5月の記述
草花がいっせいに芽吹き、実が成り地に落ちて、樹木の葉っぱがぐんぐんと限界知らずに育っていく。よく晴れた昼間、街路樹と植え込みが直線上に連続する長い舗道を歩いていると、視界に散らめく新緑から塩素のような漂白剤のような薬品めいた香りが濃霧のように立ち込めてきた。葉っぱの一枚一枚が、ほかの季節には生成しない特殊な成分を放っているのかもしれなかった。一枚一枚が放つのは微量でも、総量となればそれらの香りは人間のからだにどう作用するかも分からない。ひとつ言えるのは、この香りが5月のいまの季節に特有のもので、ワンシーズンのうちに何度も味わえるわけではないこと。天然の薬剤を身体に馴染ませるつもりで存分に吸い込んでおいた。
ひとけのない小さな公園に辿り着くと、樹齢の深い背高の木が並んでいて、よく生い茂ったそれらの葉むらが何もない砂地にゆらゆら揺れる網の目状の影を広い範囲に這わせていた。網の目がつづく先、光があまり当たらない湿気を帯びた公園の片隅に、仔馬を象った子ども向けの遊具が一台だけ置かれていた。
どこからともなく風が立ち、枝々に茂る葉っぱを細かに震わせて、緑のまとまりから別のまとまりへと音響を伝えた。不動のままでいる空の平面を背景に、樹木は右へ左へと重たそうな枝成りを揺らしつづけていた。自分とはまったく無関係に現象する外界を無為に眺めているあいだ、風は木を、木は風を、たがいの領分を分け合うものとして認知しているのだろうかと不思議に思った。
(2024/05/16)