2025年5月
30土曜日
昨日、腰の痛みから全身が疲れたのかとても早く眠ってしまい、結果的に十分な睡眠が取れてすこぶる調子の良い一日だった。制作が痛みで中断されないように、床での作業で腰に負担がかからないようにするのにちょうどいい板材の塊を用意して、そこに腰掛け、都度立ち上がらずに済むように低い作業台も仮設して、板を切る作業を全て済ませる。少しの工夫でずっと良くなる。
テクスト書いたり、デザインのPC作業、授業の準備や調べものなどで、実際に素材に触れて制作する時間をまとまって持ててなくて、一日中制作の作業をしたのが久しぶりで、生き返った気がする。決してオーバーではなく。痛みも含めて、肉体労働本当に大事。
29金曜日
久しぶりにまとめて板を切る作業を続けていたら腰がだいぶ痛くなってしまい、ついに病院に行った。骨がどうのって感じではないとは伝えたものの、レントゲンを撮ることに。骨には問題なしで、痛み止めと湿布を処方される。腰が痛いだけで全身辛くて、何もかも放置で早く眠ってしまった。痛み止めのせいで眠いのかな? 待合室でも、とにかくこの作業を身体への負担を軽減するにはどうするのがいいか、作業台やら補助器具やらについてをひたすら検索してた。うちのスライド丸鋸はもはや無駄に大きい。もっと軽いものにすればちょうどいい高さで作業できるのだけれど、どうしようかな。
28木曜日
今日、播磨みどりさんの公開講座at長岡造形大学とても良かった。播磨さん、前日から長岡入りして版画コースの授業で岡谷と学生たちと一緒に山古志のキャンプ場で一泊キャンプしてきてからの公開講座という、なんてタフなんだ!と。キャンプでは、乳剤なしのシルクスクリーンの版を林の中に持ち込んで、風景採取ともいうべきドローイングを水性描画材でしてきたとのこと。これは後々の授業で、水性メディウムで紙に刷り取られる。
播磨さんとは『点点』に私への書簡を掲載させて頂いたり、お互いの展示を行き来したり、スタジオ見せて頂いたりと個人的にもお付き合いあったけど、私自身が海外経験が乏しいのもあって、各国各地域での活動の詳細をきちんと俯瞰させて貰ったの初めてだった。それを横の移動として話された後に、縦の移動として、作家業の傍に肉体労働(塗装業)をやる中で、英語圏の美術関係者という文化ステイタスとは別の労働者たちと共に過ごし、制作のこと考えるのを途切れさせることなく意識的でいることについても触れられていて印象的だった、というか問題意識として共感した。今回は版画の授業の延長線上での話でもあり、現代美術の中で、版表現についての思考が展開できるシステムや構造についての話はあらためて面白かった。
学生さんたちからも沢山質問が出て、良い時間だった。大学の講義室に入ったの久しぶりでとても楽しかった。
27水曜日
荘子itさんと福尾匠さんのPodcast「シットとシッポ」、第5回『ちゅ、抽象性。』を聞いた。荘子さんが岡﨑乾二郎展に行った話と、行ってない福尾さんが岡﨑さんの仕事をどう捉えているかの話が聞けてとても面白かった。福尾さんの考える岡﨑像がどんなかも知りたかったし、美術専門ではない多くのオーディエンスがどのように作品を見るのか聞くのも良かった(ZINEおかけんが愉しかったのもそのおかげ)。というか、荘子さんは屈託なく正直にものを言うのがとても素敵だなと思う。私はいつも悪い意味で言い淀んでしまう、自分が邪魔をする(そうでない時は興奮して、どんなお偉い相手に対してもタメ口で、馬鹿みたいにフレンドリーになっちゃうからわかりやすいですよ)。他で岡﨑展の話に限らず、ヒルマアフクリント展について戸惑いを口にする人を見かけてもだけど、少しモヤモヤするのは、岡﨑さんの姿勢は時々誤解されているように思う。それかもちろん、私がものを読み間違えているか、見たいように見ているせいかもしれないけれど。感じることは、美術史の再編成を新たに行おうとしているとか、大きな物語を復権しようとしているとかいった、強い父性を発揮しようとしているのかどうか。時に、解釈を強引にしているように感じられるとかそういうことについて。もちろん、ヒルマアフクリントの存在は、美術史における『抽象』概念をそのままにしておかないところがある。だからといって、それについて考えることのゴールが、ヒルマアフクリントを美術史の中に書き入れろということだとは思わない。書き入れられるための土台をつくりなおさないといけないというスケールでもないように思う。だから、彼女他のスピリチュアリズム源流の制作者から無理に切り離してどうのこうのでもないと思う。彼女が芸術のアカデミックな領域からの出自だということの驚きは別に、彼女を他のいかがわしい人々(そう思わない)から遠ざけるために示されているのではなく、繋ぐ役目も果たすのだと思うのだけれど、好意的に解釈しすぎだろうか? 彼自身の仕事が、絵画領域に留まっていないことからも明らかだと思うのだけれど。彼女が人智学へ移行して(ブラヴァツキー夫人からシュタイナー)からの制作は、降霊術を封印して科学的であろうとし、大きくて驚異的だった制作が縮小されたように感じられるし、そのような展示構成になっていたのはそうなのだけど(というか、今回の展示図録に岡﨑さんは長文の論考を載せているが、展示自体に関わっていたかは私にはわからない)、実際彼女の物量的な意味での絵画制作としてはそうだったわけだから。
岡﨑さんは多分、批評も制作も、普通に一人の人間のスケールでできることをやっている。今回とても大きな彫刻をつくったことは、病後に人の助けを借りてしか制作が立ち行かなくなって初めて、アトリエで直接アシスタントに支持体などを用意してもらったことからの派生だ(書生さんがついているような感じだけれど、以前はアトリエでは一人で絵を描いていたと)。病後に人が大きな転機を迎えることは稀ではないし、この変性を最も寿ぎたいのは本人だろう。話が言い訳まじりに少しずれた。元々、美術史が権威的に誰かによって固定されているものではないという思いが彼にはあると思うし、その内容に異議があるときにそれについて異議を言うだけでなくて、新しく書けば良いのにという考えだと思う。他を黙らせたいわけではなくて、もっと皆自分の軸で書けばいいと考えていると思う。彼が踏み込んで書いてくれることが、制作者を勇気づけることがある。私はそのことを代え難いと感じてる。
今回ユリイカの原稿には、要約すると、熊谷守一が私のおじいちゃんで、岡﨑さんが私のお父さんという気持ちで書いた(嘘。そのつもりではなかったのだけど、執筆後にそうなっちゃったと感じた。祖父も画家で、髭を生やしていたから少し似た表象だったし、建て替える前の古い家は戦前からの木造住宅で薄暗く、熊谷先生の家の印象、これも実際に幼い時に祖母に連れられて行ったのか、写真で見たものなのか定かでないのだけれど、似たものとしてごっちゃになっている。赤ちゃんの時は抱っこしてもらったと母談)。そうしたら、編集の明石さんが、守一がおじいさんということが、岡﨑さんの父権性を削いでいていいですねという主旨の返答を下さった。確かに。父権としての父ではなく、とある祖父であり、とある父なのだと思う。私の実の父への思いも、この年になるとただ寿ぐ気持ちしかない。既に他界している。要町は父の破産によって失われた故郷であり、苦い思い出によって近づき難い場所になっていて、実はもう何十年もおとづれていなかったのだったのだ(数年前にコ本やに行ったのが一番接近した。時々Googleマップの画像を見て、まだ家が残っているか覗いたりしていた。借地だったから自己破産の手続きのために手放しても借金の足しにはならずだったけれど、その家は別の人が大切に住んでくださっているらしく、それはとても嬉しい)。だから、おかざきさんを通して熊谷守一に出会い直し、美術館へ行くためにその地に足を踏み入れられたことは、本当に勝手ながらごく個人的にもありがたいことだった。
26火曜日
高校、今回は最初の課題の解題と、今回の課題で示されているバウハウスの記録に残っている作品の構成をひとつひとつ、造形言語的になにが行われているかをひもとく授業で、私が見本に喋ってみせてから個人での記述→グループワーク→発表、というかたちでやった。まだ心配だな。抽象的なかたちを見て面白がる素養が前年度にはあったけど、今年度は少ないのが意外で。
新潟県立近代美術館、安野光雅展。彼の絵も仕事の方向も結構好きで、地味な展覧会だけれど欲しい本を何冊かみつける。
コレクション展に1998年の作品を4点出して貰っているのを見る。展示室正面に4点並べて贅沢に扱って頂いていて、手前の長い壁面右に藤島武二《日の出》、三輪大次郎《高原の朝》《苺》、佐藤啓三《桃》。4点ともとても小さな油画で、相対的に額縁が深くなって箱のように作用する。左の壁面に上村次敏《イタリア、パヴィアの大聖堂》。これは視点がトリッキーな建築画で、安野光雅と私の仕事をつなぐように作用する。そのしつらえを有り難く思う。
25月曜日
KUNILABOのウィトゲンシュタイン、槙野紗央里さんの講座今期第二回。当日仕事でテンパってて参加できなかった分の見逃し配信を今日前半部分。84、85節。これ面白い回だったなとオンタイムでなかったことが残念。パラドックスという小見出しに使われている言葉の再考。負のイメージで使われることが多いし、割と油断するとパラドックスという語を使う土壌を勝手に用意しがちなことなどが指摘され、なるほどと。ルールについて、話題にされている領域について、教育過程の揺れ(子ども)と、それが学習されてしまうと焦点が定まる(大人)という主旨(私の用いりがちな表現になってしまってるけど)の参加者からの質問または意見に対し、実は学習後も個人で違うのではないかという指摘。
私もフェノロサの漢字考で、西欧言語圏から来たフェノロサが、漢字の学習過程において、その実用目的の子ども以上に大きな領域での調査と思索があったから、あのような考察が書けているのであり、それにより漢字話者の私の感覚領域が拡げられたという読書だったわけだ。漢字話者といっても、中国語話者ではないので、その宙ぶらりん状態もまた効果的に働いている。事後的にルーツを知ることと、新しい言語を学習することがうっすら重なっている。
24日曜日
スケールが変で馬鹿な話を書いたなと思う件があって、あまり人目に触れないものなのだけれどそのことについて考えたくなくなっている。読み返すと意外と読めてしまうのは、何について書くかを考えずに、連なりに任せて構わず書いていってしまうから。ただそのおかげで、実際に自分が何について興味を持っているかというか、フォーカスしているかを自分自身が知るようなところがある。それ、精神分析の心理連想と変わらないかもしれない。心理的な内容ではなくても。人に自分の考えを伝えるために書くのはとても難しい。本来はそれをしなくてはならなかった。
昨日母が退院した。母は順調な認識で電話の声が明るかった。でも普通の生活に戻れるまで時間がかかりそう。
24土曜日
(とてもざっくりだけれど)因果が決定的なものではなくて習慣から結ばれているとするとこれは開いていて、論理はきちんと軸が通っていて閉じている。ならば、因果を結ぶ開いたはたらきを用いて、独自の論理をつくるはかなりできることだと思う。これはそのままでは陰謀論と変わりがない。ただ、陰謀論はどこまで行ってもデマで事実ではない。既成事実をつくったとしても、それ自体の成り立ちに心理的な誤魔化しがある。そうではなくて、論理を基に「新しく」つくるものは嘘ではないもの(事実)になる。ここで出現するものは小さくても世界に対して力をもつ。
HAFUでわたなべみちこさんの個展。わたなべさんの書の作品を初めて見る。文字と絵の間。
朱鷺メッセで県展。作品の多さに驚く。こんなにたくさんの人が県展目指して制作をしているのだなと。独特の傾向と対策があったりもする。
楓で相川恵子さんの個展。作品どれもとても良かった。制作の時間が錯綜していて、というのは同時進行で何枚も描いていて、しばらく放置してあったものに加筆することの面白さについての話をした。見ることの果てしなさだなと思った。
23金曜日
庭仕事をする。雑草や野菜は野生みのある自然な姿で、観賞用の植物、特に花の類は時々その場所にふさわしくないくらいテンションが違う。アリウムシクラム、オニタビラコ、パクチー、シシトウ、ミニトマト、コシアブラ、バイカウツギ?、ルッコラ、バジル、お隣さんのスギナの波の上を這うように進むカキオドシ。。今日美しいなと思って、カメラを向けた植物たちの名前。
22木曜日
私自身、出だしが良くて爪が甘くなるタイプだ。でもなんとか粘って一つのかたちとなるまでやり遂げたい、そうしないと気持ちが悪いと自然に感じる。短いスパンの話。描き始めたものをとりあえずのレベルでも仕上げたいと考える。途中で飽きて投げ出す、自分のやることに意味がないと嘆くこともなく、そうしてしまうことが普通になっている人がいる。よくできていてもやったことを見ない、振り返らない、などなど色々な性質の人がいる。例えば「仕上げる」ということが辞書に載ってない場合、一般に想像しやすい、物事から逃げるとかあきらめるといったものでさえない。この二つは少なくとも決心がある。途中でやめるという決心。でもそれよりももっと素朴に、それは自分の乗り物ではないに近いと言いたくなったけど、乗るか剃るかの判断もない。何もはじまってない。この世界に当事者感がない。別の世界には場所があるのかもしれない。でも、普通、性質は、どんなことをやっても透けて見えるところがある。例え向いていないことをやったとしても、競争心があるとか、自己顕示欲があるとか、コンプレックスがあるとか。だから、この世界に居場所がないとき、それを嘆くような自意識が強い場合と嘆く気持ちもない場合がある。そういうこと考えたことなかったから少し驚いた。
21水曜日
chatGTPに質問すると驚くほどのスピードで整った返答がくる。文が整っているとはどういうことなのだろう?とは勿論、文法的に正しい文だということは置いておいて、目的は勿論問われたことに対してと、求められているストレスのないコミュニケーションに応えること、そこに意味が通るのはどういうことか。最適解として言うべきことが容易に定まるやりとりを見ていて、例えば一つの問いかけに対する答えは並列的に複数あるだけではなくて、深度というか距離やスケールでも違うことがあるわけだけど、その辺りのスケール感みたいなのは勝手に測られていて、でもそのスケール感こそ、確率的に見当がつく領域でもあるわけで。実際AIと関係なく現実において何か書いたりつくったりするとき、外れ値になるには体力がいる。外れないことが、読み手とのコミュニケーションとして必要だし、外れる場合はそのことについての前提をなんらかの形で挟まなくてはならない。多分、そこで例外的な話として興味を引くように挟まれる前提のための内容自体は、見当のつくスケールにサイズ調整がされている。焦点をあわせるために行われることもまた、同じ手法に回収されて行くならやはり、再帰的で入れ子的な運動を知らないうちに自在に誰もができてしまうということ。
印刷物のデザインをする。紙面が整うとはどういうことか。こちらはずっとシンプルで、私の仕事の内容では、必要な情報をきちんとわかりやすく伝えるが目的。新しく創作的に作る要素は少なくて、ほぼ編集作業に終始している。誌面での匙加減、つまりグラフィカルな良し悪しこそが専門的な技術の中で行われるが、それについては特に取り出して言えることがどうしても少なくなってしまう。グループ展の複数画像の組み合わせの相性が悪い場合でも、これをなんとかまとめ上げる。私は何に加担しているのだろうと、時々嫌な気持ちになることもある。
20火曜日
高校の授業、今日からバウハウスで行われていた演習「9つの正方形の構成」。とりあえずまずは前情報なしで、といっても見本は見せた。どう見ることが可能なのかの話をしたいところをとにかく我慢して(それは来週グループセッション的にやる)、制作の準備的な枠取りとか、黒い色紙を切るとかの作業を主に。並べてみるなどのことはもちろんすすめるのだけど、今年は反応が鈍く、幸先が悪い。
友人の7回目の月命日を数日過ぎてお線香をあげに行く。花屋に寄る時間がなくて、ホームセンター内のスーパーで切花を探す。可憐だけど迫力もある薄紫のダリア一本とかすみそう。人のことを思って花を選ぶ時間は何か気持ちを癒すものがある。遺影の笑顔が可愛い。若い。
19月曜日
原稿の仕上げはwordで書くけれど、投げ込み的に書きたいことや思いついたことを、断章的なまま書いてためておくのは、ここscrapboxの方が慣れていて、時々途中でwordから戻ってきたりする。
テキストは粘ったら粘っただけよくなるけれど、作品のエスキースは割と最初のスケッチが一番良かったりする、が、つまり、ブラッシュアップを怠けてることが多いのだと思う。テクストは私の場合、とにかく最初は散らかってて、どうにもならないレベルだから直していくしかない。途中まではわからないけれど、直しているうちに散らかってたものがそれなりに役割を持っていたことが見えてくる。そう考えると、絵や構成的な仕事の方がプロなのに、粘り強くより良くする作業を結果怠けていることが深刻に思えてくる。もちろん、若い頃よりはその辺り冷静になったけれど、粘り強くなるための体力がない。
とりあえず、原稿仕事から解放された。
18日曜日
もう一つの原稿を書く。長谷川三郎のことが以前も気になって、下関市立美術館の図録を手に入れたりはしていたのだけれど、もう一回『抽象の力』の「長谷川三郎のトポロジー」のところを読んで、私の制作と深い関わりのある箇所ここじゃんってなってる。それにしてもそれらは主に1930年代の話。その時代に私が追いついたというだけではしょうもない。
17土曜日
『ZINEおかけん』のメンバーで、ユリイカ原稿についてのあれやこれやをクローズドのDiscordでやりとりする。公式のユリイカの発表と違って(何かの間違い?)、原稿依頼は複数人に来ている。提出した原稿にリライトのダメ出しが来るか、OKの知らせが来るか、皆ソワソワしている。私は相当ソワソワしている。(深夜遅くにゲラができたら送りますのメールが来た!)
16金曜日
原稿は提出した。もう一つ、明後日締め切りの書かなくてはいけないものがあって、書きはじめる。こちらはもっと主として自分の仕事について直接書くものだからと余裕をぶっこいていても、いざ書きはじめると色々確認したいことが出てきて、更には確認では済まずにそもそもそのことをもっと知りたくなって、書くための資料を読んだり調べたりとかより以上のものを読んだり調べたりしてしまう。そうなると、本来の執筆はそっちのけで、つまり書こうと思っていたことの枠を外れて、別のことがはじまってしまう。これがまあ、書くことの私にとっては効能の一つではあるのだけど、つまり、こういうきっかけがなければ、ちょっと面白いなと思ったり、知識として有効だと頭に入っていたことが、それ以上に有機的な運動をはじめて、私自身の制作に関わりを持つような手がかりを見せはじめる。だからといって、この内容をその原稿に盛り込むと、内容が散漫になりすぎるので、その誘惑は我慢して、初志貫徹するか、路線を変更したとしても、あれもこれもは入れられないということを思う。そういえば、『抽象の力』に長い註がやたらと多いというのを思い出した。
15木曜日
なんとか原稿はできたけど、読み返す時間がなくて、3パターンを出力して持って出かける。信濃川沿いで草花を採取。参考になりそうな画集も足して、少年院で資料と植物を広げ、それには興味があまりなさそうで、四角いものが好きだという子に天動説の絵本を渡す。天動説、地動説、太陽系、銀河系、地球平面説、地球の外に出なくても地球が丸いとわかる理由や、宇宙の中心の話など。
14水曜日
原稿はいつも、夫と妹に読んでもらう。夫は近すぎてもはや客観的に読めないそう。書いてないことも知っている面があるから。分野が少し違う妹からの指摘にいつも助けられる。一つの塊を消して、一つの軸で太く書き直す。
13火曜日
ひとつ仕事を片付けたけれど、新しい(新しくなくて中古だけど)スマホもレミパンも届いたけれどそのままで、字義通り物事が動かせない日だった。とはいえ、生活は続くので、体を動かすためにジムに行き、空っぽ気味だった冷蔵庫に食材を補充すべく買い物に行き、チキンのトマト煮をつくった。玉ねぎとニンニクを微塵切りして油で炒め、鶏もも肉と、人参と、大豆の水煮と、しめじと、ピーマン。トマトホールとコンソメ、月桂樹、オレガノとバジルと粗挽き胡椒。
12月曜日
電話口の声って情報が一部だけだから想像力が働きすぎて、直にくるものがある。昔父が肺気腫疑いの入院前日、母と電話で話している奥で、父がチキチキマシン猛レースのケンケンみたいな声で咳込み続けているのを聞いたら、怖くなって私自身パッタリ煙草を吸えなくなった。今朝は母から電話。実は腰痛がひどいので根本治療に手術とリハビリで入院している。術後の痛みが引かずに痛い痛いと電話口の暗い声。もちろん母のことが心配だけれど、長女がまだ新生児でにっちもさっちもいかない頃に、鬱気味でものすごく暗い母が家にいた逆効果だった頃のこと、その後強い鬱で入院したことなど、芋づる式に不安が具体的な塊になって連なってやってくる感じがしてしまう。いいかげんにせいよと自身に思う。
11日曜日
読まなくてはな書籍をあれこれ引っ張り出してきてたのの残りを読む。原稿を書き終える予定が手がつけられず。
使い切らないとなうどん粉を使って、夫と息子がうどんを打つ(あれ?うどんは「打つ」であっているのかな?蕎麦は「打つ」というけれどと言ったら夫が「踏むかな?」と)。私はつけ汁を作る、胡麻油で炒めた茄子と豚こまで。それから薬味を刻む、ねぎ、茗荷、オクラ、生姜。
10土曜日
長岡の駅ビルにはLOFTがあって、その横にはCanDoという100均店があるという、なんかえげつない並びだなと思う。実母が入院中で贈り物を届けられないから、母の日のことを忘れかけていて、慌てて義母に何かプレゼントをと思い、行ったことなかった長岡のLOFTに足を踏み入れた。なるほど、何も考えずにおとづれてもふらふらするだけで、欲しいと思わせるものにいくつも遭遇。こういう感覚は地方に越してから忘れていた。人を消費に駆り立てるものたち恐るべし。
本を読んでも大体忘れてるし、全体像を把握するのが苦手だし細部も都合よく忘れている。いくつかの本を再読しては、探してもいないのに宝が見つかる。ぼんやり読むことと、問題意識を持って読むことがこんなにも違うのかと思う。でも、正しい理解とは関係なく、ぼんやり読むことが好きだな、散歩するみたいに。
9金曜日
やらなきゃいけないこと全部すっ飛ばして、午前中は庭仕事をしてから色鉛筆(芯が柔らかいもの)で庭の草の絵を描いた。絵の草を描いた。描き始めて成り行きで自然に出来上がったリズムというか形式で描き続けるといくらでも色とかたちを楽しめそうだけれど、違う葉に合わせて違うことをはじめると急に画面に不協和が生じてしまってダメになりそうになる。それらの調停を図るのがいいのか、主従関係をつくってそれを一つの要素として包含してしまうのがいいのか、そんな打算を挟みつつ、ある意味、何かパターンを見つけては自分が怠けることによってそれが起きるのを経験しつつ、パターンを見つける知恵のないこと、またはそれより上位の何かによってそれを避けることについて思い巡らせた。
8木曜日
母から電話。手術は全身麻酔だったからあっという間だったけれど、痛みで夜は眠れず、今日のリハビリはお休みしたと、辛そうな声。励ました。良くなりますように。
土手に植物を採集に行く。そうだ、これらに名前のあることを知らせたいから調べないとと思い、Googleの画像検索をする。スマホで撮って、検索窓に写真を選択させるだけで大概これが何の植物か突き止められる。
カキオドシ、イタドリ、オオイヌノフグリ、カラスノエンドウ、ノヂシャ、タンポポ、ウマノアシガタ、スイバ、ハルジオン、ハルガヤ、ヒメムカシヨモギ、シロツメクサ。草花は丁寧に手元で観察すると描きやすい題材で、集中して取り組むとかなりよく描ける。充実した時間。
今夜から前回お休みした槇野沙央理さんの人文学ゼミ『哲学探究』。ウィトゲンシュタインのテクストに触れるの久しぶり。ゆっくりの授業にほっとする。
7水曜日
久しぶりに信濃川の土手を散歩する。散歩といっても、明日の美術クラブのモチーフに以前のように土手の草花を持っていこうと思い、今はどんな植物が生育しているかの下見のつもりで行った。土手の上は冷たい風が強かった。雨上がりで支流が速い濁流になっていて、少し不穏な風景だった。植物はどれも美しいが、時々生育の様子が有機的な動きの一場面を強く表している植物があって、エイリアンのように見える。タイムスケールが違うから静かに見えるだけで、本当はとても明確に本能的に孟進している訳だ。
母の手術はうまく行って、もう、麻酔からも覚めていると病院から連絡があったと妹が知らせてくれた。ほっとした。
6火曜日
軽い仕事をかたづけ、重たい仕事の初校残りの部分を提出する。見積もりの作業に手こずる。事務作業は何故か得意にならない。事務作業を効率化する能力が足りない。
ほぼ読まれないけれど、読まれる可能性のある日記をこうして書くことの限界、というほど大仰なものではないけれど、選ばれない題材がある。極プライベイトな内容を控えるために掃きだめにはなれない。実用的な記録にもなれない。
母親が多分、酷い鬱病だった一時期以外はずっと、自身の用意した形式で日記をつけ続けている。彼女の自意識は人並みのメタ認知はあるけれど、ある意味とてもフラットで自身の義務や権利を疑うことがない。自己認識が正しいか間違っているかに関係なく自己のアウトラインがはっきりしている。故に、鬱状態の時にはその自身の状況をほぼ認識できていない。家族も含めて、他人の感情について保留に出来る未知の領域が少ない。そのことを淡々と日記を付け続けていることに紐付けて私が日記に書いているのもどうかと思うが、彼女は時に自然災害のように容赦がないし、彼女が日記をつけねばならない姿勢はとても機械的に私には見える。機械的といっても冷たいわけではなく、とても感情的な人だ。感情と直結している。私は彼女から生まれた作りの異なる機械。
そんな母は、腰の痛みを根本から治療するために明日手術を受ける。手術と入院は一人で決めてきた。良くなったら一緒に美術館に行きたいらしい。妹に連れ添って貰って入院した。
5月曜日
朝早めに金沢市役所の駐車場に停めて、近くのジャーマンカフェでモーニング。朝ご飯をきちんと母親が作って家族で食べるのではなく、朝から屋台飯を食べたり、夜はソーセージと缶詰だけみたいな、母親が料理をあまりしない国もあるという話から、うちは割と朝ご飯手抜きだよね、納豆とご飯さえあればいい、という息子との会話。そういえば、私が子供の頃は納豆は藁に入っていて、今みたいに発泡プラスチック容器に入って売り出したのはしばらく後だったことを思い出して、その記憶の食卓映像は頭に浮かぶのだけれど、実際に藁の束を割って、中から納豆を出していたことのリアリティが質としてほとんど失われていることに自分自身でも驚く。そもそもあれはどこにどういう状態で売っていたのかは知らない。野菜は八百屋で、肉は肉屋で、魚は魚屋で、豆腐は豆腐屋で買っていた。スーパーはまだなかった。
21美の企画展、コレクション展共に、観光客でごった返していて、導線は悪いし、トイレは女子が少なくて行列ができていて、男女で行き交う通路は肩がぶつかるし、あまり良くない。
昼を食べて早々帰路に着く。無事に帰ってきた。家が好きだ。洗濯機を2回回す。植物が育っている。
4日曜日
京セラ美術館 PATinKyoto 京都版画トリエンナーレを見に行く。所謂版画のジャンルにとどまらない作品の展覧会と、シンポジウム「版画を超えて -版の拡張性と可能性-」(登壇は青木加苗さん、沢山遼さん、髙橋耕平 さん、吉岡俊直さん)を聞いた。展示もシンポジウムも面白かった。行こうと思ったきっかけは播磨みどりさんが出品されているからで、藤沢アートセンターでの展示の出品作と、MAHOKUBOTAの個展の出品作の再編成版だった。他にも興味深い作品が多数。シンポジウムの話の中で、「版画」の領域が拡張するわけではなくて、「X(何か)」が版画によって拡張するのではないかという話題があって腑に落ちた。 私の参加してる音読会、参加者の版画経験者率高めで、特にメイさんが「今の箇所、版画っぽいですよね?」と突っ込むことが結構あって面白い。そこに書かれていることの階層性や、メディウム、うつしとることや、二次的につくること、表面としてのイメージ、複数性(反復)、分版的分解、工程の解体(時間の引き延ばし)など「版画っぽい?」に目を向けると、色々思い当たることがある。
金沢へ移動する。夫が予約した激安の宿泊施設にチェックイン。あんまり家族でこういうところ利用するはないのではないか?学生時代のノリを思い出す。
3土曜日
夫と息子とワタナベメイさんと4人で車で出発。仮眠を十分にとったというメイさんに甘えて、ほぼ全ての高速道路の運転をお任せした。深夜に出発したから渋滞に遭わずに済んだ。
京都芸術センターと金閣寺、二条城のキーファーのソラリスを見て、版画の吉村さんとも合流して晩御飯を食べた。
京都芸術センターで展示されてた赤瀬川原平の仕事、千円札裁判の内容など、思っていたよりずっと面白かった。
2金曜日
今夜12時に車で京都に出発するので、労働の仕事を片付け、家を片付け、図書館に本を返却し、あちこちに書き散らかした原稿の内容をとりあえず1箇所にまとめて、旅先で編集なり確認なりができるように、余白を多めにとったレイアウトにして出力した。4,000字の依頼なのに、ざっくり書きたいことを書いただけで8,000字越えになってしまったから、内容を絞って、もうちょっと詳細に記述しなくては。
1木曜日
弁当作って、洗濯2回、掃除、片付けなど。3日間家を留守にしただけなのに、家事も仕事も溜まる。
冊子ものの初校を送る。先方の希望で、出力したものを2部用意して送付する。1部出力して切ってみると、細かいところが気に入らなくて、全体に修正をかける。印刷代の見積もりが当初の状況と違っていて、思ったより高い。できればお金をかけたい。
投函した時点でもう夕飯の時間を過ぎていた。今日は簡単に済ませようと、カルボナーラをつくる。生クリームがなかったけれど、ざっくり切ったベーコンを多めにして、玉ねぎとしめじも一緒に炒めて牛乳を少し足し、パルメザンチーズたっぷり。野郎どもはパスタ140gと120g食べると言う。私の分も合わせて合計370gのパスタを寸胴鍋で茹でた。最後に卵黄5個で和えたら、とても美味しくできた。茹でたほうれん草も添えて。