2026年5月
31日曜日
妹と待ち合わせて葉山に向かう。神奈川県立近代美術館葉山の内間安瑆・俊子展。安瑆の版画がとても良くて、特に色の重なりの美しさに惹かれた。順を追って見ていく中で、グッと良くなる段階があり、ここ数日の鑑賞でも感じていた制作が積み重なり自然に成長が駆動するような素直な時間の流れに心打たれたりして、この歳になって素朴すぎるけれど。それから、版画の下絵としての水彩もとても美しく、自分が版画のできる環境にいるのにそれをうまく回せてないことをもったいなく思った。
移動して、obi galleryで尾関立子展。ここはやはり、会場が2つとも特徴的な空間であり、それが作家に何か働きかけるものがあって、尾関さんはとても素晴らしい応答をされていたと思う。三角の部屋では、突き当たりの油絵を挟むようにいつもの尾関版画が並んでいるのだけれど、繊細さと豪快さを併せ持つ版画の仕事が、油絵のこの場合は速さに対しての版画の遅延を効果的に見せていたと思う。それから、和室は祖父への手紙に版を重ねたもののインスタレーション。時間について考える時、若い頃の好奇心とは違って、長く生きてきた分、感覚が変わっているかもと思う今日この頃。知人の多摩美生と妹と3人で尾関さんが教えてくれた藤沢のチャンピオンビルの古久家でサンマーメンを食べて帰ってきた。
30土曜日
六本木のユミコ・チバで冨井大裕展(そういえば昨日おかざき展の会場で会った)「抽象的なまなざし」。テクストには「見ること」について書かれてはいるけれど、それが「抽象的」であることにまでは触れられてなかった。昨日最後に井上展見てからのこれだったので、指向性や記号、構造についてに対して、認識の感覚や像のような表面についてなど少し考え込む。私の仕事で足りないことについてなど。
少し移動して、ダニエル・ビュレン、ネルホル、諏訪未知、池田亮司などを見る。
形と記号、それから手触りとノイズ。それらがなんというか、形や記号的なものを手触りやノイズのあるもので表示するような、そういうものが増えている感じがして(これは必ずしも今日見たものについて指摘しているわけではないのだけど)、還元されたものを、別のノイズを乗っけることで味わいを加味して済ませてしまっているような、そうすると結局はただ還元されたものであるのの誤魔化しのような。そういうことではあまり良くないのではないか、みたいなことをちょっと考えていた。
移動してTAGA2の佐野陽一展へ。駅でばったり播磨みどりさんに会う。一緒に会場に向かい、梅津元さんと佐野さんのトークを聞く。とても良くて、終わって播磨さんに「こういう内容の話を聞く機会って減りましたよね、見ることについてじっくりと。年齢なのか、世代なのか、私たちにとっては重要な」と言うと、「もう見るものなくなってるから、私たち皆、危機を感じてるのではないでしょうか」と。佐野さんからは「感覚の促し」という展示タイトルが、最近読んでいる森有正のエッセイ集から、いいなと思っているぶんを抜書きしていて、それらからつけたタイトルだと。配布されたプリントには引用として「感覚は観念のように人からかりてくることができない。感覚はすなわちいつでも自分の感覚である」「(前略)感覚こそは自分そのものでありながら、しかも自分を超える唯一のものだからである。「自分を超える」ものに身を委せることから、すべての新しい事態は生まれて来る。」この内容は、私が書いた「感覚をつくるドローイング」ともシンクロしているし、梅津さんが写真の誕生によって、私たちの世界を見るOSが変わってしまったのではないか、という話は、青森での展示のために制作した「自然の鉛筆のあとで」で起きたこと(展示を見てくれた人に、朦朧としたスナップ写真の像が何か見えてしまったこと)ともシンクロしてて、興奮してしまった。それから昨日の井上さんと同じく、佐野さんの仕事もずっと積み上がっていくものであり、「感覚」についての変性のようなことが言えるくらいの制作を思ったら、彼らの仕事を尊敬する。
29金曜日
上京。新幹線の窓から外を見ていて、地平線の彼方まで続く雲を追うと、ものすごく遠くまで見ることができる(または見ることができていない)ことに気がついて、ちょっとびびる。いつももっと平面的に世界を見ているなと。
上野の国立西洋美術館でチュルリョーニス展。北斎展も面白く見てからの常設展。ヨース・ファン・クレーフェ「三連祭壇画・キリスト磔刑」16c前半。この頃のものだからなのか、宗教関係だから世界全てを示す必要があるからか、先の新幹線の窓から見て驚いたくらい遠くまで、詳細に描かれている絵を探して見てた。
寺田倉庫へ、おかざきさんの個展。ジェルっぽい質から土や石、プラスチックっぽい質のものまで。絵画が彫刻に近づく感じ。展示室は3ヶ所、それぞれ部屋に入った時に、パーっと受ける印象がとても違う。2周すると見え方が変わる。
新江古田のnohakoで井上実さんの個展。これがすごく面白かった。画像では拝見したことがあって、実見は初めての作家。水彩でこっくり丹念に草花を描いているのだと思っていた。キャンバスに油彩、それも色は重ねずにとてもとても薄く少しだけ描いている。像が立ち上がっているのに近づいてみるとその箇所が、どうしてこれだけで手を止めることができたのかと思うくらい、希薄な情報しかない。
28木曜日
少年院のクラブの制作は、それぞれが面白く育っていた。やはり、ある程度の制約があって、その上で自由な部分を問いかけると各自がフックを見つけてきたり、見えているそれについて指摘してあげれたりして、とても楽しい時間になる。
今日は事前に連絡をもらって、この施設に行くようになって初めて、美術方面の進路についての相談を受け、個人面談をした。
27水曜日
私は奇妙な縁で、少年院だけでなく刑務所にも行くことに。今日は見学。刑務作業を行う場所が9つあり「工場」と呼ばれている。金属部品や手巻きコイル、洗濯バサミなどの他に、本格的な手法での達磨や、漆器の制作を行っていた。ひたすら黙々と作業する。自分の持ち場の机の使い方に少ないながらも個性が発揮されているのがわかる。手首のところまで刺青の入っている人も少なくないのに、それを見ても怖いと感じなくなっている自分に少し驚く(むしろ和柄は間違いがなくて綺麗)。心身に障がいのある人や高齢者のための方策もあり、世間で聞いていたイメージよりも今は過渡期なのだろうが、社会復帰のためにリソースを割こうとされているのがわかる。とはいっても、帰ってきてからどっと疲れた。こんなに疲れた日はあまりないかもしれないくらいに。あの場所で黙々と作業をされている人達の毎日を思うと、処罰だとしても非常に重いもの(罰が重いということではなくて)を感じる。人間が制度によって自由を奪われている。「お勤めご苦労様でした」というベタなドラマのセリフがあるけれど、本当にそうとしか言いようがないなと思う。廊下にあるシャワーは海の家のものみたいに簡易なもの。暴れたり自傷を防ぐために一時的に入れられる独房は、地べたに金隠しもないトイレと水洗があるだけの部屋で、嫌なアンモニア臭がした。軍隊のように統制が取れていて、そこで黙々と自分の持ち場で仕事をする。給食を食べ、用を足し、工場からの移動時には、何かを隠し持たないように着替えが命じられ、週に三日風呂に入り、夏場は毎日廊下でシャワーを浴びる。戦争になったら社会全体がこんな感じになるのかなとも。そんな中で、漆芸の人は、製品の一部に絵を施す。刺青的な柄や、花札を模したりするという。そこには自由裁量があり、けれど矯正展であまり売り上げが良くなくて残念がるという(そこは気にするんだ、笑)。強い制限下での自由の部分で、何を広げる手伝い(授業)ができるか。そういう課題。すごくニッチなところでお役目が降ってきているよね、私。
26火曜日
昨日突然スマホの画面が残像によって格子模様になってしまう状態になり、今日は高校帰りに修理屋さんに持ち込んで、液晶を交換してもらう。治ってよかった。昨日の夕方から今日の午後までスマホが使えず、それは良いことだった。スマホがある時は常に何かと繋がっていて、仮設状態の時間を過ごしてた感じがする。フードコートで一人、遅い昼ご飯を食べた時、スマホを手にして何かを確認する時間を持たないでいたら、なぜかとても落ち着いていて静かだった。
25月曜日
作品の撮影をしつつ、アトリエを片付けていると、昔作りかけたものを見つけた。制作当時は当時でそれなりにオープンマインドで制作の行方の自律性にも気を配っているつもりでも、時間が経ってみると、もっとずっと拘りがない状態でそのモノを見ることができる。そうすると、今色々考えていることや囚われていることと、全く関係ないものとして闖入してくる新鮮さがある。そんな風通しの良い印象の時間となった。多分これに何か手を加えて制作をするかも。描きかけだった絵にだいぶ経ってから加筆するってこういう感じか。
24日曜日
若い頃とても危険で苦しい時でさえ、なぜ仏教が生まれ変わることをよしとせずに解脱を目指すのかよくわからなかったけど、朝、ヘッセの『幸福論』読んで、すうっと気持ちが虚空の方へ通っていった。
ヘッセの「盗まれたトランク」、戦争の時代に盗まれたトランクの中身についての価値をリストアップしていく中で、苦難の人々への思いを重ねて逡巡したり、たいして価値のないものがインフレで高価になっていることに気がついたり、詩の原稿料のようなものが安価になっていることを嘆くというよりは、市場の価値から外れたものとして喜んだり、そしてそれがあっけなく見つかるという、ささやかな出来事から書かれたもののふくよかな内容に、ヘッセの晩年の著作の美しさに心動かされた。
23土曜日
家を建てて庭にアオダモの木を植えた時、設計士さんが、いづれこの木が大きくなって、2階の窓に見えるようになりますねと言ったときにはそんなになることが想像できなかった。でも今はテーブルについて、窓の下半分くらいにアオダモの茂った葉が見える。気温がすでに高くて窓を開けていたら、風で葉が擦れてさわさわさわさわと音を鳴らしているのが聞こえてくる。その窓から庭を見下ろすと、以前よりだいぶ茂ったアオダモの影がまん丸で、小さな2つの矩形の畑が特徴的だった庭に落ちて重なっていた。
22金曜日
机一つの上を片付け切るのにも時間がかかった。ADHD味のせいだと思うのだけど、机の上のものを片付けようとするたびに、別のミッションが発生してしまう。請求書の発行や、レシートの片付け。保険の解約や、不要な書類の廃棄。筆記用具の移動と、その前に、インクが出るかどうかの確認のための試し書き、月末の上京の日程を決めることを促すDMの発見、トークの日時の確認と予約。美術館のチケット購入、夫の書類の片付け。
湿っていて短い、物語が読みたい。
21木曜日
額縁を片付けた。夫が4月に個展を終えて、そのままになっていたもの。夫は版画家で、デッサン額にマットを敷いて額装するのが常であるので、いつの間にか額縁は大量になっている。私の青森の展示作品の額も、夫のものを借りている。車で20分くらいのところに「はにわ」という額縁屋さんがあり、そこはあの皆が憧れた小林額縁で修行をした人が営む店らしい。いつもここで頼んでいる。どこかのタイミングでこの大量の額縁たちをどうにかしなくちゃなのだろうと、親が色々片付け始めている様子を見ていて思う。気が早いかもしれないけれど。
河合隼雄の『「老いる」とはどういうことか』をさーっと読んだ。「はじめに」を読んで面白そうだなと思ったのだけど、読んでみたらあっけない感じの内容だった。「あとがき」には、彼が幼い頃は心配性だったとある。思いがけないことでもあったけど、さもありなんとも。郡司ペギオ幸夫さんが死ぬのが怖くて怖くて仕方がなかったと書いていたのを思い出した。この本は読売新聞の夕刊に毎日連載された短いコラムをまとめたものだそうで、ネタが尽きたら辞めるつもりだったけれど、沢山の反響のお手紙をもらって、それに応えるような心づもりでいたらネタに困らなかったというようなことが書いてあった。河合隼雄ゆえでもあるだろうけれど、いい時代だったなとも思う。宙に投げられている言葉が、自分への攻撃としてではなく、読者が書き手に手紙を書きたくなるようなものとして届いているのはとても幸せなことだなと。
20水曜日
庭仕事を。買ってあった鎌で雑草を低い位置で切る。汚れたままだった植木鉢やプランターを洗う。オクラの苗を植える。こっそりパクチーの種を蒔く。ワイルドフラワーの種を蒔く。カモミールの種を蒔く。ラベンダーの種の小さな内袋を紛失してしまう。多肉植物の増やし方をネットで見てやってみる。パキラをガラスの鉢にハイドロボールを使って植え替えた。玄関に残っていたメダカのグッズを片付けた。割と長い時間、陽にあたっていたので疲れた。
19火曜日
久しぶりに整骨院に行った。青森に行った話から、展覧会の設営で美術家だと吐露することに。すると、今日の女性の施術師さんは美術とか図工とか苦手だったと。でもマッサージで触れられてると、骨や筋肉の角度とか緻密に理解されてるのがよくわかるから、人体描かせたら私より上手いんじゃないかと思うって言ったら、そういえば、柔道整体師の勉強の始めに解剖学をやらされて、骨の絵を描かされました!って。絵が苦手だから、図を見るだけじゃダメなのって思ったけど、確かに描くと違いますよねと。触れてる時にその像が浮かぶんじゃないですか?って聞いたら、そんな感じという。ちょっと意気投合して、五十肩も軽くなって帰ってきた。
18月曜日
こんなに手ぶらになった日も珍しく、すごく気楽になった。
17日曜日
朝、喫茶マロンでりえさんと藍衣さんとモーニング。龍崎くんにさよならを言って帰路に着く。
奥羽本線で青森から秋田へ向かう。特急つがるを使わずに鈍行で10:42発、秋田着14:04。2両編成でボックス席ではなくて普通の対面長椅子。陸路、途中ワンマン運転。大釈迦や浪岡、大鰐温泉などを通る。見る景色がどこも新鮮で、子供みたいにずっと車窓を見ていた。秋田駅で荷物を預け、立ち食い蕎麦屋で牛蕎麦をかき込み、歩いてすぐの秋田県立美術館へ向かう。ういさんに藤田嗣治の大壁画が凄いよと聞いていて、ほんと、それを見れてよかった。「秋田の行事」という、長さ50mもある壁画。同じ展示室に、「私の画室」という小さな日本の部屋の絵と、同じ大きさでモンマルトルの台所の絵があって、対比的でいい。「秋田の行事」は日本にいた頃の画風。あと、「御遠足」という挿画群も良かった。企画展は「近代西洋絵画の巨匠たち」という笠間日動美術館のコレクション展で、ルオーやスーチンが良く見えるのは、最近の私のドローイングのせいだろうか。田中藍衣さんから私の作品見て思い出したという、スーラの素描の絵葉書がショップで売っていた。本当はろば屋の鹿子沢さんに会いたかったのだけど、タイミングが悪くニヤミスでした。
16:48特急いなほ14号に乗って20:22着の新潟へ向かう。海の近くを通る列車で、海への日没を見たいと思っていたから、乗った時から強い西陽が車窓から。水を張った水田に反射する太陽の光をギラギラ浴びつつ、同じくずっと窓の外を見ていた。ちょうど窓枠にスマホが乗るので、動画もバカみたいにたくさん撮った。一旦、酒田からぐっと内陸に入る。そこから暫く海は遠く、その頃日没を迎え、少し残念だった。日没後には本でも読もうと思っていたのに、その後もずっと空が桃色で、海に出るととても美しい色彩がまだ続いていた。スマホで撮ると、勝手に色調が補正され、肉眼で見るより色が派手でいつまでも明るい。本当はもっと薄暗く、なのにとても色彩が豊かで美しいのだ。それを静かに眺めつつ、結局ほとんどの道程、窓の外を見ていた。新潟駅につき、新しくなってから初めてで、長岡への高速バス乗り場がわからない。宗教の勧誘に立っていた方に親切にしていただき、バスの運転手にも尋ねて、無事21時初のバスで長岡北22:07着。家族に迎えに来てもらって、帰宅。
16土曜日
朝散歩に海の方へ。ねぶた制作中のアトリエ群に出くわして、少し見せていただいた。
初日、会場を確認後に相ヶ瀬さんの車で田中さん、高原さんも一緒に弘前の美術館へ杉戸洋展を見に行く。見るフックは沢山あって面白かったが、今回の制作のはじめにアトリエに掛けたというブラジルの作家の小品にはじまって、アトリエの再現など、作者の状況の吐露について気になりはじめてしまう。自分自身、本で作品の作り方をあけすけに書いたわけだけど、この同じタイミングで明日最終日を迎える福田尚代さんの鎌倉の個展のことを、重ねて思い出していた。鑑賞者が身を重ねることが、作者個人に対してというのは少し違うだろうと。それの呑気さのようなことを、遠く鎌倉から突きつけられた気がした。
昔より美大の倍率も下がって、美術のオーディエンスは減り、価値観も細分化されたようでいて、アカデミアの権威はより密接で大きくなってるのかなと、業界の話に終始することはなかったけど、それでもちょっと世代の違いと射程の違いを感じつつ、帰ったら届いてる筈の老いについての本を読もう。
小縞山いうさんと鈴木いづみさんに展示を見ていただける幸運。
15金曜日
青森でのグループ展の搬入へ。一旦大宮に出てから新青森へ向かう新幹線に乗り換える。新青森から一駅で青森。大きな駅、大きく開けた道、でも熊が出没中とのことでニュースにもなっていた。予備校で教えていた当時の生徒の龍崎以外ははじめまして。宇田川さんは実は槇野沙央理さんのウィトゲンシュタイン哲学探究の読書会で一緒だったことがあったそう。設営は計画していた通りではないがスムーズに行った。照明がないまま、少ないダウンライトのみで、それで良さそう。見えないものが見える感じがする。出品作家たちの年代にばらつきがあると言っても、私は特に年配者で、最近そういうこと多い。懇親会を挟んでその後もずっと時間をかけている方達を後にレジデンシーへ。
14木曜日
少年院の美術クラブの人数が倍増したことと、隔週になった上にGW挟んで2週間空いた。前回何したか思い出せない。個別に制作している子とは別に、クロッキーをやろうと朝までは思っていたけど、途中の仕事をしている子には教室がうるさく感じるだろうと心配になり出して、直前に課題を変えた。家に紙コップがあったから持って行って、紙コップと手、プラスアルファは想像上のイメージとして、なかなか伝わらない「エスキース」について説明する。紙コップの特徴とイメージを話すと面白くなってきたっぽい子がちらほら。手は描けないという子に、まず描かないで、紙コップを色々な持ち方して観察し、このポーズがいいなって決まったら声掛けてと伝えたら、時間の終わりの頃には、描ける気がしてきたと嬉しそうに描きはじめていた。ああ楽しいな。
長岡造形大の公開講座に画家の丸山直文さんが来るというので聞きに行く。穏やかで誠実な語りがとても響く。水で湿した上に絵の具を滲ませる技法は、小さな紙に描くドローイングと大きな画布にする時とは、性質的に現象が違ってしまうけど、あえてドローイングを再現しようとするという。偶然とコントロールすることを揺れながらの制作。支持体についてのレクチャーも面白く、学生さんからの質問で伝わらずにとても惜しいものがあった。それは版表現とも関わるものだったなと。
13水曜日
作品を送付したことで展示についてを一旦脇に置いて、別のあれこれをする。本を読む。頭の切り替えがうまく行ってなかったのがよくわかる。荷物を送ったという具体的な物と、心の荷物の在処が連動してる。
12火曜日
高校。紙立体からの平面構成。彩色を完了させる予定の日。絵の具の色を限定してからの混色をさせている。色についてのレクチャーはまだだけど、少しやってみて色々どうしたらいいのだろうが発生している。明暗、鮮やか渋い、重い軽いといった対立項を示すことと、場合によってコントラストの話、隣り合わせによっての色の見え方の違いなどを指摘する程度で見守る。判断ができるかどうかはこのあたりのことの理解がすっとできるかどうかなのがよく見える。「わかる」って容易な時は容易で、全くそこにフォーカスできない、焦点を合わせられない時はできない。焦点を合わせてあげて、引き受けさせることをどうやって行うか。
作品と搬入道具を発送したので、急に肩の荷が降りたというか、心底空白の時間ができた。真ん中あたりをつまみ読みしただけの、ハッキング『表現と介入』を頭から読み始める。カルナップとポパーを対比させてから一緒にし、クーンの登場について書いてある、「合理性」について。カルナップもポパーもクーンも読んだことない。この本はとても面白いのだけど、例えばTwitterで自分がフォローしている人がハッキングや『表現と介入』について何か言っているかどうか検索をかけても、誰もいない。自分の興味に向かって進むだけだけど、タイミングがズレてるなって思うことが多く、少し寂しい。
日記にゃっきを読む。
11月曜日
クロネコヤマトが12-14時枠の時間指定を取りやめていることに遅まきながら気がつき、1日早く搬入用の荷物を送付することにして、慌てて額装を済ます。続いて梱包。
10日曜日
SNS、特に作品や展示の画像をあげるのはInstagramになっているけれど、そこで時系列に情報をあげていると、作品ファイルをつくったり、ホームページの更新をしなくなってくる。もう直ぐ青森でのグループ展なのと、ご一緒するのは初めましての方ばかりだし、青森も初めてなので慌ててファイルを更新する。個展にもよるけれど、見開きページに収まりきらない作品数と、テクストが多めのものが増えてきて入れ込めないので、ほとんど情報としての役割を果たせない感じがする。だからと言って、SNSはタイムラインが流れていってしまうから、その人の仕事を体系的に俯瞰して見ることがしにくいメディアだと思う。一つの展示に限ってもそう。そういう意味では、文字を入れなくても見開きで一つの展示の状況を見れるファイルの方がわかりやすい。それとは別にその経緯やコンセプトのテクスト、経過的なものは本当は大事な情報だ。物自体を見るとそれは圧縮されてかなり入っている、というか、入っていなくてはいけない。入っていないものは無いに等しい。作品とはそういうものだなと改めて思う。
夜、飯盛さんの『暗黒の形而上学』10章、読書会で読みきれてなかったところを読む。彼の破壊についての話は、初めて聞いた頃は、この飽和状態の閉塞感の時代にそういう概念が出てきたのかな?って思い、少し前までは、ウクライナやパレスチナの紛争が起き、街が破壊される様子を日々SNSで見るようになった今は、少し不謹慎に感じてしまうけどどうだろう?って思っていたのだけど、カフカの章、檻と出口の話でもう今は確かに、破壊が求められるフェーズに変化したんだなって感じがした。現在の時代背景を複雑な心持ちで感じつつも、とても良いものとして感受した。
夫が東京から帰ってきた。福田さんの個展凄かったって言ってた。それから西美のチェルリョーニス展がよかったと言ってた。母の日で、息子がエクレアと小さなメモをくれた。
9土曜日
朝急に思い立って、絵と彫刻をなさる小島敏男さんにメッセージを送った。私が『点点』で「盲目のブランクーシ」をはじめた時に、ロッソのことを教えてくれたのが小島さんだったと思う。彼はもともと絵画の出身で、今は木彫もし、それを写真にも撮っている。私の書いていることのテーマなら、ブランクーシよりもロッソの方が好きだと、遠慮気味にも少し批判的な論調でロッソのことを教えてくださった。写真に関わるテーマの展示を控えていることと、国立近美でロッソの頭像を初めて直接見たことの興奮のせいだと思う。唐突にメッセージを送り、今度『点点』にロッソに関連して何か書いてくださらないかとお願いした。困ったなとの返信がきたけれど、いつか実現したらいいな。
8金曜日
最近燻っていた夫婦喧嘩が再勃発して仲直りする。
グループ展のハンドアウト用のコンセプトが300字maxで、長い話を圧縮して圧縮してギリギリ300字に抑えることを楽しむ。でできたテクストは一応意味は通っているのだけれど、一文一文に解凍補足を入れないと暗号みたいかもしれない。でもそれでもいいことにしようと思った。これとは別に、完璧さというか神経を隅々まで使うことと、大概を許すことについて、私個人的に消化したつもりが戻ってきてしまうような課題が残ってるなと思う。これは結局、誰とどうしたいのかという話に行き着いてしまうのだろうか? 私が誰とどうしたいのか?なのか、誰とは考えずに私がどうしたいのか?なのか、そもそも私に選択肢がないような境地についての問題なのか、そうなのか、
話を戻して。そのテクストにはこれまで盲目のブランクーシを巡って考えてきた『点点』の話題や、先日見たロッソ。銀塩写真について電子についてまで調べたことや、白井さんや堀川さんとの交流から見た世界。その過程で、多分平井さんの『世界は時間でできている』にあったマルチタイムスケールの話と合わせて、世界がマルチスケールなことが腑に落ちたこと。分子の話をするには、相対化されたスケールを扱うしかなかったこと。それから、現実世界を歩きながら、過去を同時に生きたり、戻って生き直したり、抽象的な思考の世界に沈潜したりを同時に行っていること、つまりマルチタイムなわけだけれど、これらは全て私にとって重大事であり、ちょっと荷物が大きくなりすぎたかもしれない。これを意識してきちんと書いてみた方がいいかもしれないし、沈潜させて制作した方がいいかもしれない。深い息を。
7木曜日
色々忙しかったから偏頭痛がひどく、薬をもらいに。ゾーミックは高価な薬で、ジェネリックが欲しいのだけど、随分前から在庫がないことが多かったので、ちょっと心配だったけれど無事に手にすることができた。お世話になっている調剤薬局さんは息子の小学校から現在まで同じ学校に通い、仲良くしてもらっている友達のお母さんがやっているところ。お互い進路が決まる前でソワソワするよね、ついに別々の道をいくのね、という話題をしみじみと。夜には長女から、彼氏と一緒に挨拶に来る日程の相談。子がそれぞれ大人になって「世代交代」という言葉の字義に直接的な時間経過という肉が付いていく感じ。退職して社会との関わりがなくなり、自分探しを始めた男性が若い頃の自分がどうだったかを思い出してやる気になる、みたいな小さな話題をTVでやっているのを見たが、そういう循環もいいけどもそれより必要なのは、「老い」という未知の領域について学ことなのではとも。昔の年寄りと今の親を見ていると何かが随分と違うよなと思う。
6水曜日
長女とも合流して渋谷ヒカリエへ。Hand Saw Pressの企画「春のZINE祭り」へ。私の本や冊子は委託で息子がオリジナルゲームでゲーム部屋に参戦。大盛況でよかった。面白いよね、あのゲームたち。いぬのせなか座の山本浩貴さんにご挨拶できてよかった。本当はおかけんの時の文フリでも会っているのだけど、声はかけていない。山本さんの仕事の領域とHand Saw Pressさんの領域がニアでこの場で縁あって重なっている状態がなんか私には幸ありって感じがしてて、彼が誘って実現していた大岩さんのゲーム部屋も、アート文脈のあのゲームと、息子が作ってるみたいなニュートラルなゲームが、ある種どうしても相容れない面があって、息子は話しかけようか迷っていたけど勇気が出なかったみたい。私から見ても、相対的な価値の差異のようなものが見えたような感じがして、このじっとしていたら混じり合わないものが交わっていいことがあるのかないのか、その辺りのことってよく気になる。でも私は私できちんと仕事を立てなくてはいけない。みなさん凄いエネルギーだなと、飄々と色々越えて行ってしまう安藤さんや菅野さんに感謝です。(それからすんちゃんゲームたくさんやってくれてありがとう!)
5火曜日
朝新幹線で上京。ひと足先に上京していた息子と待ち合わせて、新国立美術館でYBA & BEYOND展。何がどのような意味を立ち上げるかといったやり取りの多い作品群の中で、ブラック・オーディオ・フィルム・コレクティヴのドキュメント《ハンズワースの歌》に吸い寄せられる。86年にチャンネル4で放映されたという作品で、ハンズワーストいう街で黒人(アフリカ系ではなくてカリビアン)が白人警官に不当に弾圧された事件からの暴動や、そのコミュニティの人々がそれについて発言していたり、詩が流れたりする。廃工場のようなところでスカが流れていて踊る黒人たちの映像や、インド系のコミュニティの人々がこの地域について話しているシーンなども。話している人々の言葉が自然に存在と責任(体)を伴っていてすっと深く入る。詩も美しくて。見てる最中、そういえば私この更に外側のアジア人なんだよなぁと思ったタイミングで「ハードドラッグはアジアの犯罪組織が持ち込んでるだけだ」って発言が出て来て苦笑。
国立近代美術館へ移動し、コレクション展を見る。日本画や近代絵画から現代のものまである中で、先ほど見た物とは違って、手触りがあってほっとする、深く息ができる感じ。最初の部屋で、村上隆と奈良美智と舟越桂の作品が並んでいる場所があって、ああ、なんともいえない私の育った90年代の、今から見るとなぜか軽薄な感じがするやつに見えて複雑な気持ちに。
目的はメダルド・ロッソ。真横からもなんとも言えない、像が生まれるときに向かって前のめりな感じがして鳥肌立った。照明が一度気になり出すと、これを手に入れて色々な光を時間をかけて試してみたい気がしてくる。見切れない。写真集が欲しい。同じ展示室に舟越直木の石膏や、エミコ・サワラギ・ギルバート、おかざきさんのTOPICA PICTUSも。
普段じっとしているから、一日中歩き疲れてくたくたになる。
4月曜日
私の箱の仕事は造形において還元的な仕事です。だからブランクーシの彫刻と写真について興味を持った。見ることに関わる質の複雑さと彼の造形形態との付き合い方が気になったからだ。私の箱は構造の仕組みという意味では還元できても、個別の事実としての現れは多様で複雑でコントロールが出来ない生成にも関わってる。その仕事の振れ幅として見ることについて、見ることができないことについて、つまり箱を順にトレースするような触知的な制作過程を、描くことによっても確かめる行為としてパラフレーズしているところがある。でもこれは特段特別なことではなくて、描くことを再確認している程度の内容に落ち着いている。箱を触知的に設計していっても、それを出現させるように制作を終えてもなお、見切ることができない境地に置かれてしまう。このことが別のアプローチから見ることを試してみたくなる動機として働いた。それはそれで道筋がありどんどん進むが、この二つはどうやら噛み合わない。どう架橋することになるか、ちょっと困っている。
3日曜日
ここ読んでる人いないだろう前提で書いてしまうこと時々あるんだけども、うちではうんちテロと呼ばれてる事象があり、今朝もトイレの蓋を開けるとうんちが残っていた。お風呂場の床に鼻くそがこびりついることもしばしばでギョッとする。全て夫の仕業である。これを公開してしまうのはある種の恨みつらみである。
2土曜日
山口大学での展示が終わり、私の作品は一部青森のグループ展にも出すので、ひと足さきに堀川さんに搬出作業をお願いする。ZOOMをつないでくださって、娘さんが手伝ってくれての片付け。久しぶりに顔を見れて気持ちは一気に山口へ。
青森の展示に向けてのドローイング。スナップ写真のサイズで小さいから簡単に描けると思っていても、濃淡の調子をつけながら何度もそれを逆転させるような考えの曖昧さが生じて、光学的な像を壊すように心がけながら進める。鉛筆が紙の上で作る粒子の状況がそのまま、そうだ塩化銀の粒子の並びなのにそれが現実の像を再現させるトリガーになっている(平面に並んだだけの粒子を見て、空間を想起することが自動的にできる)写真のことについて思いを巡らせつつ、すごく変なところに迷い込んでいる気もしてる。どうせ細部が混ぜこぜになるからと簡易に写す弛緩した輪郭線が、『大きな大きなおいも』の園児みたいに思いがけず良かったりする。
1金曜日
ART SINCE 1900の読書会で、今晩は1967c フランスのコンセプチュアリズム絵画。知らない作家が多かった。特に私の数や図形への興味から、フランソワ・モルレという人のことを知れたのがよかった。全体としては、作者の主体性のようなものを忌避する傾向が歴史の中で、同じではないにしろ何度も繰り返されるなという話になった。作者の主体を否定、または超えるものとして偶然が持ち込まれるも、例えばモルレのようなルールに基づく制作では、偶然と運命が紙一重になっていく。また、ポストヒューマンのや人間中心主義批判的な視点、他者を人間ではないものにしても、主観主義的なものから外には出られないのかも知れず、結局言葉を話す他人の方がスキャンダラスだったりする。そうやって偶然が人間によるアクシデントやハプニングのようなものに向かっていく。ダニエル・ビュレンヌの仕事は結果、絵画の外側の制度の方に視線がずれ込んでいくことになる。ここで制度について取り組むとそれは、社会という人間の領域に回収されてしまう。そんなふうにして螺旋状に遠心力を使いつつ、ぐるんぐるんと回っていく感じがした。