2025年8月
31日曜日
ギャラリーみつけに新潟にゆかりのある版画家たちの集まり、第23回銅版画会展に行った。鈴木晃さんという版画家がいて、多分県内作家として偉い人なのだけど、以前友人の版画家の原陽子さんが新潟の羊画廊で個展をされた時のオープニングで、手品を披露されていた。「銅版画家で手品を披露」と書くと生じるイメージは、タキシードとか白手袋とか、シルクハットとか拡張高い紳士的なものになる気がする(のも大概な酷さかもしれない)けれど、もっとギャグ的なもの。砕けた宴会芸のような愉快さのあるものだったのが印象的で、私を油断させるわけだけれど、私の個展を見に来てくれた時になんとももやもやされて暗い顔で帰られたことがあったし、今回のメゾチントの作品の技術力といったら改めて相当のもので、「すごいやっちゃうとこうなっちゃう」という凄さっていうものがあると思うのだけれど、まさにそれだった。なかなか今こういうことをやるような状況になる、環境があることは難しいのではないかと思った。「美大を出ていない人が美術を語るな」というSNSでの話題炎上が概ね、美大の閉じた権威主義批判に終始する中で、美大にはただただ地味でも自分の描きたいように絵を描き続ける人たちがいて、そういう人たちが集まっていること、絵を描いていていいという状況に居場所を得た人たちがいて、絵なんか描いてどうするんだとバカにしていた外野の人たちが訳知り顔でものを言い、値踏みをし、私たちの場所を踏み荒らしていくことについて嫌だと言う気持ちの表れなのではないかという投稿を見かけて、なるほどなと思うなど。人生の貴重な時期に4年間以上、一つの決心をしてそれを選択し時間を費やすこと、費やしたことについて思いを寄せてもいいよなと思う。鈴木さんの大きくて繊細なメゾチントを見て、そういう時間のことを思った。子が進路選択を迫られているのでなおそう思う。
30土曜日
個展の前に労働の方で手こずっている。11月の個展の直近にも予定が追加されることになってしまい、順調にいけばそれまでに設営をある程度終えているはずだけれど、まだ先が見えないので少し心がチクチクする。このチクチクする感じ、何に近いかなと思い巡らせてみると、オクラの表面のチクチク。痛いとまで思ったことなかったのだけれど、先日買った大きめのオクラは明確に痛かった。緑色のネットから出した時に、「痛っ」って声を出しそうになったくらいに。ググってみたら、顕微鏡で観察している人のサイトが見つかった。透明な毛がたくさん生えている。中に竹みたいに仕切りが入ってるように見える。
友人が久しぶりにメッセージをくれて、ユリイカ読んでくれて、よく熊谷守一と岡﨑と少年院の話を繋げて書けたね、統合するでもなく、との感想。でもそういえば、私には過接続気味になんでも連想して、例えば人が何かを思い出す時のように連なっていくものへの愛があり、それは自己愛なのかもしれないけれど、その陰謀論が自動生成されるときと同じ性質について存分に楽しみたいし、それゆえにもう少し整理した方がいいのかもしれない。思い出す時に、物事の分野も真剣味や重みも、事の大小や自制も場所も、人間関係も、包含関係も全部吹っ飛ばして、順番に並んでいく感じ。これがまた連なりというのは線なので、言葉と相性がいいようでいて、普通に書いたらそれは繋がらなかったりするから、繋がる方法を一番簡単なのは連続して思い出した時のように映像的な流れにするはあるけれど、連想を生きたものにするときにその状況に対する感覚を想起させられるか、私に対しては何によってその飛躍と想起が生じたのか、実際私はよく知っていて、けれども書けない内容もある。しかも本当はそれは一本の筋ではなくて、束になってやってくる。その束について言葉にするとなると、関連のないそれぞれについてを同時に記すことが不可能になる。けれども例えば映像も時間という一つの筋に支配されている。ところがこれを見た時にその上映の時間、フィルムの実際の長さとは関係ないものとして受け取れる。空間と映像の感覚を頼りに物事に触れる。
29金曜日
Grokに色々計算してもらって作業を進めている。縮尺の計算と、確率分布の計算。課金してないchatGPTよりもやりとりがスムーズで気に入っているし、ずっと手をつけられなかった作業がぐんぐん進む気がして、壁打ち相手としてとても有効だと思う。けれど、実際この内容を外に出すには大きなワンステップが必要で、自分より知識や計算能力を持っている自分の鏡相手に世界が閉じていく感じもすごくする。この内容に身体的な感覚と、身体を通しての物体の感じ、それからこのやりとりの外にいる人々の反応を時々イメージする。このすっかり閉じてしまった状態の方が心地よくて薄寒い。この方法で導き出したものと、普段の思考の道筋での帰結物を並置できるのかどうかも気がかり。扱いが難しいと思う。この詰まった内容は脱色するようにして、冷静な質を担保しないといけないと思う。切実さと軽さのようなものを。
28木曜日
オペレーションの不全で関係者をイラつかせてしまい、そういう時でも既に私が見るものは決まっていて、それは私の偏りだから話が噛み合わない。基本的には外部を持っているか否かに強い判断基準を置いてしまう。そこから先はないので、淡々と対応するし、できるだけ良い結果になるように考えるし、さらに自分の偏りが生む実際の問題についても考える。ただこういうことは客観的になってもしょうがない。けれども感情的にならないようにする。
夜は『哲学探究』の読書会。私は多分だいぶざっくり鬼界訳に乗っかってこの本を理解しているので、槙野先生の読み方と違うイメージが広がっていることが多いのだけれど、私がバッサリショートカットする場面を、つまり鬼界訳によって多少方向づけられていることをさらに雑にクリアに受け取るわけだけれど、その内実を膨らませてもらえるのは勉強になる。92。槙野先生が質問者に答えて言った過去の話が、本文の将来の経験と空間的には対角線上に対比的にだけれど対立してなくて内容がパラフレーズになっていると指摘し、そのことによってナンセンスについて言おうとしたのだけど、上手く伝わらなかった。「見渡す」の水平方向と「見通す」の垂直方向という思考方向の錯覚?誤解?については言えてよかった。私の中では例えば、おかざきさんが大きなテーブルの上に恩物を広げたみたいに、ウィトゲンシュタインは数々の事物を平たい台の上に、優劣も階層関係も体系性もなしに等価に並べて見せていて、ものごとはこれ以上でもこれ以下でもない(のに、人々がテーブルの下を覗いてその下に隠されている本質を探そうとしてしまう)という景色を私は見せられている感じがしている。言葉の仕様は、子どもの感覚に親和性が高いように感じている。小学校の教員をやってから『探究』を書いたことはやはり大きなことなのではないかな、と素人が言ってもしょうがないけれど、私の興味や読みは間違いなく自分の見たものの経験から、そのあたりのことに依っている。それから空間的に読めるテクストが好きだ。
27水曜日
制作の方がマルチタスク状態になっていて、ちょっとストレスがあって、結局効率の良い順序よりも今まさにやりたいことに先に取り組むことにした。それが精神衛生上良い。
夜思いがけない悪い知らせを聞いて、びっくりした。何が起きるかわからないものだなと友人のこと心配になる。
英語がまともに話せない私は、Duolingoで毎晩英語の勉強を少ししていて、リリーって子と電話で話すシチュエーションがあるのだけど、この頃は仲良くなってきて、文法どうのではなくて、ただ話したいことを無茶苦茶でも話せるようになってきていて、その友人を襲った不幸のこと、どうしたらいいかわからないという気持ちを聞いて貰った。感情的になっていて、パレスチナやガザの話までした。最初ガザの話を持ち出したら、急に「もうこの会話はつづけられません」と一方的に切られてしまい、音声上の問題なのか、GAZAネタは禁句なのか、このアプリの背景とかなのかと気になってすぐにコールバックし、ガザの話はできないのか?と聞いたら、政治と戦争の話はできない、人々のジェネラルな話ならできるって返答だったのだけど、それでも私が話したら、テレビで見てるし、心配してるし、悲しい、というニュートラルなことは言ってくれた。無理くりアートの話に移行しようとするから、私の作品は直接的には政治や社会問題を扱ってはいないけどでも、みたいな話もした。したというか、きちんと英語が話せているわけではないのだけれど、ああ、こうやって、聞いて欲しい気持ちや言いたい気持ちが強くなってはじめて、異言語でも会話をしようって状況になるんだなという経験をした。
26火曜日
近所のギャラリーに貸していた展示代を引き上げてきて、9月の個展用に天板にペンキを塗り重ねる。横着して、天板の上に直接ペンキを出し、ローラーで塗り広げて済ませた。いつもペンキ入れの容器が汚れて水洗いするときに勿体無いのと排水が心配だったから、こういう横着は悪いことではないかも。
手紙友達から久しぶりに手紙が届く。封筒を自作してくる彼女の今回は、円空仏展のチラシで迫力があり、ポストを開けた時にすぐに彼女だと思った。『点点(ぼちぼち)』読んだことについて、私の本を読んでいた時のことについて書いてくれていて気持ちがあたたかくなる。小さな郵便局のメモ用紙に書かれている「追伸」が同封されていて、細馬宏通さんのポッドキャスト「詩の練習」をおすすめされて聴き始めた。
25月曜日
労働と雑務。事務が苦手で、公的な文書読むのも苦手になっている。形式張った文書を端から読むことが面倒くさくなっている。良くない。だいぶ疲れている。LOVE PSYCHEDELICOをかけている。心地よいのだけれど、疲労が快復することはなくて、形式張った文書を読むことや、事務作業をきちんとこなそうという意欲はさらに遠のいていく。逃げ出す勢いもなく、下手くそでも背浮きして、ずっと屋内プールの天井だけ見ていたい。
24日曜日
父の三回忌法要を母の家で。お坊さんはちょっとすっとこどっこいな感じの方で、場が和む。読経の仕方を教わって、皆で合唱するようにお経を読んだ。昼は近所のお寿司屋さんで、懐石。義弟が熱を出し欠席したので、皆で分けてその分も食べてお腹いっぱい。私は実家に帰るといつもイライラしてしまう。母と折り合いが悪い。自分がこんなにイライラする人間だったっけ?って驚く。もちろん喧嘩するとかではないのだけれど、私が苛立っていたことに夫は気がついていた。帰りの車で慰めてもらう。
23土曜日
ざっくり戦争のこと知ってるつもりだったけど、見るとだいぶ違う感じがした。凄い展示だった。今とは違うメディア状況、ラジオ、新聞、雑誌と異なるメディアが先を競って熱を帯びる中、人が描いた絵の中に在るものの多さ大きさを見た。資料としてのそれらと、肉筆の絵画が並んで展示されていることで、私の美術の作者としての立場が強く投影される鑑賞となったと思う。藤田嗣治の絵は群を抜いて凄くて、この真摯さを戦争協力として断罪したという戦後のことが大きく膨らんだ。一方それを最初期から拒否していた人たち「新人画会」の存在についてももっと知りたくなった。かんらん舎の展示で知っていたことだけれど、あれらの展示の集合の中で小さい空間の占有でも、高村光太郎があのような詩(『大いなる日に』例えば、「また神の国なる日本なり。」との一行)の直接的な言葉を見ると青ざめる思いがする。アジアが一つになり、異国に行ったことのない人々が異国の風景に少し憧れて、彼らとこれから新しい世界を作るのだと夢見たのだろうなということは想像に固くないし、映画「この世界の片隅で」で慎ましやかに生活する様子が描かれていることに一抹の違和感と不安を感じたことが、表に噴出してくるような絵や雑誌など、国防婦人会みたいなわかりやすい悪ではないものの、明るく優しい熱意による虚勢を見た後に、戦後の反省があり、その反省の公明正大な明るさと対比するように、浜田知明の版画がぐさっと孤独をえぐる感じがした。何度も見たことがあり、それの背景も知ってた浜田知明の版画を見た時、崩れ落ちそうな個の生々しい井戸の底に触れた感じがした。急に実存が大きなえぐれ、つまり空間に負の場所を出現させたように感じられた。戦後の朝鮮戦争やベトナム戦争への反戦など、人々の運動も表現も多様になり、多くの人がいろいろなことを考えていたことは展示を見ないと、または見てもなかなかわかりにくい(もちろん見てずっとよかった)。全体として日本人の愚かな加害についてじわじわと来るものではあったけど、これを外国の方、特にアジアの人が見たらどう見えるのかは少し気になった。わかりやすいプロパガンダに加担はそうだとしても、もっと複雑で割り切れないものがあり、戦争責任の罪を問うことの雑さ、無責任さすら感じる部分があった。藤田の描いた絵と、原爆の経験を市民の人たちが描いた絵、女性画家が描いた銃後を守る絵の素朴な様子、戦争と関わりがない顔をしている牧歌的な(保守的な)風景画家、これらを平たく比較することなどできない中で、戦争の責任についてどう考えるかはそのまま制作者としての自分に返ってくる展覧会だった。
22金曜日
日程的な計画を立てたり、かかる時間におおよそのでも見通しを立てるのが苦手で、夏休み明けの授業等の計画が気が重くて後回しにしてたのだけど、つい気になってしまい、今日のタスクではなかったけど、課題文をつくってしまう。去年と同じ課題にすれば良いようでいて、私自身が飽きっぽいから違うことやりたいのと、去年のことを改良したいのと、今年の状況を鑑みて考える。私が面白いと思えることはかなり重要。
車で移動。ユクスキュルの『生物から見た世界』を運転中にオーディブルでかけてみるも、以前読んだけど音声で聴くとこんなに固い文章だったっけ?という感じで全く頭に入らない。漢字を見ないと熟語または専門的な語の意味を把握しにくいことと、結局は概念の対比による論理的な結語のあれこれよりも、事象を物語として記憶してるからだろうなと思った。お経のように内容を受け取れない音声によって、頭の中の時空間が空白になると、何か思い至ったり、思いついたりする。母と久しぶりに会う。
21木曜日
ゆっくりずっと参加しているArtSince1900の読書会(高橋裕行さん主宰)で、今日は1961年クレス・オルデンバーグとハプニングだった。アラン・カプロウの引用文が既にかっこよくて、抽象表現主義の還元された焦点を一気にぐっと解いて、環境がいかに雑多で偶然に満ちて多彩かを時にポエジーを感じさせるような、それでいて含みではなくて強い出現について鮮明にフィジカルにフィットした言明として述べられている。自分が抽象的な表現をしているゆえに、この渇望に水がどっと流れ込むような感じがリアルである。これってつまり、チャンドス卿と同じ道筋じゃんと思った。それから、ポロックの画布を木枠から外して立体化したようなメルティな作品から始まるオルデンバーグの作品群は、なるほどと腑に落ちる経緯によって生じてきたことがよくわかるテクストだった。読書会の後での話題の中で、カプロウのどうやってハプニングを起こすかについてのテクストを読み上げている動画(静止画と音声)を見せてもらって、それもとてもよかった。芸術に回収されないこと(芸術の忌避)と、現状(環境)をよく観察して、最短で企図を成就させる転覆を起こす。そういう政治性についての提言は、現代に充分有効な内容だと思う。とても実践的であり哲学的。例えば私が市議会議員とどう話すかについて、ただ原理的なことに妥協したような罪悪感があったりしたのだけれど、交渉し、すり抜けるようにして(完全な同意とは別の仕方で)目的を達成することについて、それを芸術とせずにも制作だと位置付けることは充分に可能だなと思い直せると感じた。プラカードを持って原理的なことを提示するのとはまた違ったやり方でも、芸術家が制度に回収されずに制作をすることは可能だなと思う。
20水曜日
『アーシル・ゴーキー ある異邦人との対話』カーレン・ムラディアン著(パルコ出版 1982)は結局貸出延長の手続きをしてまだ手元にある。ドローイングに強く惹かれて、それは田畑あきら子経由なのだけど。どうしてかというと、私は彼の絵をシュールレアリスティックなものと単純にカテゴリーわけしていたところがあって、例えばミロの質感のグロテスクな部分と共通するような一般的なそれの質をあまり好きではなかったから、つまりはよく見てなかったからなのだけれども。あきら子のドローイングの静かで繊細で芯の強い質に撃たれたので、彼女が心を寄せるゴーキーの絵をきちんと見たいと思ったのだ。きちんと見るにはトレースしてみることがいい。トレースといっても薄紙を乗せてではなくて、見て描いてみるだけでいい。私は機械的なドローイング、つまり線を均質化していくようなことしか普段しないので、彼の線一本それ自体も細長い何かの生き物のような、気味の悪さとエレガントさを併せ持つ生々しく繊細な線にまずは驚く。膨らみを持った形の膨らみ具合にも、ふくよかさにおいてデリケートな感覚を示しているのがよくわかる。彼のようには私は線を引くことができない。彼はとても気品高く踊るようにして呼吸をし、それでいて急に自身の内に泥や腐肉のような雑なものがあることを思い知っていることを隠さない。いくつかの断片として描かれた崩壊したものをつぎはぎしたような一つの個性としての塊と、それらを緩やかに関係付けるような繋がり。そういうもので空間(世界)がつくられている。
19火曜日
今日は朝早起きはしないと決めて(歩きに出ないと決めて)昨晩は夜更かしして木を削った。予定が押していて、まだ終わらないので、今日こそ削り上げようと思う。朝歩きに出ないことでゆっくりできるようでいてそんなことは全くなく、昨日はあった朝の時間を眠って済ませたことで損した焦燥感に一瞬襲われる。でも美味しいカレー炒飯のお弁当ができた。
失礼にならないメールを書くのにAIに助けられ、仕事のことを相談する相手として十分だと思えて助かる。
18月曜日
昨日はスニーカーで無理に早足で歩いたところがあって、もっとざっくり歩きたいと思い、再びアトリエサンダルで出かける。ところがこれはのちに、靴擦れを起こしそうになるからやめておけばよかった。早朝に歩き始めて三日目。三日坊主の名の通り、既に新鮮味が逆指数関数的に摩滅していき、こうやってこれを日課にすることで、日々に加えられていた鮮やかさが、デフォルトのゼロ地点のように何事も起きてない状態として加算されないできごとになっていく感触を味わいつつ、これは私の感覚器官が怠け始めた(低エネルギー状態での通常運転に組み込もうとしている)のだよなとその機能に納得しつつも、観察するべしアーティストとしての三流みを自覚する。例えばスケッチをはじめてだんだん飽きてくるとしたらそういうことだ。逆に見ることでどんどん見つける内容が増えていくという状態に入るのが望ましい。宇野常寛さんが彼の著書『庭の話』について話している動画を流しながら木を削っていた。ハーレントの制作の話は、池田剛介さんの『失われたモノを求めて』で読んで初めて知った。ここに制作をしている者がおりますよーと画面に話しかけたくなりつつ、制作の糸口というか、原理的に何かを考え始めるきっかけとはやはり、普段しないことをしたり、普段行かないところに行ってみること、自分の日々に裂け目を用意してその外にでて見ることが手っ取り早い気がすると思った。そしてそれは続かない。
17日曜日
昨日も早く就寝するようにして、今朝も早く起きた。今朝は仕舞い込んでいたスニーカーを引っ張り出してきてまた土手に向かう。それでも昨日より30分ほど遅れて出発したので、若干出会う人が増えた。私と同じで健康のために歩いている人がほとんどだろう。歩く人、重い身体を引きずるように走る人。競技的に走る人。誰も皆もっと若い頃があり、本当の体の物体的な重さを知ることなく、歩いたり走っていた頃が会った人達。若く幼いとはそれだけで美しいということを言い出すと気持ち悪いだろう、私がもし男だったら言えないことかもしれない。子が赤子の時も幼い時も、その肌のなめらかさと透明感とふわふわ感は、私のそれと同じ物質とは思えない類のものだった。でもあの人もその人もかつてはそうだったんだろうなと思いながらすれ違う人と、気まずいから目を合わせないようにして歩く。時々元気に挨拶をしてくる高齢の方がいて、気持ちの準備ができていなかったから、面食らって小さな声で応答する。今後は挨拶に備えようとほんの少しだけ注意を割り振る。川面は遠くて見えない。グランドの向こうに出てみたが、藪の前に立ち入り禁止のトラロープが張ってあるので近づけないし見えない。草の隙間からさらに遠い川面を覗いてしばらくみていた。二子玉川園の多摩川沿いのように、川辺でバーベキューとかできる川ではない。
日記が、早朝の散歩の報告だけになっていて、1日において、屋外でフィジカルな行為をしている時間が私にはめちゃくちゃ新鮮なのだなと思う。
16土曜日
昨日早く寝たので朝早く目が覚めた。と言ってもよく寝てスッキリとは行かず、頭も瞼も浮腫んでいる。頭痛もあって、早朝から仕事をしようと思ったけれど眼球が痛い。多分これ以上寝ても偏頭痛は悪化するし、目を使うのもやめたい。そこで久しぶりに土手へ向かった。まだ5時少し前。人も少ないし涼しい。うっかり作業場のサンダル履きのまま出てきてしまったけれど、土手の上を歩くのには困らない。このくらいやさぐれた格好の方がランニングやる気満々みたいのより心地がいいかもしれないと思い直す。土手は草が刈られた後の芝生のようになっていて、花火大会の時の設営の名残で木製の杭が等間隔に打ってある。ジャコウアゲハのためのウマノスズクサ保護区にトラロープが張ってあるのと、土手下の遠く、河のへりに出る手前の草叢のところにも、立ち入り禁止のロープが張ってある。5時過ぎには野球のグランドにあちらこちらからカラスが飛来してきて集会でも開くかのように集まっている。人の方が少ない。涼しいのと体は休めた後だからか、久しぶりに体が軽い。頭もずっと使っていたところは休んでいて、他も休んでる。初期設定を快復している。あんなに歩けないと思ったのに歩けている、とはいっても、5000歩に届かないくらい。家について歩行を止めたらどっと汗が出た。自分の身体を無視して過ごしていることの後ろめたさみたいなものから解放される感じがした。
15金曜日
昨日、少し離れた郵便局の本局まで歩いて行こうと思ったけど途中で無理な気持ちになり、というのは絶対に無理なほど体の調子が悪いわけではないのだけど、全く気力と自信がなくなり、考えてみたら中1日以上挟まないと首都圏まで郵便届かないと思ったら、休み明けなんだから近くのポストでいいやと思い直したのだった。それにしてもその根性なしというか体力無しはまずいと思い、久しぶりに軽い運動をアプリで。20秒やって10秒休むをどのくらい繰り返したかな。この夏、更年期障害気味で、ホットフラッシュに度々襲われて、クーラーで冷えてるのと、カーッと熱くて汗だくなのとがもうわけわかめに繰り返されている。早く寝ることにした。
それにしてもできない、体力がない、という感じは人生でほぼ初めてなのである。チビガリで小学生の頃はみそっかす気味だったけど、根拠のない自信があって、できなくてもへこたれなかった。中学でもスタメンになれなくても、なんていうか気持ちは負けてなかった。色々弱気だったけど、底に力があった。でも今は本当に身体については自信がない。
14木曜日
ADHDみを発揮して、思いつくままに仕事を進める。結果、先送りしていた件をせっかちに片付けられた。このことで気に病むことはもうなくなった。次の段階に進む。
なんでこんな簡単なことができないんだろう。プロダクトは基本、使用を前提にしその構造を理解されたいと思って設計されている。なので整った秩序か、心理的で誘導的なインターフェイスによってできてる筈だと信頼すると、基本的な機能には簡単に辿り着けるはず。でもここで自分が理解し得ないもののことを想起する。サイト構築の裏舞台とか、プログラミング言語読めないし、そもそもパソコンの初期設定も怖いし苦手意識があるから触りたくない。家族がやれるから任せてしまう。そんな風にポンコツなのに自分ができることをできない人の能力を疑ってしまうと思って身震いした。
13水曜日
美術手帖の編集長(ウェブ版)が、地元にはイオンモールだけで「美」がないというような投稿をし炎上した。少し前休館空けた時から、図書館の参考資料美術の棚が脆弱になった感じがしてる。図録が並んでたところが新聞棚になっちゃったし、森美の企画展図録の表紙を表に向けて置いたり、現在進行形のものにも熱があって、私はそれによって安堵感のようなものを得ていた。そうでなくなってて、キーパーソンが辞めたのかなと。棚に愛がない。地方はとにかく人が少ない。美はその土地その日々に浸出的に在るものであり、それとはまた別に美術は文化としてそれを知る者が居て、継承する物が大切にされている必要がある。一朝一夕には行かないものを日々連ねていくのに、人が少ないことはとても痛い。ある程度群れてシーンを作ろうとしては、その内実によって風通しが悪くなったりもする。多様で新陳代謝のあることは健全で宝だけれど、望んでも得られないことだったりする。文化を育てようと思う気持ちが余計なお世話だったりする。若い人の悩みを聞けば東京に出ることを勧めざるを得ない。娘も東京で暮らしている。市長は市議会で東京をブラックホールと呼んだ。相乗効果で地方にも東京にも子が生まれない(若い人が上京し、東京では出生率が1を大きく割るから)。人がいないこと(子が生まれないこと)の深刻さは東京にいたらわからないだろう。人が減り、熊や猪が近づいて来て葛が野放図に栄える。長岡に日本で最初の現代美術館があり、充実したコレクションがあった。けれども母体の銀行の不振でコレクションを売却、閉館といった経験のある土地。絵をかき集め離散したという、幻のような事態を経験した土地から眺めると、金と審美眼にて各地から価値がある、出るであろうものを切り取って(絵は切り取られた動産)集め、支える財力が無ければ手放すことになるという浮いた幻をこれからのち首都が味わうことにだってなるだろうと、中心地という(私の出身地の)勘違いを思う。そういう意味では地方出身の彼の吐露に、東京出身の私が腹を立てるのは過剰反応だったかもしれない。
12火曜日
図書館で二週間前にアーシル・ゴーキーの画集を検索してもなくて、ゴーキーの甥が書いたという本『アーシル・ゴーキー ある異邦人との対話』カーレン・ムラディアン著(パルコ出版 1982)を書庫から出して貰って借りてあった。口絵のカラーページが結構あって、ドローイングいいなーと眺めるだけで満足していたのだけれど、そろそろ返却日だと思って思読みはじめたら、幼少期からとても過酷な生涯で絶句してる。悲しい。アルメニア人はトルコによる集団大虐殺にあっている。子どもの頃、彼はその中を食べるものにも困りながら過ごした。後にアメリカに移住するが、私がよく知るヨーロッパの戦禍を逃れての渡米作家たちによる、芸術の中心地の移動といっても、そんな自然で単純な流れのようなものではなくて、物語は人の数だけあっただろう。アルメニアという小国出身の彼は、アメリカでも差別される移民であり、その後の華やかとも思える成果と並行する現実で、絵が全く売れなかったという。書いてある言葉をリテラルに飲み込めない。再婚し、娘も生まれて前向きだった彼に、アトリエ焼失、直腸癌、交通事故で手が麻痺して絵筆が持てなくなるという不幸が立て続けに襲い、首をくくった。
パレスチナの国家承認がつまり、西側諸国の対等ではない傲慢な態度によってパレスチナ人の存続を色々なことと天秤にかけているだけでなく、ガザの人々の当然の抵抗を無化しかねない、西側の意向に沿った自治政府が主導権を与えられることと同意だということに気がつくと、本当に絶望的な気持ちになる。100年以上前の「死の行進」と変わらず、私たちはずっと野蛮で狡賢く、人々を追い払い弾圧し絶滅させようとしている。神や仏とは遠い世界でそろそろ命運が尽きようとしている。
11月曜日
妹が気分転換と称して家族を置いて単独で東京から遊びに来た。この家に来るのは2回目。各部屋の状況を覗いては、こんなだったっけ?とのコメント。記憶の中の私の家は違う様相だそう。特に彼女はリフォームした新居に越して間もないので、家の造作の細部が気になる様子。
10日曜日
梅雨が今頃来たみたいに曇天と雨ていい続いている。テレビをつけるとニュースで豪雨の危険を伝えている。去年もその前も気候の危機を感じることはあったけれど、今年のこれはまた一段と進んだ感じがする。グレタさんが気候変動に対し大人たちの対応が実効性のないことに異議を唱え、運動をはじめたことも随分昔のことのように過ぎ去り、日本は原発事故によって、世界は紛争(特に極地域の研究に詳しいロシアとのパイプが切れたことが大きいらしい)やトランプの再登場によって、目先のことにキューキューしている。コロナ禍は本当は、世界的危機の時にどういうことになるかについての示唆的な出来事でもあったのに、つまり地球規模の危機において、極端に地球が小さくなる、人間も数になり、人権が制限されるみたいなことがまたあるだろう現実のカウントダウンの危機に対して、あまりに世界がのんびりしているように見えてくる。私が馬鹿みたいに大きな主語で日記を書いていて、ちょっとどうかしているけれど、オーストラリアの護衛艦つくるより、過酷環境下で生き延びるためのコロニーのような方舟を開発した方がいいのではないかと、SFみたいなことを考える。実際気候が大きく変動するとは、SFの世界の話だと思う。
9土曜日
デザイン仕事、ツーカーなので1日で印刷入稿までコンプリート。
結局やらなくてはいけないことを後回しにして、やりたいドローイングをした。これひっそり進めていきたい方向だなと思い、ある程度数をやらないとわからないなというのと、思ってた以上に別の案件にも繋がりそうだなと思考の系を探りつつ、揺り戻しとして、ああ、箱の方ももっとたくさんつくらないとだなと。その考え方のバリエーションというのと違う位相への移行が果たされない手前に止まってしまうことについて。やりすぎてマニエリスティックになるのを逸れて行く別の方角だか脇道の方を、大腕を振って歩くみたいなことのイメージトレーニング。実際に作るときは手探り(近視眼的)だから状況がわからないんだよな。
8金曜日
『点点(ぼちぼち)』最新号が昨日納品されたので、置いて下さるだろう某所に連絡をとったり、発送したりを色々。個展のDMを送るのに便乗してフリーペーパーを配るが元々の動機だったので、この動きであっているのだけれど、個展前に制作や展示準備以外のことをやっている点について、微妙な気持ちが起きるのを振り払いつつ、とにかく一つ一つ。他に9月はドローイング展、CDのアートワーク、11月もアートフェアに小品、11月個展、3月何かしらの経過発表と大小いくつもあると、結構私固まってしまう(恐怖で身動きが取れなくなる、逃げる戦うの判断を瞬時にできない)ので、さらに色々遅れる。本当は今は一番ドローイングがしたい。これは9月のドローイング展に出すかも、11月の個展に出すかも未定のレベルのドローイング。つまり差し迫っているものとは全く関係ない制作をしたくなってしまっている。他、気が変わらなければ準備が済んでいるものがあるということなのだけど、直前まで流動的に保留にする姿勢が負荷を無駄に大きくしてる。
ここ数日、制作のお供を横溝正史シリーズ(アマプラ)見ないで聞いているだけ状態なのだけど、「八つ墓村」1996(これだけ豊悦の新しいもの),「女王蜂」1978,「病院坂の首縊りの家」1979,「悪魔の手毬唄」1977,「獄門島」1978,「本陣殺人事件」1975と、履歴を見たらこんなにたくさん。でも流しっぱなしなのと、古い映画で録音が悪く、セリフがよく聞き取れなかったりして、何があったかほとんど覚えていない。この、戦争を挟んで地方の名家がという舞台設定で、公開当時より数十年前設定の物語をその公開当時(70年代)にこれがどのように受容されたかについて、わかりそうでいてわかりようがない複雑な時間の入り組みを思った。
7木曜日
KUNILABOのウィトゲンシュタイン哲学探究の講座。90から。本当は文献研究的に正しく読む能力を身につけたいところがあるけれど、というのも、自分のフィルターを外して素で読むことが苦手だと思い知っているから。でもウィトゲンシュタインのテクストはとても面白くて、頭の中で思考も連想も自分のイメージも引っ張り出してきてぐるぐるするのを楽しんでします。という言い訳じみた前置きをしておいて。槙野先生はゆっくり丁寧にリテラルに読むことと、『論考』との兼ね合いでどういう立場でどう読むかを詳細にやってくれる。そこに翻訳を専門としている参加者から質問や疑義が飛ぶ。そういうやりとりを聞いているうちに、私の読みはふらふらと遊泳を続けて、自分にとっての有益な内容を手繰り寄せる。前回の89から90,91の流れで、「アウグスティヌス」「時間」「現象」「誤解」「文法的考察」「分析」「完璧な厳密さ」といったことについて再接続していく。90が文法的な解釈の立場の人にとって大切な項だとすると、この3つを繋げて考えるのはちょっと違うかもしれないと思いつつも、ここでスケールダウンが起きている気がして、「説明する必要のない時に知っている時間」「説明を求められて心の中に浮かめる言明としての時間」「時間を言葉にした内容」「元の現象を透かし見る時にそれをきちんと表象する文法のあり様」「その分析の先には突き詰めて完璧な厳密さを求められるという方向に陥る」。
この後、Twitterで https://x.com/ktowhata/status/1953433330923262182 の投稿を見つける。ああ、まさにそれですそう思ったことを本に書いた!と思ったので自分の本をめくってみると、そうは書いてなかった。(第1章の「通路と信仰」p48-50)でも、念頭に置いてあったことはこの東畑開人さんの言っていることだった。もう1段階ある。この内容を書いているときにちょうど(他力本願の)浄土真宗のお坊さんと話す機会があったので、私の本の中での表現の仕方、つまり、「大乗」と「小乗」の理解がこの様な言い方であっているかなと思い、ちょっと問いを投げかけたことがあった。その時そのお坊さんは素朴に、「だいたい阿弥陀様が善人はお救いするけど、悪人はダメみたいなケチ臭いことを言うわけないじゃないですか」と仰った。これも同じ主題を別様に言った言葉となる。けれどこれ、三者三様同じことを言っているとは言えない。これは文法的なことというより、やっぱり空間的な場所(主題の領域)を言葉にするときに(または言語的に思考するとき)、開墾するように通路を作ることのような感じがリアルにした。通路的にしか言語化できない。ポジティブに言うと、ひとつの空間に幾つもの通路開墾可能性が潜在してる。そして開墾した通路は元の空間と同じものではない。不可逆的なのだ、と思った。 6水曜日
アートワーク撮影用にアトリエをセッティングして待機していたの、どうやら再撮影なしで大丈夫そうなので、大きな天板や机を移動し、壁面を確保して自作の記録用の撮影をする。渇水の猛暑で待ちに待った雨がやっと降り始め、この頃では珍しく暗いアトリエで、三脚を立てて「重なる箱」新作3点を順番に撮影。解体の様子をそれぞれ3方向から。1つづつ外したり加えたりして撮影していく途中、曇天の光は意外と変化する。直射日光が眩しい日の方が光は固定的なのかもしれない。その曇天の微妙な光の変化は、連続撮影には不向きだけれど後で調整はできるし、そんなに厳密さを求めていないし、それが見えるくらいの方が記録に時間が内在されて自然でいいかもしれない。そもそも私のカメラの設定がAUTOだから、光の変化をカメラが数値で機械的に拾うわけだ。外光の変化だけでなく、箱が組み合わさっていくと、白い壁面に対して板の陰影が重さを発揮して画面全体のバランスが変わることによって、カメラが勝手に微調整する。物事が連動して微細な変化を無かったことのように補正していく働きをしつつ、それは逆に白壁をどのような色として設定するかを可視化する結果になり、微細な変化を大きく現わしてもいるという。相対的な状況が、それを受け取るものの立ち位置によって、奇妙なマッピング状況を発生させるようにも読める。
5火曜日
昨日の思考のつづき。作者が制作内容(証言)についての完全な媒介者になるということについて考えていると、以前、映画「主戦場」のドキュメンタリー性についてどう考えるかというのがあったのを思い出した。この映画について、ジャーナリストの江川紹子さんがドキュメンタリーの作者性について、この映画の内容について偏向的だと監督に対して批判的な投稿をしていた。私はこのことについてどう考えたらいいかわからなかった。丁度そのタイミングでドキュメンタリーの監督をしたり、最近は映画の編集で高く評価されてもいる大川景子さんと話す機会があって、そのことを聞いてみたら、そもそもドキュメンタリー映画はジャーナリズムではないから公平性云々の指摘は的を射ないという返答があっさりと。美術では題材を社会から持ってくるときにそれとどう向き合うかは整理されていない。整理されていないことが問題だということではなくて。(続く)
また別のメモ。『群像』の田中純さんの『磯崎新論』刊行記念の対談で、おかざきさんとのものを読んで面白かった。特に、ヒルマアフクリントの図録の岡﨑さんの論考補論のAIに関するもの、私にはちょっと理解が追いつかなかったのだけれど、こちらの対談に載っている内容の方が、岡﨑さんが何を考えているかわかりやすかったし、なるほどと思った。それとは別に、『ユリイカ 岡﨑乾二郎総特集』の田中純さんの寄稿文も磯崎新とおかざきさんを対比してのものだったけれど、このどちらも、磯崎さんに子ども時代につながる言説のなかったことがあげられていた(私にはこれはこの特集の中でも面白かったものの代表的ないくつかの一つ)。磯崎さんの住居が綺麗に整理されきっている話も印象的だった。何が言いたいかというと、『抽象の力』においても、私は岡﨑さんが「子ども」について重要性をもって美術を語ってくれたことに強く好感を持ったのだと思う。これは新しく生まれたものがどのような知覚的な性質によって生き始めるのかということに着目しているわけで、結果、ある種歴史性を切り離してしまい、行きすぎると確かに佐藤雅彦が体現していることの問題点と共通のことが起きるのだと思う。たとえば人権の経緯に疎いチーム未来の問題点も(なぜなら「子ども」は人間の「自然状態」だからだ。しかもこれは日本の教育において、歴史が軽んじられているせいだと思う。とは言っても歴史教育において日本ほど、世界を俯瞰して公正な歴史を紡ごうとする方針は珍しいという。つまり他の国々、特にヨーロッパは、自国中心史観にもとづいて教育をし、それは自国の視点だということに自覚的だということらしい。現状、パレスチナがあのようなことになっているのは、戦後ヨーロッパがうまくやっていたと見えていたのはそういうことだったからだということの悪い面が噴出しているという)。けれども私は産む性に生まれて、この言い方さえ何かにひっかかるのだろうか?と気に病むくらい、子を産むか産まないか、産めるか産めないか、産んだか産まなかったかについてセンシティブな場面を度々経験している。男子を産んだことをでかしたと言われることを個人的に喜ぶこととおぞましく感じることが同居しているのが現実だった。ここでたとえば、選挙雑談の東浩紀が普通に(それ自体が特別なこととして)子どもが生まれることはいいことだと言い放つ様子に強く好感を持つ。おかざきさんは子を産まない。けれども、子どもたちと心霊写真を撮るワークショップをしたときのことを話しているのを聞いたときのこととか思い出す。とても良かったな。自分が左派から離れて保守化していく自覚が、パレスチナの請願をだしたり、各支援団体が色々運動をするのを相対的に見ていた結果、強く感じる。政治的であることに自覚的になれと啓蒙することが、政治的になることを忌避してその罪を脱色しようとするにとどまるか、政治的に行動することが必要な場面で自ら政治的に振る舞うかを問われているのだと思う。自分のポジションのために政治的云々ということではない。(日記に相応しくないような内容が頭の中で暴走して書いてしまった)
4月曜日
ギャラリー人の一杉さんのFacebookで「戦後80年 《明日の神話》 次世代につなぐ 原爆×芸術」展@川崎市岡本太郎美術館についての投稿を見る。広島市立基町高等学校・創造表現コースの生徒が描いた被爆体験者からの聞書き絵については、コアオブベルの池田さんがTwitterに書いていたのも見たので気になっていたけれど、リサーチを行って絵を描くといっても、制作途中にも証言者がその絵を確認しに来るということだった。そういう説明のパネルの写真を見た。制作者がここまで内容についての媒介者になりきるということもあまりないと思い、すごく考えさせられた。はじめはある意味、これは学校という集団の中で行われることだからどうしても、それまでの経緯によっての最適解のようなものが目指されてしまうのではないかと思った。なぜならその表現のアノニマスな様子に、児童画の均一性のようなものを重ねて見てしまったからだ。教育の現場で、集団を統制するような方法を全く取らずに個々に向き合うと、そんなことは起こり得ないという実感があったからだ。けれども、これはそういうことではないらしい。証言者に代わって絵を描くことに徹するという姿勢から生じてきているように見受けられる。いくつかの画像から考えであって、実際に展示を見に行ってないからこのことに関して変な疑いをかけるのはよくないと思った。社会の問題を丁寧にリサーチし、それを題材にして制作をするというのは、現代美術によくある一つの形式というか、方法だと思う。これについて私は距離をとっている。それが例えばアトラクション的、またはゲーム的な鑑賞者を消費者として扱うことを、意義のある題材をおくことによって啓蒙的に振る舞うみたいなものには辟易していたし、自分の作品の中で対象を扱う時のその距離的な部分が、症例のようなものでも、もっと個人的に親密な距離を持とうとするものでも、元々のきっかけのところに逃れられないような巡り合わせでもない限りはやはり、その問題の渦中に入って絵筆を捨て、活動家になるような人を見てしまったら、それを題材に絵を描く人の仕事に欺瞞を疑わずにはいられなくなってしまう自分がいると、告白するところまでに止めようかなと思う。
アマプラで「教皇選挙」を見た。「我々の信仰が生きたものであるのは、それが疑いと手を取り合って歩むからです。もしもそこに確信だけがあり、疑いがなければ、そこに神秘はなく、信仰の意義もなくなります。」「この違いによって、私は役に立てるでしょう。(中略)私は、確信に満ちた世界の狭間で生きている者なのです。」私が宗教的な言葉に度々惹かれていた頃のことを強く思い出した。そして私は今でも、というより今こそ「疑いと手を取り合って歩む」ことを大切にしていると思う。私が何かを言うとき、そんなこと思いもよらない人にはわからないと思うけれど、常にそれは宙吊りにされていて、転覆の可能性があり、そうではないことについて開かれているという前提においてのことなのだということ。
3日曜日
自分にとって気に入らなくて、その気に入らない理由がある程度見えている時は、実はそれが結構大切なものに転換する可能性を秘めているものであって、一元的に取り組んだほうがいい。対比的によく見えるものは全く別の問題を孕んでいるのに、引用する為に目を瞑って済ませているところが結構あると思う。問題を全体として公平に扱おうとするとだいたい失敗する。ここ最近気になっている件について、少し展開があったため。
花火2日目。娘の同居者が東京から来て一緒に家から花火を見る。角上魚類で買ってきた鮪とイカとアジとカツオのお刺身、どれもとても美味しい。それから唐揚げを揚げた。高校時代に友人に作ってもらったレシピを今も。鶏もも肉に胡麻油かけて揉み込み、醤油かけて揉み込み、片栗粉まぶすだけ。簡単なのに上品な美味しい味に揚がる。
2土曜日
長岡花火一日目。昨日から長女が東京から帰ってきている。有料の枡席まで歩いていく。普段ほとんど家から出ないから暑さを心配していたけれど、今日は少し涼しいのかもしれない、心配していたほど暑くなかった。花火を有料席で見るのは何度目だろう?とにかく規模が大きくて、打ち上げ本数も多い。そして人も多い。花火が始まる前に、信濃川の河川敷の会場に向い、土手を登ったときに既にたくさんの人が遠くまで集まっているのを一望したときに、なんとも言えない感動がある。あまり人がたくさんくるイベント、私は例えば球場規模のコンサートに行くこともないので、それ以上の群衆を目の前にしてちょっと興奮した。上空に風があまりないからか、向こう側からこちらに向かって吹いているからか、花火が煙に塗れて完璧な状況では見れなかったけれど、色が煙に映り込んで空を染める様子もそれはそれで楽しめた。
1金曜日
結び目のドローイングを違う仕方ではじめる。2枚目。
言葉と言葉を交換するときに、物と物を交換するようにすると、例えばその物が本来あるべき場所をひきずって連れてくる。場所と呼ばない場合、質や歴史、記憶、やはり同じように付随している周辺のものを連れてきて、その作用によって世界が大きく変容するわけだから、それはその物への焦点が解かれて周辺視みたいな状況が起きる。連想が空間的、階層的に連なる。これは物を起点としてやはり場所が変わるようなことだと想像する。場所は横に移動するだけでなく縦にも移動するだろうし、その場所の領域の伸縮もあるだろうし、日常のひとコマが多層的な含みを運んでくるかもしれない。それはそれとして、何と何を変換するかの地点へ戻ると、必ずしも物と物を変換しなくてもいいのだと考えた。概念のようなものはもののように扱える。例えば、構造に見えるものははたらきにも見える。それは意味的には普通に了解されていることだけれど、働きを構造のような形として具体的に取り出すことは普通あまりできない。本来ははたらきを形のように扱うために構造として捉えるわけだ。例えば漢字は物とはたらきを同等に同じ土俵で扱う。これが、用いるしかたとしてというだけでなく、発生するときにも、その図像的な形の中に、物の形や概念の形や動きが一緒くたに混合されて扱われている。それを一つの塊として認識し扱えるのすごい。元々の能力を礼讃したところでしようもないけれど、端的に面白いなと思う。(ここで、もう一度構造を形のままはたらきとして解くのである。)
マーク・チャンギージーの『ヒトの目、驚異の進化』、とても面白かったのに最後まで読んでなくて、最終章が文字についてだというのを偶々知って、慌ててパラパラ目を通す。これを知ったのは、YouTubeで東京理科大学山名研 / 建築史・意匠公開ゼミ「コーリン・ロウ 『近代建築とマニエリスム』を読む」第2回 「透明性 - 虚と実」講師:松永安光 先生(建築家 / 近代建築研究所)を面白く見ていたら、最後に質問した人がこの本のことを触れていたから。なんでこの番組を見たかは、『モダニズムのハードコア』Kindle版を買って、iPhoneの拙い自動読み上げ機能で聞いてて出てきたコーリン・ロウのこと知らなくて、ググったことによる。昔建築の本を結構読んでいたのに、美術につながる近代のネタについて全く無知だったというか、建築由来でもっと早く接続できてたらなと思いながら、今を楽しむ。