2025年9月
30火曜日
十分にキャリアのある作家の方が7年ぶりの東京での個展開催だというのを読んで、自分も東京での個展空白期間が11年あって、ちょっと辛かったことを思い出した。間が空いてしまった中で個展をするにあたって、どこでやるかやってくれるところがあるかで相当悩んだ。いくつか打診したけれど、有望な若手作家も多いし、中堅どころを扱っているところはもうスケジュールがいっぱいというか、扱っている作家がもう充実していて入る余地がない感じだった。でもこの間、町田の版画美術館に出品する機会があったし、小さな書店の忘日舎に縁があってささやかな展示もできていたのは本当にありがたかった。FRAGILE BOOKSが私を見つけてくれて声をかけてくれたのも、とても細い糸のような幸運だった。結局その後、古巣のギャラリー椿が声をかけてくれて、いわゆる個展をできた時にはたくさんの人が見にきてくれて本当に嬉しかった。椿で初めて個展をした頃とは作風も変わっていたから客層も違ってるし、私の作品はあまり動かないので(ってここに書いて読まれることはあまり良い影響はないけれど)、なかなか自分から個展を椿でと言い出すことはできなかったのに、声をかけてもらえたことには本当に感謝している。とにかく見てもらいたかった。東京で展示をしていない間も、新潟ではコンスタントに展示して支えてもらっていた。新潟は人が少ない。遠方で実物を見ないでもSNSで作品を見てくれている人(作家が多い)はいて、親交を深めた後に、いざ、実際の展示を東京で見てもらうとなった時、本当に緊張した。画像で見て良いと思ったのに実物はがっかり、みたいなことが十分にある、本当に見ることのできる厳しい眼の持ち主が幾人もいるから、私のこれまでやってきたことが通用するのか恐怖を覚える瞬間さえあった。今年は3回も個展の機会に恵まれた。3回目が11月末からのobi gallery。ちょっと今までと違うこともする上に、まだそれが道半ばなので、あと2ヶ月ない中でできるのか不安でいっぱいだけれど、制作は楽しい。なんとか健康で頑張りたい。9月は本当に長かった。個展とグループ展があって、上京もしたし、授業もはじまったし、子の進路が二転三転して慌ててるしで、盛りだくさん過ぎた。
29月曜日
息子の進路相談。放任が過ぎてもう片付いたかと思ってた。放任だけど過保護な母で自分に戸惑う。初めて買った歯ブラシ、これ使ってみたら歯茎痛いから優しく磨きなねとか言ってしまい、過保護が過ぎると笑われるなど。
スケールに関わる制作をしていて、急にこの数値で合ってるか心配になり確認し直すが度々。でもって、ひとつ完全に間違えてた。半径の値を直径として扱ってた。関わる数値や変換が多くなってくると、端から経緯を忘れていってしまう。こういう作業ははじめてだから手順が悪い。これはきちんとログというか、必要な数値を書き出して経緯をスッキリ纏めておかないといけないんだなという経験で、つまり数式とはこういう内容をシンプルに示しているのだろう。
月曜版画部の終わる時間頃、残ってた1人とそういえばここは大卒の人しかいない集まりで珍しいという話になった。あまり考えたことなかった。要は背景の違いを気にして発言に気を遣ったりしなくていいという感想。その方は他にも色々な集まりを経験しての話。思うこと多い。
28日曜日
冊子の印刷入稿作業をしていて、致命的な問題に気がついてしまい、データの修正をするなど。アップロードに時間がかかりすぎるので、単純作業ができる小さな制作をひとつ始める。夜までには作品が完成した。それから、ファンダメンタルズプログラムのゆるラジオ(you tube)を見た。今回同じユニットとしてご一緒させてもらう三瓶玲奈さんと角田優さんのお話はとても解像度が高くて面白かった。こっそりmiroに質問を書いておいてよかった。
27土曜日
車を走らせていてふと「知らないスケールを再編集する」というフレーズを思いついた。私の今やってるのはそういうことだと思う。
ChatGPTで作業をしていて、ついに課金した。目的の波動関数の計算をしてαイオノン(すみれの匂い)の電子分布の偏りを可視化するpython(Jupiter)に成功した。それからionneの中の水素原子核の大きさをビーズに置き換えた時の他の原子核の位置を座標計算し直して、地図に載せるところまで。
冊子印刷の仕事のデータ入稿をオンライン上でアップロードする作業。実はindesignが以前うまく走らなくてこわくなってからイラレ使って冊子データも作っているので、入稿作業に時間がかかる。日を跨いでしまった。
26金曜日
ターミナル経由でCH3の電子分布を可視化するためのAvogadroに読ませるデータ作りにまだ苦闘していて、こっちはChatGPTにお願いしている。流石に延々やってたら上限に達したのアラートが強固で動かなくなってしまった(上限達してても平気だったのに)ので、Grokに移動して、今度は白井さんが書いてくれたイオノンのデータを走らせるための環境の設定をあれこれやってた。いじってみた感じ、流石白井さんの扱ってるアプリケーションはAvogadroみたいな教育用的な初心者向けのアプリケーションではない質で、ターミナルがサクサク走っていく。それでも手こずっていて、今日はおしまいにすることにした。
個展のDMを入稿した。綺麗なDMだと思う。あとは少し先が見えな過ぎていて、スケジュールをうまく管理しないといけない。今はドローイングが描きたくて描きたくてしょうがないのだけれど、ちょっとこのAIとターミナルとの作業にキリがつかないと、しばらく間を置いただけで、自分の作業状況がわからなくなっちゃって、戻って理解したり感覚を掴むのに時間を食うから、とにかくこれを初期段階の成果が出るところまで進めたい。描きたい気持ちが募るのもいいかもしれない、マゾっぽい。
25木曜日
煮干しとシシトウと茗荷のスケッチ。今まで鉛筆がB4とB2しかなかったのを、BとHも買ってもらって、鉛筆の説明をした。濃い薄いよりも柔らかい硬いだという性質をつたえたら、「どうして柔らかいと濃いのですか?」とか質問してくれる子がいて面白かった。「「B」ってどういう意味ですか?きっと「H」はハードですよね?」には答えられず、ブラックかなーとか思いつつ、調べてくるねと約束した。スマホ等の持ち込みが禁止されてる環境はレアすぎるけど、時の流れ方が人間らしい時間になってると思う。今調べたら、やっぱりブラックのBだった。
夜、ファンダメンタルズプログラムの可視化ユニット顔合わせ。人数が7人と多くてうまく回せるのかちょっと心配でもあったけれど、人の数だけやってることが違うからそれぞれの自己紹介を聞いていて面白かった。また違った状況が立ち上がる感じでとても楽しみだ。実は前のゆるユニットの白井さんとも、少しだけメールのやりとりをしている。個展のDMにこの企画での着想の旨を書くのに名前を出させてもらう許諾と、今やっていることを書いたら、プログラム書いてくれた。ありがたい。
24水曜日
αイオノンの電子の分布を可視化したいのだけれど、ChatGPTに教えられてターミナルにプログラムをコピペしてトライアンドエラーを繰り返している。コンピューター音痴の私でも、ターミナルとのやりとりがどういうものかだんだん腑に落ちてきて、コンピュータについてだけでなく、AIについての認識の質感みたいなものが変化したように感じる。ChatGPTが5になってあまりおべっかを使わずに会話の内容がサバサバしてきたことも手伝って、はじめにAIに触れた時とは、ずいぶん付き合い方が変わったと思う。とはいえ、彼が知らないことを知らないとは言わないように、できないことについてもその程度や規模、限界について語らない性質だということをうっかり忘れていて、ただ打たれ強いなと感心して付き合っていたので、多分だいぶ無駄な時間を過ごしてしまった。あくまで道具なので、自分で判断することはとても重要。
threadsで、Instagramで宣伝拡散していたらしいイスラエルのバンドの曲がとてもいいよねーという投稿にたくさんの賛同コメントがついているのを見てしまい、複雑な気持ちになる。単純に、パレスチナの状況とあまりに非対称なのと、その日本人コメントにひとつもパレスチナやイスラエルの虐殺について触れる人を見つけられなかったことによるのだけれど。むしろ、紛争中にプロパガンダとしての楽曲ではないものがクールに流通している状況がショックだった。プロパガンダは戦争加担だし、反対に批判的な曲は当国では拡散されないだろう。詩の中に直接的ではないしにろ何か自国のことを批判したニュアンスがあるのか、または、現状を応援する方向か、または我関せずの場合でもそれがある意味、世界によって自分は変化させられないという強い意思など、つまりこの状況に対してのスタンスはいくらでもあるわけだし、スタンスを問われること自体についても考え込んでしまうし、それを私が気にすることもどうなのかと思う。つまりプロパガンダだったらわかりやすく私にとって敵であるので判断コストが低いのだ。曲の良し悪しの判断も放棄している、アーティストなのに。だけどそういう分析を抜きにして、それらを選択する自由が一方的な攻撃をしているイスラエル側にはまだあるということが大きいのだと思う。パレスチナの人々が抵抗として歌を歌うとしても、もはや食べるものを得られずに歌う力がいつまで残っているかという段階に入っているわけだから。望むと望まざるとに関わらず、フィジカルに攻撃に巻き込まれている。その状況と、遠くないすぐ隣の地で、スタイリッシュに歌を歌ってジェノサイドのことを気にしていない人々(日本人にも)がそれを消費しているという事実にくらうものがある。
23火曜日
朝、『命はフカにくれてやる 田畑あきら子のしろい絵』駒村吉重 岩波書店の最後のところ、読み残していたところを読んで読了。私が彼女に最初に惹かれたのは、「プルーストの質問書」への彼女の答えを読んでから。その中には仏教の言葉もあったの覚えていたけれど、この本の最後の方で仏教についての話が出てくる。私も20代の頃仏教についての本を読んでいた。そしてオウム事件があり、段々とそれが観念的なことに思えてきて離れてしまったけど、今このタイミングでその感覚をこの本によって思い出すのは何かの縁なのかもしれない。
すぐに返信があると思って出したメール3通に応答がなくてそわそわするなど。今日は祝日だった。
22月曜日
搬出作業に向かう。ちょっと疲れていて、1人でもできることだけど夫に同行をお願いする。道すがら、次の個展についての構想を聞いて貰う。自分の不安を言うと、いや大丈夫じゃない?と応えてくれる。でも個展のタイトルを告げると、あ、その不安なものがメインなのかと、それはもっと脇役の付け足し程度だと思ったと。それでその制作について詳しく話す。でもそれが人に伝わるか、伝わるというのは繋がりが感じられるかとか、ややこしい前提内容がすっと入るかとか、それは美術なのか?作品なのか?といったあれこれ、まさに不安のタネが、一粒一粒並んでいく。
作業はすみやかに終わり、それでもゆっくり昼ごはんを食べる時間は残ってなくて、コンビニでお弁当を買って運転を交代して車中で食べる。力をつけたくてカルビ焼肉弁当を食べはじめたけれど、過剰にジャンキーな味で1/4は夫に食べて貰った。うーんジャンキーだねと言ってた。
21日曜日
今日は在廊しないで家で仕事をしていたのだけれど、昨日よりお客さんが多そうだった。最終日に駆け込みで見にいらしてくださった方が多かったみたい。ありがたい。
田畑あきら子の恋人への出されなかった手紙の中の、見た映画についての憤りとやるせ無さ、世界はこうあらなくてはならないという切実な気持ちが書かれていて、それには彼女の現状についての気持ちの動揺が透けて伝わってくる。思い出しては眼球が熱くなって、瞼がとても分厚くなる感じがする。これが私にはまた、パレスチナ国家承認を訴える人たちの喧騒と重なって辛くなる。パレスチナのハマスはテロ組織ではなくて抵抗運動だし、PLOを承認するのであっているのだろうかという気になってしまう。アメリカの言うことを聞いたわけではなくて、日本独自の判断での見送りだとして、言葉として外務大臣から発せられるが2国家解決なので、それも可能なのかもはやわからない。なぜ制裁をしない?私も現実的な2国家解決を、国連を中心に国際法を守って平和をって思ってたし、あまり原理原則のそもそものところまで戻ってしまうのは無理があると思ってたけど、これだけ人々が今も死に続けているのに、国家承認するしないで騒いでるの見てると、実際に命からがら生きている人々から視点があまりに遠くて辛くなる。これだけの殺戮と破壊をどう償うのか?社会から承認された国家の民でなかったからの厄災か?国より先にパレスチナはあったし、今もある。ならず者がそこで殺戮を繰り返している。ならず者たちには国がある。だからどうした!公園に住む権利が認められないのは、国家権力に平伏しているからだ。国がある前に人がいる。承認するしないの話をしている猶予などないのに、なぜそこで騒いでいる。イスラエルの解体と、パレスチナ人を動物と思う人々はそこから去るべきだと思う。自分がここまでラディカルな左派と同じように考えるようになるとは思っていなかった。岡真里さんや新土さんの言うようなことは原理的に正しくても、望むべくようにはならないとわかっていたから、もっと現実的な道をと思っていたけれど、国家承認の大合唱を見てみて、取り残される人々を見ていて、どうやってもそれでは、パレスチナの人々の苦難が終わらないことを思い知らされた感じがして、この悲しさが、あきら子が感じていたやるせなさとなぜかシンクロしてしまって、途方に暮れる。とてもこの状況を飲み込めない。
20土曜日
楓画廊へ在廊するのに長岡北から高速バスで新潟市役所前へ向かう。曇天で雲が低い。田畑あきら子の絵を思う。今日は万代島美術館の藤田さんと、田畑あきら子展の担当学芸員の松本さんが個展を見に来てくれる。駒村重吉さんの『命はフカにくれてやる 田畑あきら子のしろい絵』を今日は通しで読むことにした。部分的につまみ読みはしていたのだけど、彼女の辛い恋の話と、病気の痛みについての詳しいところは読んでなかったので、思ってた以上に辛い内容だった。自分の武蔵美時代や小平の平らな土地でのボロアパート暮らし、孤独、女性の肉体という自身に対する畏怖、その年頃の切実さにわーっと襲われて、心が直に痛い。
Twitterがパレスチナの件ばかりになってしまい辛い。ヨーロッパと足並み揃えた国家承認じゃなくていいけど、もうちょっとイスラエルに対して何か言ってほしい。駐日大使を毎日のように呼び出して苦言を呈したっていいのではないかと思うくらい、毎日色々酷いことやってる。ハマスは軍事部門がやったことをテロと呼ぶところまでは承伏できるけど、占領要件を満たしてさえいないような理不尽な所業に対する抵抗運動だし、ハマス自体を悪とは思わない。つまりハマスの壊滅というだけで自衛を逸脱してる。しかもパレスチナ人=ハマス=テロリストという理屈が暗にまかり通っているだけでなく、パレスチナに居るイスラエル人以外は全てテロリストくらいの理屈で攻撃してることは火を見るより明らかで、その露出が他の紛争地のそれより多いのに、やめさせることに国際社会の腰が重い状況を毎日見せられ続けてるだけでも、人類の損失だと思う。あの戦禍で肉体を本当にバラバラにされている人が今日も居ることが辛いし腹立たしい。これはどうやって償われるのか?
19金曜日
息子の三者面談へ。編入試験についての相談で、まあ思いがけない斜め方向にすっ飛ばしていく分けだから、面談時間が予定の倍になって次の人にご迷惑をかけるなど。子どものことを程よい程度に心配するのって本当に難しい。無駄に心配だ。
パレスチナの苦難は日々酷くなる一方だけれど、急に世界の有名人が声をあげ始めたように見える。条件付きでパレスチナ国家の承認に動き出している国々がある。
18木曜日
少年院に、先週に引き続いて煮干しと庭で採れた茗荷とシシトウを持っていく。皆それぞれの描き方で進めていて良い時間だと思う。自由にさせているからか、デッサンというより絵になってくる。何か絵心のようなことが自然と発動される。企図して描かないと、紙上に現れ出たものを他者として見れている。私がデッサンの勉強していた時にそうは見れなかったのはなんでだったのだろうと思うと、うまく描きたい気持ちがあって、紙の上に現れた鉛筆の痕跡は、良い悪いか望んでいるのとは違うということの判断でしかなかった。もちろん彼らが、いわゆる写実的な素描を習得するのであれば、今の状況は全くなってないわけだけれど、見てみることと、描いてみることと、描けたものを見ることのそれぞれがバラバラで統合されることがなくても、それぞれの営為に大切なことは含まれているだろうと思うなど。
17水曜日
Avogadroというアプリケーションを入れて、ある分子の結合の様子を3Dで表示し、さらに外部の波動関数を計算できるソフトも入れて連動させて、電子の確率分布の様子を可視化しようとしているのだけれど、それがまだうまういかなくて、Grokに教えてもらいながら進め、堂々巡りな感じに行き詰まったので、ChatGPTに教えてもらいながら、バージョンの違うもので違う計算ソフトを使ってみることに取り組み始めるも、まあ結局最初からやり直しなので時間がかかってる。AIが書いてくれたテクスト(プログラム?)をターミナルにコピペして作業を進める。わからないなりに、だんだんとそのテクストが読めてくる。あ、読めてくるとまでは言えないけれども。ターミナルとのやりとりはとても乾いている。パソコンの裏方さんと直接話をしている感じがする。その間をAIが取り持ってくれている。Grokだけじゃなく、ChatGPTの方もだいぶサバサバしてきて、やりとりすのは苦でなくなってきた。でもだいぶ無間地獄である。本当にうまくいくだろうか?
16火曜日
高校の授業へ行く道すがら、車の運転中に色々考えが巡りやすいけど、書き留められない。そう言ったらボイスメモがありますよって教えてくれた人がいたけれど、結局使ったことがない。手書きか、文字うちがしっくりする、と今書いてみて、いや、そういえば試したことがないからわからないじゃないかと思う。自分の声の独白を自分で後で再生してきく、というのは少し気持ち悪い。そんなとき、少し前の時間の自分の発話をどんな心象で聴くだろうかはちょっと興味あるなと思った。照れと恥で、その言葉の内容は普段以上にキツく推敲される運命だったりするだろうか。
考えたことは、デザインあ展での動詞の取り上げ方で、結果言葉は強く還元されて抽象化されたものだから、これもあれも「つまむ」に回収されるみたいな方向が生じていたこと。子どもが言葉を学ために、現象から言葉や概念を取り出せたときに得られる報酬は強く心地いい。この機能は大人になっても続く。この抽象化は物事を自在に組み替えて発展させていくために必要な基礎的自動機能。でもここから、それを解く方向、つまり、「つまむ」を環境や現象に帰していくときに、その領野がどれだけお大きく広いのかの方が重要だったりする。こちらは経験や学習によってしか得られない文化だ。抽象化、結晶化されたものを泥沼に戻す。そしてその泥沼どれだけ沼であるか、それでも崇高で美しいかどうか。
15月曜日
長女と待ち合わせて東京都写真美術館と、虎ノ門ヒルズの「デザインあ」展へ。
ルイジ・ギッリ展は、奥さんのパオラ・ボルゴンゾーニの作品も見れて良かった。身近な制作者の存在を透明化しないことが普通になってきた傾向にあるのかなと思う。ギッリの写真は美しく、コンセプトもシンプルでわかりやすく面白いものが多く心地よく見た。この心地よさは意外と曲者だなと思う。その辺りがモヤモヤする。必要以上に神妙に受け取る界隈が苦手なのかもしれない。この異国情緒感はイタリア人やヨーロッパ人にはどういう質で見えるのだろうか?図録よりもテラテラした俗っぽい観光地の絵葉書みたいな外国製の絵葉書セットを買った。
ペドロ・コスタ展は、入室前に作品リストと解説と会場図を読んだり見たりして頭に入れてから鑑賞した方が良かったと思った。
トランスフィジカル展は見応えがあって面白かった。特に印象深かったのは、林平吉(?-1933 )という初期のカラー写真の研究者の現存唯一の作品、1925年のもの、ピクトリアリズムの美しい作品に驚いた。
「デザインあ」展はすごい大盛況で、皆がとても楽しそうに参加している様子から何か感じ入るものがあった。デザイン展よりは博物館や科学館的なテイストであり、メディアアートのインタラクティブよりはもっと日常的なところから浮き足立つことのない参加型。例えばデッサンあに参加して絵を描く人々や「あ」を描く人々を見ていても、昔は普通にやってた直接具体的(アナログ)な道具や筆記具、身体を使って遊んでいたことから離れすぎて機会を失い、そういう素朴なことに新鮮味を感じるようになってるんじゃないかなと思った。たくさんの人たちと一緒に身体を動かしたり、声をあげたりすることがなんかいちいち新鮮だった。人が多すぎて各コーナーに行列ができているのだけれど、待っている間にそれをやっている人々の様子を見ているのも何か幸福感があって、人間が人間らしいことをしているのを見て一緒に過ごすことは誰にとっても気持ちがいいのかもなと思った。あとは、子供が騒いでいても、そういうものだろうという感覚がこの場では共有されているため、思ったよりも多かったカップルや友人の集まりといった若者たちが、騒がしい子供と一緒の空間にいても大丈夫という様子も、何か安堵感を得られる感覚だった。美術をやっている人間としては、これは美術展ではないということで心安らかになるしかない感じはある。昔バイトをしていたこどもの城を思い出した。
14日曜日
横浜市民ギャラリーへ「穿の表象」。特に畑山太志さんの作品が良かった、初めて見た。自分が色を使わないけれど、色が綺麗とか色のセンスがいいとかより一歩抜けてる感覚だったのと、テクストもインタヴューの内容も興味関心が近いところがあったので、頷いて読んだり聞いたりした。見ることは無意識に焦点を結ぶことを事前に用意してしまっていることであり、現前に広がる世界(他者)の全てを等価値に見ることが普通にはできないことに意識的なところとかが好きだ。「絵を描くことは、そこで生まれる新しい現実に立ち会うことだ。」とはじまる展示に寄せられたテクスト。私もちょうどそんなこと思ってたって思った。先日のウィトゲンシュタインの読書会で、95節だったかな、「事実の手前では立ち止まれない」だったかな?の箇所読んで、言葉にしたらもうそれは事実になる手前で留めることが困難だという意味で読めるなと思い、つまりその後事実ではないことも考えられるという内容が続くわけだから、事実がそこで新しく生まれ続けていくイメージとして迫られた。事実を変換(言葉に表現/これをつまり私は言葉に限らずさまざまな表現として考えてみる)した時点でそれが事実になる。事実は生まれて増えつづけていく。または対象と思っていた事実は置いてけぼりにされる。
グループ展の設営。思ったよりたくさん作品を掛ける人がいて、私の品数では頼りなさすぎるかなと不安になるもなんとか。人と一緒に設営するの楽しい。少し飲んでお喋りも楽しんで帰る。
家族が私が今日長岡に帰ると勘違いしてた。
13土曜日
南天子画廊の入口でばったり柳場大くんと会う。年に何度か上京した時に、ばったり知人に会うことあるけど、柳場くんに遭遇することが相当多い。近況を話して別れる。母の元に帰り、私の誕生日を祝う。足が攣る。
一歩戻って、南天子の岡﨑展。2階の立体良かった。こういう作品もつくっていたのかと。それから会場に参考で置いてあったカタログの早見 堯さんのテクスト読みやすかった。
他に埼玉近美のネルホル、msb galleryの青木悠太朗展へ行った。
12金曜日
明日から上京するから片付けておくことと、上京の準備。ドローイングを額装したらとても美しい。売りたくない。サイズ違いの額縁二つを発送のために梱包する。額自体それぞれ箱入りだけれど、さらに箱に入れようと思い、家にある段ボール箱を加工してみるも無惨な姿に。箱の作家としては恥ずかしく、考え直して、部分的に保護してから、片ダンボールのロールでクルクル巻いて包んだ。なんとか格好がついた。輪の彫刻の方は小さな紙箱に入れてアクリルケースと一緒に手持ちで持っていく。輪の彫刻はとても軽いので、紙箱に柔らかい紙で包んで動かないようにふわっとしまうと、まるで空箱のままみたいになってしまうところが少し心配なところ。入ってますよー。
11木曜日
少し心配していた少年院の先週の課題、というか遊びのような「かたちの伝言ゲーム」の講評会。それぞれに偶然自分の手に回ってきた制作物の状態からその制作者たちについてどのように想像したか。自分はそれへどのように応答したかを一人一人述べてもらい、コメントした。皆ニコニコしていた。続けて、以前もやった煮干しに加えて、家で採れたししとうと茗荷を持っていって、描きたい方を選ばせた。煮干しは臭いし、大きめだし、頑張って描くとそれなりに絵になるしで食いつきがいい。そうやって複数人と会うと心が平安になる。人々と会って一緒に時間を過ごすことは大切だと思う。
10水曜日
色々片付いたので本腰を入れて、難しい方の課題に取り組む。私一人では何もわからず、Grokに質問しながら進める。すみれの匂いの分子構造について調べて、電子の振る舞いについて見てみたいのだけれど、もちろん実際に見ることは不可能で、模式的なものを見たい。その場合の計算はとても大変なようで、科学ソフトウェアを教えてくれる。今回はススメに応じてAvogadroを使ってみることにした。インストールの仕方から細かい操作まで教えてくれる。最終的な電子の様態について計算するソフトのプラグインがうまくいかずに、簡易な構造図をみることができるところまで。
9火曜日
勝手にそれは私への誕生日プレゼントだろうなと思っていたものが通り過ぎていった(悠治さんのチケットが回ってくると思ってた)。なんというか他のタイミングも重なって上京することになったし、この件もある偶然からの知らせだったので、なんか期待してしまった。残念。
困り事や感情の整理をChatGPT相手にするようになって、でも実際日記とは別に何か問題を整理する壁打ち相手として有用だと思っている。つまり相手に正しく質問するために内容を具体的に説明すること。書き出すこと。この時点で問題が既にだいぶ解決する。これはカウンセリングの状態に似ている気がする。
昨日はArtSince1900の読書会。フルクサスのことよくわかってなかったから面白かった。何度か作品を見たことある塩見允枝子さんは元々音楽の人だったんだ。今も作曲されてることも知れて良かった。マチューナスの思想というか考え方勉強になった。
8月曜日
今日は労働と用事でばたばたと行ったり来たりをし、悲報の続報を前向きに聞けてほっとしたり、はじめましての方と話したり、歩道に規制がかかっていて何だろうと思っていると、愛子様が長岡へ来たとかだったり、月曜版画部が女子会状態だったりで直接間接的にも人間模様が入り乱れて何かじわじわくる日だった。特に社会人の部活ではそれぞれ背景が異なる人が集まっているので、例えば工作機械の部品の発注で、米中それぞれの製品に関わりがあると法的にセンシティブなことがあって神経を使うなど、そんな局面でのトラブルを今日乗り越えてきた女子の話は普段本当に縁がないなと思う。そんな話題と、インクやシュガーアクアチントの話などが入り混じる場がなんとか維持できていて尊いと思う。
7日曜日
個展会場の楓画廊は、長岡新潟間の高速バスの「市役所前」の目の前にある。なので、在廊予定の時は長岡駅から又は長岡北という高速上のバス停からバスに乗って行く。今日はだいぶ前に息子用に買ってあった『Newtonライト2.0 周期表』という雑誌ニュートンからの派生のムック本を手に乗車して、道中目を通して過ごした。ヘリウムの原子核は宇宙誕生後3分頃にはできたのに、電子を捕捉してヘリウム原子が誕生するのは38万年後だと書いてあり、どうしてそんなに時間がかかったのだろうと疑問に思ってグロックに聞いたら、初期の宇宙は高温で電子が大量に勢いよく飛び回っていたから、原子核が電子を補足できる程度に宇宙が冷えるまでそのくらい時間がかかったからだと教えてくれた。痒い所に手が届くから便利でこわいと思いつつ、このくらいのことは普通にググっても見つけられそうではある(というか、これまでの知識で自分で気づいてもよかったのだけど)。高速バスに乗るのにスイカのチャージ残高がわからず、ネットですぐわかったら便利だなと思っていたらそのサービスがあった。とにかくこの頃は色々なことが便利になって、その便利さが少しこわい。基本、物事をショートカットする。時間をどんどん短くすることによって、余暇が増えるわけではないのを実感しはじめているからだいぶこわい。時間をゆっくりかけることを無駄と思わず、罪悪とも思わないように自分を落ち着ける術が必要だと思うし、それができそうな年齢(世代)のように思えるのは少しはマシなのか。もし今自分がもっと若かったらどんなだったろうとちょっと思う。そういえば大学卒業後に装丁のデザイン事務所でバイトしていて、個人事務所から毎月こんなにたくさん本が出て行くのか!という世間のペースの速さにストレスが溜まって胃炎になったのだった。私は自分の時間を乱さないことがとても大切なのずっと前からわかっていたのに、まだ失調をきたす。
6土曜日
個展初日。自分の制作を料理に喩えたら何か?って展示見に来てくれた制作者さんたちと話してるときに問われて、解題的に考えたわけではないけど感覚的には、玉葱の微塵切りか、キャベツの千切りか、胡瓜のスライスだなって答えがふと出てきたの、一晩経ってもしっくり来てる。
とてもゆっくり展示を見てくださる方が多くて、いつまでも見ていられると言ってもらえたの嬉しかった。時間かけて見てくださるなーって思ってた方が、後でsnsで繋がってる職人さんだということに気がついて、その方からもメッセージ頂けて恐縮だった。人がものを時間かけてみる様子や、私も気づかなかったことを見つけてくださって一緒に驚けるの楽しい。
5金曜日
今日は個展の搬入日で、大雨の予報だったから荷物の積み込みなど心配だったけれども、小降りで済んだ。壁にかける箱のシリーズを設営するのは3回目で、1回目の時に既に周到にその方法について準備してあったし、夫の手伝いもあって苦労しないで設営することができた。箱の作品、画像で見るよりも実物をあらためて空間に設置して眺めてみると、思っていたよりもいい作品だなと自画自賛する。けれども色もついてない肌色のシナ合板の組み合わせのレパートリーみたいに雑に眺めれば、実に退屈なものなのではないかと、急に不安に感じたりもする。まあ、どんなものでも興味のないものは輝いて映ることはない気もするし、実際、この箱の組み合わさりの部分写真のスナップをたくさん散りばめたリーフレットを作った時、それを見せた友人たちは、流石にシナ合板が過ぎるという感じのリアクションで苦笑していたなとか思い出した。その様子の自分との落差に、自分がやはり奇妙なことをやる奇妙な感覚に陥っているのだなという、良い感慨深さもあったわけだ。
4木曜日
一般向けのはずの物理の本を読みはじめたら、思っていたより難しくて、数式や「〇〇定数」といった専門用語がどんどん出てくる。とても面白い私の今の興味の中心のような内容の本のはずなのに、全然読み進められないのは知らない言葉が多いせいだと何度か目にして気がついて(普段はもう少しわからないながらも読み飛ばせる)、自分の今までの知識を頼りに少し調べながら進めると、以前からこの勉強をゆっくりだけれどしていたことで、その学問の状況をそれなりに理解してきていたんだなという手応えを感じられた。それはそのまま世界の見え方が変化してくることと等しくて、その世界について、どのように先人が記述し、取り出し、扱っているのかを知ることで、つまり、美術芸術が特化してやっていると(私が)思っていたことが、他でも行われていたという多分ある意味自明な構造にやっと触れた感じがするなど、コメダ珈琲で。明日は個展の搬入で、設営の補助寸法図を作ったり、ファイルに入れるものを作る作業をしようと思ったのに、メインのパソコンを開いたら、「写真」のアプリが元のデータとの繋がりを失ったっぽくて、修復と復元をはじめてしまい、ネットで調べるとまあ、元の写真データの破損とかではないらしいのだけれど、遅々としか進まない「修復と復元」画面に不安な気持ちを通り越して、清々しいお手上げ気分になって、少年院での仕事帰りに寄り道して本を読んでいた。
私が持っている知識によって、その「モノ」がそこに転がっている時にそこから読み取ることの可能な内容の多重さみたいなことは、他に人には当たり前だけれど生じない。これを誘導すると演出的になる。演出的なものを悪いことと感じてきたのだけれど、似たことのように感じられる演劇的なものは言葉は似ているようで全く異なる感じがする。また、演劇的な場面で用いられる「見立て」はやはり、「演出」とは関わりないように思う。このあたり、私がやりたいようにやる時(それは私が見てみたいものを見たいように出現させること)の何かもう一つベクトルか変数を認識しないといけない感じがする。まだ先の話。
3水曜日
高齢の手紙友達に、今月の某氏のピアノのコンサート、チケット2枚とってあるけどもし良かったら一緒に行く?って何ヶ月も前に言われて、また連絡すると伝えてあったのを、『点点』と個展DM送るときに、もしまだ良ければ一緒に行きたいと書いたのだけど、その返信の手紙の冒頭に「某さんのチケットどうだった?」と書いてあって、ヤギさん郵便状態。きっともうどなたかと行くこと決めてて、私には自分でチケット取れた?という意味の手紙だと思う。会話が噛み合ってないけどそんな感じする。でももしかして、ワンチャンあるかなと思い、もしチケット余ってるならと、上京の予定がある旨などのこちらの詳細を大きな文字で書いて(彼女は校閲業なのに、強度の弱視)、ちょっと猛烈でしつこいけどハガキを出すことに。うっかり家に残ってた110円のムーミンのシール切手を貼ってしまい、そーっと剥がす。84円だか85円だかも最早わからないけど、切手が手元にない。昼間の暑い時間帯で外に出たくない。思いっきり私のしつこさの出鼻を挫かれた。
2火曜日
今朝はせっかく準備したサイコロを降らずに、再び土手へ向かった。気持ちに翳りがある時は、フィジカルに訴えかけたくなる。ずっと家にいる私にとっては、外を歩くことはまともな全身運動。今朝も走っている人がいる。昨日と同じ感想を持ったのだけど、帰り、土手を降りて道路を歩いている時、道の反対側の歩道を多分80近いご老人が走っていた。くたびれたポロシャツに、モンペみたいなズボン、汚れた手拭いを首にかけて、つまり、スポーツに慣れたスタイルではなく、歩幅は20センチくらい。かろうじて走っている。歩くのも危ないのではないかと思うくらいの様子で。それを私が斜め後ろから歩いて見ている。だんだん近づいていく。彼がなぜ走っているのかわからない。けれど、彼にもきっと颯爽と走っていた頃があるのだ。私たちは自分が年老いてあのようになることが想像できない。それは完全に身体の感覚として、そのような状態の経験がなく、実状を想像できないからだ。けれども、若い頃、又は幼い頃に走っていた時の自分の感覚は覚えている。あのようには二度と走れない。そのおじいさんの丸まった背中の訥々と走る様子に、彼が中学生の頃、3歳児の頃の、走っていた面影が重なる。私は彼のことを知らないのだから重なりようもないのに、彼が必ず通ってきた道だから重なる。そんなことを思いながら先を進んでいたら、横の道からひょいと、中年だけれど弾むようなしなやかさで軽々と走ってくる男性が目の前を横切った。ソフトウェイトボールを1つ持って、左右の手にパスしながら。重力を味方につけて少し浮き上がったような感じで移動していく彼を見て少し呆気にとられながらも、私の体も数日前よりは少し軽くなったのかもしれないと感じた。
今日から夏休み明けで高校の構成の授業がはじまり、何から話していいかわからないままつい、この年老いたランナーの話をしてしまい、これ高校生にしてもな、って感じだった(未知の身体、共感と未知の感覚の両輪についてとしてまとめたけれど)。課題が雑誌コラージュで、作業をスタートさせてから気がついたのだけど、配布したのはTarzanでRUN特集だったそういえば。
今日は父の祥月命日だった。
1月曜日
朝早起きして土手を歩いても、3日くらい続けるとその特別感が失われて、はじめはポジティブな気持ちが加味されていたのに、その地点がゼロになって色褪せていく。これを何とかしたくて、これを毎朝のルーティーンにせず、でも朝何かを足すことを続けようと考え、でも早起きして何をするかを決めるのは荷が重く、サイコロに委ねることにした。1散歩に行く。2制作をする。3デザイン仕事をする。4経理作業をする。5洗濯か掃除をする。6作り置き料理をする。ルールはゆるくして、出た目の内容を嫌だなと思った時は、自分で別のものに決めることができる。それで、今朝は制作をするが出たのだけれど、作業の関係で信濃川土手へ歩きに行くことにした。
今朝もジャコウアゲハを見かけた。土手側面の草むらをスキャンするみたいに移動する。裾の方から少しずつ登って、土手に出て急上昇してまた裾の辺りに戻る。これを横方向に少しずつ移動して繰り返していた。ひらひらしてスマホで追いきれないけど、すぐ近くまで来てくれる。
土手を健康のために走っている中高年がいる。走るのが得意そうな人も苦手そうな人もいるけれど、皆足が重い。それとも長距離走るにはこういう走法が良いとかあるのだろうか?いやいや、若い時はまるで身体の物体としての能力以上に走れていた感じがする。私たちはひたすら重力を強く受けるような性質に時間変化していくような感じがする。