海の記述
行き先を定めず飛び乗った各駅停車でいつのまにか遠くに来ていた。都心から離れたその港町は休日のためにひとけがなく、広い道路の先の先までがしんとした空気に浸されていた。
海岸線を見るために陸の果てを目指した。閑散とした郊外。無機質な表情のオフィスビルと一定の間隔で植樹された街路樹が延々とつづいている。ランドマークらしいランドマークといえば遠くにそびえる展望台くらいしかない。この展望台を目がけ、ひたすらに大通りを歩いた。いくつかの信号をわたり、ときおり立ち止まって端末を取り出し、歩く方角に間違いはないか地図を確認した。
どれくらい歩いただろう。何台かの車に追い越され、軽い疲労感をおぼえはじめた頃、海のそばに新設された小さな公園にたどり着いた。公園の緑地帯をくぐり抜けると、突然視界が開け、なだらかな斜面をかたちづくる浜辺と大量の水が一挙にあらわれた。求めていた海が、これまで歩いた距離を忘れさせる雄大さで目の前に広がっていた。
海の経験。それは、視界の圧倒的な開かれとともにあり、全身を無防備に太陽の熱にさらすことと同義だった。晴れた秋の日の決して弱くはない光が容赦なく眉間を打ちつけた。海はその表面に無数の光の粒子を宿し、波の運動のたびに粒子をちらつかせていた。
海の表情を決定するのは潮の満ち引きばかりではない。緩慢に進む船の航跡が海面に複雑な紋様を描き出し、光の粒子は太陽光の射し込み具合によって強烈な照り返しを放った。直視などできない、しかし波面の絶えざる変化が、ありとあらゆる語を動員して海を語ることを求めるかのようだった。
水平線のきわを知りたくて沖の先に見つめる。すると、海と空の境界がひとすじの光に溶けるのが見える。海は沖に向かうにつれ氷盤のようにこごっていた。沖より手前に目を転じれば、やわらかく膨らむ波面が平衡の感覚を狂わせて、ひとつの海に異なる摂理が働いていることをまざまざと感じた。
空を見た。雲の群れが解読できない表音文字となって晴天を飾っている。空は、果てらしい果てがないゆえに複製不可能で、海に似ながらそれとは異なる領域を保っているように思えた。
誰かが書く。海には死の欲動が潜んでいると。すべての語を消尽しようとする衝動とすべての語に使役されんとする強迫がここにはあるけれど、しかしこの現実の海は、はたして死の誘惑だけで語れるものだろうか?
(2021/06/04)