成功は一日で捨て去れ(新潮文庫)
「成功」は、そう呼ばれた瞬間から陳腐化していくものである。経営環境が絶えず変化しているので、 人真似 の考え方や方法、あるいは他人任せという安易な手法を繰り返すだけでは絶対に成功などしない。自他ともに成功事例の復習は、無意味なのだ。  そもそも世の中に成功の 秘訣 や方程式などは存在しないし、成功という目の前のまやかしにとらわれたり、過去の小さな成功にしがみつこうとしている限り本当の成功などありえない。ちょっとうまくいった程度で成功したと勘違いしてはならない。ぼくもよく自戒している。  ちょっとした成功は満足に通じ、満足はやがて安定志向につながる。あらかじめ計画する安定成長などはありえない。さらに大きな本当の成功に向かって経営者自らが手足を動かし、もがき、挑戦し続けなければ安定成長さえおぼつかないだろう。
会社というのは、何も努力しなければつぶれるもの。常に「正常な危機感」をもって経営しなくてはいけない。会社を成長発展させようと考えたら、「現状満足」は愚の骨頂だ。現状を否定し、常に改革し続けなければならない。それができない会社は死を待つだけである。
企業経営は、何でも実際にやってみないと分からないことが多い。完全なものができるまで待っていたら、何にもできない。自分の会社や事業として、単純に「こんなことをしたい」のではなく、常に「どうあるべきか」を考えて決断しなくてはならない。多くの人が、自分に果してできるだろうか、自分には能力がないのではないか、こんなことよりも自分は別のことをしたほうがいいのではないか、などと思い悩む。それで大失敗するのだ。  世間とか世の中は自分よりももっとずっと大きな存在なので、自分の都合などは聞いてくれない。社会的に必然性がなければ失敗する。社会がその事業を要求するから成功するわけで、本当は何も思い悩む必要などないのだ。  やってみて失敗だったと気づいたら、それを素直に失敗と認め、すぐに変更していけばいい。今まで上場以来、ぼくはそれを 躊躇 することなくやってこられた。それが良かったのだと思う。野菜事業やファミクロ・スポクロの失敗と撤退はその典型だ。自社の社内のことも、社会情勢や小売業全体や競合他社の状況など、全部を総合的に、なおかつ客観的に考えてから判断するので、基本的な進むべき方向性に関しては間違っていなかった。
現在の若手経営者に「会社は誰のものか」という問いを投げかけると、決まって「株主のため」と答えたりする。非常に教科書的な答えだ。「社員のため」という答えも本質的ではなく、おかしい。  やはり会社は「お客様のため」に存在するのが本質だ。株主のためや社員のため、もっとひどいのは経営者のため、そんなことはあり得ない。  会社というのは、お客様に商品を売り、サービスを提供して、それに対しお客様がおカネを払ってくれる、収益という見返りを得る受益者である。そこにこそ会社の役割と意味があると思う。株主のためでも社員のために存在するものでもない。  もし、会社が社員のためにあるということになると、「お宅の社員を幸せにしてあげたいから買ってあげます」、そう思ってお客様がおカネを払うという話になってしまう。これは、どう考えてもおかしい。  日本の経営者は「会社は社員のためにある」と言う人が結構多い。これは本末転倒である。また、アメリカの経営者は「会社は株主のためにある」とよく言う。これもあり得ない。  いま世の中全体が不景気のせいもあるかもしれないが、元気のない経営者が多い。話をしていても銀行が貸してくれないから何もできない、などと、他人のせいばかりにして経営者自身がまったく動こうとしていない。お客様のために何ができるかを常に一生懸命考えて、自らが率先してひるまず実行するべきだ。