世界一面白いカリキュラム研究会
自分で自分が本当に欲しいカリキュラムをつくってみる遊びのすすめ(まつどが昔書いた文章です)
これを批判的に読む会をそのうちやるかもです。
まえがき
日本人全てが今より少しだけ努力すれば、もっと社会が持てる選択肢も増えるし、それだけ社会も優しくなるのに…、まつど(当時8歳)がそう思ってから、それを原理主義としてこれまで生きてきた成果をまとめてみる。
質問等はツイッター(@matsudotsuyoshi)もしくは読書メーターの「まつど@人文」もしくは「まつど@理工」まで
もくじ
一章「できない」の構造
二章 世界一面白いカリキュラム研究会(仮称)→2014/6/4に 私家版 カリキュラム研究所に名称変更 サイト方針も変更中:今月以内に報告します。
三章 カリキュラム案
一章で「できない」とは何かを考察して…といっても多くはみなさんに考察を丸投げしている駄作ですが。二章で、世界で一番面白いカリキュラム研究会(仮称)について解説しています。時間が無い人は三章だけでも満足していただけると思います。文字が小さいので見づらい人はワードに貼って文字サイズを調整して御覧下さい
総括 H25 3/11 本編を読んでいない人は先に本編を!
★一章は、ぐりこのおまけ程度の感覚で書いたので、対応関係が不明瞭で全体的に粗雑ですが、「できない」研究の本がほとんど無いこと、また自分の「できない」点検という意味では役目を十分に果たしていることを考慮し、掲載しました。一章に関してはデーター蓄積期間をとって数年後に書き直して、元ネタ●九鬼周造『「いき」の構造』のように哲学や文学を踏まえた内容にする予定。
★二章は、「世界」が名称となっています。これは、「私」にとって「世界」で一番といえるようなカリキュラムを自分で作ってみようという趣旨で考案されたものです。ただし「世界」が文字通り「世界」であるならば、と今僕は考えています。
二章を外国語に訳して海外まで勢力拡大を狙えないものか?でも訳しておしまいでは活動が広まらない。例えば英語に訳そうと思ったとする。人を惹きつけるための起爆剤に英語で書かれた魅力的なカリキュラム案が必要になる。そもそもアメリカやイギリスなどでも、「一生学んでいく」ことに意味を見出すことのできる人がたくさんいるのだろうか。図書館など学びインフラが十分に整っているのだろうか。受験体制とよばれるものはあるのだろうか。宗教教育の実態はどんな感じ?…考えていくとわからないことのほうが多くて困る。(中国、韓国、ドイツ、フランス、ロシアも視野にいれているが、やはり勉強不足で現地の状況が僕にはよくわからない)
僕はこのサイトを大学生を含めた学生と学校従事者に向けて立ち上げた。そのため、できるだけ幅のある内容記述にしたつもりで、学ぶ意志があってこのサイトまでたどり着く人ならサイトの内容を理解できるだろうと考えている。ただ、よく考えてみれば、前提として「楽しんで学んでいく」ことを僕が公言するのに対し、それを現実離れした話だと思う人が少ないのは、この国が恵まれているからかもしれない。
ネット環境の浸透でトップダウン式で優秀な人材を集めることが可能になった。そして僕はボトムアップ式で大多数の人の学びの環境を変えようとしている。「楽しんで学ぶ、一生学ぶ」ことが多くの国であたりまえのことになる、つまり世界基準の価値を持つようになれば僕らはどんな恩恵を被るのか。
僕が一番期待したいのは、異なる国に住んでいる人同士でも、Eメールやブログを通して日常的に本質的な議論をすることが今よりずっと気軽になることだ。今、既にそういうことを実践している人はそれなりにいて、特に海外の大学へ行くような活動的な人に多いと思う。意識の高い人同士が集まる場所は今も昔も、本質的な議論をする環境がととのっているものだ。しかし、最近の反日運動の報道をみるにつけて、日本帝国がしかけた十五年戦争の時代と相変わらず国内に大半を過ごす庶民にとっての外国(とそこに住む人)のイメージはステレオタイプを抜け出していないのだと気づかされる。これだけネット環境が整っていても基礎リテラシーを高めることを怠っているため、あたかも満州事変前の日本人が抱いていた中国人像と同じようなレベルでしか、彼らを理解していないし、またその逆もしかりだ。二章で援用した養老氏の議論を用いれば、日本人と中国人との間における共通理解部分を増やしていかなければ、お互い分かってもらえない考えが肥大する、つまり両者ともわけのわからない方向に走ってしまうのだと考える。
本質的な議論…例えば、僕なら、生活の大部分を日本で暮らしながら、自分のよく知らないこと「時間とは何か、死とは何かetc」を、中国に住む人とネットを通じて、素人なりにお互い時間をかけて考えていく関係を作ってみたい。前もって留学生や現地人で、自分で問い直していく作業に意義を持つ人を見つけ出しておく必要があるが、それだけ手間をかけたとしても自分達が自明に感じていることを点検していけるのなら元はとれる気がする。
まず国内で世界で一番面白いカリキュラム研究会(仮称)を広めないと始まらないけど、僕はどうすればいいのかわからない(笑)多分そんな難しいことではないから、ゆっくり考えていきます。良書を選別したカリキュラム案を、例えば国立大学ごとにサークルを作って厳選提示してみれば、何か派閥的な競争意識があって面白いかな…と思ったりするけど、面倒だから誰もやらんでしょ。ただ、例えばもし僕のカリキュラム案を全部やってしまった人が本のヘビーユーザに変わること間違いなしであることを考えれば、大型の本屋さんと契約して良質な情報による啓蒙を学生が担う代わりに、金一封をいただく…そんな小遣い稼ぎがあってもよさそう。
「ゲリラ運営」にした訳は、「面白い」カリキュラムといっても僕が提示した真面目な感じのものや『World's funniest joke』のような滑稽な感じのもの、色々なカリキュラムが出てきて、集約サイトを作るのが難しいと思ったからですが、工夫次第では集約の道も可能なのかもしれない。
独学カリキュラムだけでなくて、先生が学校でどうやって教えていこうか…そういったカリキュラムを作る人がいてもいいと思うし、さまざまな多様性を確保するために「自分で自分が本当に欲しいカリキュラムをつくってみる」というぼやけた表現にしてみた。独学はその道を専門にしようと思う人にはお勧めしないが、自分で楽しむだけなら問題ないと僕は考える。
★三章に関して僕は、誰かその道の権威の人が選んだ本を有機的に結びつけるという方法でカリキュラムを作成しました。新書など簡易かつ良書といわれる入門書をたくさん組み合わせる方法でカリキュラムを作ると、それぞれの本の説明が不十分なことで互いに内容の齟齬が起きてしまって、それを自力で解決しようとすればそれだけ時間がかかるし、挫折する可能性が高い。選ぶ側の僕としても、専門家とは程遠い知識しかない状態ではどれが妥当性の高い知識なのかわからない。それなら、既に信頼のおける先生が、その分野と一生仲良くするのに必要なレベルまで効率良く学ぶことができる本を選んでくれていたのでそれを利用すればいいね、という訳です。僕自身も律儀に実践してみた経験としてわかったことは、個人差はあるけれども、いくら進学校のような圧縮カリキュラムで学び、自分で考えられるようになった人でも、その分野を一生涯学んでいけると感じられるようになるためにはあと少しの努力をする必要があるということ。「学力低下」防止の対策として、現行の学校教育のカリキュラムをいくらいじっても(絶対授業時間数を増やしても…)、結局のところ高校までの3年間という短い期間では大部分の人は「生涯学習」の段階まで辿り着かないし、そういった理想を追求するより先に、椅子取りゲームに集中した方がいいという人の方が圧倒多数だと思う。僕も自分の椅子確保のため色々な工夫をしてみたけども、やはり穴がちらほらできてしまったが運の尽き。とりあえずまず受かるのが心身ともに楽な選択かもしれない。大学に入った後に、僕が選んだような本を通じて【本当】に面白いといえる部分を学ぶ…、最初から学校の先生も生徒もそのつもりで勉強していればいいのだと思う。
「今は辛いかもしれないけど、きっとね、大学入った後に面白くなるよ」この呪文はこれからの学校の授業の定番になること間違いなし。
三章はブックリストのようになってしまったけれど、そういうのは僕的にあんまり好きでない。人は本のみで生きる訳ではない。僕なら今年はなべ料理を極めて鍋奉行になるつもりだし、楽器の演奏も適度に続けたいと思っているのだから、それらもカリキュラムの中に取り入れられてしかるべき!生きるということ自体が学ぶことである以上、限られたことしかできない、それらを如何に充実させていくかが大切になってくる。
★全体を書き終わって僕が思ったことは、「教育」に関して色々な議論があるけれども、堅実な方法というのは案外簡単なものかもしれない、ということだ。大学において専門的に研究するなかで、新しいことを発見するためには途方もない努力が必要になってくるけれども、その準備のための「教育」だけが「教育」では無い。大半の人にとっては、人類が今までに積み上げてきた成果を享受するための、準備として「教育」があると考えてそれで十分な気がする。時間をかけて積み上げてきたものを短期間で学べる能力がある人はごくわずかではあるが、それ以外の人でも「楽しんで学ぶ、一生学ぶ」道を選ぶことで計り知れない恩恵を享受することが可能であり、それを伝えることがただ学校の使命なのだと思う。
どうも自分の文章を読み返しても普通すぎて、なんでこんなことに10日もかけてしまったのか…ともったいない気持ちになった。多分これまでに何万人という人が同じような文章を書いてきたのだろうし、その延長上に僕がいるにすぎないのだろう。当たり前のことを人に訴えるのはあまり好きでない。他の人にとっても当たり前なのだから、うるさく思われてしまう。…それでも黙っているのは何かやましい気がする、そんな気持ちが打ち勝ってしまった結果としてこれらの文章を書くことになったのだと思います。ただ自分が一番気になるのは多分同じような活動をしていて基盤が大きい組織が絶対あるような気がしていて、それなら僕がやる必要はないので(こんなめんどーなことやってられね~)誰か知っている人は教えてください!
★今後の課題を箇条書きにして、とりあえず一年は更新停止ということで。さよなら(^O^)/
・ネットは情報量が多いため本稿を読んでもらいたい人に訴えかける工夫をする必要がある。 ・コンテンツを充実させる。
・訴えかける前に自分が勉強を楽しむ。あせらず着実に。
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2013/04/10(水) 09:51:30| 未分類 | トラックバック:0 | コメント:0
一章「できない」の構造
☆「できない」にも色々あるが、本稿では勉強が「できない」とはどういう状態のことをいうのか考察してみる。他の「できない」にも応用が利くと思うので、やりたい人は自分で考えてみてほしい。
「できない」という状態を調べるには、数学的に余事象「勉強ができる」を調べて、その否定を考える方法がある。世の中の大半の啓蒙書はこの戦略をとり、「できない」部分をまず理解することが大事なんだ、それを「できる」に変えていくことでより学力が向上するのだ、と説く。できなくても、できるようにすればいいとすぐ他の肯定的な言葉にすり替えられてしまう、「できない」とは何か。
まず「できない」には否定的なニュアンスが含まれており、気の短い大人はこの言葉を聞くと「できない」ではなくて「やってない」からだとご丁寧に訂正してくれる。何かの分野に関して、「できない」という気持ちを抱えていてもそれを続けていこうと思う限り、自分が「できない」とはあまり考えようとしないようにするだろうから「できない」とは何かといわれると多くの人にとって盲点ではないか。自分の「できない」を考察するのに、とてもいい方法がある。大きな紙を用意(ノート見開き1Pでもいい)して、上に〈評価〉〈時間〉〈環境〉〈憧れ〉〈方法〉と書いてほしい。次にそれらに関して、自分の今の学びの状況を書きこんでいくのだ。同じ人でさえも時代によって状況は変わってくるから、学術調査のように、権威として固定化しない方がいいと僕は考えている。「学力低下」のデータをとって大真面目に議論をしている人をみると、まずその人は楽しく勉強しているんだろうかって僕は思う。そんなつまらない議論に時間をつぶすより、最近私「~」なこと勉強していてすごく楽しいです、って言った方が「学力低下」の住人である僕の心には優しいのに。
5つの項目を書きあげたら、(覚え方は、【ひじかたあほ】「た」ぬき…音に意味はありません)それぞれの枠に自分の現在の学びの状況を書きこんでほしい。あなたの「できない」の正体はお見通しだ!なんて大仰なことをいうほど、学問の誠実さを欠いたまねをする気は僕にはありません。あなたがうまく言語化できない「できない」を表面化するために少々の努力を惜しまぬように。あなたが書きこんだ内容は、決して排反ではなくそれぞれが重なっている状態になるはずです。どこかにその内容を書いたら、他の項目にも入る同じことは省いてもいいです。その重なる部分が葛藤になって、「できない」という状況を作り出しています(定義)。
☆〈評価〉について
〈評価〉は、自分の内側と外側に二分できます。
自分の内側の評価は、外側の評価に大きな影響を受けます。逆をいえば外から大きな影響を受けないで生活することは難しい。例えばクラスで、外の評価である成績がびりの子が、自分を高く評価して、学校で楽しく過ごすのは難しい。なぜなら自分がやっていることに自信を持つことができず、常に疑いの心に苛まれるから。外側の評価を思うだけ羅列してみると競争、テストの点数、志望校、親や周りの反応、学校や塾の先生から嫌われないかどうか、などがあります。自分の内側の評価としては、自分の納得できることをしているかどうか、自信、自尊心、個性、自分らしさ、他の人に迎合していないか、などが挙げられます。自分の〈評価〉というのは、〈環境〉に大きな影響を受けやすい。例えば親がどういった考え方で自分を育ててきたか、それが自分の思考の内側で生き続け自己〈評価〉と不可分になってしまうこと。他にも先生がとにかく勉強をしろ、といって嫌々勉強をするとき、自分の意思〈評価〉と違うことをさせられているが故に「できない」と思ってしまうことがある。
〈評価〉が〈時間〉と衝突する例を考えてみる。例えば、なんとしてでも志望大学に入りたくて効率〈方法〉を過度に重視したため「数学」の面白さに気づかず、大学に入ったら「数学」をやめてしまった人。生涯学習〈時間〉を意識していれば、防げたかもしれないけど、志望大学に入るためには〈評価〉高い倍率を通過する必要があり浪人〈評価〉は嫌だという気持ちが生涯学習に打ち勝った。…こういった人が大人になって数学が「できない」という時、受験時の「数学」への嫌悪〈憧れの余事象〉や諦め〈方法の欠如〉の意思が含まれ、自己の現状肯定、成長否定がみられる「できない」をよみとることができる。
このように一つ一つ自分で分析してみると二つの項目の衝突を調べているつもりが、5つの項目が混ざってしまう。「できない」という状態がとても複雑な状態だということがわかるだろう。
☆〈時間〉について
〈時間〉は方法によって大きな制限を受けやすい。そもそも何かをやることが〈方法〉なのだから、それをやっている間のことが〈時間〉であり、〈方法〉と〈時間〉とは共通項の多い関係なのだ。ではその〈方法〉を選ぶのにどういった〈時間〉幅をとるかという点で、〈時間〉の考察をしてみる。まずいきなり「生涯学習」だという人は、多分いないので、まず手短な試験までに何を勉強するか、という時間幅が考えやすい。定期考査、実力テスト、外部模試、検定試験、入学試験、就職試験などたくさんの試験があり、目標とする試験までに適切な〈方法〉をとって勉強する。〈方法〉が悪ければ、同じ内容を学習するにも大きな差がうまれる。効率の良い教育を受けることができなかった〈方法の欠如〉と思っている人はそれを勉強が「できない」理由にしていることがある。また、どうしてもその試験に受かりたい時〈憧れ〉には、できるだけ他の楽しみごとも排除して勉強に時間を費やすだろう。目標達成のためにはある時間が無駄に思える…この無駄とは何だろうか?
〈憧れ〉達成のためには、休息や息抜きの時間さえ惜しく思えてしまう、こんなとき息抜き=無駄な時間だろう。生の充実のためには息抜きも大切なはずなのだが、他の人が死ぬ気で勉強しているのにそれに対する自分の怠けぶりを比べる〈評価〉と息抜きは無駄になってしまう。
では「楽しくてもすぐに成果がでない、もしくは評価されにくい勉強」をしている時間というのは無駄な時間だろうか。僕が高校・大学入試とお世話になった●吉永賢一『東大家庭教師が教える頭が良くなる勉強法』を参考に考えてみる。(以下引用同書)「大学受験レベルであれば、質問しても調べても答えのわからないものは、無視してOKです」「「残す―捨てる」は、将来の影響から判断する」「不要なものを捨てることで、集中力はアップする」…なるほど「やっておけば将来への好影響が考えられるもの」や「やっておかなければ将来に悪影響を及ぼしそうなもの」を残すという訳ですか。それならば、当面の入試に受からないと希望の職に就けない人や受験に受かることの方が受験の範囲内で大切なものを探そうという気持ちより強い人ならば、成果がすぐに出ない勉強をする時間は無駄に思えるだろう。一方、「受験の範囲内での大切なものを探し」の〈方法〉が分かりそれに重きを置く人なら、焦らずゆっくり学んでいく方に利を感じるから、その時間を無駄とは呼ばないだろう。
時間には幅だけでなく、その時間をどういう速さで過ごす(速く感じられる)かという観点もある。例えば、本を早く読むか遅く読むかが挙げられる。
時間に関する議論はまだ僕には難しすぎるのであとは各自にまかせる。
☆〈環境〉について
僕はこんな話を本で読んだことがある。
Aさんは、当たり前の教育を受けてきて、常識的なものの考え方ができる。そんな彼(彼女)「以下彼に統一」のような普通に生活できる人でさえ、少し状況が変わるだけで、全ての秩序を破壊してでも、自分の正しいと思う主張を通す人になり果ててしまった。彼はこれまでも同じ物の見方をしてきていたのだが、それでもたまたま支障がでなかった。だから、「普通」に生活してきたのだった。「普通」に生きることの難しさは、いわゆるエリート教育を受け、真面目に自分で考えるようにしてきた人ならば、痛いほど分かるはず。しかし、彼に「普通」を教えた学校教育を含め周りの環境が貧困だったために、「普通」がふつうになり、一旦「普通」がふつうでなくなるとその害が津波のように押し寄せ全てを奪っていったのだった。貧困はその時に顕現するだけでなくて潜在的にずっと続くものだ。幼い頃の貧困が今顕在した例だと僕は思う。自分の世代の抱える貧困が数十年後に噴出することも当然ありうる話だ。(心配…というかもう爆発してるかも)
環境の貧困さは深刻であればその人から幼い時の学びの機会すら奪ってしまうものだ。また、自分が世界をどう見つめ考え理解する作業を蓄積している人と全くしていない人がいて、彼らが「世界が全て変わってしまうような恐ろしいこと」に出会ったとする。そんな気の遠くなるような惨事を前にして誰かが救ってくれるだろうか?これは救おうと思う人が周りにいたとしても、彼らを満足させることはあまり期待できない。なぜなら彼らしかその地獄を経験していないからだ。誰も私を救ってくれる人がいない…彼らがそう思うのも当然だ。恐怖で言葉すら出てこない、頭も真っ白、そんな状況で誰が救えよう。でも、もし自分がそんな状況に置かれたとするならどうだろう?たとえいつものように難しい単語がでてこなくて、簡単な言葉しか思考に入ってこなくても、自分が世界の本質について考えてきた一つ一つが、その易しい言葉に宿って僕を支えてくれるのではないかと希望を持ちながら勉強をするようにしている。環境の貧困さについてそれぞれが自分の周りで起きていることについて考えてみて欲しい。
能力という観点もあるが、僕は敢えて〈環境〉の一項目に入れることにした。例えば記憶力の低さは当面の受験勉強では「できない」要因となるが、「私」が取り換えの利かない存在である以上、結局記憶力の低い自分と付き合っていかないといけないからだ。僕はディスレクシアと認定されないにしても、異常に文字に弱く、頭の中で文字を保持できないと思うことが多い。(ディスレクシアに関しては『プルーストとイカ』参照)例えば、歴史のテストでは、漢字で正確に書くことが要求されるから、まず頭の音の情報のバックアップのために、覚えたい語を分解し、イメージしやすい具体的なものに置き換える必要がある。(例、★ドラクロア→ドラ【ドラえもん、ドラクエ】クロ【黒、クロワッサン】★最高価格令【さいこうかかくれEい栄…地名です】)次に用語と用語のつながりを覚える必要がある。(例、★アベシェイエス 『第三身分とは何か』【安部さんとは何か?】★モリエール『人間嫌い』【モリゾーの人間嫌い】)最後に音を思い出したところで、それを漢字に変換する必要があるが(蒙恬【猪が草の王冠をかぶって、舌を出すが心臓が飛び出てきそうな様子?】)、簡単な漢字の組合せだと逆にいつまでたっても覚えられない。知っていて識別できる段階から、書くという段階に果てしない距離を感じる人は他にも結構いるのではないか?レンブラントの展覧会を見に行った後に、テストでレンブラントを書かせる問題があって、彼の絵なら50枚は思いだせるのに彼の名前を書けなくて落胆したので、少しでも失点のリスクを減らすために、ゴロをたくさん作って、「できない」ことを埋めようと努力してきたが、自分は「できない」人間だという気持ちがつきまとうようになった。それではそんな頭を持った人にとって国語などの読字教科や読書が何故可能なのか、これは三章「カリキュラム案」で述べる。たとえ自分に劣ったところがあってもそれを埋め合わせようと努力すれば生涯学習の観点ではあまり困ることはない。
環境には選ぶことのできることもものと選べないものがある。選べるものは塾・志望校(入れてくれるかは別だが…)、その他公開講座、教養講座、図書館、インターネットなど学び媒体、活動の場(国内海外)などである。では選べない環境とは何か、親(その他付随してくる貧困)、学校の教師やカリキュラム、授業、現行の受験システムなどが挙げられる。選べない環境というのは、〈評価〉〈時間〉〈憧れ〉〈方法〉の内の多くの要素があらかじめ決まっていて、不服な気持ちを抱くこと人が多いが、一方で選べる環境がたくさんあってもそれら全てを実行するのは不可能だということも見落とせない。
環境の貧困…例えば経済的貧困から選択肢が狭められてしまうこともあります。しかし驚くことに●日高敏隆 阿部謹也『「まなびや」の行方』によると、アメリカの学生は皆大学に通うのに親のお金をあてにしないで、長期の奨学金と自分が働いて得たお金で学資金を用意するそうです…本当でしょうか?他にもファーブルは学校の先生になろうと思ったが、ある人に「必要な学力があっても財産が無い君には無理だ」といわれ、化学染料の研究でお金を稼いだという。…心から勉強をしたいと思えば、誰かに助けを求めるのでなく自力でなんとかするものなのかもしれません。
塾について…これは中学でしか塾に入ったことのない僕にはあまりわからない。中学なら、学校の補いや志望校合格のため、気分転換や楽しい場所として塾に通っていた。予算が高いことや塾側が「親子ともに合格を最優先に望むものだ」ということを前提として〈方法〉を押し付けてしまうというデメリットもあると思う。
志望校について…現行受験システムでは主にトップダウン式を採用しており、東大京大など含めた旧帝国大学、難関私立…という風に各々権威特色をもって生徒たちを惹きつけている。そのなかでどれを選ぶかで、〈評価〉〈時間〉〈憧れ〉〈方法〉も変わってくる。
公開講座、教養講座、図書館、インターネットなど学び媒体について…こういった学び
媒体は使わないで済ますこともできるが、〈方法〉の選択肢を減らしてしまうことにつながる。
親について…ノーコメント、これぐらい自分で考えて!
学校の教師やカリキュラム、授業について…現役時を思い返すと、授業内容に不満を言う人は確かに多かった。僕は割と真面目に授業を受けたけれども、全く記憶に残らなかった授業もあった。それでも現役は基礎固めが重視されるので授業時間内を集中して理解に努めれば、良書の学参の補いだけでもなんとかなるような気がしていた(でも入試は甘くなかった…あなや)ただし、その人自身の能力〈環境〉や志望校の難易度〈憧れ〉も複雑に混ざりあっているものだから効率〈方法〉が良ければいいという訳でもないだろう。カリキュラムに関しては教える側の融通が利いている授業が案外多かった。でも、肝心の知りたいところを曖昧にしてしまう先生もいて、その曖昧な部分を独力で理解しようとするのにかなり時間がかかった。まずそういった曖昧な部分に迫るには本質を掴む必要があるが、それに適した本というのは少なく、またそういった本は基本習得が前提で書かれているためある程度の学力が無いと読めないことがある。曖昧な部分が分野横断の性質を持っていれば、両方の分野に深い理解が必要であるため、本当にそういった疑問に迫ることのできたのは浪人生になってからでした。それまではずっとわからない〈方法の欠如〉という気持ちから「できない」と感じる日々を過ごしました。ただ一旦浪人してしまえば、そういった要求を満たす本を探す時間のゆとりがでた結果、自分の疑問と向き合うことができるように手助けしてくれる本と出会えたので良かったと思っている。(三章のカリキュラム案を参考)現役にどうしても受かりたい人は、参考書や塾を有効活用すればいいし、そうでなく勉強自体に興味がある人は現役を自分にとっての「問い」をたくさん作る期間にしてはどうか。能力のある人はそれだけでも受かるものだし、ない人は頑張っても受からないこともあるだろう。環境は見方次第で変わるものだ。
現行の受験システムについて…自己弁護になるが、日本の大学受験という社会システムは、「できない」人に割と優しい。(「できない」の考察なのに「できない」が自明…変だな)中国では大学受験は一発勝負で浪人はなし(自主留年は一応OK…)だから、露骨に利権競争であるし、正統性維持のための振り分け制度であることは明らかだが、日本のシステムでは、ある程度周りの理解を得ることができれば、「できない」人が少しでも成長できる時間が与えられる訳だ。それを意識していれば、受験勉強だってもっと視野を広くできるのだから、自分の実力ぐらい自分で弁えて、できるようになりたいことがあるのなら、あらゆる手段をもってそれに臨めばいいと僕は思うが、これは外部〈評価〉や自分の志望校への思い〈憧れ〉と衝突するので受験生にとって究極の問いとなる。
☆〈憧れ〉について
この術語は僕の趣味から〈憧れ〉にしただけで(おい)、人によっては目標や夢などと言い換えできると思います。〈憧れ〉の対象が、自分にとって価値の高いものであればあるほど、自分の現在の状態〈評価〉との差は大きくなります。また、その〈憧れ〉に近づく〈方法〉も難しくなり、〈時間〉もとてもかかる気がしてきます。自分の内側の〈評価〉もそれに向かっている間やそれを達成することで高まります。外側の〈評価〉も付随してくることもあります。逆に外側の〈評価〉を気にするがために〈憧れ〉を抱くこともあります。
〈憧れ〉の高さに対して〈時間〉〈環境〉〈方法〉がうまく調整できないとき「できない」と感じますが、そう思うともっと〈憧れ〉が遠くなる気がします。
知り尽くしていることにはあまり〈憧れ〉の気持ちはおきません。〈憧れ〉の反対は〈嫌悪〉などが挙げられます。例えば、「勉強が嫌い」とはどんな状態でしょうか?だれかを嫌いに思うような時は、その人が普通すべき振る舞いを逸脱して他の人に迷惑をかけているという点で自分は逸脱しないように努力しているのに、その人は平気でそれを破ることに嫌悪感を抱いている。つまり自分にも逸脱願望があることが暗に示されるし、「逸脱」に関してその人と共通項があることもわかります。これと同じように、「勉強が嫌いだ」の状態を考察すると、その勉強を嫌いに思う人は、努力をしても自分にとって理解ができないものとして既に勉強を知り尽くしているのではないか。そういう理解で自分の思考を止めてしまったために、予想外のことに出会う可能性を失ってしまった状態、これを「勉強が嫌い」というのだと僕は考える。
☆〈方法〉について
これは今本屋さんに行けば、勉強法としてたくさん売りだしているものです。他の要素
〈評価〉〈時間〉〈環境〉〈憧れ〉と相談したうえで適切なものを選べばいいと思います。
三章 カリキュラム案
文系重視の内容となっています。
★文法比較・文法と意味との関係・翻訳とは何か
これから紹介する本は、できるだけ権威の勧める本の中から選びます。そのほうが、大きな選択ミスも少ないと思うからです。また、高校2年生までの基礎を固めていることが前提なので、もしそこまで辿りついていない人は(僕は卒業時にようやくそのレベルに達した…)書店やアマゾンでできるだけ定評のある参考書を買ってしっかりやり込んでください。少し手間をかければ、受験用参考書の中にもかなり質の高い本が見つかるものです。また受験特化の選択にしていませんのであしからず。
受験範囲内で区切ってみると、英文法・漢文法・国文法(口語・文語)の四種類。
●『漢文法 基礎 本当にわかる漢文入門』二畳庵主人 加地伸行 講談社学術文庫
基礎とは何かの考察が参考になり、また漢文法と英文法の比較、漢文法から語感を読みとるための説明は、他の文法を考える材料になる。一度基礎が付けば 『論語』(吉川 幸次郎がお勧め)など有名古典を読んだり、漢詩を楽しんだり(僕は一年間ラジオ講座の日本の漢詩を楽しみました。)するなかで、連文や互文の知識も蓄積し、熟語用法に強くなる。すると、日本語向上や明治の小説の理解促進につながる。(漱石らは熟語の語彙に巧みですから我々もその境地に到りたいです。)目茶苦茶な思考をするよりまず「てにをは」からという著者の主張は心にぐさりと刺さる。
以下三冊 加地氏のお勧め本
●時枝誠記『古典解釈のための日本文法』(絶版・図書館などで探してみてください、題名が「日本文法」で登録されていたり探しにくいこともあるので司書さんにお願いしてもいいと思います。…そういった探すテクニックを自分で習得してください。もう書きません。)(至文堂)
●松尾聡『古文解釈のための国文法入門』(研究社出版)(絶版)
上記の二冊は例文を源氏物語からとっています。(松尾氏の本は万葉集も)源氏を楽しんでいるうちに、古文のエッセンスを吸収できる良書です。時枝氏の本はいわゆる時枝文法で古語を、文法を構成するの「公理」の秘密に魅了される人もいるかもしれません。僕はまだ文法1年生のひよっこですが、文法の世界への入口の一冊として足田巻一の『やちまた』を紹介しておきます。松尾氏の本は「文法と意味の追求の過程」を楽しむことができます。原文と現代語訳を意味的に対応させるための努力が学べ、英文和訳の姿勢につながるところがあります。源氏物語に関して、僕は大塚ひかり全訳が、記号的解釈・源氏におけるエロス…追求の点で解説も詳しい点で初心者にお勧めです。訳は原文から感じたクオリアを反映しようとしていて、初心者は読みづらい。でも原文を読み続けると体になじんできて丁度いい塩梅になります。
●阪倉篤義『日本文法の話』(教育出版)(絶版)
国文法の口語と文語との対応関係に関して考察した書。暗記してきた口語文法と文語文法が有機的に結びつく。ちなみに●所一哉『日本語思考のレトリック』では阪倉文法を用いて入試問題を解く中で、阪倉文法が抱える問題点を指摘している。ある公理からなる文法一つで全ての説明をつけれる訳ではないので、様々な文法がお互いの体系に批難をくわえるなかでより良きものを目指す、こういった文法業界の誠実な営みは現在の政治にはあるか?
●『マンガ日本の古典』シリーズ(中公文庫)
古典に対して大きな障害を感じる人は、漫画から入るのも手だと思います。原文から捨象されてしまう部分は多いけれど、一方で漫画家がその作品をどう見たのかというビジュアル情報を直接味わうことができるという利点がある。1つのテキストに向かい合ったとき、各々がそのテキストを通じてみている世界がどれだけ違うか、興味深い限りです。
●行方昭夫『解釈につよくなるための英文50』岩波ジュニア新書
以下『英語の発想がよくわかる表現50』からの行方推薦本
● 『快読100万語!ペーパーバックへの道』 酒井邦秀
●『英語の読み方、味わい方』上田勤 行方昭夫
●『英文をいかに読むか』朱牟田夏雄
●『英語達人読本』斎藤兆史 上岡信雄
●『和文英訳の修業』佐々木高政
●『新編 英和翻訳表現辞典』中村保男
『解釈につよくなるための英文50』は、翻訳とは何かといった本質に迫る本で、高2レベルを対象としている簡単な例文の割に、学ぶところが多い良書です。しっかり翻訳を書いて、解答と比べてみないと大したことのない本だと思ってしまいます。僕も一度目は15日で適当に済ましてしまい、その凄さに全く気付きませんでした。論理の貫通度の高さは、現代文の良問と通じるところがあります。模範解答をよく読んで一つ一つの文が文章という段階に至るために、それぞれの文が全体の中でどういう役割を果たしているかをよく考えてみてください。それが文章を理解するということであり、そのニュアンスを翻訳に反映することの難しさに出会うでしょう。その段階では漢字の熟語など他の科目の理解の深さも問われるでしょう。
『解釈につよくなるための英文50』を、実践力(入試力?)にかえるためには最低でも上記の推薦本をとりあえず全部こなしてしまうのが一番早いと思います。原文を理解する難しさ、それゆえに着実に学習をするべきだと説く点で他の先生と一見似ていますが、思ったより難しく、思ったより簡単なんだという妙味を全ての本を学んだあとに感じるでしょう。京大入試を受けたものとして、一言いうと僕の持っている25カ年の全訳はあまり本文理解の深いものでなかったので、一つずつ添削しながら勉強していきましたが、この勉強はよくない。やはり「見せ菓子」のような問題だから、受験生は予備校講師を神とあがめて、予備校的翻訳に甘んじるのが一番いいです(もちろん上手な和訳の模試もありましたが…ちなみに僕は英語で爆死したので参考にならないかも)。本番に訳に拘ると時間が全然足りないのは明白だから、最初から捨てればいいのです。しかし英語屋さんはこの出題に完全解を出すべきです。こういった理系素材もしくは哲学的エッセイの問題を解説するにあたって、類書を複数読んでおいてまず原文理解のための基礎知識をため、用語の慣用的訳し方を学び、その原文がエッセイ調なのかガチガチの硬派なのかによって訳し分ける作業が必要で、それで初めて原文が理解できたといえ、生徒が聞きたい質問の内容が初めて分かるからです。(←ここが致命的に重要)生徒には理系も文系もおりそれぞれが分野に特化しているため、生徒の感覚理解のほうがずっと先生の解答より優れていることが起きうる、これが「見せ菓子」出題の怖いところで、先生がその質問をうやむやで押し切ってしまうことが続けば、生徒の不信感は頂点に達し、先生の評価失墜につながるでしょう。(これは現代文でもいえて、間違っても理系的ニュアンスが強いところに傍線を引くと、模範解答より本文理解に優れた解答が生まれてしまいます。でも、理系に弱い先生は蛇足なもしくは的外れな答えだとして減点を加えてしまうことがあります。)まあ大学の先生の「努力してそういう問題を作っているのだから、解く側もそれ相応に勉強しなさい」というメッセージとして受け取りましょう。もっと学術的素材を多読かつ翻訳したい人は
●『横山 ロジカルリーディング』 4部作(絶版)これは現役の時に一番好きだった教材ですが、まあ面白いだけです。要約などの練習になります。絶版なので別に必要ではない。
●『テーマ別英単語 academic 』上・中・初級 翻訳が本文理解に乏しいですが、後で述べる「お勧め本リスト」などで類書を読み、その英語の原書があれば読み、良く理解したうえで訳すために使うならば、なかなか無難な文章セレクトの本だと思います。
『英語の発想がよくわかる表現50』と『快読100万語!ペーパーバックへの道』 は超初心者の人にお勧めで、多読については後に「文学」でふれます。
『和文英訳の修業』は、和文から英文に直す時にどうやって原文のニュアンスを移すか、そして慣れない言語に移すが故に、実力のなさからくる大きな伝達ミスを防ぐための視点が優れています。
行方セレクトを乗り越えたら
●『英語達人塾 極めるための独習法指南』斎藤兆史
を勧めますが、この本でも、なまじ英語力の危険性を指摘し、上質な英文を読み、それらから例文を採集して、しっかりしたコローケーションに基づいて英文を書くことの重要さを主張しています。辞書をしっかり引くことを強調していて
●『発信型英語 スーパーライティング』
などの上級試験向けの教材 (←こういった英検1級、TOEFL、通訳ガイド試験向けの良書に詳しい人がいれば教えてください。) でも同じことを強調していますが、学習成果が表れるまでにとても時間がかかることを注意しておきます。『英語達人塾』の推薦書は何度読んでも素晴らしい文章が多いので、せっかくなら朗読CDも買って、勉強したくないときに流していると楽しいです。英語は音から入りやすい言語で、良質な文章ほど流れるような感覚が素晴らしいです。(でもCNN English Expressなどニュース素材は騒がしくて繰り返し聴いていると心がつんつんしてきてあんまり好きじゃない。…まあ朗読CDにも騒がしいのが結構ありますが。)日本語でも名作の朗読はかなり楽しめます。最近は、外人が日本語を学ぶ際にいい文章のリストを考案しているのですが、実用的かつ日本語の表現理解につながる文章を選ぶのは難しい。誰か何かありますか?日本の小説を読む中でもそうやって海外の視点を導入してみるのも面白いです。
●猫舌流英語練習帖 (平凡社新書)柳瀬尚樹
『新編 英和翻訳表現辞典』は読んで面白い辞書です。特に例文に爆笑します。内容もかなり優れているので、手持ちにあって損はしません。上記の猫舌ではオリジナルの辞書をい作ることを勧めていて、それと通じるところがあります。
漢文から英文や日本語にまたは古文から日本語に移していく中で、どうして過去の言葉を現代の言葉に翻訳できるのだろう、なぜ過去の言葉がたかが文法を介してわかるといえるか疑問に思ったり●鶴見俊輔『思い出袋』のように、「言葉のうしろにある言葉」「自分の中の知らない言葉」「翻訳のすきま」といった哲学的思索にふけることもあるだろうし、●田中克彦『ことばと国家』のように、ことばの歴史を知って、自らの言葉観を点検することもあるだろう。そういった一つ一つの遠回りが「ことばとは何か」という本質に近づく一番の方法だ。
意味の境界を越える作業を繰り返す中で、様々な限界が露呈する。今まで自明だと思っていたことが信じられなくなって路頭に迷うこともあるだろう。でもそれが本質なのだと思う。これまでは気づかなかっただけで、言葉の多様性に初めて出会っただけなのだ。分野と分野の境界に立って、それぞれの分野を眺めてみれば自ずから心に余裕が生まれて、いつもより落ち着いて言葉と接することができるかもしれない。
★辞書について
質の良い辞書は暇な時に読んで面白く、実用に利くものだ。何か面白い辞書があれば教えてください。
●小内一『てにをは辞典』
本来日本語は、たくさん本を読む中で自然と身につけていくべきものなのだが、英文和訳以来日本語向上が止まってしまった人の日本語はエキゾチックなので、もしそういう人が自分の慣用表現の自然さの度合いを点検したい時に使う辞書。眺めていても面白い。
●大野晋『古典基礎語辞典』
「日本語とは何か」に迫るすごい辞書。古典を読むときに深く考える道具として重宝している。
●白川静『字統』
漢字をイメージに置き換えるときに使っています。漢字って面白い、と思わせるような字書です。
●日本語チェック2000辞典 受験勉強にはいい値段、量。
★文学
●石原千秋『大学受験のための小説講義』
小説を読むとはどういうことかを明快に解説した入門書。この本で「自分なりの小説の読み方を自覚的に把握するために、小説から取り出した物語を、一つの主語とそれに対応する熟語一つから成る一つの文に要約する練習」を勧めており、これを意識的に英語や古典を読む際も行い、面倒でも記録しておく、すると古文などの一見似た話でも、作品によって少しずつ違うという「差」を意識して把握できるようになる。『快読100万語!ペーパーバックへの道』『英語達人塾』の多読の際も意識的にこれをすることで、物語文作成を通じてその作品に潜むたくさんの主人公の意識を読みとれるようになり、読みに深みが増す。
●高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))』
小説とは何かを知るために、小説を書くことを勧める本。自分が小説を書く立場になることで、文学を見る目がいつもと全く違ってくるので、本文のより深い理解を期待できるようになる。
●内田樹『街場の文体論』
では、我々が言葉の檻の中で「檻ごと動く」ためには、定型表現を身体化する必要があると説き、そのために母語の古典を浴びるように読むという方法が有効だといいます。「古代から現代に至るすべての時代の「母語で書かれた傑作」と評価された作品を、片っ端から、浴びるように読む。身体化するというのは理屈じゃありません。ただ、浴びるように読むだけです。それが自分の肉体に食い込んでくるまで読む。」(引用同書)
●板野博行『古文読解ゴロ565入試出典ベスト70』
国語便覧の方が網羅度が高いが、受験生は上記の565が、出典頻出順になっていて使いやすいかもしれない。自分の読みたい古文を読んで多読の中で文法をなじませていく作業も大切だ。その際に
●『新編日本古典文学全集』(小学館)
を利用するのが全訳付で初心者には便利だ。(僕は源氏物語を岩波文庫のもので勉強したが、全訳がないのでかなり時間がかかった)
ある程度古文や擬古文読めるようになってくれば
●『岩波 古典文学大系』『明治文学全集 筑摩書房』
などの全集を通して、さらにさまざまな作品に触れることができます。
英文も古文も読めるようになってきた人は
●ロバートキャンベル『Jブンガク』
などのように、日本の名作を英文という視点を経由させて重層的に楽しんでみてはどうでしょうか。この本につくブックガイドは文学入門に最適。キャンベル先生が学生の時『荘子』『史記』『三国志演義』『日本書紀』『将門記』頼山陽などを英語で、原文ハードルを無視して読んだという話は興味深い。僕も漢文を英文を横に置いて読破しようかな。
●山本史郎『東大の教室で『赤毛のアン』を読む』
英文学を楽しむための、「人物造形のタイプ」「物語のタイプ」「視点」「語り」について日本の小説などと比較しながら学べる本。
●宮崎駿『本へのとびら――岩波少年文庫を語る』 (岩波新書)
僕の尊敬するジブリの監督が、お勧めの児童書を選んだ本リストです。
「ほんとうを言うと、本はいっぱいは要らない、五〇冊じゃなくて一冊あればいいとも思っているんです。たとえばすごいハードカバーの重い本でね、世界のことが全部書いてあるという、そういう本ができないものだろうか、ということを夢見ていますね。」(引用同書)
僕もそんな「世界のことが全部書かれている本」をいつか書くために、日夜ネタ集めに徹しています。●吉田武 『虚数の情緒』の哲学バージョンみたいなものを40年後に書けたら嬉しいな。面白い児童書は原書で読むようにしていました。
ドイツ語フランス語韓国語ロシア語が勉強したいので、誰か良書があれば教えてください。
★本リストを利用すること
自分の好きな著者の勧める本なら、自分の苦手な分野の本も心理的に手に取りやすいと思います。ぜひ好きな「著者」のお勧め本を探してみてください。自分がよく活用したものを参考程度に
●『養老孟司の大言論』の3巻につくお勧め本リスト
●内田樹のHPで「おすすめ 本」と調べるとみれる本リスト。
●茂木健一郎『「読む、書く、話す」 脳活用術 日本語・英語学習法』の本リスト
●松岡正剛のHP「千夜千冊」
●吉永賢一『東大家庭教師が教える 頭が良くなる勉強法』
養老は理系素材の入門書が面白くて、翻訳の参考文献に多く用いた。茂木氏の本には英語学習のお勧め映像教材(英語)も載っていて、今年はそれら全て楽しもうと思っている。またこの本で「早すぎる自伝を書け」と勧めていたので、日本語と英語で自伝を書こうと思っています。再読に耐えうるリズムのいい文章が書けるように頑張るつもり。僕は千夜千冊の「分理篇」に憧れていて誰かそれらの本を読む方法を教えてほしい。全く歯が立たない本ばかり。
吉永氏本の参考書リストの
●武井正教『新編集 武井の体系世界史』
●五島辰夫『世界史はこう整理してこう暗記する!』
●中谷臣『センター世界史B各駅停車』『世界史年代ワンフレーズnew』
は重宝しました。(←でもいまいちな参考書が多くてちょっと残念なリスト)武井の本は年表ですが、高二時の僕の尊敬する世界史の先生が、一つ一つ用語を覚えていって、パズルのピースを埋め合わせていくと、頭の中で、世界史の年表が生きたように結びついていって一つのジグソー地球儀のようになると聞いて以来、頑張って年表をイメージするようにしてきたけど、一向にその境地に達しないのはなぜでしょうか?五島氏や中谷氏の本は、暗記力が皆無の僕にとってなくては欠かせないものです。
★頭の中でイメージするということ。
決まった道筋を決まった時間に散歩したというカントは、やはり頭の中であれほどの議論をイメージしながら歩いていたのだと思う。頭の中で情報を保持し処理していく能力を高めることの重要性に気づかせてくれた本が
●栗田哲也『数学に感動する頭をつくる』
以下この本の推薦本
●志賀浩二『数学が育っていく物語』(絶版)
●ローレンCラーソン 秋山仁『数学発想ゼミナール』
●栗田哲也『目で解く幾何』
●矢野健太郎『幾何の有名な定理』
●清宮俊雄『幾何学』
●佐藤肇『幾何の魔術』
僕が上に補うとしたら
●栗田哲也『マスターオブ整数』『マスターオブ場合の数』
数学はこれらのレベル以上までやって初めて文系科目に生きてくる。受験数学を公理系から基礎づけていく作業は、文系の哲学や歴史、文法の基礎づけ作業ととても似ている。高校数学で多くの文系が数学を辞めてしまう現システムはとても残念だし、栗田先生がいなければこんなに楽しいものだとは思わなかった。これだけ面白いと、数学を止めろといわれても止めれんだろ!という数学依存に陥ること覚悟。特に『目で解く幾何』は高校入試用の参考書だが、浪人生になるまでずっと持ち続けていた図形コンプレックスを粉砕してくれた。『幾何学』は、拡張の勉強になり、問題を作ったり、ある問題から新たに性質を発見していく作業が楽しい。幾何学の問題を解きながら散歩するのも楽しい。眠れないときもこれまでは無為な時間を過ごしている気がして嫌だったが、頭のなかで幾何の問題を解いていればすぐに頭がぼーっとして寝られる。『数学が育っていく物語』は普通に生活していたら一生出会わないような、数学の世界観につれていってくれる。数学の世界は『指輪物語』とかのファンタジーと響きあうところがある気がする。ただし、僕は半年かけて半分も分からなかった。『幾何の有名な定理』は複素数を使うので新課程向き。旧課程の僕は石谷茂『複素数入門』(絶版)などを補助にしたが、複素数ベクトルに関するいい演習の本は無いのかな?誰か教えて欲しい。行列式で書かれても訳が分からない。『数学発想ゼミナール』は答えが付いていなくて受験には適さない。『幾何の魔術』も受験には適さない。『マスターオブ整数』『マスターオブ場合の数』は推薦本付でさらなる展望もあり、これからが楽しみ。
●岡田斗司夫『あなたを天才にするスマートノート』
●トニーブザン『ザ・マインドマップ』
言語情報が半ば死んでいる僕がなぜ現代文の問題が解けるのか?高3の時の現代文の授業で、一つ一つの文章に関して授業プリントの裏に、初読と読後の感想を書かせられて、それは図やマインドマップで書いてもよかったので僕は、その文章の本質だと思ったことを中央に絵と共に書いて(情報、倫理、排除、死など)それから派生するイメージを周りに伸ばしていく、こういった作業をするなかで、そのテーマに関する哲学的考察を前もってしかりしておいた。すると●石原千秋『教養としての大学受験国語』で指摘するような「思考のための座標軸」があるために、試験で初めて見る文章でも、それが自分の考えとの違い発見、つまり「公理は何か」や「それをどう組み合わせているか」の考察のみで済む。あとは論理整理だけだ。
●中内伸光『ろんりと集合』
●野矢茂樹『新版 論理トレーニング』
二つの本のつながりが少し悪いが、代用品を誰か教えてください。
マインドマップはできるだけ時間をかけてホントに本質だと思うことや覚えておきたいことを選んで派生させていった。たくさんの参考文献を探してきて、本質が書いてありそうな部分を重点的に探して自分の思っていることと比べながら読む。ページをめくっているとある物事の考察をするために異常に「ため」をしている箇所に遭遇することがあり、そこがその著者の独創的な箇所であることが経験上多いです。よって、僕が「読む」本は硬派の本(哲学・数学などの専門書)や本当に面白いと思えるような本だけで、大体は知っていることを別の方向からみるための「目を通す」作業であるので、基本的に読字スピードが遅くても、あまり学習には支障がでないのです。(参考佐藤優『読書の技法』)マインドマップで思考を全て絵に変換する作業を通して、内容が記憶にも残るし、なにより書いていて楽しかった。また、日頃思いついたことを『あなたを天才にするスマートノート』などの方法を用いて面白い形に変えていくことも続けている。
英語屋さんは自分の思考の動かし方を点検するのに英語よりもまず現代文から始めるといいと思う。現代文の参考書はどれがいいかわからないので、良いと思ったものを羅列するにとどめる。
●『出口 現代文講義の実況中継』
●吉岡友治『東大入試に学ぶロジカルライティング』
●東進HPで無料で手に入れられる京大東大の過去問(答えと原文を対応させて色マーカーをぬってみて使う)
●棟明朗『思考訓練の場としての現代国語』
★社会科目について
僕は現役は世界史、地理を2次用に、浪人は世界史2次、日本史センターで使いました。
歴史を学び続けて欲しいなら、もともと歴史そのものが好きな人を別とすれば他の古典や哲学、文学の魅力に引き込んだ方が早い。それらを本気で学ぼうと思うなら歴史の知識はかかせない。
☆世界史
●津野田興一『世界史読書案内』
●荒巻豊志『荒巻の新世界史の見取り図』中
●山内昌之 『歴史学の名著30 』(ちくま新書) 政治学・社会学・宗教学版もある
これらの世界史入門書リストの本を読みながら、
●『詳説世界史研究』
などの詳しい専門書と用語集を組み合わせて、論述対策をしましたが、実際に設問要求に適した解答を書くのは難しく、受験生は予備校や通信添削で鍛えた方がいいです。僕もHP「受験生のための世界史教室」で中谷先生に添削していただきました。
自分で色々問題を作って、それに答えを与えていく勉強は楽しいけど、学校教育の歴史は記憶と編集技術しかためされないのだから、思考時間の無駄として切り捨てた方が賢いかも。
問題を立てて、それに答えを与え、文字の形に残して蓄積していくと、自分の歴史認識の薄さが身にしみて分かってくる。同時に歴史がわかるということがどういうことなのかも自分の状態の対極にうっすら見えてくるでしょう。日本史に関しても世界史と同様、問いを作って答えを蓄積する作業を続けていきたい。
☆日本史
日本史は用語暗記で精いっぱいで
●橋本治『ひらがな日本美術史』
や、網野義彦、加藤陽子、坂野潤治らの著作を楽しんだ程度なので、誰か詳しい人は面白い本を教えてください。
☆地理
●山岡信幸『山岡の地理B教室』
●『地球の歩き方』
定番の教材しか知らないし、現役に東大対策で勧められた教材はどれも微妙な感じがした。もっと面白い教材があればいいのに。山岡は地理の入門書にして良書。『地球の歩き方』は知りたい国があった時によく借りて写真を眺めていた。世界史の知識と現代の状態が有機的に結びつく。
☆倫理
資料集などを使って興味のある人を見つけてその原書をよめよめ。
●永井均『倫理とは何か 猫のアインジヒトの兆戦』
●内田樹『寝ながら学べる構造主義』
●竹田青嗣『現代思想の冒険』
●熊野純彦『西洋哲学史』(岩波新書)
など入門書を探してそこから入るのも手だけど、やはり原書よめよめ。
『数学が育っていく物語』で数学を勉強するようになってから、現代思想や熊野氏の哲学史をイメージ的にすんなり受け入れやすくなった。
☆政経
●長谷部恭男『法とは何か』『憲法とは何か』
制度を根底から考えるのはなかなか難しいです。政経で「~とは何か」という本質な問いといえば他にどんなのがあったかな?誰か制度の本質に迫れるような良い問いを教えてください。
カリキュラムを作ってみる遊びの大きなデメリットは一つの分野を解説する記事を作るとして最低300冊程度の読書が必要で、そこでとりあえずセーブという意味で頭の中を整理して…というのをあらゆる分野で継続しようとすると人生破綻を招くということですかね。読書という強迫観念にとりつかれる略