2026年4月
30木曜日
戦争反対ってわざわざ声あげていいだろうよ。戦争反対って言ってる人皆が、あげなくてはダメだと説教してるわけではないのに、何かの罪悪感が刺激されるのが不快だから、黙らせようとしているのだろう。それは自分で処理してください。ってTwitterに書いて消しちゃった。というのをメモとして当日残しておいて、これについて書こうと思ったことがあったのに、寝て起きたらもう忘れてしまった。何だったろう?あ、思い出した。息子とどの情報や意見を信用していいのかわからない、どこから情報を得ればいいのかわからない、という話になって、これは福島の原発事故の時に私も身に染みて感じたことだった。コロナのこともそうだったけれど、芸術系は文系の人が多くて、科学的なことに素朴な嫌悪感を持っている人の多い印象があり、理系の人はそれを愚かと言って切って捨てる傾向がある感じがしていて、放射性物質による汚染の危険性をどのように評価するか、ウイルス、ワクチン、マスクのことをどう評価するかについてで意見が割れている時に、「誰が言ったか」が重要だと言った人がいて、それがあまりに権威主義的に感じられてもやもやしたのだったけれど、結局信頼できる人を、しかも様々な背景を持つ複数人の人へのアクセスを増やし、自分の判断材料を多く持つことくらいしかできることはないと思ったのだった。そこに来て、自分や子がいいと思っていた人が明らかに自分とは異なる意見を発しているのを見た時、それに失望するのは簡単だけれども、ただ切って捨てても仕方がない。それを保持しておくこと。だとしても、つまり牌が少なければその意見に感化されるわけだと思うと、時間と機会を積み重ねるしかないんだなと、その質と。昔は単純な教養への憧れの強い時代で簡単だったことが、今は難しい。
29水曜日
荷物の取りまとめ、内容の記載、数学の勉強、掃除。
28火曜日
A5ケント紙を素材に、カッターとハサミとホチキスを使って立体をつくる。A5ケント紙は全て使うこと。5点つくってみる。そのうち1点を選び、残りは指定の机へ放出する。手元に残した1点に、任意の色画用紙を一箇所足して作品として完成させる。放出されている他の人のつくった立体の中から1点選選び、それにも任意の色画用紙を一箇所足して自分の作品として完成させる。
自分が制作した立体構成2点をよく観察し、どちらか一つから最も美しいアングルを見つけなさい。それをスケッチし、そのアウトライン(輪郭線)によって平面を分割する。配布された用紙の矩形の枠内を画面とする。立体は枠からはみ出さないように配置する。分割された面をアクリルガッシュで均一に塗る。色は、指定された5色の絵の具のみを使って混色し、美しい色彩構成に仕上げなさい。
手を動かして偶然にできたかたち、または他者がつくったものをよく「観察」して、良いと思うところ、美しい箇所を発見して活かしていくことのトレーニング課題をやっている。放出され取り残された紙立体も、撮影してみるとそれぞれ美しい。ざっくりアバウトに行っているように見える中でも、造形としての判断はきちんとあるなと思った。
今日は現代詩手帖の発売日だった。
27月曜日
日記についてのLIFEのYouTubeをかけたまま作業をする。日記を一度寝て翌日に書くことによって、日記を書いている自分がその日の中に入っていることを避けて、区切りをつけて外から書くというようなことを福尾さんが言っていて、それは以前他でも聞いたことある内容だったけど改めてその時空間性が私は好きなんだよなと。好きというのは、その手法がというのではなくて、時にはそれによって混迷することが好きなのだ。「書いている自分を俯瞰して書いている自分」のような入れ子構造の中で生きているとに区切りをつけないと書けないわけだけれど、それを転覆できる、あるいは操作できるのは自分が生きているからであって、例えば久保田成子の個展をするのに、計画中に彼女が亡くなったことで展示構成が容易になったという不謹慎な現実や、生前は制作や修復状況のような裏方を見せることを決して好まなかっただろう三上晴子のアーカイブ的な個展が死後実現されることなど、小林秀雄が死者のアウトラインはしっかりしていて良いと言ったことにまんまと掬い取られているわけだけれども。だからこそ、生きている人間にしかできないことは、渦中から現実とされているものを転覆させて、本当の現実を記述(制作)できることのように思う。すると時空間は歪む。
それはとても私的なわがままなので、嫌われるかもしれない。
26日曜日
昨日ホームセンターで庭木や畑の腐葉土を買ってきてあった。玄関は一昨年夫が肥料を間違えて多く撒きすぎてしまい、シンボルツリーを枯らしてしまったから、昨年は小さなジューンベリーをもう一度植えてもらった。ミモザは自分たちで植えたのだけど、やたら大きくなった上に、雪の前に短く切り込んだら雪が溶けても春芽が出なかった。アナベルはなぜか昨年徐々に枯れ始めた。例の肥料の成分が時間差でじわじわ届いたりしたのだろうか。それで、オオデマリと、ウエストリンギアスタンダードと、白っぽいラベンダーを植えた。
庭の畑の土を耕し、スギナやドクダミの根をどけて、腐葉土と有機石灰と連作防止剤を混ぜた。元々やたらと粘土質の土で、雪の重さで踏み固められたように固まっているのをシャベルと手でほぐす。耕さなくてもいい農法ってあるからそれにしたいのだけど、ちょっと無理じゃないかなと思うくらい固くなっているから毎年耕している。好きな夏野菜がベタなので、作るものがマンネリすぎる気もするけれど、今年は本当に食べるものに困ったりするだろうか?と考えると、もう少し頑張ったほうがいいと思うし、カロリーベースでも考えていくべきだろうかとか思ったり。やはり芋を作ってみたほうがいいのかな?こんなに固い土でも平気だろうか?
25土曜日
どうしても大掛かりな片付けをしたくなって、大掛かりとは言っても、キッチンの上半分を片付けた。全部空にして丁寧に水拭きし、少し物を減らしてシステムとしてもシンプルにした。新しく買ったのはスポンジラックだけ。
一旦全部空にすることの清々しさって凄い。家中どこもかしこもやりたい。
24金曜日
肩というか二の腕が痛くて、整骨院に行って電気とマッサージ。大きなところでいつも施術者が違う。今日は初めて脇の下にグイグイ指を突っ込まれて結構痛かったけど、惚れ惚れするような体幹のいい女性。そういえば、ここの人は皆姿勢が良い。自分の姿勢や体幹を鍛えることもするのだろうか?猫背の施術者は確かに信用できないかもしれないけれど。
息子が入試用の作品集を提出したからタスクから解放されていて、卒業研究という名の自由研究を心から楽しんでいる。知らないことが多すぎて、触れるもの全て新鮮みたいな感じ。ストレスからほぼ完全に解放されたような人間を身近に感じるの久しぶりだな。
23木曜日
美術クラブが多くても10人だったのに、今日はいきなり18人で、あたふたしてしまった。最近授業も上手く回せてない感じがしてる。とにかく疲れていて、心身の稼働率が低い。家の大掃除をしたい。重なる仕事やイベントの中で、ひとつ燃焼しきれていないものがあるせいで、そこが詰まってるんだと思う。あるもので済ませるのか何かやるのか、時間がないけれどどうしよう。
牛乳と卵と納豆だけ買いに行くつもりが、原信(スーパー)の入口に玉ねぎの大袋とじゃがいもの大袋と茄子の大袋が売っていて、その大きな長茄子5本を見てたらタイカレーを作りたくなって、急遽アピタのカルディに来た道を戻るように足を伸ばしてグリーンカレーの素とココナッツミルクを買った。コーヒーも買いたかったけれど、どれも高くて買うのをやめた。コーヒーを切らしてしまった。
22水曜日
ガッツリ制作をする。というのは電動工具ギュインギュイン言わせて作業をする。昔はガテン系の作業をイケイケな気分でやっていたけれど、最近は小さな机の上で済むようなことだけやっていたい。
大きさのことは、特に科学に関わってスケールのことを最初の糸口にして昨年末のobiで個展をしたのもあって、何かとその指針で見てみると大なり小なり面白いことがある。
21火曜日
構成の授業では、冨井大裕さんの紙の仕事(新潟県出身だよと)を見せてから、A5ケント紙とカッター、ハサミ、ホチキスで立体をつくらせた。5つづつ。観察と判断と実験。定規でじゃれ合う男子もいるようなクラス。
Twitter見てると、日本の事実上の殺傷兵器の輸出解禁で株価が上がる銘柄があり、イラン紛争は長期化のつもりだろうという邪悪なものの台頭という安い物語が繋がってしまうのと、イラン紛争だけでなく世界各地(インド、ロシア、オーストラリア、アメリカなど)で燃料施設が燃える事故?事件?が起きているという話もあり、世界は狭く、陰謀論がいくらでも出てくる。デモを腐す投稿にうんざりするけれど、デモに行ったときのことを思い出すと、あれは自分の身の丈からしか状況が見えないけれど、十分に周囲が雑多であり(多様というより雑多)、俯瞰してみるものとは全く違う景色であり、世界のことわりを身の丈の身体で取り戻すような、健全な運動だよなって思う。だから、デモに行けとは絶対に言わないけれど、行かない人の批判は的外れなので、あまり気にしないようにしたらいいと思う。逆に、デモに行くことを強制されていないのに、あんなに毛嫌いするのは何かの症状だと思う。そっちを見た方がいい。
20月曜日
息子は結局昨日終わらずに学校を休んで続きの作業をしている。昼過ぎに終わって郵便局へ出掛けて行った後は、私も気が抜けてしまった。こんなハラハラもあと一年も続かない。県外へ出たら、しばらくは寂しくて心配でオロオロし、そのうち滅多に連絡も取らないようになる、はずなんだけど、上のしっかり者の娘の時と同じにはならないかもしれない。
昨日の国会前のデモはSNSで見る限りだけど、行きたかったな。楽しそうと言っていいのかわからないけれど、政治について自ら行動を起こすようになる人が増えることは良いことだと思う。そんな必要がなくて政治のことを忘れていられるのが1番良いだろうけれども。
19日曜日
明日が締め切りの重要な提出物を息子がつくってるのを脇目に見てるのが疲れる。この頃は自分のことも身が一つだから順番にやるしかないのに、それでオドオドする時がある。作業だと分かりやすく自分が身一つなことを思い出せる。接着で待つしかない時は待てる。料理も勿論そういう位置のものではあるけれど、主婦が長いと段取りが良すぎて、身が一つ以上の働きをしてしまう時があって、ときどき疲れる。だから一つづつ新しく確認する制作は、とても良い。
18土曜日
久しぶりにスライド丸鋸で板を切る。本当は72+12回も刃を通さないとだけれど、電動工具使うの結構気合いがいるから、とりあえず、24回にとどめる。薄い板はカッターで切り抜く。糸鋸で切るには大きい板なのでそうする。
科学者、アーティスト、詩人、編集者、哲学者、それぞれの人たちと一緒に息をするとき、それぞれ空気が違うとして、息がしやすいところに居たいと思う。全部一緒に居たいのにいられそうもないと感じることもあるし、そもそもその機会はあまりない。私は単純で、同じ道理が通じない時に苦しく思う。仮面を掛け替えるのが苦手なうえに、うまく調整したり開示する勇気がないことが多い。率直なタチなのに苦手意識が強すぎて警戒しすぎて無理をする。息がしやすい時、本来は課題になっていることを棚上げして済ませることができてしまうという意味でその場所で楽をしているだけかもしれない。場所をいくつも持って調停しないというのはそういうことだ。
17金曜日
圏論を若い子達に混じって教えてもらっているのだけれど、ついていけてなくて、一気に復習を試みる。少しは思い出した。夜にその読書会。米田の補題のところ。まだその手前まで行き着けてなくて、しかも先週お休みしたのでなおさらチンプンカンプンだったけれど、彼らがああでもないこうでもないと盛り上がっているのにご一緒できて結構楽しかった。記号に慣れない上に、とてもシンプルな数式で、変換の記号文字列をページ内で見つけられなかったり、そもそも今何の話をしていたのでしたっけ?の連続となってしまう。抽象度の高いやり取りの負荷がすごい。もうちょっと復習しなくては。
(と、昨晩書いて、これじゃあね、と思い翌朝もう少し足すとすると)入門書の中でも、見慣れない記号の並びの式を見ても、日本語を読んでも、飛躍が過ぎるような感じでなんのことを言っているのか全くわからない。文字列に慣れがないので、目が節穴で前後の関連が見つけられない。また、どうにかこうにか証明や記述の意図が読み取れると、その文章は紛れもなくそのものずばりを書いてくれていることがわかるから、なぜ書いてあることが読めなかったのかわからない。ところが、読めたと思ったところで、これは一体なんの話をしているのか、これらの記号が示しているものは実際のところ何なのか、何のことなのかが結局わからない、みたいなことを延々と繰り返しているのである。つまり、文字や記号を扱う、文字列や記号列が示されているというところには、猛烈な圧縮が起きている。普段そこで圧縮が起きていることに全く気付かずに自然言語を扱っている。うまい言葉やうまく言い表せないという経験があっても、それは瑣末なエラーのようなもので、そこで高度に圧縮変換が起きているとは考えていない。むしろ、言語化できないものの方が曖昧で掴めないわけだから、この掴めないことについてリアルにアウトラインを得ることはできない。得ることができたアウトラインはもはやすでに、何かの表出物、現れ方として存在している、ということがよくわかる事案だった。
16木曜日
やはり気持ちが落ち込んでいる。いわゆる高市鬱だと思う。イスラエルやアメリカの蛮行や西欧への不信など、他にもあるけれど、日本のことがとても気になって気持ちが落ち込む。デモにも行けないし、SNSをリツイートしたりして立場表明しかできないこともなんとも言えない気持ちになる。だって、それについての批判的言説に納得いっていたから。けれどもそういう気持ちでもいられなくなった。2023年10月7日の事件から、起きていることや、デマを検証する情報、各国の動き、文化人の発言など、すごい勢いで過ぎ去っていくものをいちいち拾っていた。だって、本当に酷いことが多すぎて、それに目を瞑ることができなかったから。見なければなかったことのように過ぎていく数々の悪行やそれの被害、破壊されて失われるもの、つまり、パレスチナが何なのかについて、知るより早く破壊される。破壊されたニュースによって知ることになる数々のもの。それらを見届けなくてはと思ってしまった。それはまだ続いているけれど、今度は日本の中で同じように大量であることによっていちいち検証したり評価できないような事案が次々と起きているのをもう見てしまっている。私には抱えきれないものにどう線を引くかは、パレスチナの時も課題だった。でももう遠い国のことではなくて、自国のこと。それでも本当は線を引けるはずだ。これらのことに自分が変えられないようにすることも抵抗だから。
15水曜日
現代詩手帖の表紙のデータを送ってもらった。とても美しく仕上がっていて本当に嬉しかった。ここ最近気持ちが塞いでいたので、一つ明確に形になったものを見れてよかった。
ずっと計画というかイメージしていたドローイングをはじめた。小さい画面であっけなく、もう少し複雑さと均質さが出たらいいのになと思いつつ、これは隠されてしまうかもしれない像だからというイメージと現実の矛盾を受け取りながら、その塩梅についてもう少し計画してみる。
14火曜日
高校の最初の授業。私はこの時間しか高校に行かないので、初めましてだからか毎年、私が準備室から出てくる時に全員がこちらをガン見している。ちょっと笑ってしまう。せっかく新しい出会に期待してくれているのだから、応えたいと思うけれどできるだろうか? 今日も思いがけないところで思っていたのとは違う反応。できることとできないことについて、私にはまだ理解が追いつかないし、それぞれの性質についてわかって来るのも随分後になる。でもそうやって先入観をできるだけ形成しないようにしたい。思ったほどできないことについて、きちんと伝えなくてはいけない。今まで以上に制作を細かく分解して、一つ一つ丁寧に演習をしていきたい。しつこくやるべきところは恐れずにしつこくやりたい。また、エスキースをすること、検討を重ねることがなかなかできないので、それを織り込み済みの課題になるように、一つの課題を分解していくことにしようと思う。今日思いついた。
13月曜日
片付ける。疲れている。
子供の遺体が見つかったというニュースをやっていて、これを報道する意味ってあるのだろうか?と考えてしまう。でも世間の関心はこれなのかということを垣間見る場面があった。私がホルムズ海峡ネタに釣られていくのと程度問題なのかもしれないけれども。
12日曜日
SNSのアルゴリズムのせいだろうけれど、ホルムズ海峡封鎖についての日本政府の対応の悪さが招きそうな苦境についてと、改憲と軍備増強、イスラエルの非道と、排外主義や高市支持者やデモ冷笑などの投稿に脊髄反射してしまう。筋肉に短距離走用と長距離走用があるように、受容の仕方や反応、思考も短距離走的と長距離走的なものがあるだろう。
私が主にchatGPTを使う時は、校閲目的で、勝手に書き直されることもあるけれど、そうすると自分の記述がどのように受け取られるのかもわかって面白い。それで、小さな道具としてそれを使うのではないやり方について何があるだろうと少し考える中で、私が絶対書かないだろうテクスト例を5つ挙げるよう要請してみた。すると、① 自己啓発調(あなたはむしろ判断を開いたまま観測を記述するので、ここが真逆)。② 感動ポエム調(あなたは具体的な差異やズレに執着するので、ここも合わない)。③ 企業PR調(あなたは語の精度や位置を細かく問うので、この空疎さは避ける)。④ 過剰ロマン小説調(あなたの場合は強度をむしろ抑えて構造として扱う傾向がある)。⑤ 陰謀論調(あなたは構造には関心があるが、それを断定的に閉じない)。あなたの書き方は逆に、観測から出発する、意味が揺れる状態を保つ、読者に判断を委ねる、だそう。もっともらしいがつまらない。
11土曜日
某業務に忙殺される。忙殺とはこういうことかという典型くらい他のこと何もかも手付かずになる。
10金曜日
今度は刑務所から連絡をもらう。刑務作業で制作している漆製品に柄をつけるのに、絵やデザインの勉強をする機会を持ちたいという。刺青の柄が多くて、女性客向けに可愛いものも作らせたいという。あ、少年院だと和柄は刺青に近く、更生施設としては扱える題材としてぎりぎりだと警戒されるけれど、刑務所だったらまあいいのでは?と思うと、そこ気にしないで描きたいものを描かせてあげられるんだなと思い悪くないなとも。それにしてもどういう縁が回ってきているのだろうくらい、珍しい仕事だな。
9木曜日
昨日のうちに準備ができなかった少年院のクラブの準備。長谷川維雄さんのデッサン本を持っていって、これ最高だから是非寮の書棚用に買ってくださいと教務官にお願いする。クラブでもフォルメン線描をまずウォーミングアップのようにはじめに皆で。その後持ってきたゆで卵を描いてみた。少しみんな楽しそうだった。おおらかな線を楽しみすぎて、小さな卵を繊細に観察する段階にまでは入る時間がなかった。
8水曜日
夫は明日が個展の搬入日だし、私も次の展示があるし、息子も編入試験の準備が絶賛滞り中で、家族が全員テンパっている。
7火曜日
住宅建材の供給が危ぶまれているという投稿を見かけて,慌てて次に制作する予定の作品用の合板をホームセンターに買いに行く。まだ何事もないように普通に売っていた。必要な分だけ買ってくる。この為に慌てて製図した。急がないと作ろうと思っていたものが作れないかもしれないと思って、制作が進む。
ネットで言われていることは局所的な内容が過大になるなど、スケールの不揃いの並列があるんだと思う。ここで正気を保つことは難しい。
PCのデータが未整理で整理をする。データを増やすタイミングで常にきちんと整理しておけば良かったと反省する。
面白そうなトークを後日配信で聴いている。面白かったような気がする程度に、すぐに内容を忘れてしまう。ホモソーシャルで小さな虚栄心のやりとりみたいなのがチラ見えすると、その痛さを慰めつつも自業自得とも思えて、だんだん疲れてくる。やりたいことをやれば良いだろうと思う。
6月曜日
息子の学校が始まる。春休みって幸せな時間だったな。そして春はとてもソワソワする。打ち合わせがあって、近所のギャラリーで待ち合わせる。ギャラリーの喫茶室から見える柿川の桜がもう満開で驚く。通常ここでは入学式シーズンにまだ桜が咲かないし、昭和天皇の誕生日あたりにまだ桜が残っていて花見ができる感じだった。あまりの速さとここ数日の忙しなさで時間感覚がとても狂ってしまった。
私の作品を新潟近美の収蔵作品展で見たという年配のお客さんにばったり会った。ギャラリーみつけでの個展がとても印象に残っていると。今はどんな作品を作られているのかと尋ねられたので、図書館に私の本が入っていますよとお伝えした。長岡の図書館にはどなたかがリクエストしてくださって、私家版の作品集まで入っている。未知の方が私の仕事に興味を持ってくださることがとても有難い。
5日曜日
ここ二日間夜遅くまで仕事して、朝ゆっくり起きていたので、朝仕事のメールのやり取りが行き交っていたことに気が付かずに出遅れる。
複数の仕事相手がもつ時間感覚がバラバラで、それをメールやメッセージの小窓から覗き見る感じがする。仕事の依頼を受けてから一年以上実制作に入らず、まだ原稿が揃うのを待っている方から打ち合わせ依頼のメール。これが一番ゆっくりしている。以前の打ち合わせ依頼を、4月入ったら落ち着くからその頃でお願いとお伝えしていた手前、明日は会うことにする。ある意味では私のペースを狂わせられるのもいいことかもしれないと切り替えてみる。
4土曜日
思いがけない反応で、あ、これに分子図やグラフを乗せる想定をしていなかったから少し戸惑う。絵の良し悪しや内容についてどう受け取るか、どう考えるかの価値判断が混濁する地点にいるなと思う。内容に主旨があるし、これは科学のコンテクストのものでもあるわけだから、私にはその知見がほとんどないと言ってもいい。正しく見てもらう(こちらの描き方について知ってもらう)には、ある程度先方の手法に乗らないとの部分と、こちらが手放さないようにしないといけない部分とがあるけれど、疲れているのと時間と経験がなくて判断ができない。階調を反転する前提で描いていたし、その時点ですでにチューニングしているので、鉛筆での描画そのままでやり切る段階にもない。できたデータを元に研究者が3人であーでもないこうでもないというメールのやり取りを横目で見て、これまでもカバーアートをやっていると聞くとそれについて面白くて興味はわく。とすると、鉛筆状態で完成度高めてそのまま無理に通すをしたほうが良かったかなとの悔いが出てくる。状況がわからないからなかなか。時間があまりになかったのだけれど、わかったほうが良かった状況としては、通常のものと相当違う内容のものの場合、没になって、代替案を作る時間がないという事態にはどう対応するのかの事の進め方というか担当の状況。表紙か裏表紙か。普段はカバーアートの制作はどういう人が担っているのか。写真的表現しかないのか。説明文が入るということ。こうやって何の状況が飲み込めていないのかもよくわからないと思った時(研究や分子の状態についてはとても丁寧に説明していただいて、理解が深まった)、自分が何を気にして行動しているかも見えてきて、そここそボトルネックの部分だなと気がついたりする。という事で、反省する内容の方が多かったな。
3金曜日
鉛筆で少しずつ確認しながら描画を進める。それをスキャンして色調補正してから階調の反転をして科学雑誌にふさわしい濃い色の背景をつくる。フォトショ作業はあまり得意ではないけれど、新しいバージョンは使いやすい気がした。でもなかなか上手くいかずに夜遅くまで作業をしていた。明け方にデータを送る。
2木曜日
マレイン酸の分子についての情報を整理する。頂いたものだけでは足りない気がして、チャッピーにジュピターとPythonを召喚する為のコードを書いて貰って、分子をくるくる回してみるなど。科学雑誌の表紙として採用されるかはちょっと崖っぷちな内容な気がして心配。普通はニュートンの表紙みたいにカラフルデジタル画像を求められているわけです。でも描くしかないから頑張ります。
1水曜日
現代詩手帖に掲載される福田尚代さんの鎌倉での展示のレポートと同時刊行の本のレビューのゲラ校正。おかざきさんについてのユリイカや、田畑あきら子展の鼎談に続いて、敬愛する作家のそれを担当できるのは光栄でもあり、重荷でもある。でも展示がとても素直に入り込んで見れて、自分のことにも成り、悔いなく書けた(依頼の文字数をかなり超えて)ので、校正入れてほっとした。熱烈なファンが多いと思うから、皆さんのイメージを邪魔しないといいのだけど。