方取計不苦事」(内務省達)(1882年1月23日)(公文録) 「一派特立」:「神道中各教会派名相唱特立差許」(1882年5月) (官国幣社の神官と切り離された)「神道」という〈全体〉がありつつも、そのうちに各「一派」があるありかた。
教会講社結集・説教所設置などは本人から地方庁へ届け出ること(内務省達戊第2号)(1883年3月15日)
7. 教導職の廃止と近代的教団のかたち
「僧侶の教導職制への完全な吸収」(羽賀祥二)
「公認教制度」(新田均)
「神道」に属する宗教者にとって、葬儀を含めた信仰の自由の確保。
(例)これにより祠宇設置の必要がなくなった( 柚利淳一『丸山教祖伝』p.449)。 1885年以降、各教派における教規の制定
教派によっては国学関係者の関与。
「神道」は神道教派の一つに。 One of themという制度的扱い。
小学校令(勅令第215号)(1890年10月7日):普通教育の一般化
神道各教派・仏道各宗派宛。
神道仏道各教宗派教師には学識が必要。
教師検定条規を定めるように、他。
「教師検定条規標準」も同時に示される。