霧ヶ峰にて(眼差し以前の不可能な映像)
数年ほど前、ある写真家の取材に同行して諏訪の霧ケ峰高原を訪ねたことがあった。山頂にあるフェッテに宿泊予定のため、頂上付近にある駐車場まで車で上り、残りの距離を徒歩で移動した。季節は5月だったが標高1925mの霧ケ峰の山頂付近は肌寒く、辺り一帯に広がる草原には冬の景色を思わせるかのように枯草の黄も入り混じっていた。夕闇に浮かぶ写真家の背を追って黙々と歩いていると、トレッキングコースから少しはずれた脇の湿地帯に、小さな沼があらわれた。風はなく、沼の水面はしんと張り詰めて、鏡のようなおもてに霧ケ峰の空を映し出していた。
沼には近づかなかった。代わりに、持参していたデジカメ(当時はスマホを所有していなかった)で、沼の写真を遠巻きに一枚撮影した。年間多くの登山客が訪れる名山とはいえ、その季節はシーズンオフである。見渡せる限りの視界に自分たち以外の人間はいない。集落を流れる小川や一目を引く山小屋に比べれば、この沼が人間の視線を浴びる総時間はかなり短いはずである。この沼は、人間に見られるために存在しているのではない。この沼は、人間に見られようが見られまいが誰かの視線とは無関係に存在している。私が霧ケ峰を訪れて発見する十年百年以上前から、私の眼差しに先んじてこの沼は存在していた。沼が一年や二年といった短期間で姿を大きく変えることはまずないだろうから、おそらく沼は私に発見されたその以前からさして変わらぬ見え方でそこにあったはずである。普通に考えて、沼が突然、霧ヶ峰の高原に出現するということはありえないだろう。にも関わらず、私はこの沼が私に見られる以前から存在してきたことをうまく認識できない。私が眼差す以前からそれが存在する、ということが、どういうわけか自明に思えない。この不可解な感覚を言葉で説明しようとすると、認識のフレームが立ち上がりと同時に崩れていく。沼の以前の姿は言語化を無効にする。なぜならそれは、眼差す「私」が発生する以前からの誰も眼差さない映像だから。そもそも、私が眼差す以前の沼は、沼という名称で呼ばれるものではなくて、もっと言語による修飾を拒む低解像度の何か、たとえばただの水たまりだったと言うほうが適切なのかもしれない。私の語り出しは沼の水面が映し出す映像どころか、沼の淵に触れることにすら遠く及ばないだろう。写真は確かに私の手元に一枚残ったが、沼を見たときに湧き上がった名状しがたい一連の感覚は、けっして持ち帰ることができない類のものなのだと、このとき直感した。
(2024/05/18)