吸江寺
『新編武蔵国風土記稿』によれば創建の経緯は次の通りである。
豊後国大友氏の臣福井氏の子に生まれた良全は、のちに江戸に来て麻布桜田町に仮住まいをした。
当時、板倉重宗(一五八六―一六五七)の室が良全に帰依し、寛永初年に麻布桜田町の中に臥雲庵と号する草庵の跡を見つけ、慶安三(一六五〇)年に一宇を創建して、普光山吸江寺と銘し石潭を住まわせた。 このときの境内は八八〇坪であった。
崖があってこれが年々崩れるうえ、窪地なので大雨の際に「悪水」が押し入り、居住に難儀していた。
元禄十四(一七〇一)年桶屋次郎兵衛が下渋谷村に所持していた「野畑」二八五〇坪と土地交換をして移転した。
古跡としての地面は八五〇坪、これに二千坪を添地としたが、このうち五百坪は墓地として免税された(「地子古跡寺社帳」)。
この移転は、一説には宝永三(一七〇六)年のことともいう(『新編武蔵風土記稿』)。
『東京市史稿』