ゲンロンSF講座第5期第3回実作(自主提出)へのコメント
ゲンロン 大森望 SF創作講座 第5期
第2回 「小説つばる「新人SF作家特集号」の依頼」
今野明広『鷹匠の女 歌謡音楽劇大全』
前期、第四回の今野さんの最終候補作のコメントに、僕は、
ずいぶんと小説っぽくなっていると思うのですが、それが著者の向かいたい方向なのか、というところではないでしょうか。
と書いたのですが、
ほぼ同じで、
これが著者の向かいたい方向なのか、というところではないでしょうか。
歌劇には歌劇のフォーマットというものがあるので、まずはト書きをきちんと書く、ということかもしれません。
場面転換にかかる手間と、大道具の予算などもあるかと思います。
あとJASRAC。
消しゴム。消しゴムのところかな……。
あいだ『シェーラザードは電気羊の夢を見るか?』
「小説が書けない」要素は外した方がよいかもしれません。
この枚数にしては要素が多いようにも見えます。
(この長さだと、ナイフで刺そうとする、病院で目覚める、を外して青春小説としてしまう、とか)
が、違和感のきっかけもあちこちに置いてあって、よくできているのではないかと思います。
ただ、視点ががたついて振り回されるので、叙述のコントロールでしょうか。主人公視点が非常に狭く展開するので、人間関係の説明が圧縮されがちになっているかと思います。
「小説つばる」にしては入り組みすぎかも。
フジキ ヒデキ『転生できずゾンビになった件』
ゾンビものの宿命ではあるのですが、一般的に、ゾンビ自体をずっと描くことってできなくて、
というのはある程度続けると書くことがなくなるからですが。
実際、本作でも後ろへいくにしたがってゾンビはわりと(比喩としての意味意外)どうでもよくない? という感じはします。
で、他の部分を出版、アニメ業界ネタで埋めていくことでどこまで支えられているか、ということだと思います。
息切れと繰り返しが多いので、枚数を埋めることを優先しなくともよいのではないでしょうか。
文章的な問題としては、語彙が軽いので、というのは、「ブラック企業」「悪霊が徘徊」「心霊スポット」「チューハイの缶」あたりを並べるのなら、うわべを滑っていくような効果を狙って並べるべきです。
「ブラック」あたりは三回ほど出てきますが、目につく単語なので、単語の効果がどんどん薄れていく感じがします。
葉々『奪文字』
よいと思います。
「小説つばる」っぽい。
ディテールは武器でもあるのですが、前半分が長すぎるかもしれなくて、後ろにもう1/4欲しいというところでしょうか。
違和感連打をどこまで続けられるか、からの逆算になるかもしれませんが。
長谷川 京『喧々窮して修飾す』
なぜこれを「小説つばる」に出そうとした。
構築されている世界は楽しいと思います。
それに対応する作中での作成物が見合っていない気がします(読者特化物語生成)。
わりと素朴な物理シミュレータでよいのかどうか、というところでしょうか。
ルビはあまり活きていないのではないでしょうか。
■以下は、専門的な話ですが、
物理的な世界と自然言語の間に、機械処理されるネットワーク層があって両者をつないでいる、と。
世界をいじるときに、そのネットワーク層ではなくて、自然言語を使って、物理的な世界をいじるわけですよね。
それはそれでよろしいのですが、
そのネットワーク層がなんらかの安定な構造を持っていて、そこ固有のロジックを持っているのか、ということではないでしょうか(よく言われるのは、熱力学的とかそういう。その層から見た、ミクロ(自然)とマクロ(自然言語)を切断できるようなものとして)。
駆乱 直之『こちら元住吉エイリアン商店街』
ト書きとセリフ構成。
シーン転換の問題ではないでしょうか。
「1週間後の夕方、」みたいな。
一行あけて「次の日」って書いたらまず、シーン転換としては失敗しているものです。
時間どおりに展開を追っていくと単調になるので、大胆に飛ばしたり、順序を入れ替えたりするものです。
悪人がそんなに解説しなくても。というか、全員がセリフで説明しすぎています。
カラアゲはよいと思います。
岸辺 路久『桃太郎草紙』
導入はよいと思います。
そこから解説になりますね?
そのあとは、ト書きとやりとりの繰り返しから、苦しくなると、場面を飛ばす型に。
まずは、全体の構成をとるところからで、
場面転換を先に考える方が書きやすいタイプなのかもしれません(違うかもしれません)。
語り口にも研究が必要でしょう。なにか歴史物、司馬遼太郎でもなんでもいいんですが(ここは、池上永一さんですか)、
「史談」を真顔で入れ込む技術が必要かと思います。
ちょっと漢方の設定が弱いですね?
割合、アツい展開がハマりそうな感じでもあるので、負けることで強くなれるありがとうかなしみよ、みたいなものがあった方がよいのかもしれません。いまのところ、一直線なので。
岸田 大『いま、会いに来ないで』
導入と終わりはよいと思います。
6はなにかよくわからない。
ちゃんと考えてはいないですが、結局行き着くところは「もしもボックス問題」のような気がするので、「もしも」で危機を回避した場合に、元の世界はどうなる? という問いに対して、ドラえもんと同等かより理解しやすいものを提示できるかではないでしょうか。
数式さえあれば変なことが起こってもよい、かどうかもまた。
■以下は専門的な話ですが、
排中律周りはあやしくて、
- あらゆる命題Pに対して「P∨¬P」が成り立つ、「Pまたは、Pの否定が成り立つ」は、「Pと非Pは同時に成立しない」ではないです。それは、矛盾律、¬(P∨¬P)。
- 直感主義論理も有限な集合に対しては排中律を認めます。
園田陽『本の声』
『「人間がタイムトラベルを行うと死ぬ」ウイルス』の時点で馬鹿SFっぽい感じになるのですが、
わりとコミカルな本の修復を経て、緊張感を持って慎重に扱わなければいけない題材で終わるので、全体に調子が整えられていない感じです。
理屈は一旦横に置いて、本の修理のイメージを膨らませていくのが一つの手なのではないでしょうか。
西岡京『宇宙の果ての物語』
お話として最後まで進んではいくのですが、語りと出来事、読み手の内面が重ならないまま、となるケースが多いのではないでしょうか。
分類としては、ほぼ一般の文芸となるでしょう。
子供の誕生と宇宙の誕生をつなぎ、重ねるものがもっと必要なのではないでしょうか。
ささき えり『友よ、どうか忘れないでください。私があなたを愛していることを。』
舞台仕掛けが古風なSFで、展開はやや単調に傾き、コールドスリープというのはそうなるものだ、というお話で、
オチはなるほど、という感じではあるものの、
そこまで説明しないほうが後味はよいのでは、と思いました。腑に落ちすぎる感じですか。
ただ、最大の長所は、謎の感情喚起力で、そこをのばされるとよいのではないでしょうか。
なににせよ、展開に波が必要であるかと思います。
去場 司『ドアに恋するバルセロナ』
なんだかわからない。
わからないんだけど、なにか通ってるような気もします。
レイモンド・チャンドラーみたいだな……と思ったけれど、チャンドラーを読んだのはもう30年も前なので、印象が違うかもしれません。こう書いてからチャンドラーを読んでみましたが、描写のクドさですかね。
これはまあ、ハードボイルドでみかけるある種の書き方っぽいのですが、僕には読み方と受容層がよくわかりません。
とりあえず、設定の説明の仕方には工夫が必要で、このくらいのものだと、ポンとブッロクで放り込むには重すぎです。
「小説つばる」では間違いなく無理です。
*いっそ、サグラダファミリアが探偵だとキャッチーかもしれません。シリーズ化とかできそう。