作詞関連
「歌詞は止まった一瞬の場面を捉えるもの」
写真を撮る人が移動したら、その子がピアスをしてたとか、背中にウサギちゃんのリュックを背負ってたとか、わかります。でも、1枚の写真からはそこまではわかりません。大事なのは、その固定された写真感なんです。
俳句・短歌的?
語彙を増やす
作詞を初めて思ったのは、「想像以上に私は日本語を知らない」ということです。いや、当然普段の読書で知らない単語に出くわすことはかなり稀になったので知ってはいるんですが、それは「理解語彙(意味がわかる言葉)」が増えているだけで「使用語彙(自分が使いこなせる言葉)」が増えたわけではないのです。例えば「電飾」とか「骨格標本」とか「秘書室」みたいな言葉は誰でも意味を理解できると思うんですが、パッと作詞をしてくださいと言われてこういう単語がサラリと出てくるかと言われれば私は不可能です。結果、何も見ずに頭の中だけで作詞をするとおんなじような言葉が何回も出てきてめちゃくちゃ縮んだ世界の作詞になってしまう、という壁にぶち当たりました。作詞に挑戦して初めて「自分って日本語全然知らないんだ……」ということを自覚したのです。
そこで、私は言葉狩りに出るようになりました。いや、言葉狩りだと言葉を減らすほうに行っちゃうので、一旦「ワードハント」と呼びます。要は脳みその外側に出て色んなところに点在している「いい言葉」を片っ端から採集するのです。
まず最初にあたったのは当たり前といえば当たり前ですが、歌詞です。私は曲を聴くときに音楽的な部分に意識が向きすぎるため歌詞を全然聞き取ることが出来ず、なので改めて好きなアーティストの歌詞をじっくり読むという作業をしました。
短歌は三十一文字の中で最大の効果が出るような言葉選びをするので、実質文字数に制限のない歌詞とくらべても一単語の重みが大きいです。なのでものすごい刺激になりました。一単語の選び方もそうですし、どう単語を組み合わせると世界が広がるかについてもものすごく考え込まれています。
そういうふうにして見つけたいい言葉たちを「単語帳」と銘打ったスマホのメモに記録していきます。こういうふうにして自分で扱える語彙を文字で記録するという形で増やしていきました。
歌詞とか短歌以外にも、例えば本屋に行ってタイトルを観察するとかも面白いです。タイトルは短歌よりさらに圧縮された世界なので面白い表現がけっこうあります。「『自由研究には向かない殺人』……!!やべー!!!!!」みたいな(買ってはない)。
とにかく良かった言葉を記録するのを大事にしています。これは私が忘れっぽくて一度見たものもメモしないと一瞬で記憶の彼方に飛んでしまうという性質に要請された行動かもしれないです。記録しなくてもインプットの手を伸ばすのは共通で大事な気がしています。
感情の振れ幅が大きい曲(いわゆる「エモい」曲)において、刺さる詞、インパクトのある詞を作詞するための自分の考え方なんですが、
「映画だと思ってカメラワークを意識する」というのを個人的におすすめしています。「視点の落差をつける」と言い換えることもできます。
例えば、ナユタン星人さんの『ロケットサイダー』なら
週末、ぼくらは月の裏側で
「なんにもないね」なんて、くだらなくて笑いあうだろう
という歌詞がサビの頭に来ますが、まず「月の裏側で」と言われると脳内のカメラのスケールはぐ~~~~んと宇宙へと引いていくじゃないですか。
そしてその次の行では一気に月面の二人にスポットライトが当たるので、カメラはまたもやぐい~~~~んとズームして数メートルのスケールまで拡大することになります。
これを意識的に、かなりはっきり意識して取り入れると、ただインパクトの強い言葉を拾い集めてきただけの散らかった詞にはなりにくいです。
はるまきごはんさんの『地球をあげる』なんかは、タイトルやテーマのレベルで「エモい」ですね。歌詞にもとても心を動かされますが、その一因は、口語的で主観的な歌詞の語り口と星という大きな存在を隣り合わせに並べることによる、視点の落差*にあると思います。
(これをさらにどんどん極めて過激にしていけば、矛盾した言葉をくっつける「撞着語法(オクシモロン)」に近づいていくと思います。)
カメラというのは当然拡大/縮小するだけじゃないので、この感覚を応用すれば「視野の狭さ」とか「閉塞感」を演出するときにも助けになるかもしれません。
もっとも、この効果はメロの緩急によるサポートあってのものなので、「結局曲の完成度次第だよね」と言われれば反論できないですが。