解像度を上げるとは何か
解像度を上げるとは? → 網目を細かくすること?ひとつの事象に対して、より細かな項目で表現する。
ネットワークの網目を細かくするような状態ではないか
解像度を上げる方法
「最後に、表現を細分化して、ものごとをより正確に捉える「解像度」の能力が挙げられます。メルヴィルは鯨についての(必ずしも生物学的には正確ではない)分類を Duodecimo型、 Octavo型、そして最大の Folio型と主人公に細々と語らせることによって、ただ大きいと書くだけではイメージできない印象を読者に植え付けます。大きい、怖い、強い、そんな簡単な言葉をより詳細に感じ取る能力が「解像度」だと言っていいでしょう。
サッカーの5レーンも解像度を上げた事象の一つかも
リスト、バレットは自然と解像度を上げたくなりそう。簡易的なフォーマット化することとも言える ②比較する
たとえば僕は、「ピカソはなぜ高く評価されるのか」という問いに対して、学生が「カッコイイから」などと答えたら、「それ、カッコイイだけで片づけていたらダメだよ?」と言って、「カッコイイ」を言語化させるような質問を次々と重ねます。では20世紀にはほかに「カッコイイ」と思う画家はいないのか?いるとしたらピカソとの共通点と相違点は何か?ピカソだけがカッコイイとしたらほかの画家と何が違うのか?画家以外でカッコイイと思う20世紀の表現者は誰か?そのカッコ良さとピカソのカッコ良さは同じなのか違うのか?……といった具合です。
③情報量を増やす
より俯瞰した視点で見れば情報量を増やすこと、網目を細かくすることでもある。ただし、何にもつながらないものはノイズになる可能性はある。
例えば母国語で話すということもそうだろう。
「まったく」
口から出た言葉が日本語だったことに気づいて、シェレペットは再び肩を落とした。
日本に来てから二年半、ろくにウイグル語を話していないのだから仕方がない。
夢が日本語になった昨年あたりから、面白くないことで笑うようになった。
半ば意味が分からないテレビドラマでも、女優が泣けば涙を流すようになった。
些細なことで怒るようになった。
心の動きに、あいだがない。
但馬は『語彙を増やしなさい。言葉を増やしなさい』と、あの綺麗な顔で言う。『母語を話す機会を増やしなさい。でなければ、普段話す日本語で語彙を増やしなさい。そうでないと、心の解像度が低くなってしまう。わたしもアラビア語だとピキピキしてしまう』背を丸めていると、人に呑まれる、そう但馬に教えてもらった。
記録の量を増やして、ネットワークの網目を細かくする
ごりゅご 地図が詳細だったことを記録するのは大事だけれど、その記録そのものはそれほど重要ではないということですか。
佐々木 そうではないです。これは結局「何が大事かはわからない」ということを意味しています。ゼンリンの地図がすごく詳細だというのは当時の記憶の中でもけっこう鮮やかに残ってるんですね。だからそれは「大事」だったんです。そのときのゼンリンの地図の雰囲気を思い出すと、仕事をどういうふうにしていたかを一緒に思い出すんですよ。筋トレで特定の場所を鍛えると他の場所も一緒に鍛えられてしまうという話があるんですが、それとちょっと似ています。とにかく印象に残ったことを記録に残しておくと、その周辺の記憶を必ずいっしょに思い出すようになる。それがつまり仕事に関するすべての記憶を含むんじゃないかなということです。
これと同じで、記憶しているつもりで忘れていること、記録しているつもりでディテールがまるで足りていないこと、そしてなによりも自分がどのように感じたかという、他の誰にも生み出せない情報をノートのなかに蓄積させていきます。こうして記憶と記録の粒度を高めるところから、あなたの知的生活の積み上げがよりはっきりと見えてくるようになるのです。
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