2025年2月
28金曜日
本当はミニコンサートに行けたらよかったのだけれど、個展直前で仕事が終わらない不安があって、欠席することにした。印刷入稿前の仕事がいくつか。校了を待っていたものの入稿を済まし、昨晩入稿したものと合わせて事務的な処理のやりとり。常連さんの仕事は初校出しから印刷入稿まで今日のうちに済ませた。出品リストや使用展示台のリストの提出。サルトルの実存主義とジャコメッティの彫刻の距離についての読書会。AIについての雑談。私の感覚は呑気すぎるだろうか? 問題意識としては深刻なのだけれど。やはり誰とでも話ができるというような世界はさらに失われるのだろう。
27木曜日
添削のためにどの構成もメモのように一旦図にして指摘箇所を指し示したり、改善例を描いたりすることによって、評価の目が確かなものになるなと。評価する立場の人間もやってみることが肝要に思える。それぞれの子の土俵の上で立ち回ってみること。そうしないとアドバイスは単に「私だったら」という解の押しつけになってしまう。
二十歳を祝う会で気がかりだった子が既に退院していた。元気でいるだろうか?
26水曜日
息子の学校がもう終わって、夫も出勤が遅い時間だったので、家族で昼ごはんを食べているという変な状況で、夫の送迎や息子の自動車学校への送迎などを買って出たため、時間のやりくりが面倒になった。街中でも除雪した雪の山が結構高く、普段より道幅が狭いし、交差点及びそれ以上に、住居や店舗の駐車スペースから車が出てくるだろう雪山の細切れな切れ目の横を通るたびに、体がこわばるのがわかる。少し疲れる。
高校の構成の授業の採点、成績付けを、3度目で慣れたので簡単に済ませられるようになったのに、最後だと思うと何か悔いが残らないようにと、まるで通信教育のようにそれぞれにそれなりのボリュームのコメントを書き始めてしまった。構成の改善例の図まで加えて。赤ペンが0.3mmのものしかなくて、もっと太かったらもうちょっとざっくりした内容にできただろうと思い、うちにある水性ペンを探してみるも、3本ともたまたま0.3mmの芯が入っていた。本の校正紙に書き込むときに困らないように、いつもより細い芯を買って全てに装填していたのがまだ残っていたのだった。
永瀬さんのレビューに本のことが書いてあるとコトニ社の後藤さんに伝えて、喜びを分かちあうなど。後藤さんが、「コイズミさんの作品の底の見えない奥深さとどこか飄々とした軽やかさとが同時に存在する」って永瀬さんの評をパラフレーズされてて、後藤さんもそういう風に感じていたのかと嬉しくなった。私自身はそのように明確に思ったことがなかったのだけど、とてもしっくりくる感覚だと思う。深さというと何か深遠なイメージがつきまとうけれど、そういうのとも違うもっと何か見つけかかかってるもので、もしかしたらやっぱり大勘違いかもしれない不安もつきまとうような何かだと思ってる。それに耐えて付き合い続けるためにつくる。
25火曜日
雑誌アートコレクターズ3月号に画家の永瀬恭一さんが展評を書いてくださると知ったのは、個展終了後随分経ってのことで、版元から掲載誌を送るのに住所を知りたいと連絡があったけどいいですか?ってフラットリバーギャラリーの荒井さんから連絡をいただいた時だった。発売前に届くかなと思っていたら、連休があって、しかも長岡への郵便だから発売日の今日届いた(ソワソワしていた)。とても丁寧に作品をみてくださって、本も読んでくださっていて、本当に有り難かった。なかなか所謂書き手の人に見てもらって、書いてもらう機会は多くないので、本当にラッキーだったと思う。
自分でも自作の遍歴が、立体だけれども彫刻よりも絵画の文脈に重なるところがあるよなとは思っていた。例えばイリュージョナルという意味でのイメージの再現から、具体物への意識の移行など。永瀬さんは、紐についての作品周りの次元の行き来と、そこに色彩を加えないことをキュビズムと重ねて書いてくれたりした(と思ったのは勘違いで、バロックについて書かれていた)。見切れるかどうかという問いが、私の作品を見る時に立ち上がるのも、ここまではっきり表立って記してもらったことは初めてだけど、実際重要な問題かもしれない。
終章がただ単なる雪の中の暮らしということではなくて、制作についての話だと受け取ってもらえたことも伝えられて嬉しい。それにしても、細長いから船だと思っていた借家の表現を、「UFO」と書いてくださってるのとっても面白いし光栄です。
制作でも、本を書くときでも、それに明確ではなくても影響を与え支えてくれたような作品や著作はあるのだけど、それについてきちんと言ったり書くことは難しく、でも、書き手になってみて、書いたものが真に受けて読んでもらえたと知る機会があることは、本当に嬉しいので、私ももうちょっとできたらいいなと思う。
夜、読書会で『群像』の福尾匠さんの連載「言葉と物」の最終回の最終回。音読の最中に「レシピと自伝」という言葉を思いついたので、手近にあった、母からの手紙の封筒にメモした。この連載は本当に私たちにとって良いものだったので、書籍化されるときにできたら書き直されない方がいいねって言って終わった。
24月曜日
作品箱をつくる。丁度残っていた大きな段ボール箱(新品のもの)でピッタリ3つ分の作品箱が作れるという目星をつけて、つくり始める。折スジをつけるのに今回初めて、祖母の家の不要になった裁縫箱から出てきた、和裁用のヘラを使ってみる。手製本や紙ものを作っている人たちの専用の道具にそれに似ているものがあるのをInstagramで見かけてのこと。丁度良い。
作品(シナ合板)にキヌカという米油を手拭いで塗布する。
23日曜日
アトリエと玄関書庫スペースの片付け。作品箱を作ったり、搬入の準備資材を順次玄関のスペースに用意していくようにしていて、まずはそこを片付ける。燕三条カルチベイトチャンネルからのトーク配信時に、鎚起銅器職人の大橋保隆さんから、彼の会社設立記念の出版物である『俗物』をいただいた。そのままになっていたものに目を通す。布貼りハードカバーでコデックス装、銀色に輝くカバーが巻いてあって、槌目のついた小さな銅板が表紙にはめ込まれている。テクストの構成も、執筆者の視点、書いていることも、予想以上に自分のやるだろうことと親和性が高い。ものをつくることを、例えば「子どものようにして世界に触れる」と、私の展示をみにきてくれた方が書いてくださったことがあるのだけれど、そういう領域は、ある意味生活を意識的にやり直す中での「造形」という生活工芸のような視点と親和性が高いのだなとふと思った。そこにその解像度の高いままに耐えうるものをつくろうとすることがあちら側の人々であり、きっと私は、誰でもそのように触れてきたはずだから、できるはずだから、その力をもう一度一緒に取り出そうとしている。なので、本を作るときに、彼らが上製本にこだわることにはその意味があり、私はできるなら素朴で使い倒せるような、書き込みをしたり、ページを折ったり、コーヒーの染みがついてもいいと思えるような、そして特別ではない日常のものにしたいと考えるということになる。
22土曜日
作品の撮影。複数のシリーズを制作するようになったのもあるけれど、つくった端から売れていく作家でないのもあって、寡作なのをいい事に、重なる箱の作品のタイトルが単純な番号になっている。まだ21個(関連する別の作品もあるけれど)。今回、19, 20, 21は心の中では「ポストシリーズ」と呼んでいる。壁にかけるタイプで縦長、ポストのように上から差し込む動きが入っている。記録の撮影を済ませることにする。私のスマホはまだiPhone8。これで撮ってる。動画も撮っている。申し訳なく酷い話だ。作品の撮影をプロにやってもらったのは、椿の初個展用のDMを銀座の物撮りの会社で。会場撮影はコバヤシ画廊で個展した時に小林さんに勧められて末正さんに撮ってもらったのが初めて。他、美術館での展示の際に美術館側が頼んでまとめて撮ったもの。この後のどこかのタイミングで、きちんとプロに撮ってもらおうかなとは思う。撮って欲しい人はいるけれど、個人で遠方への出張費まで出すのは厳しいから、また東京でやる時があったらかな。
21金曜日
作品つくるの楽しくて、いや、毎日面倒なことたくさんあるのだけれど、始めてしまうとやはり、手作業が好きなんだなと思う。昨日、「先生、絵の具で色塗る時何を気をつけたらいいですか?」って聞かれて、「筆の穂先が紙を撫でてる感覚に集中してみて、わかる? 筆の穂先が紙を撫でてる感じする?」「いや、わかりません、わからないっす」というやりとりの中、その子が自分で描いた桜の輪郭の内側に淡いピンク色を塗っている穂先は、笑ってしまうくらい順調にはみ出すことなく色を差していた。というか、本当に綺麗にできすぎて笑ってしまった。それと同じくらい、私の切った板の切り欠きがもう少し削らないとうまくはまらない箇所を、カッターと彫刻刀で薄く削る作業の指先の新鮮な気持ちよさ。まあれは、まな板の上の胡瓜を切る時に意識を包丁に向けた時に感じられる程度の日常的なものなのだけれど、時に強い充実感を得られる。必要ならば、何度でも。
20木曜日
「先生褒めるのが上手ですね」と言われて、いや、本当は滅多に褒めないというか正直者なのでいいと思うことがなければ褒めない(すぐに顔に出るし)ので、素朴に素直な造形についての発見を目にすると嬉しくなって褒めてしまうわけだけど、それだけで何かに通用するわけではないし、けれどもそういうふうに人がゆっくり自分で見つけるような場面に遭遇することはあまりないから、一緒に楽しくなっちゃうんだよね。そこまででもいい気もするし、でもそれをもう少し、ここだけではない何かにつなげるフックを用意できないかなとは思う。
書は自己表現なのかもし。美術はそうでもないということをどう言うか困りどころ。
19水曜日
仕事先の手続きの間違いで、繰戻金の手続きに銀行窓口へ。衝立の隙間から行員の人たちが忙しなく働いている姿が見える。お金に関わる仕事をずっとしている日々のこと、想像ができない。経理的な世界での間違いは、私の日常の中での間違いとはだいぶ位相が異なるなと思って。
最後の箱のパーツを製図から描き出してカットを済ませ、接着前に組み合わせてみるも、小さなずれが積もってサイズの修正が必要な箇所が目に付くと、そもそも形を変更したくなって、もう一度製図からやり直し。複雑な形のパーツを綺麗に形成できた後だったので、少し残念。早く仕上げて、撮影して、オイルを塗りたい。
18火曜日
構成課題の提出日。全員が提出できてよかった。
小さなトラブルの話。問題について誰と話をするのか、何を問題とするのか、自分の問題として話すのか、誰の利益を重視して話すのか、問題をただ事実として話すのか、解決を求めるのか、解決するには相手に変化してもらうのか、本来の受益者の最も良い環境について話すのか、自分が変わるのか、といった解体は必要だと思う。ただ不満をずっと飼うことになりかねない。同じ場所は悪い場所になりやすい。居座らないこと、自分を固定しないこと、ズラすこと。こんなふうに書き連ねてみても、色々やれることはあるように思う。
高校への行きの道。まだ雪は大丈夫だと思い、大雪の時は通ってはいけないヤオイタ家の裏の道を通る。風もないのにホワイトアウトした。道が微かに見えるだけで、視界は悪く、地平線が消失して、上も左右も下も真っ白で、今世界で一番あの世に近い場所という印象。停まってしばらくたたずみたかったし、写真も撮りたかったけれど、後ろから車が来るので、これは安全のために停車するわけには行かないと思い、ただただ車を走らせる。ずーっと行くと、17号に妙見堰より少し先のところで合流。その先も不安な箇所はあったけれど、私はこれがとても好き。帰りも同じルートを辿った。帰りの方が雪が降っていたけれど、空気は晴れていて視界が良好だった。それでも運転中、体が少し緊張でこわばっていたせいか、家に着いたらぐったり疲れた。
17月曜日
業務連絡等を済ませたのち、勉強しなくてはいけないことがあって、これはちょっと気分を変えないと集中できない(アトリエにいると、作業をしたくなってしまう)と思い、ガストへ行く。早めのお昼を食べて、ドリンクバーのコーヒーを飲みながら本を読もうと思う。平日のお昼、こんなにお客さんがたくさん来るとは思ってなかった。人々が過ぎ去っていく中、席に留まり、メモをとりながら、今回は後ろから読むようにして、関連箇所を探していく。あまりやったことない。でもいい加減、気持ちが急いでいる。
月曜版画部担当の日で、久しぶりにこのすくへ。新入部員のYさんとTさんも久しぶりの参加。銅版画の初心者講習会は受けたけれど、時間が経ってしまい、やり方を忘れてしまったと質問を受けて答えるのが楽しい。他の部員さんたちが、少しづつ分担して教えてあげている姿が嬉しい。すごく部活っぽくて賑やかだった。
16日曜日
この頃は箱の制作をしている。小さなものだけれど、段取りを組んで作業をはじめると次から次へと工程を進んでいくような体の動かし方をしているせいか、身体の疲れ方が違っていて、夜に本を読もうとするとすぐ眠くなってしまい、いつも以上に本が読めない。
作業中に見たいくつかのレクチャーやプレゼンテーションなど、今日見たものは乗れなくて徒労間しかなかった。いやほんとに、なんなんだと思う。私のこの日記も大概だけれども。
15土曜日
断片的に想起されるシーンを描写するように観察してみたりする。この頃は本当に記憶力がなくて、既に痴呆が起きているのではないかくらいに思ってしまう。代わりによくないことをぐるぐる考えることから逃れる術は身についてきた気がする。忘れることも悪くはなくて、大事なことで忘れてたような内容は、もう一度新鮮な目で出逢い直すことができる。そうでなかった時は、大体以前になぞった時と同じようにして、その道筋をなぞってしまっていた。同じ道を違うように歩けば、新しく見つけるものが多い。どんな簡易な言葉にも、風景にも、多くのことが圧縮されている、というのは言い方であって、その解凍は凍結される前の状態に戻されることではなくて、私自身が別の粘土を用いて肉付けするような出来事だから、失敗したことをやり直すとしても、それは別の新しいものができたというように、ああ、これもいわゆる螺旋状に進んでいくようなそういう営みだと思う。まあ、そういうふうにイメージするのが好きだというだけかもしれないけれど、楽しめるように育てることは一つの技術だと思う。
14金曜日
この時期には珍しく、展示告知のチラシ等の仕事が続いていて、この二日留守にしただけだけれど、溜まった業務を片付ける。留守中に雨が降ったようで、家々の屋根の雪の量が減るというより縮んでいて、それが重そうに見えるのはその辺りの知見が増えているからなのかな、知らないと重くなったようには見えないのかな?など、この頃気になっている感覚の違いを勝手に想定して、知らないで見た場合を想像でやってみたりする。
摂田屋のLISのブックスはせがわさんへ、ZINEイベントへおかけんと作品のリーフレットを搬入。拙著を紹介して置いてくださっている。ありがたい。
日記の内容が弛緩しすぎて、書いては消してを2回やった。緊張感がなさすぎる。
13木曜日
母の家から小木曽瑞枝さんと待ち合わせて府中市美術館へ。彼女の公開制作の展示をみに行く。普段はガラス越しでしか見えないところを、作家自らに鍵を開けていただいて拝見する。新作の経緯について話してくれて、彼女の造形の始まりのリサーチ、その時に撮影した写真なども見せてもらった。彼女のかたちは美しく整理され、とてもポップなのだけれど、写真を見ると、そのものズバリが写っていたりして、あ、これらもまさにデッサンまたは写生なのだなと思う。それから、先日開催されたO JUNさんとのトーク改め、ドローイングセッションの話を聞く。私たち背水の陣だと感じてるよねと、昨年、共通の友人を病で亡くしたことを下敷きにして、いや、下に敷いてなくて、その彼女が最期まですごく楽しんで頑張り抜いたことをうっすら追いかけながら近況を伝え合った。
小西真奈展とコレクション展も見て、もうくたびれたからまっすぐ帰ろうと東京駅に向かう。ふと、ステーションギャラリーで宮脇綾子展やってるのが見えて立ち寄る。台所にある素材の観察から始められるアップリケ。ちょうど小木曽さんのかたちの仕事とも繋がるなと思いながら拝見。少年院で絵を教えるのに持っていく資料は、絵画より博物画や子供が植物や野山、動物や爬虫類を観察する図鑑的なものが自ずと多かった。そういえば、絵を描こうとすると、上手く描けるか描けないかになってしまうけれど、いわゆる観察するという行動を挟む場合、そのものの構造を見ることになる。花びらが何枚かと言ったわかりやすい理解をそのまま表てみることのほうがとっつきやすい。観察することは単位的に=分解して見て、それを伝えること。彼女の仕事で面白いなと思ったのは、例えば干された唐辛子を束ねているものは、実際に束ねている藁で、縫い付けてある状態も、見えている状態ではなくて材料自体を実際と同じ方法で編むようにして繋げている。つまり、表現として見えている面の形を取り出す仕事に混じって、そのもののままのものを布に縫い付けていたりする。最後の方に、髪の櫛そのものをそのまま数種類並べて布に縫い付けている作品があった。そのものズバリだからレディメイド作品とは異なるというキャプションの弁は確かにそうなのだけれど、形を二次元に描き表すことの延長として、布などの素材を用いて表す時に、具体物が混入し、終いには具体物そのものを標本的に扱うようにまでなるという。ものそのものと、そうではないものの程度問題みたいで、どこまでご本人が自覚されていたかもわからないけれど、面白かった。
12水曜日
新幹線で東京に出る。八重洲北口から川村記念美術館直通のバスのバス停に着くと長蛇の列。いやはや乗りそびれるかと思ったら、3台バスが来た。この人数が一度に美術館に着くのかと、混雑を心配したが、もちろんこれまでに経験のない人の多さではあったけれど、充分良いコンディションでコレクション展をみることができた。ロスコールーム、フランクステラの部屋。茶室へ続く部屋には、たくさんの作品が架けられていて、それらが互いに響き合い、集めたコレクションの良さを心から楽しめた。足を伸ばしたことのなかった庭に出て、ヘンリームーアの彫刻がポツンと立っている広場をみながら、これら失われることの喪失感と焦燥感にかられて、夢の時代から覚めるのだなという実感が降ってきた。
マキファインアートへ豊嶋康子展。壁にくっついているということの事実をこれでもかと見せつけてくる小品のおかしみを味わいつつ、大きなパネルの作品の妙技は私には決してできない類の仕事と思うなど。
江戸川橋から有楽町に出て、YAU、西澤諭志「1日外出券」。この場所のことをよく知らないまま来て、人がたくさんいたのでその様子に圧倒されてしまう。事情をきちんと理解しないまま来たのが悪いのだけど、気後れしながら奥の展示空間へ向かう。リサーチのためにおとづれた場所を撮影した写真。米軍基地や、原子力施設、文化施設などの近辺の観光写真とは趣を意にして、でも何か意味を含んだ地の脇役的風景。ドキュメントとアート写真の間のエアポケットのようなあっけない新鮮さがあったりする。それにしても、下の世代の人たちがこのような場を開いてフレキシブルに連携しながら協働している様子を、凄いな偉いなと思いながら、自分の大きさについてぼんやり考える。
11火曜日祝日
労働の方で、服飾作家の個展DMの制作依頼。朝からアトリエを片付けて写真撮影の準備をする。コンクリートの床に服を並べるため、木屑を掃いてから雑巾掛けをする。ぱっと見では見えない細かい木粉をかき集めて拭いとる濡れた藍色の元ハンドタオル。普段はサンダル履きのアトリエを靴下で歩く。冷たい。
年配の彼女と服をああでもないこうでもないと、広げたり窄めたり並べたりしながら撮影してみる。肉眼で見ていいと思ったものと、撮ってみたものと違うし、それをイラレ上に配置してみてもまた違う。スマホ(!!!ハガキサイズなら充分)でパシャパシャ気軽に撮って試してみれることで、昔とは全く制作現場の状況が違う。彼女のいる前で、大体レイアウトして見せてデザインの方向性を決めて、そのままブツは撤収して貰う。こうやって、短いスパンでできる仕事は優先してパッパと進める。今日のうちに初校を出す。別件の印刷入稿を済ませ、別件の印刷見本が届く。
夜になって店舗側からは展示のタイトルについて別提案のメールが返ってきて、いやいやそれは作家の方に相談してくださいと返信した。明日明後日は上京して労働の方は切断する。
10月曜日
作業のお供にパープルームTVをつけてて、関西の人なのかな?art airという番組をされている人たちと梅津さんの話が面白かった。そうなのか、図画工作のことを考えているのか。私は大学の時に版画部で版画を制作していたし、1990年前半は版画が盛り上がってて、版画芸術もいつも面白かったし、町田の版画美術館も面白かったし(最近も企画すごい!)、長岡に引っ越して陶芸などのクラフトの人が周りに多いから(窯業とはちょっと違うけれど、産業としてはむしろ燕の鍛金をしている人たちの活動にかぶるってくる)、その心情わかるし、自分が子どもの記号と言葉と絵のことが面白いと思っていたので、うなづきながら聞いた。
長岡造形大学に卒業制作展を見に行く。美術工芸学科しか見なかったけれど、版画の大森野乃さんと、絵画の廣田勘太郎くんと、下澤亮太くん、鋳金の岩崎遥くんの作品がとても面白かった。
9日曜日
今作ってる作品の最後の箱の設計を変えることにした。シンプルな外型だけれどなぞる形は複雑なので、頭がこんがらかる。
ファンダメンタルズのラボとルームの日で、諏訪葵さんの「制作中や研究中の意識のブラックボックス」についての問いかけに答える会で、科学研究がまずイメージがあって始めることや、閃きや考えがまとまる時のこと、後付けでやTPOに合わせて言語化することなど、おおよそ美術と共感できる内容が多かった気がする。感覚の話をした。
8土曜日
友人から、ツバメコーヒーのトークの配信まだなんだねというメッセージが来て、あれ?と思い確認してみたら配信されていた。通信回線の問題で、所々暗転してしまうトラブルがあるけれど、通しで見ることができた。きちんと自分の仕事を説明することはできてなくて申し訳ないけれど、話はある程度成立していたから少し胸を撫で下ろす。ちょっと顔が笑いすぎでみっともない。
金沢個展まで一ヶ月で、2月は短いし、やりたいことも多く、なぜか労働仕事がこの時期に珍しく多く飛び込んできて調整が難しい。今回久しぶりに薄い4mm厚。華奢な印象が大切だけど、ちょっと華奢に計画しすぎた箇所が心配といえば心配。ものにどのように触れるかは人によって規模が、感覚が全く違う。キュレーターだったり、アートライター的な人でも、びっくりするくらい物への触れ方が雑な人もいる。それも器用不器用に関係する感覚なのだろうか? 
7金曜日
忙しさにかまけて日記を書き忘れるようになってきた。でも、日記を書くことにやっと慣れてきたところもある気がする。どうやって書くかを考えず、肩に力を入れずに書くように落ち着いてきたというか。
板をスライド丸鋸や糸鋸で切る。目の前の窓で雪の降る様子を見ている。雪は細かいか霰かで、大きくて水分の多い切片はあまり見かけない。気象が変化したのを実感する。
晩御飯はおでん。子供の頃、夕飯がおでんだと嫌だった。母はちゃんと茶めしを炊いていた。今、母から貰ってきた美味しいふりかけがあるから、ご飯はふりかけで食べて、おでんは酒のつまみのようにして食べる。といっても禁酒中なので、酒はない。子が、酒を飲むわけでもないのにおでんが好きだという。屋台で食べてみたいと。今は街に屋台が出てる様子が想像できないような社会になった。なんでもないような隙間の空間が減った。
ベルクソンの「純粋な知覚」と「不気味な私の拡がり/自分の身体」という対比、または私の延長が感覚的にイメージされてとても面白かった。
6木曜日
少年院でのクラブ。明確な課題を出さずに、それぞれが作品と呼べるようなものをつくる(描く)ことを目指す授業なので、それぞれが違うことをやっている。時間もかけたいだけかけていいと伝えている。元々は小さな課題を出して一緒にやった。段階を追って、こういうことに挑戦してみている。きっかけがないといきなり自由にというわけにもいかない。でも人数も少ないから、個々に対応する。
普通、どうしても集団だとその中での人間関係、人の目が気になるし、教師との関係、つまり何を求められているか、期待されているかも気になる。ただ、ここでは個人の出自や事情の詳細も知らされることなく、それに関わる会話は禁止だし、基本的には他の人との雑談も禁止されている。さらに、デジタル機器に接することは、技能や教育の授業でPCの時間はあっても、自由に情報にアクセスする機会もない。そうすると、皆ただ自分の目の前の課題と向き合うようになる。手で線を引くことさえ、とても新鮮で神聖なことに感じる時が私にはある。手仕事がダイナミックで雑な性質に見えていたのが、詳細に細密な観察と表現にいきなり集中できるようになっていたり、花の表現で、奥を短く手前を長くすると立体的に見えると、気がついてしまいましたと嬉しそうに遠近法を見出す場面。描けなかった花びら5枚の桜を描くことを真剣に練習できる時間。これらの課題は強いてやらせてることではなくて、場所と時間を与えられて、他にやることや気にする人の目もない状況という、特殊な環境のなせる技だということを、同じ年頃の高校の授業もやっているので相対的に見えて、翻ってそれは自分の日常の時間の質とも比べるようなフィードバックがある。でも、この日記を公開してるけれど読んでいる人はあまりいないだろうという前提と、検索かけても拾われない状況なのでここに書いているけれど、これ一般化して何か言うとか考えることにちょっと困難を感じる。とても大事なことが含まれているように思うのだけど、誰と何のためにこれについて話をすればいいのかよくわからない。でもこれを一人で抱えているのでいいのかと心配になる時はある。なぜなら社会から離れ、あまり知られることのない場所だし、私は外部の協力者とはいえ、権力装置側に立っている人間であって、この場面の中で私の方が贈与を受けているものが多大だと感じていて、一人の美術家としてその負い目があるのだと思う。
図書館からリクエストした本の準備ができたと連絡を貰っていて受け取りに行ってきた。実はリクエストしたのは初めて。大袈裟だけど、大切な場所を保持することに一役買ったような誇らしい気持ち。リクエストしたのは福尾匠さんの『ひとごと』。買ってもよかったのだけど、自分の本が図書館に入っているか調べた際に、他に自分が好きだったり読みたいと思うような近年の新刊本を検索してみたら、若手の哲学者の本が少なくてびっくりしたのだ。美術芸術の本はかなり充実していて、誰のおかげなのだろう?首都圏の展覧会の図録などもかなり入っている。なので、まだ手にしてなかった『ひとごと』をリクエストした。今日借りてきたのは、それと、『群像 2024/12』、福音館の『ブラックホールってなんだろう?』。今科学の人とコミュニケーションとる機会を得ていて、それをどうアウトプットするかについて、ゆっくり自分が変わっていくことや、制作のフックを増やすだけでいいのだけど、企画に対しての明確なレスポンスとしては、絵本のような資料的、編集的な何かで構成された一群をということをイメージしてみたりする。その視点でこういう絵本を見ると、一つの展覧会をめぐっているような奥行きが立ち現れて面白い。
5水曜日
労働の方、デザイン仕事を集中して。といっても、雪が本格的に降り始めて、ふと右を向いてアトリエの窓を見ても、左を向いて玄関の方を見ても、雪が舞っていて、その度に、またその深度の階層ごとに様子が違うから、つい見惚れてしまう。馬鹿みたいに既に同じような雪の写真は撮っているけれど、肉眼では全くその度に違う新鮮さがあって、無理だと思っていてもスマホを向けたくなる。スマホはまだ8を使っていて、レンズ部分に傷が入っているので、あまり綺麗な写真は撮れない。でも撮りたい。
重なる箱19の、最後の箱(パーツ)を組み立てる。一番複雑な形になって、組み立てが難しい。1箇所少し傾斜が入ってしまった。3つ目の箱の段階で、組み立てのための隙間が思ったより大きく(といっても1mm前後かそれより小さい大きさの話)なってしまって、緩いのが気になり、最初の箱を少し小さく作り直し、3つ目の箱は、上部を跨いだ箇所の隙間も大きく感じて、作り直した。その隙間の感覚(間隔)で他も進めてきて、6つ組み合わさったとき、流石に全体がキツすぎて、開閉に困る感じがして、結局1つ目の箱を元のものに戻した。壁掛けなので、ゆるすぎると落ちそうで心配。けれども、キツすぎると開閉時に破損しそう。本当に微妙なところだ。
4火曜日
今日から記録的な大寒波という。晩のうちには大した雪ではなかったけれど、高校に行くのに、雪が多い時は通らない方がいいよと言われている田んぼを突っ切るいつもの裏道を通っていく。真っ白で興奮する。帰りはもっと雪が降って、世界が薄墨色の真っ白になっているけれど、えいやと、その裏道に入って帰ってきた。本当に美しい雪に埋もれた風景。
高校生にデジタルでできる事なのに、鉛筆や絵の具で構成の課題をやることの意味がわからないという問いに、以前答えられなかったという話を昨日もアフタートークでしたのだけれど、これに授業で生徒たちにきちんと話をしなくてはと話をした。気になっているのは、現実の方が仮想化し始めていること。つまり、絵の具がはみ出しているのを指摘しても気がつかなかったり、鉛筆の塗りむらが、作業が雑だからそうなっているということではなくて、ここはこのくらいの色で均一に塗られているということを想定して済ませるという状況があることについて。これは面倒臭いということではなくて、実物が実際にどうなっているかが見えなくなっていく状況だということをはなし、例えばと机の上にあったトイレットペーパーを手に、紙に、「トイレットペーパー」と文字で書くこともこれを示しているし、これをそうやって記号として理解する必要のある場面もあるけれど、この紙の薄さ、質感、この千切れた箇所のギザギザの形などを詳細に表現するところまでではなくても、目の前に実際にあるものをきちんと見ることができないと困る場面はあると思うと伝えた。何かフックがあったのか、皆聞いてくれて、絵の具を塗るときにムラにならないようにどうしたらいいかを気にしてくれた。
来年度の高校の美術非常勤枠はなくなる方向で人事が進んでいるそうで、1年限りとなりそう。数年経つと、8時間枠での非常勤募集になるから是非とも言われたけれど、授業を4つ持つのは今の私には手が回らない。でも、私だけでなく、その規模の雇用ではきてくれる人が本当にいないそう。教育現場で先生を探すのは大変な事態になっているらしい。
3月曜日
箱の組み立ての作業を少しだけどできるだけやる。
午後から、ツバメコーヒーさんが企画してくれた本の出版記念トークに木工作家の富井貴志さんちへ。鎚起銅器職人の大橋さんと、デザイナーの高橋さんとは初めまして。本についてや自分の仕事について知らない人にも親切に説明するというところはまともにできなかったなと、それがメインなのにと反省しても後の祭りという。わざわざ聞いてくださった人に何かあれば良いのだけど。富井さんがお相手のおかげで、今の私の興味の物理学の話と、ものに触れて制作することについてつながってるということはうっすら言えたかなとは。あとは、私が喋るよりずっと書いたものの方がちゃんとしているということで、どうか読んでください。転がっていけ。
2日曜日
あれ、日記をこんなに書き忘れていたとは思わなかった。(今、4火曜日)
労働の方の仕事をする。トークの資料を準備する。
1 土曜日
夫と話す。火曜日の高校でアクリルガッシュを使っての幾何的な構成の授業を進めているので、「溝引き」という技術を紹介するのに久しぶりにやってみたことと、木曜日の更生施設でガラス棒を見つけた子がいて、その使い方を問われたからやってみせる機会があり、その時の感覚のことを思い出していた。この頃はずっとそれをやっていなかったので、私にとっても久しぶりだったのである。「溝引き」というのは、筆で直線を引く方法で、アクリル定規の目盛でない側に丸い溝がついている定規を使う。先が球状に丸くなっているガラス棒と小さな丸筆をお箸を持つ要領で持つ。このときガラス棒を手前側にする。引きたい直線の位置から5〜10mmくらい話した位置に定規を平行に置いて、その溝にガラス棒の球を当て、筆は紙に当ててスーッと横に線を引くと、美しい直線が引けるという方法。もちろんいきなりうまく引けるわけではなくて、練習が必要。それで、私が久しぶりにやった時、一本目はうまく引けない。で、やってみてその感覚を思い出し、というか、その感覚のスイッチの入れ方を思い出して、2本めはスーッと引けた。火曜日も木曜日もそう。その感覚というのは、一本めを引くときはまだ私がいて、何か事をうまく進めるのに邪魔というか抵抗が生じている。この時に、このガラス棒が横滑りする感触と、筆が紙をなぞる感触に私を同調させると、すっと力が抜けて、または道具としての確かさが発揮されて、線がうまく引ける。ああ、この1本目と2本目の感覚の違いめちゃくちゃわかりやすいなって思った。これまで、道具を身体化すると思ってきたけれど、そうではなくて、この時うまく行くのは、私が道具に一体化するんだなと思った。力を抜く時私が消えて、でも道具の硬さや正確さとしての(私の)力の方は保持していること。これは最近学んだベルクソンの純粋知覚の話とも繋がって、私が私の中心の方へ向かっていくのではなくて、私が道具になること、知覚される感覚は、筆や紙を通して私に集まってくるわけではなくて、私が自分とそれらの他者との異和を感知して、私の異和の方を消してそっちに入り込むことだなって腑に落ちた。