幸福追求権の義務化
2XXX年、人類の技術は飛躍的な進歩を遂げた。クローン臓器の培養、バイオAIチップの埋め込みによる思考と肉体の動作の最適化により、寿命を克服した。理論上1000年は生きることが可能になった人類の最大の死因は自◯である。
数百年に渡る不幸を減らす施策の結果、多少の揺らぎはあれど平均的な生活水準も大幅に向上し、間違いなくXXX年前に比べればユートピアのような幸福な生活を誰もが送るようになった。むしろこれが問題化してきた2030年頃の人類が野蛮すぎたとも言える。
ともかく太平洋政府としては、これだけ多くの施策を行い支援を実施し状況を改善してきたにも関わらず、一向に減らない自◯者に頭を悩ませていた。そこで考案されたのが、幸福追求権の義務化であった。全市民の幸福を数値化し、幸福値が閾値を下回った場合、支援センター「ユートピア」に送り、最新技術を用いた支援策を行う。
その方法とは、今までは禁忌とされてきた脳の感情分野に対するAIの介入だった。その効果は凄まじいことは実験でわかっていたが、市民への適用は倫理的問題があると一部の長老は主張していた。実際、元老院からの指摘はあったものの、毎年5億人が生まれ9億人が死んでいくこの状況は明らかに非常事態であると主張し、了承を得た。
法案可決から5ヶ月、効果は劇的であった。毎月最高値を更新していた自◯者数は可決した月をピークに減少を始め、今月は去年比30%も減少している。このまま行けば、数年後には死因第一位は自◯ではなく不慮の事故になるのでは無いかと朝のニュースでは報じられている。AIの思考への介入に嫌悪感を抱くものも多かったが、実際のところ違和感もなく特に気にならないようだ。寧ろ今までの向精神薬などより自己同一性の崩壊などの精神上の悪影響は少ないようだ。むしろ様々な感情や幸福度が数値化され見ることができるのは案外便利なようで、若者の中で流行っている。「ユートピア」対象者以外にも適用手術を受けさせてくれという声も多く、既に法改正が検討されている。当初政府庁舎前で反対デモをしていた人達もそれなりに多くいたが、いつのまにか姿を消してしまった。
幸福追求権義務化から5年がたった。感情調整AIを導入した市民の割合は80%を超え、自◯者もほとんど見ることが無くなった。社会に蔓延していた漠然とした絶望感は消え、世界的な小康状態となっている。人口増加率が大幅に高まったが、それも案外どうにかなっている。社会全体の労働効率も改善したようで、食料配給のバランスは今のところ保っている。今の人々にとって感情調整AIはあって当然のものである。元より網膜にバイオチップを埋め込み仮想空間を見たり、脳と直接信号をやり取りして、コンピュータの操作を行ったりしていたので、何を今更、なぜこれを合法化するまで30年かかったんだ、というのが今の人々の考えであるらしい。