言ってはいけない―残酷すぎる真実―(新潮新書)
性戦略を表わすもうひとつの身体的特徴は、男性器と 睾丸 の大きさだ。成人したゴリラのオスは体重200キロ近くになるが、ペニスの長さは約3センチで睾丸は大豆ほどの大きさだ。なぜゴリラが立派なペニスや大きな睾丸を持っていないかというと、オス同士の競争はその前に終わっていて、セックスにコストをかける必要がないからだ(ハーレムのメスと自由にセックスできるのなら、ペニスや睾丸を発達させる必要はない)。一夫一妻でもこれは同じで、テナガザルのペニスは小さく、睾丸は身体のなかにしまいこまれている(これはゴリラも同じ)。 それに対して乱婚のボノボは、ゴリラの5分の1の体格(平均体重 40 キロ)にもかかわらずペニスの長さは約3倍で、睾丸にいたってはLLサイズのタマゴくらいの大きさだ。そのため睾丸が体内にあるとうまく放熱できず、身体の外に押し出されている。
ヒトの本性が乱婚だというきわめて説得力のある証拠のひとつが、男性器の構造だ。ヒトのペニスは乱婚のチンパンジーやボノボよりも長く、太く、先端にエラがついている。これまでの通説では、ペニスがこのような特徴的な形状を持つようになった理由をうまく説明できなかった。 だがヒトのペニスの機能は、かんたんな実験で明らかになった。ペニスと同じかたちをしたものをゴムの管のなかで激しく動かすと、管のなかに真空状態が生じ、内部の液体が吸い出されるのだ。 男性のペニスと性行動は、その特徴的なかたちとピストン運動によって、膣内に溜まっていた他の男の精液を除去し、その 空隙 に自分の精子を放出して真っ先に子宮に到達できるよう最適化されているのだ。
高貴な血への崇拝と穢れた血の忌避は、人類に普遍的なスピリチュアルセンスだ。しかし 20 世紀半ば以降は、人種差別やホロコーストの悲劇を経て、「穢れた血が子どもに引き継がれる」という考え方はタブーとされた。だったら高貴な血の神話もいっしょに捨て去らなければならないが、そうすると王制(天皇制)の根拠がなくなってしまうので、こちらのほうは残すことにした。こうして、「高貴な血は子々孫々まで引き継がれるが、穢れた血は遺伝しない」というなんともご都合主義なイデオロギーが「政治的に正しい」とされることになったのだ。 ちなみに、ヒトは両性生殖なので、子どもは父親と母親からそれぞれ 50%の遺伝子を受け継ぐ。当然、父から子、孫へと世代が替わるごとに遺伝子の共有比率は低くなり、数十世代もすれば「高貴な血」も「穢れた血」もヒトの遺伝子プールのなかに散逸し、家系や血のつながりはなんの意味もなくなる(近親婚を繰り返せば別だが、これはほとんどの場合、劣性遺伝の影響で悲惨な結果を招く)。
わたしは、遺伝と非共有環境によって「わたし」になる。 子どもが親に似ているのは遺伝子を共有しているからだ。子どもの個性や能力は、子育て(家庭環境)ではなく、子どもの遺伝子と非共有環境の相互作用によってつくられていく。そしてこの過程に、親はほとんど影響を与えることができない。 親は子どもをクリスチャン、ムスリム、仏教徒にすることはできるかもしれないが、親が望むような性格にしたり、有用と考える能力を持つように育てることはできない。なぜなら子どもの成長に、共有環境=子育てはほとんど関係ないのだから。 では、子どもの人格形成に決定的な影響を与える「非共有環境」とはいったいなんだろうか? 次章ではそれについて考えてみよう。
ここで、行動遺伝学の用語をもういちど確認しておこう。 知能や性格、行動など「わたし」をかたちづくる要因には「遺伝」と「環境」がある。遺伝率は双生児の研究などによって統計的に推計可能で、それによって説明できない部分が「環境」だ。 兄弟姉妹にも、似ているところと似ていないところがある。これは、環境のなかにお互いを近づけるものと遠ざけるものがあるからだ。これを「共有環境」「非共有環境」と呼ぶ。 兄弟姉妹で言葉づかいが似ているのは、遺伝の影響に加えて同じ家庭で育ったからだ。これが共有環境の影響で、一般には子育てのことをいう。 だが同じ家庭で育った一卵性双生児でも、見分けがつかないくらいそっくりになることはない。どんな子どもでもすべての環境を共有するわけではないからだ。 一卵性双生児でこの関係を示すと、次のようになる。 わたし=遺伝○+共有環境○+非共有環境× ここで、○はお互いを近づけるちから、×は遠ざけるちからだ。人格形成においてこれ以外の要素がないという意味で、「遺伝」「共有環境」「非共有環境」の3つが「わたし」をつくっている(これは定義の問題で、「わたし」から「遺伝」を引いたものが「環境」、「環境」から「共有環境」を引いたものが「非共有環境」だ)。
ハリスは子育て神話を、「科学的根拠のないイデオロギー」として退ける。赤ちゃんは、旧石器時代の進化適応環境を生き延びるための戦略プログラムを持って生まれてくる。両親と子どもだけの核家族で育ち、幼稚園・保育園で幼児教育を受け、小中高校から大学まで勉強しつづけるようつくられているわけではないのだ。 ヒトが他の哺乳類と大きく異なるのは、無力な乳児期がきわめて長いことだ。生後すくなくとも1年間は、母親が集中的に養育し、授乳しないと死んでしまう。そうなると母親は、次の子どもを得るまでにまた 10 カ月の妊娠期間を必要とする。 母親は出産までに大きなコストを支払っている(投資をしている)から、生まれた子どもをできるだけ大切に育てようとする。進化論的にいえば、これが母親が子どもに強い愛情を抱く理由だ。
年齢や性別、人種などの異なる幼児をひとつの部屋に集めると、彼らはすぐに仲良くなって遊びはじめる。だが子どもの人数を増やしていくと、そこに自然とグループができていく。それはおおよそ、次のルールに 則っている。 ① 年齢 幼児は自分よりすこし年上の子どもになつき、年の離れた子どもには近づかない。年長の子どもも、自分たちよりすこし年下の子どもは仲間に加えるが、それより下の子どもは無視する。これは年齢によって遊び方が異なるため、年が離れていると面白くないからだ。 ② 性別 思春期になれば恋愛感情や性の欲望が芽生え、男女の関係は複雑化するが、それ以前は男の子と女の子のグループに分かれ、お互いのことには興味を持たないのがふつうだ。これは性別で好き嫌いや興味が異なるためで、男女で同じ遊びをしてもつまらないのだ。 ③ 人種 アメリカのような多民族社会では、子どもの数が増えると、人種別にグループができる(そのためどの保育園・幼稚園でも、大人が介入して人種混交のグループをつくらなければならない)。これは人種差別のイデオロギーによるものではなく、子どもが「自分と似た子どもに引き寄せられる」からだ──このような性向が埋め込まれた理由は、自分に似ている子どもが兄や姉、血縁の近いいとこである可能性が高いことを考えれば明らかだろう。子どもたちは、自分に似た子どもを優先的に世話しようとするのだ。
ヒトは社会的な生き物で、群れから排除されてしまえば生きていく術がない。古今東西、どんな社会でも「村八分」は死罪や流刑に次ぐ重罰とされた。これは子どもも同じで、「友だちの世界」から追放されることを極端に恐れる。 勉強だけでなく、遊びでもファッションでも、子ども集団のルールが家庭でのしつけと衝突した場合、子どもが親のいうことをきくことは ぜったいにない。どんな親もこのことは苦い経験として知っているだろうが、ハリスによってはじめてその理由が明らかになった。子どもが親に反抗するのは、そうしなければ仲間はずれにされ、「死んで」しまうからなのだ。
ヒトは社会的な動物で、集団から排除されれば一人では生きていけないのだから、アイデンティティというのは集団(共同体)への帰属意識のことだ。〝わたし〟は「奴ら」に対する「俺たち」の一部で、「敵」を生み出すのはひとがひとであるための条件ともいえる。 ヒトのオスが遠い祖先から受け継いだ遺伝的プログラムは、世界を内(俺たち)と外(奴ら)に分け、仲間同士の結束を高め、奴らを殺してなわばりを奪うことなのだ。
親のいちばんの役割は、子どもの持っている才能の芽を 摘まないような環境を与えることだとハリスはいう。 知的能力を伸ばすなら、よい成績を取ることがいじめの理由にならない学校(友だち集団)を選ぶべきだ。女性の政治家や科学者に女子校出身者が多いのは、共学とちがって、学校内で「バカでかわいい女」を演じる必要がないからだ(必要なら、デートのときだけ男の子の前でその振りをすればいい)。同様に芸術的才能を伸ばしたいなら、風変わりでも笑いものにされたり、仲間はずれにされたりしない環境が必要だろう。 だが有名校に子どもを入れたとしても、そこでどのような友だち関係を選び、どのような役割を演じるかに親が介入することはできない。子どもは無意識のうちに、自分の遺伝的な特性を最大限に活かして目立とうとするだろうが、それは多分に偶然に左右されるのだ。 もちろんこれは、「子育ては無意味だ」ということではない。人生とは、もともとそういうものなのだから。
もっとも効果的に相手をダマす方法は、自分もそのウソを信じることだ。カルト宗教の教祖が信者を惹きつけるのは、自らが真っ先に「洗脳」されているからだ。社会的な動物であるヒトは上手にウソをつくために知性を極端に発達させ、ついには高度な自己欺瞞の能力を身につけた【 80】。 これが「現代の進化論」の標準的な説明だが、もしこれが正しいとしたら、暴力や戦争をなくすために理性や啓蒙に頼ったところでなんの意味もない。自己欺瞞は無意識のはたらきだから意識によって矯正することはできず、他人が欺瞞を指摘すればするほどかたくなになっていく。これが、教育によってIS(イスラム国)のテロリストを更生させられない理由だろう。 自己欺瞞がやっかいなのは、知性の高いひとほどこの 罠 から逃れられなくなることだ。なぜなら、その恵まれた能力を駆使して、現実を否定し自分をダマすより巧妙なウソを(無意識のうちに)つくりあげるから。ヒトラーやスターリン、レーニンや毛沢東など、現代史にとてつもない災厄をもたらしたのはみなきわめて「賢い」ひとたちだった。
常識」とは逆に、近年は若者の犯罪の減少が顕著で、世代別でもっとも犯罪者が増えているのは高齢者だ【 81】。 じつはこれは世界的な傾向で、治安の悪化が叫ばれる先進国はどこも犯罪が大きく減っている。ISによるテロが大問題になるのは、その残虐さももちろんだが、それ以外の危険がなくなったからでもある。 現代史を振り返れば、2度の世界大戦やロシア革命、文化大革命、ポルポトの大虐殺、旧ユーゴスラヴィア内戦などの 凄惨 な出来事がつづいた 20 世紀に比べて、冷戦 終焉 後は国家による大量殺人が大幅に減ったことは明らかだ。アフリカや中東に問題が集中するのは、それ以外の場所(アジアや中南米)で戦争や革命、暴力的クーデターが起きなくなったからでもある。 このことは、理性がまったく役に立たないわけではないことを示している。意識の本質が自己欺瞞だとしても、人類は幾多の悲惨な経験を通して、それを平和と繁栄になんとか役立ててきたのだ。 だとしたら、未来をいたずらに悲観することはない。共産主義者が夢見たようなユートピアは実現しないだろうが、そこそこゆたかでそこそこ暮らしやすい世の中ならじゅうぶん期待できるのだ【 82】。 そのためにも、私たちの認知=知性が進化のちからによってどのように偏向しているのかをちゃんと知っておく必要がある。現代の進化論が突きつける不愉快な真実は、歪んだ理性を暴走させないための安全装置なのだ。