2025年3月
31月曜日
月一の町内会長仕事で、年度はじめだから配布物や連絡事項が多くて夫婦二人がかりで結構時間がかかってしまった。夫の会長は2年目だけれど、班長は年度交代なので、今回市の広報誌などを配布しに伺うお宅も全てはじめまして。とても丁寧な高齢の女性や、お坊さんなのかな?やはり身のこなしがきちっとされている方など、ぐでんぐでんな自分の脊椎が伸びる感じ、ちょっと事後的にだけれども。草履の履き方、足の揃え方、お辞儀の仕方で、家の様子が目に浮かぶのも想像力逞しすぎるかもだけれど、特に仏門の人ならきっと掃除が行き届いているだろうことと既にセットになっている、ライフスタイルが型として成立しているというのをイメージできる。私もそれにもし憧れるところがあるならやはり、形、環境に働きかけるところから行えばいいのだよな。
30日曜日
昨日に続いて午前中はこのすくでレジュメ。
午後、ファンダメンタルズのラボとパーク。二組のペアの発表と、脳の研究をされている幕内充さんの発表を聞く。
29土曜日
重なる箱18の取説は販売用に作ってあるのだけれど、今回の個展の撤収時に作業しやすいように、もっと詳しいものを作った。18は特に、枠状のものを正面から反復するように重ねていくので、形が結構似ているパーツが多い。台起きの状態と壁掛けで状況が変わることで、制作のセオリーや手順は同じでも、仕上がってくるもののが変化していることを改めて、見に来た人からのメッセージや、今読んでいる岡﨑さんの『感覚のエデン』から受け取るなど(平面性と充実など)。ほんと、やだ、ここに書いてあるじゃない!ってことが多い、おかざきさんのテクスト。
工房このすくの利用者対応もあって、このすくで読書というか、自分用のレジュメづくり。ずっと家にいると集中力が切れるから、違う場所での作業を挟むと効率がいい。
28金曜日
私は予定を立てることが何だかとても困難になってて、今日1日ほとんどそれに振り回されてた。春が苦手なのはそのせいかもしれない。
昨日の夜に思いついて、今日手をつけようと思っていたことに手がつかなかった。
27木曜日
集中して仕事ができるようになったなと思っていた子が、あっという間に気持ちが冷めて移り気の初期状態に戻ってしまい、色々私の独りよがりだったなととても暗い気持ちになった。何かの成果を期待していたということもあるし、それ以上に実情を聞いてことの深刻さを思い知る。何事も一朝一夕にはならないけれど、私の方も彼らも一発逆転的な何か良い方法を探して彷徨っているに近い。彼らに個別に何か相談してやるということが逆に、自分にしっくりくるものがもっと他にあるはずだと考えることに結びついてしまう。そうではない方向に落ち着くにはどうすれば良いのか。
『ノー・アザー・ランド」や「壊れた5つのカメラ』はヨルダン川西岸の映画で、『医学生ガザへ行く』は破壊される前のガザを見れる映画だったから、強い印象があると夫が話していて、そういえば、自分が思ってたよりずっとガザが文化的な都市で、出てくる人々もとても知的な人だったなと思って、この映画をたくさんの人が見たらいいなと思った後でしばらくずっと、何かもやもやする気持ちを抱えて1日過ごした。何か、守るべきは高度な文化と、知性や教養のある人たちをこそということに直結しそうで。それは、イスラム教徒やパレスチナ人を野蛮な未開人のような印象を持っている人が一般的にも多いだろうという私の中の刷り込みを思うからだと思う。両方向に対して失礼だと思うし、私自身が思い違いをしているところがある。知らない人について、自分達より劣っていると思ってしまうことの愚かさ。それでも実際、ガザが文化的で高度な知性のある街であるからこそ、破壊するなんて、と考え直してくれないかなと思ってしまうところがある。アカデミー賞監督が襲われる、ということの事件性もそうだろう。勿論、受賞したことで標的にされることも、守られることもあるだろう。そういう命の不均衡さを、西岸とガザの対比や、受賞の意味なども合わせて、頭の中がぐちゃぐちゃになる感じがした。
26水曜日
朝8:30に出発して上越の高田世界館へ向かう。とても風が強い高速道路上、凹みのあるリアバンパーのピンが外れてバタバタ鳴り出してヒヤヒヤ。スピードを落とし、なんとかパーキングエリアに入ると、リアバンパーだけでなく、泥除けも左右ともピン一本でかろうじて残ってる状態で、バタバタしている泥除けを外し、そのピンでリヤバンパーを止め直した。怖かった。
10時から『ノー・アザー・ランド』。客席に数人、多分自分と夫を入れて5人か6人。各ドキュメンターリーの賞を41もとっているという受賞理由はもはやよくわからない。ドキュメンタリー作品としてどうかというよりも、撮られている事象自体の現代における破壊力が凄まじすぎるから、つまり、危険を顧みずなのか、告発の意義なのか、皆が見るべきだからなのか、ある意味西洋諸国の自責の念からか、責任なのか、パレスチナ人とイスラエル人の共同での制作だからなのか。これは10.7より以前のガザではなくて西岸での出来事だけれど、この10.7以降の殺戮と破壊が現在進行形であることと関係がないわけがない。これを新潟でも見ることができるということ自体が凄い事なのかもしれないくらいに、世界は混濁している。そのことと比して、このドキュメンタリーのつくり自体はとても素朴だ。昨年9/13に見た『壊された5つのカメラ パレスチナ・ビリンの叫び』(2011年)とも重なる。というか、カメラが特別だった頃と違って、スマホで記録映像を撮影することができるようになって、それをSNSで配信拡散することができる時代になったということも大きいだろう。そして、それでも、または外国の取材クルーが来ても、それでも変わらないという無力感も表されている。私たちから見たら乾いて荒れた土地、まだ開拓時代。井戸を掘り(のちにイスラエルによってコンクリートを流し込まれる)、水を簡易に埋設したホースで土地に行き渡らせ、果樹を植えてある。破壊されては立て直す家は簡単なブロックコンクリート製。その中で日々暮らすその貧しく見える基本的な人の暮らしは、イスラエルによる占領によってその日ぐらしにならざるを得ない背景があるだろう。それでもここが故郷であり、その彼らにとっての価値をこそ、イスラエルは破壊しに日々やってくる。彼らは入植の後、この土地を愛せるのだろうか?簡単に地層が上塗りされて、そういう気分でハッピーなのだろうか。そもそも土地への執着についてどう考えたらいいのか?土地への執着ということを言ってしまえる引いた視線とは別に、家族で暮らす場所は物理的に実現させなくてはならない領地である。彼らの対処的な簡素な暮らしを見ると、やはり私たちは狩猟採集民には戻れないと思う。安全に日々を送り、子供たちが学ぶことを守らなければならないと思う。
25火曜日
『ものの大きさ 自然の階層・宇宙の階層』須藤靖著、を読み始める。科学の意義についてどう考えるかについての箇所で、マンハッタン計画にファインマンが参加していたことを知る。私は何も知らないな。『物質は何からできているのか』ハリー・クリフ、こちらも加速器の話が出てくる。つまりとても大きな資金や資材、エネルギーを費やして実験することについて、なんていうか、忌み嫌う考えもあるし、神に一人で鉛筆で絵を描いて過ごすことと、全く状況が違って相容れないようにも見えるけれど、それは見かけのことであって、やはり、遠い昔に芸術と科学が同じ起源であったことは今でも有効に思える。特に、今夜はファンダメンタルズのゆるユニットで、年度末ということで思いがけず白井智さんが一旦これを区切りとしましょうと言い、数学者と物理学者がどういう人たちかという基本的な人の営みについて話し始めたことも、私が2冊の本のちょうどその辺りの箇所を読んでいたことと重なって、いつも以上に心が解けるような対話ができた気がした。
ipmuの環境が国際的(外国人の方が多く、英語が公用語)であることの利点があるだろうと聞いたら、それはそうだけれど、頭をマックスまで使う時に、母語で考えた方がリミットまで行けると言ってて、それが面白かった。数式のやりとりなどが多いだろうにと言ったら、例えば、日本語での会話だと相手の言葉をセリフのようにおぼえていられるけれど、英語でだと、つい日本語変換して意味として記憶してしまうから、ニュアンスのような微妙なところが抜けたりずれるというような話だった。モデルや計算や物理法則のような話や思考においても、母語で考える、母語ではないものが混じる、ということの迂回や負荷があるのだなというか、それだけシビアな思考量なのだろうなと思った。
24月曜日
新しい折衷の提示のようなものはマニエリスムの一種であまり面白がれないけれど、自身のチューニングを変えれば見るべきものがあるのだろうか?
本を読む。全て短い時間でつまみよみだけれど。
熊谷守一『へたも絵のうち』何度目かの再読。美校時代の同級生や教員についての指摘が面白い。以前は興味がなくて読み飛ばしていたけれど、一人一人改めて検索してみたりすると、例えば『南風』しか知らなかった和田三造が、配色の研究をしたり、衣装デザインをしていたと知る。それらのクリエイティブ業界の黎明期だったことがよくわかる。熊谷守一の画業がある種そういう華やかな時代を後景にして、自分の時間で仕事をしてきた感じが加わる。
ハリー・クリフ『物質は何からできているのか』副題が、「アップルパイのレシピから素粒子を考えてみた」で、読み始めると、思っていたより「読み物」。目次を見ると、完璧な感じがするほど自分の興味にピッタリなのだけれど、物語的な語り口に、私自身の気持ちは少し焦るというか、退屈するというか、これをガッツリ読めるだろうか。
愛知県美術館での「パウル・クレー展 ── 創造をめぐる星座」が評判良くて気になっていたけれど行けず、図録だけ入手。普通の展覧会図録と違って、テクストがとても多い。実際、クレーが孤高の芸術家というイメージを払拭し、色々な関わりを浮き彫りにするような展示だったと聞いたけれど、これだけの解説的な内容を、どのように空間に入れ込んだのか、ますます行けば良かったなと思う。テクストは軽い気持ちで開いたけれど、結構頑張らないと読めないかも。それとは別に、クレー自身が造形理論についてノートを残していたことはもちろん知っていたけれど、自分の作品を分類するように、つまり体系立てて整理していたことは知らなかった。
ヒルマ・アフ・クリントの『Notes and Method」もやっと入手した。
私の本、ただ作り方を書いたということだけではないのだけど、ちゃんと届くだろうか。
書きかけのまま放置してあったテクストをスマホで読む。書いているときと異なるインターフェイスで読むと、違う印象を受ける。いい文だなと思いつつ、エモーショナルすぎると思う。
23日曜日
メダカの水替えをした。メダカ周りを片付けるのに、古い手紙の入ってた古い木箱を本棚の上から出してきて、餌とか水槽用品のようなものをしまうことにした。古い手紙の方は出したままで、これから簡単に目を通して別のところにしまおうと思う。家の整理って、違う文脈のものを引っ張り出してきてかき混ぜるようなアクロバチックな段取りになってしまって、よく見る片付け動画のようにはうまくいかないのだけれど。
他に手をつけなくてはいけない仕事があるのに手が伸びず、それよりも午後は絵を描いて過ごすことにした。以前は自分が作家たろうとして、つまり展示のための制作に追われていても、日々をどう過ごすかという意識的な問題としても、アイデンティティーを更新し続けるために必要な行為だったり、精神の吐露というか、精神の均衡を保つために欲望を発出するような何かだったりもしたけれど、単純に「制作の時間」を過ごすことの効能というか、それなしだと辛くなってくるし、それをすると充足するという、趣味の動機のもう少し強い版みたいな、強いというのは、旅行とかレクリエーションした時のリフレッシュとか満足感とはまた少し違う感じがするからなのだけれど。少年院で少年たちが線を引いている時みたいな「素」の感じになれる機会が普通にはなかなかなくて、見るべきもののあまりない場所での散歩や、まな板で胡瓜の千切りしている時に近い状態で、時間的にそれなりの量のまとまりがあって、跡を残せるものということが大事になっている感じがしてる。そういえば、PCで絵を描いていると、失敗した線をどんどん消していってしまうと聞くし、今はアプリケーションが線を整えてくれたり、色をはみ出さずに塗ってくれたりするというのを見かけて、本当に目的と結果の間が圧縮されていってしまい、制作がどんどん労働に侵食されていくことを心配してしまう。
今は音読会で平井靖史さんの『世界は時間でできている』を読んでいて、時間のスケールが人間にとって重要だろうなって思うから、世の中の時間が短縮されていくことがちょっと怖い。
22土曜日
昨晩夜ふかしし過ぎて、朝ゆっくり起きる。
午後から、息子の吹奏楽の演奏会に行く。第27回新潟県学生ウィンドアンサンブル演奏会。うちの子どもたちは二人ともパーカッションやって、理系という、見ていて面白いし色々質問できるし、何より本人たちが楽しめることが続けられていて良かったなと思うなど。体力ないのに頑張ってボンゴ叩いてた。
21金曜日
本棚をつくる。簡単なスチールの梯子状のものに、棚板を用意して渡すと本棚になるという什器をホームセンターで見つけてあって、今日組み立てた。随分と長く使っていた展示台の天板をちょうど良いサイズに切って棚板にした。箱状の本棚と違って、オープンシェルフは圧迫感がない。
玄関やアトリエの壁にはたくさんの絵や版画、写真が掛けてある。中村一征さん、蓮池ももさん、星奈緒さん、ワタナベメイさん、江原正美さん、向井三郎さん、高瀬智淳さん、長島裕子さん、石原美和子さん、相川恵子さん、ヤマクラコウジくん、井田英夫さん、他にも絵葉書など。あとは自作も。家具の配置が変わったので色々入れ替えたりしていてとても夜ふかしをしてしまう。ずっとかかっていた場所にあって、それが日常の風景として溶け込んでいて良かったのだけど、一つ一つ外したり位置を変えたりしながら、埃を払い、まじかで見てみると、家の中の景色に紛れていた時とは違う様子をしている。絵と時間をかけて付き合うというか、違うタイミングで見ると、その時々で違うように見えるというか、私自身が違うように見るのを感じられる。絵でそうなのだから、きっと他のものでもそうなのかもしれない。違うことを理解しやすいメデイアが絵なのかもしれない。絵を見るように何かを見る機会を持つことがないと、周囲のものはどんどんただの情報になっていってしまうのかもしれない。見ることは情報を整理することだけではないのだけれど、単一方向の行為に収束してしまいがちな気がする。
20木曜日
地下鉄サリン事件から30年と聞いて、色々当時のことを思い出したり、NHKスペシャルを見たり。事件が大学卒業後一年目で実家に帰っていた頃で、アルバイトしながら近所に制作するようにアパートを借りていた。その後一人暮らしを小平で再開。まだスマホがない時代。パソコンも一部の人しか持ってなかったから、TVがついていた。私自身、ユング心理学を通してスピリチュアル、仏教系に親しんでいた。それこそ神智学人智学にも。カウンターカルチャーのリバイバル、ノストラダムスの大予言など、そういう時代だったように振り返ると見えるかもしれないけれど、実際はその辺りの話をできる友人はいなかった。興味本位で消費する対象として例えばノストラダムスの大予言のようなものが知られていたとしても、真理や宗教、無意識や変性状態の意識などについて、真面目に話すような友人はいなかった。でもそういう人が孤立してそれなりに居たのだ。麻原彰晃がダライ・ラマと一緒に撮った写真があったり、中沢新一をはじめとしてそれなりの文化人が彼らを擁護した時があった。仏教の原理的な本に書いてあるような、一般社会通念とは相容れないような内容を言っているだけの彼らの発言を、専門家は、専門的な部分に光を当ててもらえたように思っただけだったと思う。それなりに教養も知性もある人間が入信して、組織だって活動したことの恐ろしさ。今のN党とかインフルエンサーのやってることよりもずっと高度なことだったけど、今当時を知らない人が見たら奇妙に思うだけかもしれないと心配になる。
たくさんのことを片付け切らずに今になってる。ちょうど今、ヒルマ・アフ・クリントのオカルト的な側面を私自身が享受しているタイミングで、オウムのことを思い出すと微妙な気持ちに。つまりあの頃あんなことがなくて、中沢新一とかの権威が毀損されることがなかったら、今どんなだったろうとか思うけれど、私自身がその辺り詳しくないんだなと気がつく。同年8月には青土社の雑誌の臨時増刊号でオウム真理教の特集が組まれていた。河合隼雄さんの存在に救われた場面は多かったのかもとも。
19水曜日
髪を久しぶりに切った。いつもヘアサロンの人と会話が弾まないけれど、個展とかしてますか?って聞かれたから、今ちょうどやってるという話から、年末東京では盛況で嬉しかった話ののちに、質問から貸し画廊から企画画廊についてとその取り分の話になったら、会話は全く弾まなくなってしまった。兎に角明るい話をしなくてはだなとは思うけど向いていない。頭はスースーするけど、自分らしい髪型になって、気持ちは上がる。
アトリエの片付け。パソコン机の裏の配線を全部整理しなおしたら、不要なコードが何本か。埃がたまらないように掃除しやすいように机のバックパネルを上げて設置し直す。ソファーを移動する。
18火曜日
片付けられない私、時間に余裕がある今こそ片付けなくてはと、まずリビングの書類や文房具や本や薬を片付ける。いやになるほど少しづつしか進まない。小さな小さなワゴンの上段を片付けた。
朝雪が降っていて、その後晴れ間が出たりの天候の変動のせいか、頭痛がひどくなって、偏頭痛の薬を飲むも効かず、普通の痛み止めを服用。布団に潜り込んで昼寝をする。起きても痛いけれど、しばらくしてやっと嘘のように痛みが引いた。
片付けられない私、玄関先の本の収納量を増やす計画に合わせて、ソファーを移動するためにアトリエの机を一つ片付ける。昔展示台としてつくったもの。これの解体で久しぶりのガテン仕事。削れ切ったネジ山のネジを力任せに回転させて外すなど。肉体労働的な作業はなにか自尊心を回復する。
図書館で本を探す。先日来た時も、読みたい本が検索ではあるはずなのに棚にない。誰かが今持ってるのかなと思いそのまま帰ったのだけれど、今日も同じ状態なので司書さんに一緒に探してもらう。もちろん先日も今日も、近くの別の場所にあるかなと一通り棚を探したけれど見つけられない。今回は一緒に励まし合って周囲の棚を探す。すると発見できた。子どもみたいだけれど、誰かが一緒にやってくれていることで着地できている感覚というものがある。治療者が寄り添うとはそういうことだろう。
17月曜日
年末の検査で肝臓の数値が悪かったのの再検査。この間禁酒してきたけど、どうかな。
友人が亡くなってから5ヶ月が経った。線香をあげに行く。金沢のささやかだけど美しいお菓子を持ったけど、やっぱりお花が欲しいなと思って、彼女のイメージで花を選ぶ。可憐なものになる。でも彼女のイメージは可憐よりもう少しゴツさがあるのだけれど、でもやっぱりそのイメージになる、ってうまく書けないけれど、人のイメージって例えば生き方や人との付き合い方や話し方や興味の方向、毒の吐き方、優しさ、強さ、弱さ、色々あって、でもそれを例えば「花」にするときに何か、集約されるものがあって、そこではこの場合不要なものが捨てられて何かの面が強く立ち現れるような感じがする。イメージにピッタリだけど、理由がうまく言えない、言うと矛盾が生じる感じがする。
彼女にお線香あげるのに、そんなのどうでもいいことだと彼女は思うし、私はこうなのだ。
夫が江口団子でおはぎを買ったので、それを家主と3人で食べた。美味しかった。
16日曜日
かきがわひらきは無事に開催された。私は行かずに、調べものなどゆっくり仕事をする時間とした。
アマプラにピーターグリーナウェイ監督の映画があって、細切れにだけれど、ここ数日かけて『英国式庭園殺人事件』を見た。日本での公開は1991年というから、大学一年生のとき(ZOOは日本で1987、数に溺れてが1989、コックと泥棒、その妻と愛人が1991)。高校生の時に見た気がしていた。セリフが異様に多く、その内容が教養主義的だから、今見ると当時と現在がとても異なる内容の時代だという感じが際立つ。
15土曜日
翌日の「かきがわひらき」というイベントに参加する工房このすくの準備。版画部展のための額縁とマット紙を用意する。
工房や部活を民主的に行うことの「難しさ」について。立ち上げ当初から当たり前なのだけれど、これに関わる人々は一様ではない。主として行っている活動も仕事もそれぞれだし、工房に関われる頻度も深度も違う。利用の仕方も違う。それは開設メンバーから、運営メンバー、利用者、部員、みんな違うことを前提にどうするのか。手厚すぎたり、関わらないと難しかったりがあるし、大家のスタンスもある。負担する料金の問題がある。これを全部合議でお互いが監視し合うように納得しようとするのは気持ちが悪いのに、基本、同調圧力の強い私達をどうするかという認識が欠けているの、高学歴の研究者ですらそうなのだから嫌になる。正しい物差しが存在するという認識が間違い。相対的にではなく、自律(立)的に納得することを考える方がよい。
私は早い時期にこのすく運営から抜けていて、版画工房としての、特に版画部の運営にのみ関わっている。
「かきがわひらき」の運営の人からホスピタリティ高すぎずにやっていきたいという話を以前聞けた時は胸熱だったな。
14金曜日
原稿の締め切りが伸びて呆けたとはいえ、待ってもらっていたデザイン仕事先に連絡を入れて稼働させたり、急な仕事に対応したり、空いた時間には書類の片付けなど、居間とアトリエのフィジカルな片付けをして、夕食を作る段になったら電池が切れた。特に花粉症の症状が出たてでひどく、鼻水とくしゃみ、目が痛くて頭も痛い。引きかかってた風邪の残りで声も少し涸れていて、気が抜けた分もあってぐったりした。
夜、枕元でグッゲンハイムのヒルマ・アフ・クリントの図録を開いていて、一昨日の熊谷守一の図録を見た時みたいに、凄くよく見えて(「よく」はいい作品に見えるではなくて、私の目のチューニングが絵に合っていてという意味)、興奮して疲れた。嬉しい感情と、疲れと、疲れてるから眠いのに興奮で寝付けなくて困った。といっても不眠症ということはなくて、ちゃんと眠ってる。
13木曜日
少し不貞腐れてというか、やる気をなくしている人に、ついいっぱい喋ってしまった。というか、言えてよかった。私はとことん応答型で、先に言うことが特に何もない。
花粉症がはじまってひどい。
原稿の締め切りが突如大幅に伸びて、急に気が抜けてしまい、書類の片付けをはじめて夜更かしした。
12水曜日
『抽象の力』を再読しはじめる。《轢死》や《夜》を画像検索して、熊谷守一美術館のサイトを見たりしてると、要町に住んでいた頃のことが懐かしく思い出される。熊谷守一さんちの前を通るたびに、ここがクマガイセンセの家という意識はあったけれど、家の中にまで入ったぼんやりした記憶(映像的イメージ)は、私が小さい頃に聞かされたことによる捏造なのか、実際の記憶なのかわからない。
夜寝る前に、美術館30周年記念の小さな作品集を探し出して(本棚の奥にあった)枕元でページをめくる。『抽象の力』に出会ってから、マチスについておかざきさんが話すのを聞いてからやっと、この絵がどうやって描かれたかがわかった(と言うと「理解」という事柄に収束されてしまうけれど、もっと質や感覚的な内容のことで)、絵がものすごい鮮度を快復して、絵の具が画布に触れている当時のまだ潜在的な状態を含んでいる最中のもののように見えてくる。感化されやすい私が主観的な感じばかり書いてもしようもないけれども、もの(作品)がそこに留まってずっと在ることの効能は、私自身が生きて流動的であることの面白さを、時間をかけて見ることが叶うということだなと思う。作品が待っていてくれる。
かたちが記号化される前の領域の拡張がすごくて、急に情報量が膨大になって押し寄せてくる。刺激が強すぎて、眠れなくなる。
11火曜日
構成の最後の授業日。簡単なグループワークを一つやってみたのだけれど、グループによってコミュニケーションの状況に明暗がだいぶついてしまった。最初は無言で、形だけに応答する方法で行って、次の段階でそれをみて対話をしてもらい、最後は協力して作品を仕上げるというやり方にしたのだけれど、対話しない段階の方がクリエイティブだった。どうしても人同士の関係性の方が物事の判断に強く出てしまう。
確定申告を無事に終える。
10月曜日
確定申告を後回しにして仕事しようと思ったけれど、青色申告のまとまった額の控除を受けられなくなると知って、慌てて会計ソフトを開く。会計がらみも勉強がらみも、私は本当に整理整頓ができてなくて、これ真面目に取り組んだ方がいいなって思うと戒めとして書いておく。
月曜版画部。Tさんが学生時代に作ったメゾチントの版を刷っていた。夫は私からみたら不器用に見えるのだけれど、流石に刷りは凄くて、メゾチントは特に、階調を出した上で漆黒の黒インクをヴェルヴェットのように強さとふわっとさを共存させて刷り上げるのには技術が必要。それを以前刷ってもらって色々教えてもらったから、もう一度自分で挑戦してみるとのことだった。刷り上がりに皆で感嘆したシーンを写真に納めた。
9日曜日
昨日、いらしてくださった方から石川県立図書館の話を伺って、朝バスに乗って行ってきた。子どもの本のコーナーがとても良くて、後で気がついたのだけど、仙田満さんと環境デザイン研究所の設計だった。それは遊具等の作りが秀逸なのはうなづける。私ここで学生時代にアルバイトをしていて、模型作ったのがきっかけで立体の作品作り始めたところがある。
大好きな作家の山本優美さんがお子さん連れでいらしてくださったり、初めましての方で、本を読んで《重なる箱11》を今作っている最中ですという方がいらしてくださったり、とてもありがたい。岡﨑乾二郎さんを好きだという方が結構いらして、帯の威力に感謝。
北陸新幹線で糸魚川に出て、えちごトキめき鉄道の日本海ひすいラインで直江津に出て、信越本線で帰って来た。
8土曜日
開廊の時間に行く。偶然の再会やタイミングよくいらしてくださった方など、ありがたい。既に本を読んでくださっている方と会場で作品を前に話をするのがそういえば初めてで、なかなか本が読まれていることの実感がなかった中で、それがそれぞれに届いていることを直接伝えていただけるという、本当にありがたい機会となった。
美味しい和食の夕飯をご馳走していただいた。コロナ禍のオンラインの副次的なありがたみの話など。
7金曜日
設営の作業を夫とポンテの本山さんと共に。ポンテでの個展は3回目だけれど、移転したのでここでは初めて。図面を事前にいただいていたけれど、以前小木曽瑞枝さんのここでの個展を見に来た時の印象では正方形のイメージだったけれど、図面だと記憶より奥に長い長方形。でも来てみると、思ったより小さく正方形の印象に近い。計画の展示台の配列だと空間が窮屈なので現場で変更。防災の法律の関係で壁は石膏ボードなので、《重なる箱18》を展開して壁に設置するのも一か八かの方法だったけれどうまく行った。
思ったより順調に進み、21美の「すべてのものとダンスを踊って―共感のエコロジー」展へ。制作者をコレクションのように集めてきて繋ぎ合わせメッセージ性の強い展示をするといういわゆるキュレーションの力が前面に出てる感じがして、乗れるところと乗れないところと。「アマゾンなどの作家」の部屋を見るととても新鮮に感じられるなど。
早めに宿に戻り、原稿を書いてみて、本を読んで、串揚げ屋さんに行って(ホタルイカの串揚げ美味しかった)、見つけた銭湯に行って早く寝た。
6木曜日
新幹線が止まってるというニュースがあって、金沢無事に行けるのか心配したけれど、私の乗る列車への影響は数分の遅れで済んで胸を撫で下ろす。途中の信越本線、海の直ぐ横を通るの忘れてて、車窓に大きな波が現れてびっくりする。
ヒルマ・アフ・クリント展図録の岡﨑乾二郎さんの論考『認識の階梯』を読む。彼女の状況を心を寄せて書いてくださってるのを強く感じる。制作者が、造形者がどのように感じるか考えるかについてを知る同じく制作者でなければわからないと言ってしまうのは乱暴過ぎるとは思うけれど、彼の詳細な資料の集約と、そこから立ち現れる現場の様子に気持ちが温かくなる。
私には詳細な資料に基づいた論考を書くは難しいと思うけれど、既に言えることだけではなくて、言葉にできるかもしれないことギリギリまで書いてみることをやってみる必要はあるだろうとこの頃思ってる。
5水曜日
個展の準備でそんなに心配することにのに、やはり大きく予期不安がある。どうしてかなぁ、更年期というか、中年になって体力が落ちたせいなのか。11年ぶりに東京のギャラリーで個展した時、2022年の椿の時に、既にSNSで知り合っていた敬愛する作家の友人たちに、そういえば初めて最近のシリーズの作品を実見してもらう機会だったと気がついたらとても不安になり、私が一人で過ごしてきた時間が彼ら本当の意味で通用するのか怖かった。というのも、その頃特にSNSの画像で見ていいなと思った作品を実際の展示で見に行くと、あれ?っていうことが結構あって、あれ?って何かというと画像以上の内容がないというか、実物を見ても実見してゆえの見るものがなくて、ただ確認しにきただけみたいな空疎な気持ちにちょっとびっくりしていたからなのだ。それらは世間での評価はそれなりというかかなり高くて、私と同じように感じる人は少ないと思いつつ、私が感じたのと同じように、私の作品を見た人が、やっと実験する機会を得たのに肩透かしに感じるかもしれないという思いに囚われたからだった。
ざっくり言って、意味を見る人と見えるものを見る人といる。というかちょっと遠慮気味すぎた、意味だけを見て見えるものを見ない人がいる。でも自分の作品について、見えるものだけを見るは難しい。見えるものだけを見て終わりなわけではないが、そこから始める必要がある。でもきちんと見れる時はあって、静かで沸々とした喜びがある。
4火曜日
母親の事務仕事の手伝い。パソコンやスマホが使えない場合に、行政の書類を読んで何かできる感じがしない。この頃何かについてくる取説もあまり読めなくなった。とても読みにくいと感じるようになったからなのだけど、欲しい情報にすぐに行き着けないことに苛立って読もうという気がない自分の方が変化したのか、取説の編集の仕方が悪いのかわからない。以前は間違いなく、取説を作る人の能力が落ちたように思っていた。けれども、サイト上で必要な情報にスキップしてたどり着ける機能に慣れすぎたことで、ゆっくり取説の端から端まで読むことが馬鹿らしくなってから、思いもよらない使い方をする人の事故からの訴訟を避ける必要が出てきたことから量が増えたなど、思いつく理由を上げては見たけれど。今の私はもう少し落ち着いて形骸化した文書でも、時にはきちんと読んだ方が自分の息が整うかもしれないなとも思った。
作品の判別に困らないように画像付きの出品リストを作る。動きやすいものがあった方がいいだろうと、ドローイングのシートも持って行くことにしたので、そちらの画像リストも作ることにしたら予想より手こずった。展示ごとに作るのではなくて、データバンク的なものにそろそろまとめないと、自分でも全く把握できなくなっている。
3月曜日
展示の準備。作品を壁に設置する用の部材の取り付けに困らないように、位置の割り出し方法(その部材をどの位置につけると、どういうボリュームでその作品が設置されるか)が具体的にわかる見当つけようの用紙の残りを算出して制作して出力。天候が心配なので、一日前倒して梱包して作品の発送までが今日のミッション。バッサバッサと思考のタスクを切断するようにして、夜は呆けて過ごした。
外に出て行く前の、準備の時間をひたすら過ごしているのがキツイ時がある。外に出て行くのがずっと先で具体的ではない時、かなり自由に過ごせて、外に出た時も、相当楽しい。自分の自由を持ったまま外に出るのに何かしら具体的な準備が必要で、そこで決めなくてはいけない外殻を決めることが億劫だという。だからといって、内側に人を招き入れる、例えばアトリエに来てもらうも実は私は結構嫌かもしれない。何も隠すものはないけれど、外の人が内に入った途端にその人を物差しとして、私の愉しみが色褪せて行く感じがしてしまう。弱い、なぜなら自分が人のアトリエに行くのはとても楽しみだから。まあ、私は多分どんなアトリエに行っても楽しみを見つけると思う。
2日曜日
前日つい夜更かししてしまい、朝は普通に起きなくては行けない日で、午前中は使いものにならなかった。妹とLINEしたり通話したりして、感覚や信条の異なる人たちと一緒に過ごす時の小さな軋轢について、具体的にどう感じてるか、どう対処しているかなどを話したり、相談したりした。大根とがんもどきの煮物をつくりながら。
母の家に花が届いたと電話が来た。一年位前から月の第一日曜日に小さな花束が届くサブスクに登録している。若い人向けのサービスで、本当は自分の家に届く仕様なのだけれど、お願いして母の家に。モダンで可愛らしい花束が届く。母は生け花を少し嗜む。
作品を1点、イレギュラーな形で壁に展示しようと思っていて、壁は石膏ボード。一か八かの方法を考えついて、その仕込みの作業。箱の裏の板の断面に小さな穴を開け、針釘を差し込み、壁に打ち付けるというもの。石膏ボードは12.5mmで、奥は中空ではなくて鉄板なので、深さに留意して穴を開ける。うまく設営できるように実寸の大きな配置図の用紙と、個々の箱の穴の位置がわかるそれぞれの用紙を用意した。準備万端のように思えて、実際にその壁に打ち付けてみるまでそれがうまくいくかはわからない。家の石膏ボード壁ではうまくいったけれど。個数が12個、なので、うまくいかないリスクもそれだけある。けれど、うまくいかなかった時のBプランはないのですよ、大丈夫だろうか、、、と考え出すと、予期不安で疲れてしまうので、残りは現場で起きたことに対処することにする。
1土曜日
井上さんがやってる木舟舎さんの企画、ZINEとリトルプレス展へ。会場のブックスはせがわさんでは、『しくみの内側のしくみ』も扱ってくれている。ありがたい。出品者の方々の本、どれも本当によくできていて味わい深いものばかりだった。本の書き手や作り手が増えすぎたという批判も聞いたことがある。それでもZINEなり一冊の冊子を作るというのは、企図したものを抱えて歩きはじめるような、思いつきや憧れから外へ大きく踏み出すような行為で、それぞれにちゃんとした重石があるものを複数目の前にして、ゆったりとした楽しい時間だった。