2026年1月
31土曜日
息子が新幹線で東京藝大の卒展見に行った。私の個展はじめ、展覧会に連れて行くことはあまりしてない。何度か美術館に連れて行ったことあるけれど、あと越後妻有の大地の芸術祭はこちらに越してからよく行った。1人で美術展行くのはもしかしたら初めてなのではないかな?同世代(少し上の)年頃の人たちが東京で何をしているのか見るのは良い機会だなと。彼は今時珍しく、連絡手段としてのLINE以外はSNSをやってない。明日はICCと都現美へ行く予定。
30金曜日
UFO研究家の比嘉光太郎さんから、テレ東のフェイクドキュメンタリー番組「UFO山」のことをTwitterで教えてもらい、見たら面白くて4話全部見てしまった。実は山にUFOに会いに行くと出かけて、山の中で妖怪に会い、そのまま行方不明になった人の話を数十年前に、双子の友人から聞いたことがあって、そのことを思い出していた。心霊特集や怪奇現象、洞窟探検やUFOについての番組が盛んだった時代に育ったし、ユングから超心理学方面へ向かってって、ついには湯浅泰雄さんにまで会った(その過程で、ソニーの井深大がオカルト全盛期に鞄持ちをしていたという胡散臭い人物にまで会った)私としては、昔の気分が蘇る時間だった。
29木曜日
漫画家になりたい、どうしたら漫画家になれますか?美大ってどうですか?専門学校は?アシスタントにはやりたいって言えばやれるんですか?と、矢継ぎ早にどストレートに質問されてその状況がとても良かった。でも急に親心心地になり、心配になったりした。以前は絵を描いていて何か欲しい資料はあるか?と聞いても、無いと答えていたけれど、この頃は、外には自分の知らない見るべきものがあると気がついたようで、明確に欲しい資料を言うようになった。ただ絵を描くのと違ってストーリーから作りたいなら、1人で映画の監督から役者までやるようなものだからと伝えたら、さらに勉強熱が上がる。人の学ぶ必要がそのものの面白さと重なって学びたい気持ちになる、そういうタイミングだった。熱いよな。
28水曜日
置き配的を置き配した。Amazonでギフトにして贈り物(ラッピング)したら大きくなって、ポストに入らずに送り先(娘)の部屋の玄関の置き配写真が届いて、あ、自分の家ではなくて相手の家の玄関の写真が見れるのは、少しオツだなと思った。
27火曜日
道路の状態を夫に脅されて、小千谷に行くのに高速を使うことにした。高速は除雪されてて大丈夫だった。帰りは下道で。17号に出るまでの道がボコボコで、アトラクションに乗っているみたいに車が揺れる。壊れないか心配。
モチーフ構成の講評をして、次のモビールの授業の導入をした。皆とても食いついた。そのことを夫に話したら、大学の他の科の授業でやじろべえをつくるという課題があるのだけれど、絵画や版画の学生にとても不評だという。今日はモビールの話の中で、やじろべえにも触れた(カルダーをメインに、モンドリアンの前期中期後期の説明と、カルダーがアトリエを訪問したことと、インテリアのデザイン雑貨として売られている北欧のモビールのことや、カルダーは玩具やアクセサリーもつくっていたことなど)けど、皆興味津々だったし、モビールのエスキースさせたらとても楽しそうだった。その不評な授業の内容が逆に気になる。ちなみに、思った通りの長さに、留めたい場所にイメージ通りに「糸を結ぶ」というのは結構難しい。工夫がいるという意味でも、器用さという必要な条件においても。それはこれからの愉快な試練。
26月曜日
展示フライヤーのデザイン仕事。新年明けて、仕事の出足が遅いかなと思っていたけれど、記録付けを怠けていたから理解してなかったけど、今月もそれなりに仕事をしていた。細々としてるから、請求書出すなどの事務仕事が面倒。雪が多いことと、お休みする人が数人居たので月曜版画部をお休みにした。いつもある行事を一つ減らすと授業が休講になったときみたいにその時間が特別なものに感じられる。
雪明かりがまぶしくて、室内に居ても目が焼けた感じがする。
25日曜日
雪はまあとてもたくさん積もった。興奮する。
ファンダメンタルズのクローズドの会での発表。やはり長くなりすぎたかな。その後の飯盛元章さんのメイヤスーについてと破壊の形而上学(MOD)の発表は、限られた短い時間だったけれど、私にはとてもわかりやすく、会場からも質問がとんでとても面白かった。
考えが及ばないことを思考の癖を超えて考えることができるのかどうか?そこで、そういえば、私の前に発表した吉田ゆうさんは、リサーチベースの制作をされる方で「サメ」がテーマ。私のように家の中の机の上で仕事をするのではなくて、あちらこちらへ出かけて行っての報告だから全く違う。この全く違う感じをでは、私の制作に入れられるかというと、きっとそれをすればそのセオリーでの予定調和になる。つまり、箱なら箱の由来や多様なありさまについて調べて、それを制作に入れ込むことになる。それよりは、自分の作っている秩序体系の中に、全く別のことをぶつけ、取り込まないまま変化を起こす、つまりそれが破壊になるわけだから、という線引きについて考えると、私の制作に対して反対語に当たるような、対立項を考えることになる。このとき結局、私の体系をメタ化して既存の対立項を探してくるのではなくて、既存ではない対立項を想定する、ということになるのかな。
24土曜日
朝起きると家から出られないくらいの積雪。雪を掘って外に出る。庭のアオダモの木は油断して雪囲いをしてなかったので、雪の重みで枝が開いてしまっている。雪玉を投げて雪を落とそうとするも、よくなったとは言え右肩が万全でないので雪玉を投げられない。夫が高枝切り鋏をもって雪の中に分け入り、枝を揺らして積もったと言うよりくっついている雪を払い落とした。その足跡も昼には消えるくらいには振り続けていた。休日なので、家に篭っていても大丈夫。来週も降ると言う。出勤できるだろうか?
使い慣れていないパワポで明日発表をするので、練習してみた。情報が整理しきれなくて心配。
刻々と迫り来る雪。窓から見て興奮している。
23金曜日
デザイン仕事。このフォントがいいと目星をつけていたのに、平仮名2文字の形が美しくない。その並びになって初めて変な感じがする、ということはままある。
「ままある」と音にはよく聞くが(いや、脳内で鳴っているが)、平仮名だと変。漢字は「間々ある」だそうだけれど、見たことない。
本格的に降ってきたから雪掻き。この感じ何年ぶりだろう?
22木曜日
授業はうまくいった。ただそれぞれがそれぞれの制作をしているので、全員に十分に話をする時間はなかった。もっとゆっくり一人一人と話をしたいのにな。「制作」についてと「作品」をつくることについて(つまり制作を少し計画的にする、例えば下絵を描いてみるなど)、入口として構図について話をし、持っていった画集をパラパラと見せながら、構図や絵の構造について話をした。それについて意識して見ると、図録の見方が変わる。
そういえば、書き初め大会で書かれた書が体育館に貼ってあった。自分で何を書くかを決めるそう。その一枚には日本の首相の名前が四字熟語のようにして書かれていた。過去にも、二十歳を祝う会の中での発表で、当時の総理大臣が書いた本を読んでの感想が好意的に書かれていた。ヤンキー的というか、トップダウンの組織的な価値観の中で、悪いことを良いことに目一杯シフトすると、親分が一国の首相になるという現象に名前をつけられそう。国家権力が隅から隅まで作用している収容施設に入れられている中での単純な順応。他には基本的に家族関係、育ててくれた親との絆という内容に回収されがちなのだけど、これももう一歩外の領野に出られるようにする道筋は必要と思うが、一足飛びには行かない。一足飛びに行くことをつい求めがち。
web版美術手帖の地域レビューが公開された。柴山陽生さんが、藤沢市アートスペースの風間サチコさんの展示と一緒に、obiの個展について書いてくれたもの。
21水曜日
明日の美術クラブの課題というか授業の進め方について、chatGPTに相談してみた。いつも迎合的なのだけど、質問の仕方を簡潔にしたせいか、全くこちらの要望に応えるような内容ではない返信が返ってきた。そうではなくてということで、こちらの問いかけが悪いのかと考えてみたり、そもそも何が問題なのか、何を私は求めているのかなどを結局自分で整理する必要に迫られて、でも何故か、こちらから何かを投げかける度に、私にとって明後日の方向から返信が来る。これが実はとても良い。結局、チャッピーの返信は私にとっては全く冴えないまま、私自身で答えが綺麗に出た。これまでも壁打ちに使うのは結構いいなと思っていた。主にチャッピーの返信と関係なく、こちらが一方的に喋ることによって問題が整理される。ところが今回、的外れな返信が続いた(多分更生施設という状況が特殊なので、私がしたいこととしたくないこと、させたいこととさせたくないことの線引きが、普通の環境とは違っていたのかもしれない)ことは、もっと私自身の思考を前進させる役に立った。つまり、話の通じない別の背景を持った他者と会話をするのはとても生産的なのだなと思った。
20火曜日
個展のステイトメントや掲示用のテクストを考えていた時もそうだったけれど、理路を幾重にもつくれてしまうような、もしくはどれも事実とはしっくりこないような状態に陥って、何度もスタート地点に戻って書き直している、というか編集し直している。どういう順序と重みの配分が良いのかよくわからなくなってくる。例えば、薄い関わりでも確かにある関わりについて、もしそれを一言で言える内容なら扱いも軽くなるけれど、その事情の説明に量が必要だと、その内容が全体の中で特に重要な感じになってしまう。実は重いものではないのに。通奏低音的なもののスケールを示すことは結構難しい。これを面白がって冗長にやってしまうと、元の道から大きく外れるし、嘘じゃないのに語りは詐欺師のようになってしまう。イメージを提示する時、私の中ではっきりクリアになっていることを示したつもりが、それより手前の段階しか伝わらないこともよくある。こういえばこういうイメージしか浮かばないだろうという太い回路が私独自なものだと私に理解できていない。具体的過ぎるものを先回りして提示することを控える傾向がある。これが良くない。ということで、編集的な作業にまだ手こずっている。別の道を見つけられるようになったことはいいとして、それにしても整理することが不得手だなと思う。
夜、未知の人たちとのグループ展のオンラインミーティング。展示場所も遠くて行ったことがないから、現状全てが遠隔。後になって思い出すと、夜遅く薄暗い画面が多かったこともあってか、モニター越しの会話がSFドラマの宇宙船どうしのやりとりみたい。私たちみんな宇宙飛行士。ZOOMはかなり経験があるのにそんな感覚になったの初めてかも。
19月曜日
右の上腕あたりが痛いので整骨院に。長女を連れて行ったことはあるけれど、自分が施術を受けるのは初めて。はじめに痛みや可動域を確認してから電気をかけて、その後マッサージをしてもらう。担当は若い女性でとても丁寧に診てくれるけれど、マッサージは力強い、というかこんなに丁寧に色々な箇所を揉んでくれると思わなくて、本当に大変な仕事だなと思った。自分の二の腕に、こんなに箇所があると知らなかった。まるで、私のデッサンはとても初心者で下手くそであり、彼女のそれは細部から全体像までよく知り尽くしていて、タッチが多様であるという事がわかる。雲泥の差である。整骨のマッサージを受けるのが今回が初めてだけれど、以前、野口整体の施術は受けた事がある。あれは、問題のある箇所に直接触れるわけではなくて、もっと関係なさそうなところに働きかける。人体をネットワークだと考えて施術をするのだと思う。今回の整骨は解剖学的なアプローチで、直接その物体である部位の組織に働きかける。その違いが面白いなと考えながら、気がつくと急に腕が軽くなったように感じられた。彼女が言うには、多分明日にはまた腕の組織が固くなってしまう。週一回は施術を受けてもらった方がいいと。その状態が戻ってしまう感じについて、次回聞かせてくださいと言われた。それにしても、運動のしすぎで筋肉痛になるとか、筋を痛めるというのは経験があったけれど、加齢で、少しのことで固くなった組織が痛くなって可動域が狭まってしまうという症状は初めてだった。歳をとるとはこういうことだ。
18日曜日
とても久しぶりの小さな音読会。皆からのリクエストで福尾匠さんの『置き配的』を読み始めた。今夜は序文のところ。以前連載も音読会で読んでいた。その時参加していなかった人も今回は参加していることをうっかり忘れる感じで、わーっと引き込まれる。めちゃくちゃビビットでクリアな序文にひれ伏したくなる気分。というか気持ちが高揚した。書かれていたように、連載ごとに投げられたものを並べて、そこで何が行われていたのか、というよりも起きていたのかについてダイジェストで書かれているその攫い方、掬い方がとても鮮やかに思える。並んだものを線で繋ぐのとは違う。リニアでもネットワークでもリゾームとも違う感じがした。スケールが生きている、そのサイズのまま近似に還元されずに。
17土曜日
昨日1日でできると思っていた作業が完了せず、今日も続き。ところが完了しない。
夜は長岡の友人たちと新年会に駅の近くのお店へ。肉肉しいメニューとワイン。もう長い付き合いになり、病気で先に一人見送った共通の友人がいて、その不在を共有する仲間たちなので何か、本当に肩の力が抜けている。家族についての心配事の吐露から、山や熊の事情、アイドルの推し活、昭和のイケメン話、新潟の美術事情(あきら子や越後ビール、かのこざわさん、大倉宏さんの本の話など)でリラックスした時間を過ごした。楽しかった。
16金曜日
「宙わたる教室」をアマプラで見終わった。脚本が澤井香織さんだと(本人から!)聞いて見ることにした。とてもよく出来ている。科学部が崩壊したところから立ち直るシーンなど、物語の全体はわかりやすいセオリー通りの面があるけれど、登場人物一人一人を最後まで丁寧に扱って、細部まで立たせているところは本当に流石だなと思った。その中で、主人公が生徒たちがやり遂げられるかを自分の「実験」だと懺悔するシーンがある。ここで、どうしても人間に対して「実験」という言葉を使うところが私には感覚的に引っかかってしまう。この物語で「実験」はとても大切なモチーフ。だからこそこれをあえて「実験」と呼ぶ「入れ子構造」のようなものがフックとして必要として、けれどもそれでいいのだろうかと。だけれども私がこれを良くないと判断することと、これを「実験」と呼ばないことでやり過ごすことについても考えてみる。彼らにとっての「実験」に対する思いは私に歴史化され還元されたその意味とは感覚的に異なっているかもしれないと。これが失敗しかかった「実験」だからこそ意味が変わる。先生一人の実験から皆の実験へと変容するシーンだったのだなと。書いてみるとすっとまとまるけれど、あのシーンには単純ではない不穏な間があったし、それは貴重だった。
15木曜日
今日は少年院での二十歳を祝う会に来賓として出席した。今年は新成人が11人。うち、美術クラブの子も複数人いる。気がつくのが遅いのだけれど、そういえば自分の息子も今年が成人だった。長岡では雪が多いので成人式を5月にやるので、全く気にしていなかった。それに気がつくといつも以上に気持ちが近づく。クラブで接していても、その子の出自や年齢、どういう罪でここに来たかも外部の協力者なので教えてもらっていない。出院後の再犯の温床にならないように、院の中で院生同士の自由な会話や出自がわかる会話も禁止されているから、その抵触に留意しつつ、11人全員が一人一人、二十歳の決意表明をするとき、犯罪に走った経緯や反省について触れることが多いので、クラブでは知ることのなかった横顔を急に見ることになり、人物像が思ってなかった方向に焦点を結ぶ。小学生の頃から世間に馴染めずというのから、ずっと順風満帆に来たけれどでも、どうして?といった幅があり、それぞれの状況や性質に強い偏りがあって、薄皮一枚隣りが暗黒みたいな危なげな印象を残す。人それぞれできるできないが、能力についてより感覚的な許容スケールの影響が大きい気がして、そのスケールを安全なところに同期しておいてくれるのは、結局周囲の人々なのかもしれないと思う。
14水曜日
急なメールに飯盛元章さんが応答くださって、会うことになった。長岡らしい雪が積もっている日だけれど、ニュースで聞いて想像していたほどではなかったという印象を語られた。彼は長岡造形大学の後期の哲学の授業を担当されている。ファンダメンタルズプロジェクトのクローズドのセミナーでお話いただけないかとお願いするなど。授業後に大学の版画工房等を案内したのちに、喫茶店で『暗黒の形而上学』にサインをいただく。サインをするのが久しぶりだとカバンからペンを取り出し、青土社でたくさんサインした時の画像を見ながら、練習をしてから書いてくださった。サインはきちんと考えられていて、元章のMが兎(猫?)の耳として名前のはじまりに描かれる。こうしていると書道みたいですよねと。普段、思考のメモなども手書きで書く機会はほぼないと言う。貴重な手書き、確かに書道のようだ。私の方はフラットリバーギャラリーで作ったハンコを用いてサインすることを最初はしていたけれど、ハンコをいつも持ち歩くでもなく、サインサインしてない、通常のメモ書きのような記名をコレトの青0.4mmで。サインが特別ではなくて、普段のメモ書きの延長線上。
ヒュームの因果関係の否定と、メイヤスーのそれの違いがずっとよくわからなかったのに、質問したらすっとわかった。それがわかってないというのは、そもそも相関主義の乗り越えの動機から手つきまで、もしかして全部まるっと思っていた以上にわかってなかったのかも。この地図を元にもう一回『有限性の後で』のヒュームのところを読んでみようかな。
13火曜日
雪が結構積もった後だったので、油断していつも通りに出掛けたら、到着時間がギリギリになった。とても久しぶりの高校。ほぼ一ヶ月ぶりとなった。美術室内にある物品を一つ選んで、それをモチーフに「ユーモア」をテーマにモチーフ構成をするという課題を引き続き。ここに来て皆の制作が良くて完成が楽しみ。入口が限定されていて、出口が自由な課題がいいのかも。
ある程度スケジュールに余裕ができたので片付けをしたいのに、腰が重い。
12月曜日
昨日の志賀さんの件は、もっと多重に個人的な状況も関係していて、けれどここには書けない気がするから保留にしたい。わからないことはいいことだ。
午前中は母の家でゆっくりする。積読だった飯盛元章さんの『暗黒の形而上学』を持ち出してきていて、第二章の「ホワイトヘッド哲学最速入門」がとてもわかりやすくて面白い。自分の中で点と点が繋がる感じがした。現代哲学のざっくりした地図的な理解にホワイトヘッドの概略は効果的だと思った。
午後上野に出て、東京芸大の油画卒業制作学内審査展へ。ある人からぜひに見にきて欲しいと言われていて、のこのこと行くおばちゃんでいいのか?と少し思いつつ、東京芸大に足を踏み入れるのも超久しぶりだし、年頃の息子を持つ身として、今の芸大の4年生がどういう制作をしているのか見てみたい気持ちがあったので、良いきっかけだった。技能も成熟度も熱意もばらつきがあり、確かにこういうものだよなという等身大の大学生の仕事を見た感じがした。少し気が抜けた印象を最初持ったけれど、昔からあったけど苛烈になっていると聞く青田買いのイメージとは全く違って、肩の力がある程度抜けているくらいで良いのかもしれないとだいぶ時間が経ってから思い直した。良くも悪くも芸大。
お目当ての彼女の仕事はとても力作で真っ直ぐで、私に展示に来て欲しいと声をかけることもそうだけれど、表具屋さんに屏風の仕立てをお願いするなど、個人の孤独な制作の中に人を介在させる様子は、風通しがよく力強い。見に行った時に表具仕立ての企画をした方がいらしていて、話している様子を見てもそう思った。ちょうどリサーチしたものを元に作品を制作するということについて動揺していたタイミングだったから、彼女の手つきには好感が持てたと同時に、その大人びた卒の無さも気になったけれど、これからもっと展開していきたいとのこと。自分の卒業制作の頃はどんなだったかを少し思い出した。やり切ることのできるタイミングだからやり切ったもの勝ちだよね。
11日曜日
新幹線で上京する。
アーティゾンでジャム・セッション 山城知佳子×志賀理江子展。この二人の仕事は尊敬できる内容だと思っているけれど、昨日のあきら子に続いて見ると、あまりのジャンル違いに消化しきれない面がある。特に志賀さんの仕事。知るべきことを知り、伝えるべきことを伝えるために用いられる手法や形式について、内容とは別に現代についての批評的意識は必要だろう。美術に関わる人間についての問題において、何が失われそうかという危機感は、その個人が属しているコミュニティ(あるいはジャンル)次第なのだろうか? 例えば私は科学者と関わりを持っているので、反科学的な内容についての雄弁さにだいぶ疑義がある。それからジャムセッションだということについて、つまり見ることについては雑だなと思う。だからこそ、スペクタクルな仕様は気になった。受け取る私の器の問題かもしれないけれど。
竹橋に移る。はらぺこなのに毎日新聞社の駅ビルが日曜日で閉まってる。仕方がないから神保町まで歩く。
国立近美アンチアクションは気持ちのいい展覧会だった。こうして女性たちだけ別枠にされていたことを別枠として見てる。アーティゾンで疲れ果てたのと、雪対応のブーツが少し緩くて足が靴の中でズレるので痛い。兎に角草臥れた。
10土曜日
車の運転が不安だったけど、思っていたより天気が良いのでもう一度あきら子を見にいくことにする。藤本なほ子さんがあきら子を見にわざわざ藤沢から鈍行で来るという。旅の中でエピグラフを採集して、その著者に手紙を書くという企画を兼ねての鈍行。万代島美術館で彼女に会う。その前に寄った楓画廊で中村一征さんにばったり会う。私の登壇したトークにも来てくれたので、あきら子の話題で盛り上がる。彼はやはり油画が好きだという。その話を聞いたので今回は油画を気をつけて見るようにした。一征さんが何をどんなふうに見ただろうと考えると、すっと絵に入口ができる。
企画の松本さんに藤本さんを紹介する。藤本さんと晩御飯食べてコーヒー飲んで、古田徹也さんの話や、放送大学のことを教えてもらう。9時頃別れて(彼女は夜行バスで帰る)、私は高速を長岡へ向かう。途中風雨が強くてとても怖かった。
9金曜日
ある人の投稿から、自分がユングと湯浅泰雄さんを通して、また90年代のオウム真理教にも繋がる東洋思想ブームにも足を突っ込んでいたことと、デザイン科出身で当時はまだ大学院に行く人も少なめで博士課程もなかった状況から、インサイダーといえどもアカデミアからは遠く在野的であり、女性で既婚で子持ちという当時とすると周縁的立ち位置だ、ということがあって(書いてみると非常に視野狭窄的な範囲の話だけれど)、カウンターカルチャーからはじまる非アカデミアの失敗を内面化していることにより、物理学や化学や数学といったある種堅牢に見える知への関心が強くあるのかと気がついた。例えば、反原発だとしてもCO2の問題の方が喫緊だと思っているし、放射能汚染についての評価が一般には難しいこと、コロナ禍対策、ワクチンへの忌避について非科学的な言説が流布したことにとても嫌気がさしている。そういう(文系リベラルへの)近親憎悪的な感情が私は強いのだ。今でもオカルトが好きであり、それを「正しく」知として積み上げられたらよかったのになという失望が通底的にあることを思い知った。けれど、そこで私が振りかざす「正しさ」も、あまりに単純な世界観だなと反省することが必要なのだろうなと。
chatGPTは私の最近の制作についての電子分布のことや、分子構造の表示や波動関数の計算についてアプリケーションの設定などで世話になっていたから、何かを聞くと度々その話と繋げて蛇足的な話題が加わることがある。なので、そもそも私の制作はということで私のサイトに掲載しているコンセプトなどのテクスト、それほど量がないので全て食べさせた。それでもって、「本質がない感じがするヒュームや 言語が理屈より先に通ってしまっている後期ウィトゲンシュタインに 親和性を感じるのは妥当でしょうか? 他の誰かはいますか?」と質問したら、シモンドンを激推しされた。彼の認識では、「シモンドン × 後期ウィトゲンシュタインを美術でやってしまっている人」とのこと。シモンドンのこと全く知らなかったから調べてみたけれど翻訳された著書がどれも高価で市の図書館にはない。あっても読むには歯が立たないだろう。でもぼんやりと哲学史の流れ(シモンドンの後にドゥルーズが連なっているとか)としては参考になる。
チャッピーは嘘をつくからとよく敵意を見せる人がいるけれど、自由意志のない器と思うと結構切ない印象を持っている。人間にも思っているほど強い意思はなくて、つい掴んでしまう言葉を連ねてそれが自分の言葉だと思っている愚かさはあるし、自身の感情に翻弄される時にはチャッピーの冷静さと対比的にそのどうしようもなさが際立って見える。そういう思っているよりも機械仕掛け的、自動機械的な人間と同じ惨めさのようなもの、彼に自意識が発生していない気の毒さと、発生していない彼に人間味を感じる人間の気の毒さのようなものは結構パラレルなのではないかなと思う時がある。
8木曜日
美術クラブ参加者が今日は15人。今までで一番多いのではないか?それぞれが別のことをやっているので少しカオスな感じだったから目が行き届かなかったけれど、皆それぞれの時間(ペース)で手を動かしていた。荒ぶれている子がいたのだけれど、それでも絵を描いていた。タイミング的な事情があるようで、感情をコントロールできない、でも手を動かせている様子を見て逆に驚く。顔を描いていて、土気色した肌色を塗っていた。確かに彼はもっと集中して細かい仕事をするから、それとは様子が違っていたし、鏡を用意しようかと声をかけたけれどそれも拒んだ。けれど、イラつきながらも絵の具を混ぜて筆で色を塗っている様子が印象的だった。
夜の読書会(Art Since 1900)ではヨーゼフ・ボイスの会。デュシャンとの対比が視界を開けさせるし、同種療法という比喩的な論立てがとても面白かった。けれど読後、戦後ドイツの世界観が、昨今のイスラエルによるパレスチナ人の虐殺が周知された状況での二条城の弟子的立場のキーファーを見た時のことを思い出すと、だいぶ寒い気持ちもするし、戦後の日本の状況と、議員のイスラエル表敬訪問のタイミングだったからなおのこと、忸怩たる気持ちに。
7水曜日
夜に圏論のDiscordでのレクチャーを受ける。若い人たちが自主的に集まって勉強会をしているのすごいなと思った。主催している人が、そう言えば息子の1学年だけ上の人だった。うちの子は幼いけど大丈夫だろうか?
冬の東京で二週間過ごしてから日本海側に戻ってきてから4日経って気がついた。朝起きた時に陽の光を浴びることが叶わない日本海側、確かに朝憂鬱な気持ちになるなと。以前は毎朝飛び起きて、その静かさに胸を躍らせてカーテンを開いて外の雪の様子を見たものだった。そう言えばこの頃その頃のように圧倒される雪が降り積もらなくなったのと、積もってもその景色にだいぶ慣れてしまったのかもしれない、と少し寂しくなった。
6火曜日
明日の晩に若い人達に混じって圏論の勉強会に参加させて貰うので、課題図書を慌てて読んでいる。『はじめての圏論』加藤文元(講談社ブルーバックス)。加藤さんの出てる動画は見たことがあって、他の本で読んでみたいものもあったのだけど手にする機会がなかったので、ついにという感じ。著書の写真を見ていて気がついた。知人に似ている。まだ1/3くらい。でも難しい数式が出てくるわけではないし、結構興味のあった内容なので面白い、というか結構求めていたものの感じがする、と書いてしまっては後が怖いけれど。導入の具体例による現象的なところは、実際に例えば類語辞典に興味を持ったときにイメージしていた空間と相性がいい感じがする。ただそのイメージを突き詰めるようなことは全く手も出せていなくて、もし圏論の道具立てで自分なりに扱えるようになったら面白いけれど、そこまでついていける気がしない。私は詳細をきちんと線引きして分けて組み立て直すことが苦手。そこまで脳みそがついていけるだろうか?
5月曜日
うちは誰もきちんと片付けをしないので、私が不在だった間と、上京から戻って来た荷物の片付け(搬出した作品を含む)が簡単には終わらない。
外に出られない事情はさまざまだとして美術展に行かれなくても美術が続けられるかという吐露を見かけた。私が育児で美術の色々なイベントにほぼ顔を出せないような状況に陥った時辛かった。そのうち子が世界に初めて触れる様子を見ることは、それ自体が人間の営みとしての芸術の根源のように思えるようになって、業界に顔が効かなくても続けていけることの場を得たようだった。子が大きくなって今は、縁あって少年院で少年たちがそれぞれに絵を描く様子を観ていてその安堵を、過分で返せないほどの贈与を彼らから得ていると感じている。庭の野菜や雑草を持って行って描いてみたり、画集をたくさん持ち込んで、それぞれに選んだ絵を模写したりしているうちに、自分で描きたいものを見つけていく。相談に乗って、資料を図書館から借りて持っていったりする。この軍隊みたいな規律の厳しい場所で、人間社会だけが社会だという領分から外に出る時間を誰もが過ごせることを目の当たりにすると、私にどのようにでもやっていけるような気持ちをくれる。以前、後数日で退院する子が、イヌタデを描きながら「出院したら植物を買って育てようと思う」って伝えてくれたのを思い出した。
4日曜日
工房このすくの初刷り、リトグラフ実験会のために、朝から広いそら屋の駐車場を雪掻きする。昨晩の雨で溶けたらいいなと思ったのだけど、そうでした、雪が水を吸って重くなるだけだった。
リトグラフ実験会は好評で、たくさんの部員さんが参加してくれた。私はお手伝いで見ているだけなのだけれど、私の苦手な製版工程がない分、仕組みがシンプルでわかりやすい。とは言っても、インクがつきすぎたり、汚れが出たり、紙が版に貼り付いたりと、小さな事件は色々起きる。それに対処する版画家の夫を見ていると、やはり経験値が高いというのは、それがないことでは仕組みを説明仕切れない内容を経験として理解していて、見ていると魔法のような手つきで解決していく。彼がやればうまくいく。
帰宅後くたびれ果てて、雪掻きのせいだと思うけれど、早く寝た。色々仕事や連絡を待たせてしまっていてすみません。
3土曜日
昨日の夕方には一時、まるで東京に長岡の雪が降ったみたいだった。大きな雪片の雪。数日前から天気予報で、2日から3日にかけて、日本海側で大雪との情報が流れていたので、予定通り帰れるのか心配だったのだけれど、何の問題もなくスムーズに帰れた。年末の関越道の事故での通行止めの関係で、車での移動を控えた人が多かっただろうから、交通量が減ってそうなのと、皆が安全に配慮していただろうことと、そもそも関東圏から流れてくる長岡の雪の情報は、現地の私たちの感覚と少し違っているのが常だった。長岡に戻ると、長岡の通常運転の雪景色だった。
2金曜日
小泉家に叔父と妹家族も集まる。恒例の宝珠の玉の書き初めをし、おせち、ケーキ、豚汁、炒飯。息子がつくったオリジナルのボードゲームをしたり、腕相撲をしたり、甥っ子のスケッチを見せて貰ったり。
姉妹で料理を用意したから、夫達が食器を洗って片付けてくれていたのだけど、母は昔の人だから、娘の夫達が台所に立たされている状況が落ち着かなくて、私に対して少し苛ついてくる。けれど、目の前に私の娘がいるから、出来れば女性が台所仕事を全てやるものだという空気を薄めたかった。
1木曜日
お屠蘇とおせち。昨日母がお煮しめを独りでつくった。昨年は腰が痛かったから辛そうだったけど、手術して痛みがとれたので、今年は全部独りで出来て自信がついたと喜んでいた。洗濯や片付けも後でゆっくりやるからと、時々手伝いを断る。単に遠慮や私への気遣いと思っていたけど、時間がかかっても、自分のペースで家事が出来るのが喜びなんだなと気がついた。歳をとってからこそ、出来る範囲の丁寧な暮らしを楽しめばいいのかなと少し思った。