催し物のふたつの顔
「催す」という単語には二面性がある。催事の類が示すように外に向かって開く意味合いもあれば(展覧会を催す、イベントを催す)、身体の内側に向けて作用する意味合いもある(吐き気を催す、尿意を催す)。内/外のどちらに作用するにせよ、「催す」という動詞には「これから起こる事態の前兆」のニュアンスが含まれている。
語源を確認すると、「催い(もよい)」という単語には「準備をすること、用意を整えること」「物事のきざしが見えること」という意味合いがあった。たとえば「雨模様」という単語は「あめもよい」の「もよい」が「もよう」に転じたものであり、元々は「今にも雨が降りそうな空の様子」のことを指したと言う(雨がすでに降っている様子、もしくは雨が降ったりやんだりしている様子を「雨模様」と呼ぶのは、本来の語義から離れた誤用である)。
「もよい」は「もよう」。つまりそれは潜勢力を備えた地(ground)であり、未来の出来事や現象を予測させる反復パターン、もしくは前兆の間断なき現存である。ところが「催す」という動詞が「催し物」という名詞になると、前兆は現在へと丸め込まれる。「これから起こること」が「いま起こっていること」に重なって一定期間を占める特別な催事(event)になるのである。「催し物」の非日常性はこうした時間の二重性、前兆の上に現在が重なることのメタ性に由来しているとも考えられるのではないか。
ひとつの思考実験。催し物を内に外に同時進行で作動させることは可能か。たとえば、眠気を催すと幕を開ける夢の展覧会、吐瀉物の展示、尿意の宣言(ステートメント)といったものを想定することはできるだろうか。
(2024/01/02)