2025年6月
30月曜日
日記を書く時間がブレてきて、イベントもあんまりないと、もはや日付が関係なくなってしまいそうで日記ではないものになってしまう。それでイベントレスネスな内容のことが書けるかというとそうでもない。この日に私が考えたことを、タイムラグがあってもきちんと思い出す必要があるように思う。流れ去って行くものをきちんとその地点において留めておきたい。そこには書いているまさに今の私ともズレがあることがある程度大切な気がしてくる。
『ユリイカ』の岡﨑乾二郎特集の田中純さんの書いた論考を読んだ。丁度『漢字と建築』を借りて読んでいるタイミングだったから尚のこと(冒頭の2人と浅田彰の鼎談で、2人の話はちょっとかみ合わない様子を読んだ)、磯崎新とおかざきさんの対比的な話は興味深い。磯崎の幼少期についてほとんど語られたことがないことに対して、おかざきさんの母親が洋裁をしていた型紙からの展開について、特におかざきさんの「よせ裂れ」に見られる「洋裁」についての指摘は頷かされるものだった。豊田市美での「視覚のカイソウ」展で見たそれに私が胸を熱くしたのは、その作品が良い悪いとは別に、彼が『抽象の力』で周縁の女性たちやこどもに視線を向けるとき、それが観測対象としてのそれではなくて、彼自身がその渦中に入って実際に「洋裁」をしたのだということを見れたから胸熱だったのだ。しかもそのおおらかさは、2007年12月号の『暮しの手帖』で小出由紀子さん(資生堂ギャラリー)が紹介していて印象深かった「アフリカンアメリカンキルト」のようで、これを、おんなこどもの入る余地のなかったであろう当時の美術の世界で展示して見せたのなら、とても愉快だなと思ったのだった。勿論彼が男性だからそれができたのかもしれないけれど、なんというか、敷居を高くした現代美術よりもうすこしぬけぬけとした感じで、別領域に開いている感じがするのは、今見るからなのだろうか? 例えば1990年には磯崎新は大きな個展をしている。彼の世界観にはおんなこどもや手芸の入る余地はないと思う。それを見てかっこいいと思っていた私は、女性であることを差し引いて美術に向き合っていたと思うし、そうでない女性作家たちは、もっと女性であることの問題を前面に押し出して闘っていたと思う。私は工作少女でもあり、手芸少女でもあった。お小遣いを握りしめて、椎名町のアーケードにあった手芸屋さんへよく通っていた。裁縫も祖母から教わった。そのことをいつしか背後に押しやっていた。
29日曜日
急な腹痛に襲われてお腹を壊す。こういうとき、お腹を「こわす」は本当に状況を言い得ている。こわれた感じで全部下から出てしまう。悪いものを食べたとかではないと思うんだよね。腰のせいだと思う。心配だ。時々あぐらをかいて座った後に立ち上がろうとするときに、股関節が外れそうな感じになる。実際に股関節が外れそうになっているのかはわからない、笑。股関節が外れる感じがどうなのか知らないから。開いた太ももの付け根の内側のところの接続が上手くいかずに、脚がついてこない感じがする。これが形容として正しい。開いた左足を無理に持ち上げようとすると危険な感じがするので、体の方を左側に倒すようにして覆い被さり、四つん這いになってから立ち上がる。年齢が上がってあちこちがたが来ると、自分の身体が他者化していく。
赤ちゃんが、自分の手を発見して夢中になってみている様子の動画が流れてきたことがある。1歳、2歳前位の子が、勢いよく走れるようになって、外を一所懸命に走って風を感じては立ち止まり、満足げな顔で振り向いて、また走り出す、みたいな動画も流れてくる。赤ちゃん動画をつい見てしまうからアルゴリズムでそうなのだと思うけれど、皆に流れてった方がいい。赤ちゃんが足りない。あの、走る感覚に充足している子どもが、次から次へと生まれてくる世界を良いものにするしかない。ちょっと違う。あんなにそれだけのことを楽しめるのをよく見た方がいい。
そういえば、おかざきさんの脳梗塞による一旦の身体との断絶がとても大きなテーマにとりあげられていて、それが彼が既に機械で描画マシーンをつくっていたことが予言的にはたらいて面白いわけだけれども。面白いなんて悠長な話ではないわけだけれど。うちは家人が娘が4歳の頃に脳梗塞になり、軽度ではあったけれど左手の痺れと、大きいのは視野の欠損が残った。今は車の運転も出来て普通に暮らしている。彼の場合は眼から後頭葉に情報を伝達するあたりで血栓により梗塞した。当時彼から聞く内容は、特に発症時の強い頭痛と共に訪れた症状は、見えているものと実際が異なっていたこと。電話で助けを呼ぶのに、家の電話のプッシュホンを押すのに、見えているところで正しい場所は直径2㎝くらいの穴状の視野のみだったらしい。なんとか、その正誤を見定めて電話して助けを呼べたから生きてる。入院中だいぶ視野は回復したけれど、主に左側、欠損しているところは脳がイメージで補うので、見舞いに行ってベッドに座った娘が、視野から外れたときにはゴム状に伸びて地下へ落ちて沈んでいったりするそう。少しサイケデリックな世界だったらしい。今は人より視野が狭い程度で、そのような溶けた描像は見えない。それは私たちに、見ること、見えることへの懐疑を強くもたらしたと思う。彼の梗塞にはリハビリのしようがなくて、症状が自然におさまり、回復していくことを待つしかなかった。
28土曜日
以前高校で簡単な構成課題を出した。紙に黒い紙で簡単なかたちを切って貼る。それを別の人が受け取って今度は好きな色紙でまた貼る。もう一回別の人が受け取って、今度はこれを自分の作品として仕上げるというもの(実際にはこの先に文を書かせている。①1番目の人(黒い紙を貼った人)はどんなことを考えてそれを貼ったかを想像して書いてみる。 ②2番目の人は? ③受け取ったあなたはそれをどのように感じ考え制作したか)。このとき特に何も言わなくてもだいたいの子は程よい量の色紙を足す。1番手2番手と同程度か少し多いくらい。でもここで明確な制限を与えてないので、予想外にたくさん貼る子がいた。このとき、確かウィトゲンシュタインの家族的類似の話の中で、たとえばテニスのルールに、ボールをどの高さまで上げてはいけないというものは明示されてないけど、バカみたいな高さまでボールを打ち上げるプレーヤーはいないというような記述があったのを思い出した。通常はあまり気になることはないのだけれど、「程度」って意外と曖昧な観念で、たとえば初めてつくるタイプの作品の時、程度についての判断の幅はとても大きい。厚さ太さ大きさ、これについて決まりがない。幾つかつくっていくうちにそれは洗練されていく。洗練される反面、定型化していってしまう。このしっくりくる(作者がこれでいいと判断する)感じは多分相当個人的なものだ。これを破ることには意識的になるしかない。破る必要があるかどうかについても。
何故このことを書いたか。今日とある出品依頼が来て、その展示がある数にまつわるものだったので、その数で程度を判断することについて考えていたから。
昨日書いた人間の居る環境についての話だけれど、以前上野千鶴子が東大の入学式の祝辞で話した内容のことなどを思い出すけれど、人を環境によって引き上げることが大切なのは勿論だけれど、上野が自分の能力だけによって今ここに居るわけではないと言う主旨で話したとして、その学問の突端とは違うところに居る人と接点のないまま、その人々を不在にして人類やこの世界のことを考えるのは問題だろうという自戒も。この世界の営みがそんなに一元的であるわけがない。
27金曜日
あまりに読まれないだろう公開日記だと思ったから、今朝Twitterにリンクを貼って投稿した。そしたらやはり書く内容について急に躊躇するようになってしまう。
思うことあって。私の高校時代は私より趣味のよい音楽を聴く友人も、ファッションセンスのいい友人も、読書家の友人もいた。例えば1000冊本を読んだとしても、たくさんの曲を聴いたとしても、それが全くハイカルチャーと縁遠い場合、それは別に問題ではないけれど、そうではない環境に触れられるか、身を置けるかは、若い頃なら大きなことだと思う。素養は十分にあるけど、環境要因はとても強固だなと思う。なかなか一足飛びにはいかない。でもせめて、中途半端なものをとても素晴らしいものとして受容させるのはできれば避けたいのにそこすらも難しい、と思って、今日のあることは台無しだよーと暫くもやもやしていた。世俗的なものを遠のけるとかではなくて、もっと違うものがあることを示していくしかない。たとえ交わらなくても。そう思うと、図書館がきちんとしているはとても重要だと思う。昨日行った書店はびっくりするくらい雑誌のコーナーが広く、棚が幾つもあるのに、文芸誌が文藝春秋と群像だけだったのショックだった。
寄稿誌『ユリイカ』岡﨑乾二郎総特集号が届く。すごいボリューム、すごい熱い本だなと思う。私の拙い熊谷守一展行った話を、誌の編集順によって、続く蔵屋美香さんのテクストに支えてもらったような感じ。どうもです。
『freepaper じーんおかけん』の見本も届く。
重なってた印刷仕事も続々と納品先に納品されていき、請求書も送れたし、高校の成績付けもできたし、次回の課題文の修正も完了したし、少年院はここから2ヶ月お休みだし、色々落ち着いてきた。
26木曜日
もう見つけられないけど、ChatGTPとやりとりしてると脳の活動量が低下するという記事を見かけたんだけど、ChatGTPがすんなり応答を返してくると、それは本当か?どういう経緯を辿ってこう答えてるのか?と、人格や関係性がある程度あって、既に他者としてわからない部分のある人間相手とやりとりする以上に、何が何だかわからない相手だからと、警戒して無駄に脳みそ使う時あるんだけど。不確定な、その時々の気分にまみれた人間ではない相手なのに、前提も、現状の限定条件もよく見えないから大変だよね。違うのか。
KUNILABOのウィトゲンシュタイン『哲学探究』読書会で、87節「通常の状況で」とはじまる一文の意図について質問が出てて、私は既に「通常」「普通」といった言葉のある時、強く警戒し、それは主たるものとしての意味に「通常」は受け取れるかもしれないけれど、それは限定的な状態であって、その外側の方にフォーカスしてしまうし、そういう話だろうと思っている。
新宿で工事を理由に野宿している人たちを追い出している。その現場には、建設局の人と一緒に福祉の人がついてきているという。管理することと管理されることにだけ身を委ねて過ごしていることに無自覚な役場の人たち。街の中から管理されてない場所が失われていく。隅々まで管理が行き届くことが通常であり、普通であり、安心であると思う人の多いことが辛い。
美術クラブは今日も平和だった。それぞれ描きたいものがあって良かった。ここから2ヶ月間、クラブ活動はプールの時間に置き換わり、お休みとなる。
25水曜日
溜まりに溜まった事務仕事と、高校の授業の採点。ジムに行って運動。食材の買い物。ベトナムチキンカレーを作る。美味しい。
24火曜日
高校の授業の講評会と次の課題の導入をどうしようか迷っているまま忙殺されていて、準備が前日夜に終わらず、朝早起きして残りの作業をするも、生徒に書かせたプリントに目を通しきれないまま出かける。なんとか授業の運用の仕方で時間を稼ぎ、きっちり終えることができてほっとした。まあ、高校教師としてはまだ2年目だけど、経験はそれなりにあるなと、追い込まれた方が腹が座る気がした。それでもこれらを採点して成績をつけるとなると、一人だと気が重い。たくさんの側面を簡単に同じ物差しで測れない。でもここは機械的にやるべきなのかもしれないけれど。
播磨みどりさんの長岡造形大での今年の授業の最終日で、学生さん3人と息子も一緒に夕飯&飲みにいく。🇩🇪からの留学生と、ドイツ事情について少し話す。宗教のこととか移民のこととか。播磨さんとは講評会の話、大学によって学生さん違いますか?とか。彼女はいつも自然体で人を警戒させず、とても素敵だなと思う。
23月曜日
福岡の里山社、清田さんがパレスチナの詩人、マフムード・ダルウィーシュの詩集の読書会(一緒に読む会)をするというInstagramの投稿を見つけて、胸が熱くなって連絡をとる。彼が6歳の時にイスラエル建国。母語のアラビア語を奪われる政策に晒される(ヘブライ語の強要)。投獄と亡命を繰り返す中で詩を書き続けたという。清田さんはからはその投稿直後だったからだと思うけれど、まだ申し込みがないけれど、連れ合いと二人だけでもやりますという返答。地方で元々人が少ない中で何かをしていくとは、そういうことだというのを身に染みているから、その言葉が何よりも心強い。この詩集の書影を掲げた里山社さんの投稿をストーリーに上げたら、facebookで見た彫刻家の小島敏男さんが「after the last sky」とメッセージをくれる。私はマフムード・ダルウィーシュのことはおかざきさんの講演会で知ったのが初めてで、小島さんのそのメッセージの意味がわからない。ググってみると、最近リリースされたその名の曲が見つかった。それはマフムードの有名な詩からの引用とあった。小島さんはそれがサイードの著書『パレスチナとは何か』の原題が「after the last sky」だったと教えてくれた。「最後の空が終わったとき、鳥は何処を飛べばよいのか」と。おかざきさんの講演で詩が朗読されたこと、この苦難の時、詩には力があるなと感じたこと、別に強い力でなくても、詩を読む、絵を描く、何かをつくることは抵抗なんだなと思ったと伝えると、「サイードは無くなる時、娘さんに「諦めずに書き続けなさい」と言ったそうです。たとえ社会にとって無力であっても!」とお返事くださった。アートや現代音楽についての投稿をされている外国のフォロワーの方が、マフムード・ダルウィーシュに反応してくださって、翌日の早朝、彼が話をしたり詩を読んでいる映像や、詩集の誌面をいくつも続けて投稿してくれた。何かしらの痛みを元に教養が育まれ、このように人々を連ねて掬い上げるようにして返ってくる。
22日曜日
日曜美術館で岡﨑乾二郎。制作現場見れたの良かった。自作の絵の具を大きなナイフで画布に乗せたり擦り付けている様子はパティシエのよう。粘土の仕事は粘土に触れた時の感触の楽しみをそのまま残し続けている。素材に慣れて、それで対象を再現しはじめるときに、粘土がその対象の像に変容する技術に喜びをおぼえるようになるわけだけれども、粘土が好きというのは、粘土に触れているその指先が喜んでいるのであり、その喜びは対象の再現のほうに目を奪われて後ろに退いてしまう。ところが制作を前進させ続けるのは実は、そのような指先や腕が素材から受ける抵抗だったりする。それが制作のエンジン。これは作者も内面化してしまっているし、見る人には知られない喜びで、だからといって実は、それは見ることに直結しているわけだから、つくることはすなわち見ることなので、見る人にも伝わっているものなのだ。けれどもこれ自体を対象としてひとまとまりに取り出すような指示的な言葉がないので、後退している。ここをさらっと受け取ると、いわゆる子どもの教育における造形遊びというもののよくある姿なのだけれど、ではそこで何が起きているのかというところはつまり、ヒルマ・アフ・クリントの渦巻きに象徴されるような事物のはたらき、現象が抽象として世界の隅々に行き渡る様子にあたる。粘土触りながら話されている内容が面白かった。自分の重なる箱のことと重ねて聞いていたりした。パクさんへ贈った20歳の頃の絵本のはなし、良かったな。私もそういえば絵本をいくつかつくった。虫が空を飛びたいために、蝶に変容するのを待ちきれずに、鳥に(空を飛ぶために望んで)食べられる話。
蓮池もも展へ(新潟絵屋)。ラジオを持つ人の絵を見ていて思い出した。 先週末、母の家に行ったら、独りくらしで心細いからこの頃はずっとラジオをつけているという。部屋の中で小さな防災用ラジオを持ち歩き、ずっと手近に置いていて、そこからはNHKラジオ第一が流れている。母は耳が遠いからそんな小さな音では何が話されているのかわかるまい。私にもよく聞き取れない。これを24時間眠るときもつけっぱなしなのだ。夜、隣の部屋で眠るけれど、扉を開けっぱなしなので、夜更かししている私の元へもラジオの音が聞こえる。眠ってしまって聴いてないのに電源が入りっぱなしなのもったいない感じがしてうるさかったけれど、次の日には慣れて、それは何かの情報を伝える機器ではなくて、人の気配を発する箱になっていた。私にも心地の良いものになった。
21土曜日
車の送迎役であっち行ったりこっち行ったり。ああ、ここは雪であんなだったなと、久しぶりに通る路に冬の時間を重ねて見たりして感慨深く。
図面引きながら聴くものを探していてみつけた【第18回 時間・偶然研究会】李蓮「理由律の彼岸 ヒューム、メイヤスー、デラ・ロッカ、そしてスピノザ─スピノザ主義から見る思弁的実在論」。まだ半分だけど、ああ、これですよ私のヒューム観。多分最初に読んだ哲学の入門書のヒュームの箇所を書いた人のヒューム観が現代的で、いわゆる一般的なヒューム観とズレているなと薄々思っていたけれど、私はその最初のほう、つまり、因果関係に客観的な根拠がないということの懐疑を生産的な方に受け取っている立場。これが現代的解釈なのかな?と思っていたけれど、むしろ、ヒューム自身がそう言っていて、それを一般的には誤解されてきたとする李蓮さんの話はとても有り難かった。これは私の考えだけれど、「習慣」をあまり価値のないものとしてやり過ごすことが間違いで、それは経験であり、実は強固で見えない力。その経験の特異性や豊かさによって好転する。AI(LLM)が語を確率によって結ぶ世界は、ヒュームが見た世界像と同じ。これを足がかりに誰かが次の段階に進めるのではないかと期待してしまう。
20金曜日
労働を後回しにして木を切る。
頂いたメダカから生まれ、代替わりしたメダカ3匹、どうやらメスばかりで過抱卵といって、お腹の卵をうまく排出(産卵)できない病症が続き、今朝1匹はもうお腹破裂しそう。慌ててオスのメダカを3匹買ってきて投入。オス大きめ選んでもらったけど、うちのに比べるとだいぶ小さい。でも3匹ともそれぞれに果敢にアタックしてる。凄い。中程度の過抱卵の子は、無事に産卵できた来た様子だが、一番苦しそうな子がまだ。
19木曜日
心配してた子は集団生活にも頑張って馴染めているとのこと。
価値観は固定されて、良い悪いの判断も敵味方というかたちで投影され、それを揺らすような状態が失われる。その地に適応し、そこでの習わしに沿って生きることは生存能力だし、十二分に適応するか、自由な魂を安売りしないように注意深くなるか、敵対するか。リベラルな価値観とは、未知の地の人々の暮らしを多様なものと賞賛するわりに、その社会制度に対して無理解なまま一方的な批判をしたりする。これは喩えです。物事には良い面と悪い面があり、いちいち注意深く経過を観察しなくてはわからないことがある。時に良くはたらき、時には悪い力を発揮する。新しく正しいと思われる概念が流布するときに、その場その場で現状に丁寧に重ねて検討されなくてはならない。異なる風を通すとき、現状を侵略して塗り替えるのではなく、現状をよりよいものに叶える助けにするのだ。このときにその概念や事物を、皆で同じ方向から眺めて見る時間が必要なのだと思う。
偏頭痛が酷く、切らしていた薬を貰いに受診した。
18水曜日
一旦労働仕事に切りが付いたから、板を切る。腰に負担がかからないように工夫した椅子等は効果があって、作業効率も下がらず、むしろ上がったかもしれない。何か不自由があるときにそれを解消するために工夫することは、体力や器用さに頼ってその場しのぎを積み重ねるよりずっといいということを学ぶ。
いくつかメールを書き、その相手によっては思いのほか自分の考えている本音をすらすら書ける、それは思っていることを正直に書けるというより、書くことによって引き出されることがあることに加えて、それが誰に送るものかによってさらに自分の深いところが開くということがわかった。端的にきちんと書けた。ということで、想定読者を絞ることがとても重要だなと思った。そういえば、過去には個展をするたびに、片思いだけれど尊敬するあの人が、または好きな人が見に来てくれることをかなり本気で夢想して制作していた。それほぼ全部片思いで、その人は来ないわけなのだけれど、別の人に届くわけです。もうそこまでの私的な片思いをせずとも制作も展示もできるけれど、書くことについてはまだそれをもっと有効にはたらかせることが出来るだろうなと思った。とはいっても、もう暫くは書くことから離れたい。けれども、今借りている本に関連する自分の内容は書き出しておきたいな。
17火曜日
なんとか授業を終える。出席者は全員授業内に提出できた。
山積み仕事の重たいのはなんとか切りが一旦付いた。
暫く労働しないで制作していたいけれど、まだ手つかずの労働が残っているし、事務仕事(経理)はだいぶ遡らないと。
という日記で良いのだろうか?
16月曜日
経験がないということは経験がないということだ。コイズミ論法になっちゃうけど。ここで言う経験がないとは、例えば船に乗ったことがないとか、身近な人を亡くしたことがないとか、そういう行為や出来事があったかなかったかについてではなくて、別の時空が開かれたり、異なるところにアウトラインを引き直せたり、何かが伸びたり、見えなかったものが見えるようになったり、自分の捏造に気づきなお、それが強固なものだと確認したりするような内的のはたらきを見たかどうか。そんなはなしをしていると、何処まで行っても同じことの繰り返しだな。1つの事物があるとき、それをどう見てどう読むか、見れるか読めるか。何かを否定するとき、否定されたのは対象ではなくて、自身の限界を見せびらかしただけということになる。と、少し怒っているのか私。
工房このすくが、場所を借り始めてちょうど5周年だった。細々とだけれどよく続いているのかもしれない。
仕事(労働)が山積みで疲れた。
15日曜日
朝から都現美へ。ナディフに『ZINEおかけん』を置いてもらえることになって嬉しい。南森町さんと夜夏さんと一緒に営業した。
岡﨑乾二郎展2回目。前回見切れなかったプロジェクトをまとめた映像やなかにつくリュケイオンについて話してる映像も見れた。そういう仕事については知らなかった。
絵の部屋で、小さな女の子が、絵の中の絵の具の一塊りづつについて「ここは〇〇でこっちから〜が被ってきて」と絵本を読み聞かせるみたいにお母さんに断片的な場面を話している様子が可愛くて、暫くこっそり後ろから聞いていた。それを聞いてからタイトルを読むと、自分の言葉への触れ方が少しさっき読んだのと違うような感じがした。何度でも読めると思う。
講演での詞や詩の話はとてもとても心に残った。パレスチナの詩人、マフムード・ダルウィーシュさんの言葉の一部、「敗者にも彼らの物語を語る権利があります、たとえ勝者でなくても。詩は敗者に声を与え、詩がなければ忘れられる者たちに声を与えます。」それから彼の詩「若き詩人へ」を翻訳して朗読してくれた。
14土曜日
桃居に初めて行った。富井貴志さんの個展。オリジナルの言語を制作に取り入れている。宇宙っぽさと古代感があった。
刑務所アート展へ。やっと風間勇助さんとお話ができて、なかなか現状どうなっているのかについて知る機会がないから、所内からの作品見れたり、手紙を読めたり、これまで見聞きして来たものについて情報交換できたりしてとても良かった。刑務所と少年院では状況が違う部分もあるけれど、人間を管理することについての倫理面はおざなりにされているところがあるよなと、自分の慣れをちょっと戒めるためにも良かったと思う。展示作品の応募は刑務所を通して募集するのではなくて、マザーハウスという刑務所の中の人と文通をする活動をしている団体を通して行っているとのこと。収監者が各刑務所にこの企画に応募したい旨を伝えて出品してくる。
鎮西さんと待ち合わせてお茶のはずが、二人ともお昼を食べそびれていて遅い昼ごはん。近況や、色々見た展示の話や、美術館でのキュレーションの話(どう空間を構成するか、時系列の問題、作家とキュレーターの領分など)など。移動して青木野枝展へ。文化人類学者のイリナ・グリゴレさんとのトーク。連れられて行ったので、最初状況をよく分かってなかったけど、ああ、あの本の人か!と。風土や土着の文化や神々のことについてこの頃注意を向けてなかったから、お二人の緩やかだけれど核心に迫る内容に触れられて良かった。会場で渡部葉子さんに出会う。私がホフマンスタールのこと知るきっかけになったのは渡部さんが書いたものを読んだからで、そのこと熱く語ってしまった。嬉しかった。
13金曜日
母は腰の手術をして退院し、まだ元の生活とはいかないタイミング。病院へ付き添う。レントゲン撮影をし、見せてもらう。大きな金具が背中にボルトじめされているのが見える。本当にこの手術は良かったのかちょっと気になるけど、母は満足している様子。
YOKOTA TOKYOへ福田尚代展最終日。空間の良さと相まって、存分に作品が纏うものが顕現していた。見ることが脳で現象することと言い切る場面があるとして、普通に考えたら、文房具や書物といった個人と関わりの深いものが生じさせる幻惑に多くを頼ってしまいそうでいて、そういう感覚とは違う方向から斬り込まれてくる感じがする。怖いなと感じたことも過去にはあったけれど、今日の鑑賞はとても静かだった。
続けて菊池遼さんの個展「柔らかい本質」EUKARYOTEと、MAHO KUBOTAの鮫島ゆいさんの個展「反復と変容の総和」を続けて。どちらもシャープなコンセプトと質の高い作品(とひとまとめに書くのは雑過ぎるけど)。そのシャープな思考を読んでいるうちに逆になぜ、それぞれその肌合いなんだ?という単純な個の特性のようなことの方が気になって来たりする。例えば鮫島さんが描くものやその絵の具と筆使い、呼吸のようなものはとても面白い。そしてその絵肌は彼女のコンセプトととても合っていて相乗効果が凄い。彼女の絵がああだから、その余白や欠けのかたちが現れたという内と外、図と地の変容の時間という制作があったのだろうな。
それとは別にやっぱ、昨日少年が描いた絵の強烈な印象が度々戻ってくる。あれは一つの症状であり、強く典型的なアノニマス性があって、人が絵を描くことについて誰彼にとっても異様なことに感じると思えてくるし、別の意味では、インサイドの美術の生ぬるさのようなことを少し思ってしまう。
買い物して、母に晩御飯を作ってあげる。いつも上京すると作ってもらってた。
12木曜日
美術クラブに新しい子。臨床の現場くらいの絵をぐいぐい描く。これは私にも未経験の領域で、ただ若い頃必要に迫られる面もあって河合隼雄周辺の臨床研究の本を読んでいたことは助けになったかも。けれども私はだいぶ印象から受け取るものの影響をダイレクトに受けやすく、私自身が厳しい面がある。介入しないで見守ることはできると思うけれど、だいぶ疲弊するのと、もしもの時の専門性までは持ってないから大丈夫か不安が残る。精神衛生福祉士の資格も持ってる(美術博士でもある!)義弟に相談すると、そこまでのは経験ないから羨ましいという彼らしい返信。私へは課題が色々思いがけず向こうからやってくるんだよな。そういうフェーズと思って、ちょっとまたそのあたりを勉強してみようか、それともあまりのめり込まずに、軽く流す程度に構えるか。話せる人には相談していこうと思う。
高速バスに乗って東京の母の家へ。
11水曜日
書きそびれていてすでに記憶が飛んでいる。上京前の諸仕事のまとめをするのに慌てている。
授業で長岡着の播磨みどりさんの送迎を買ってでた役得で喫茶店へ。授業や若い世代の話、自分たちの若い頃の話、経験について、播磨さんの京都での修復についての展示の話(自閉症当事者による自閉症研究からの要請での企画だったらしい)など。あと岡﨑さんについても少し話かけてタイムアウトになる。あ、そうそう、失敗の位置というか受け止め方についても大事な話題だった。
10火曜日
目の前でやってみせるとすんなりわかることは多く、やればわかることと、行為としては全く同じ内容なのに、言ったのではわからないということはとても多い。言葉と物事が記号接地していないと機能する言語にならないのと同じように、言葉で言われていることが理解できる言語内容だとしても、行為の結果がどうなるかが経験として受け手にない場合、その内容の理解には至らない。ただ、その内容が何かわからないままでも、その指示を真に受けて行為に移せば結果はついてくる。ところが、それを自分がやるべき行為だという世界の中での当事者性があるかないかは、その人にとってのそれの必要不必要の判断にとどまっている状況では展開することがない。やみくもにあれもこれにも手を出せるのは好奇心の強い子ども。また別に、「不必要なことはやらない」という判断は、その判断自体が本当は広い豊かな領域なのだけれど、ぴったり畳まれてしまっている場合がある。
9月曜日
昨日のうちに予定より労働仕事は済ませた。制作途中だった箱の作品の組み立てを仕上げるのに少し苦労する。壁に掛けて眺める。オイルフィニッシュを早くして、色の調子(仕上がりの濡れ具合)を見たいけれど、接着が完全に乾くのを待った方がいいだろうから我慢する。次の製図を少しすすめる。
このところ足のむくみと膨満感が酷い。お腹がすかないので(なのにぷくぷくしてる!)、変な時間に少し食べる感じになる。でも、食事の時間がとられずに済むのは今は助かる。久しぶりに大根粥を作って食べたらだいぶ調子が良くなった。
8日曜日
Twitterに次のような投稿があった。
「銭湯で刺青の若者が「近代美術館でやってる歌川国芳展、行きませんか?」と兄貴分を誘っていた。「フロントに何を入れるかの参考にしたいっす」と熱く語っていた。反応の鈍い兄貴分に「浮世絵界のレジェンドっすよ」「たぶん北海道中の彫り師が集まってます」と力説していた。」
ああ、わかるな、国芳。少年院にいる少年は、なぜこの子がここにというくらい静かで群れないタイプの子もいれば、ヤンキー気質の子たちもいる。刺青の率は結構高く、タトゥーの類もあるけれど、昔ながらの和ものも思いのほか多い。手のスケッチをしていて、手首のつき方も見て描いた方がいいと私が袖を引っ張ると、手首のすぐ下から総刺青だったりする。普段は見えないようにしていないといけない決まりだと思うけれど、教官たちもこの時は特に止めには入らない。私も最初は指に彫られた小さな墨でも動揺したけれど、甥っ子がかなり全身にタトゥーを入れているのに会ってから、あまり気にならなくなった。
院に図録を持っていくことは多い。できるだけ色々なものを見せたいし、興味があれば描いてみたらいいと思って。図書館で借りていって、図書館がいかに面白いところか力説し、外に出たらぜひ居住地の大きめの図書館に行って欲しいと伝える。画像を見る機会も少ない今の環境彼らは図録も図鑑も面白がって見る。和のものが見たいと言われて、伝統的な紋様の本や、北斎漫画をはじめとして浮世絵の本を何冊か持ち込んだことがあった。ここでの人気が北斎と国芳。北斎は割と行儀がよくて安心していられるのだけれど、国芳は彫り物のネタが多くて、少年が声に出して「これ少年院ではアウトですよ」って言っちゃった時は焦った。刺青の模様になるような絵を描いてはいけないことになっているらしい。わかりやすく検閲がある。それはそうだろうけれど、お目溢しいただいてる???から明確に言葉にしないでって心に冷や汗をかいた。他には裸婦のリアルなデッサンなどは生々しくて持ち込まないようにしている。油絵よりデッサンは生々しい。肌に触れるようにして見たことがよくわかるから。ここでは世に名だたる作品達が剥き出しの鑑賞に晒される。これは幾らくらいするのか、この人の名前がついていれば高値なのかなどと質問される。瞬発力足りないけれど、真摯に答えられるように言葉を探す。時々教官が助け舟を出してくれるけれど、それはまたちょっと違う意味で誤謬があったりする。そういうこと皆面白い。
院には日記指導という日課もあるという。寮が3つあって、それぞれの寮の担当の先生が目を通してやりとりするらしい。移動は号令かけて行進だし、返事の声が小さければ、声が小さいと怒号が飛ぶ(といってもだいぶ優しめに感じられるけれど)。基本的に軍隊のような規律の中の日々であり、最初にとても違和感があったのに私自身が相当慣れてしまったなと思う。例えばヤンキー気質の子たちはそれをある意味意義深くさえ感じているかもしれない。軍隊の違和感はそのまま学校という装置にも繋がってる。その心理的な容器を強固にすることで皆が幸せだみたいな状況については考え込んでしまう。幼い頃の学校と違うのは、これが役割分担によって行われていることであって、院生も教官達も共に、本当の自分をベールに包んでお勤めを果たしているということがかなり透けて皆に見えていること。その抑圧が複雑なことのように感じられること。何かのロマンティシズムが発生している。
ここまでちょっと中の気楽なことを書いてしまった気がして。基本的には外に出てどうやって生活を立て直すかについてずっと尽力している施設で、入る前と出た後のことについては私には関与できないどころか全く知らされない。外に出ることが楽しみなだけでなく、恐ろしく不安なのだろう子もいたのが印象的だった。どうか幸あれ。
7土曜日
労働の仕事頑張る。
おかざきさんとメッセンジャーのやりとり。その中で、ガートルードスタインについてと、詞の通路、詞の建築のテクストをお送りいただく。ありがたい。キーファー残念でしたよね、など。
午後から小千谷の図書館「ホントカ。」へ田野倉康一さんの講演「西脇順三郎の絵画/西脇順三郎と絵画」を聞きにいく。以前知人から新潟市美術館での西脇順三郎展の図録を借りて、詩も絵もとてもよくて驚いたことがあったのだけど、彼についてはそのままになっていて、田野倉さんがいらっしゃるならぜひにと伺った。西脇が、絵の学校で裸婦を描くのが嫌いだったのに、のちに描くようになったというそれはとても愉快なもので、セザンヌやマチスと比較するでなく、曲線が山や雲海のような姿を表し、女性の乳と波も連なって、絵が遊ぶようになる。曲線で裸婦も山も雲もつくれるようになって、それが永遠に通じていく。永遠に向かう曲線。守一のそれとまた少し違って愉しい。順三郎の寂しさよりも可笑しみのようなものが永遠を志向する曲線となって連なっている。それはとても尊いことに感じられた。田野倉さんに会えて嬉しかった。
6金曜日
午前中に長岡の新潟県立歴史博物館へ。桑原弘明さんから招待券をもらっていた「古代ガラスの3つの軌跡」展へ。古代ガラスが本当によくて、初めは透明でないものが好まれていたというのも面白い。透明だということ以上にその性質がやはり面白くて、引き伸ばされたりして歪んだ模様ができる様を想像しながらみるのが愉しい。また、小さなものも多く、小さな超絶技巧は可愛らしくて心惹かれる。
売店で図録を買おうと思ったのだけれど、古書を売っていて、パラパラと読んだら面白かったので3冊。岩淵悦太郎『語源散策』、外山滋比古『日本語の論理』『日本語の感覚』。
労働の仕事が山積みだけれど、長島裕子さんの個展とさかいともみさんの個展を見に新潟市の楓画廊へ。疲れていたので、運転するのをやめて高速バスで行った。長島さんは月曜版画部の実質的な部長さん。部活以外にも週末にこのすくを利用して制作していた。うまくいってないのかな?と思っていたら、そうではなくて、予想以上にたくさん制作されていた。ソフトグランドをおぼえはじめてからメキメキ腕を上げて、彼女らしい可笑しみ(予測変換で気がついた「お菓子味」も裕子さんにある)も加わっていて、とても良い展覧会だった。
5木曜日
おかざきさんの『絵画の素』のはじめの色の話が、守一の『へたも絵のうち』のはじめの色の話と呼応しているのは気がついていたが、本を二冊並べてみたら、タイトルのフォントがだいぶ似せてあって、大きさも詰めもほぼ同じで、あれ、なんで今まで気がつかなかったのだろうと。記念撮影をした。
美術クラブに持って行くのに植物採集。信濃川の土手に登ると、早くも機会で草を刈った後だった。けれども時間差で生えてきた植物がところどころ孤立して伸びていて、その様子も可笑しい。よく見るとまだ色々あり、この形もあの形も面白いとつい集めてしまう。家に戻っても庭や家の周りで植物を見てしまう。一時間では描ききれない数の植物を今日もうっかりあつめてしまった。今回は芋虫と蟻も数匹。庭を眺めると、異様にズッキーニの葉が大きい。植物の小さいのは本当に小さいし、スケールの幅がとても大きな体系だなとちょっと驚く。茎が太くてストローみたいに中空になっているものから、針金みたいに細いものまで。植物に色や言葉を感じるのとてもよくわかる。
認識の枠組みが揺れ動くとは、やはりとても心細いことだと思う。常には存在を賭けてまでをしなくて良い。
4水曜日
急に労働の方の仕事が立て続けにやってきていて、制作したいタイミングなのに、片っ端から片付けないと、自分の上京などのスケージュールとも関連して間に合わない。こん詰めて多タスクをこなすのは久しぶりだけど、それはそれで心地よい疲労感だったりする。気がかりなのは腰の痛みで、受診したから痛み止め飲んでるし、湿布も貼っているけれど、右足が抜けるような感覚を伴う弱い痛みがあって、これもしかしたら坐骨神経痛や椎間板ヘルニアの類ではないかと思うと、今から先、ずっと腰の痛みや場合によっては排便困難に襲われるのかもと、本当に老いは恐ろしいなと思う。目が悪くなって、座っているのも辛くなったら、私には何ができよう。まあ、何かできると思うという謎の自信はあるけれど、ずっとちっちゃいものクラブを続けたい。
3火曜日
授業は昨年より内容がブラッシュアップされて良いはずなのに、図形的なものに興味が低いメンバーが多い感じで、手応えが乏しい。ということで、昨年やった授業の進化形態で一年回すより、この属性に合わせた別の授業を考えた方がいいかもしれないと思い始めている。
提出されたプリントから、名詞的なものを排除して、動詞、形容詞、副詞を探す。
2月曜日
工房このすくという版画工房の月曜版画部の管理人をしている。今年度からもう一人の管理人だった永井さんが引越し及び勤務地が変わったため来られなくなって、私が毎週通うことになった。初期には久しぶりに銅版画を制作したりしたけれど、それ以降、版画制作にまで手が回らずにいる。さて、もしやるとしたら何をとふと思い直し、うちに捨てられずにとってある、木端を刷ってみようとジェリーコンパウンドを混ぜたスワローインクを摺り込んで紙をあて、フィルムを乗せてスプーンの裏で刷ってみたら、恩地孝四郎みたいになった。
1日曜日
息子の19歳の誕生日。自分がその年頃の頃は、早く家を出たくて仕方なかったのに、家の居心地が良すぎて大人になりたくないらしい。ケーキが嫌いな彼に、何か食べに行きたいところはないかと聞くと、家で高山なおみさんのレシピ本『おかずとご飯の本』(アノニ・マスタジオ 2007)の「ハンバーグ、焼きトマト添え」を食べるのがいいと言う。
ハンバーグ自体は私の作り方とほぼ同じ。玉ネギの微塵切りは生のまま、パン粉と生卵入れて、スパイスはナツメグ。私は普段、ハンバーグ焼いた後に残った肉汁に、ウスターソース、トマトケチャップ、バター、赤ワインを加えて少し煮詰め、ハンバーグにかける。彼女のは、トマトを焼いてから、おろしニンニクと醤油と酒とみりんとバターでソースにする。これにクレソンとルッコラを添えると本当に絶妙なハーモニーなのだ。ほんの少しの違いだろうけれど、こういうのレシピに真正直に従って作ると美味しくできる。何度か作ったレシピを自分のものにして、そらで作れるようになることもいいのだけれど、かしこまってレシピと向き合い、細かい分量を正確に測って言われた通りにやると、やはり何か特別な質の高いものができる気がする。このレシピ本が8刷なのも頷ける。