2025年12月
31水曜日
大晦日。ここ数日の年末をずっと実家を空けていたので、朝から母の手伝い。母は張り切って煮物をしてくれている。洗濯、布団干し、トイレのマットを洗う、空気清浄機のパーツやフィルターを洗う、窓に割れた場合の飛散防止用フィルムを貼る、買い物他。午後少し落ち着いて雑務的なテクストを書いたりsnsをしたりして、長女も合流したから家族麻雀を始める。途中お腹が空いて、冷凍たこ焼き食べてから、買ってきた天ぷらを温めて、蕎麦を茹でた。紅白を見ながらテレビに突っ込みを入れつつ、麻雀の続きをして、南場の途中で私が勝ち過ぎて一人が飛んだ。73200点!引きが良すぎてちょっと怖かった。
30火曜日
撤収と梱包は済んでいたのだけれど、作品の運び出しにobi galleryへ。小尾さんにまたちやほやして貰う。荷物は読み通り、搬入の時とは違って全部車に乗った。夫が運転席、私はその後ろに座るというイレギュラーな状態だけれど。途中から私が運転した。都内の道路を走るのはちょっと怖いけれどなんとか。
実家に帰ってすぐ、お正月の食材の買い出しに行き、夕飯の準備。流石にくたびれて、晩ご飯後は炬燵でしばらくうたた寝した。家に炬燵がないのでここぞとばかりに。
29月曜日
だいぶ前に慌ててホテルをとったので、適当なビジネスだと思っていたら大浴場の温泉に朝晩入れたし、ちゃんとしたバイキング朝食もついていて、しっかりリフレッシュできた。
堀川先生の山口大学の研究室へ。堀川先生が、光りについてのワークショップを用意してくださっていて、とても勉強になった。虹の仕組みについてしっかり理解できたし、RGBライトで色を重ねてみるのもやってみるととても面白いし、しかも綺麗。回折格子を使った分光器で自然光、蛍光灯、RED、白熱光を見比べるのもすごく良かった。白熱球と自然光は虹色が連続しているのに対し、蛍光灯が飛び飛びの色の帯になる。それから学生さんの研究で、クラウン構造の分子が別の原子を捕捉する様子のシミュレーション動画を見せてもらう(分子は最適化する状態に環境によって揺らされて、構造が動いているのだということを初めて理解した)! それから、砂糖水に緑のレーザー光を当てて、その光の波の傾きの角度を測ることによって、砂糖水の濃度がわかる実験(レーザー光が水中の砂糖の分子にぶつかると少し曲がるので、濃度が高いと通過するまでにぶつかって曲がる量が多くなる)など。すごい学びの量!!!
ここでの展示についてのヒントになるように、実験器具などを見せてもらってから、アーティスト側の発表ということで、先に帰る私が最初に藤沢での個展の様子を報告し、箱の作品について説明して時間切れ。駅まで堀川先生に送っていただく。他の皆さんの作品についても見たかったし、展示の相談もご一緒したかったから、やはり時間を間違えたなと後悔しつつも、もうエネルギー切れだったかも。飛行機にはスムーズに乗れた。とても久しぶり(20年ぶりかも!?)の飛行機は思っていたより離着陸で揺れた。また山口に来るから、これから飛行機によく乗るのかもと思うと、何か違う扉が開く感じがした。
実家に帰ると、夫と息子が上京して来ていた。彼らに会うのが10日ぶりだった。久しぶりー。
28日曜日
朝5時台の最寄りの駅を出て品川に向かった。乗り換えが2回ともタイトなので、緊張して朝早く3時に目が覚めてしまった。5時台でも山手線には人がたくさん。半分が朝帰りで半分が朝早い出発の人達に見えた。広島へ向かう。
広島大学の放射光科学研究所を見学させてもらう。ファンダメンタルズの企画内、山口大学の物理学者、堀川裕加さんとアーティスト6人のユニットでの集まり。電子銃から電子を発射して真空の加速器で回すと、カーブしたところで電子から光が強いビーム状態で飛び出す。これを真空のパイプ内に通し、分光器で特定の波長の光線だけにして物質資料に当てて、その光の反応を観測して分子の構造を見るという機械を見学した。電子のことは興味を持って自分なりに少し勉強したけれど、見えない小ささと確率的な存在にリアリティがなかなか感じられなかったし、この観測機械のことも話では聞いていたけれど、全くピンと来なかった。ここで実見して説明を聞くと、目的的機能的な機械の仕組みの造形を通して、間接的にでも今までで最も電子の実存を感じられた感じがした。
初山口だったので、YCAM訪問。PROJECT MRTという持続的な生存サイクルのための水耕栽培や培養肉などについての展示。渡邊さんがタイミングよくいらして、施設のバックヤードを一通り見せてくれる。座席をしまった大きなフラットな劇場空間や、パネルソーなどが完備されている工作室など、発表の場と制作の場が隣り合わせで、現場で対応しながら色々作れそうな環境がとても楽しそうで、ここでアルバイトしたいと思ったり。青山のこどもの城の造形スタジをでアルバイトしていた頃の感じを思い出した。
夜は福の花というお店で皆で飲み会。瓦そばや、フグさし、美味しい日本酒(東洋美人、獺祭)をいただく。
27土曜日
母の家で洗濯したり、したので、買い物を手伝ったり、食事を用意したりして過ごす。母は1人で暮らせているけれど、背骨の手術をしたので、痛みはないけれど足の爪が切れない。先日数ヶ月ぶりに湯船に入った。基本的な暮らしを一通り一緒に過ごす。私の気持ちは落ち着いていて、1人で家にいる時より良い面がある。母は週に2日施設へ半日行く。術後のリハビリの若者が時々来る。近所の人が気にかけてくれている。けれど1人で生活をやりくりする時間は長いだろう。
26金曜日
板橋区立美術館へ。ちょっとルートを間違えたかな?遠回りになってしまい、高島平から。バスに乗る前に、バス停の前の店にお昼を食べるのに入った。名前を忘れてしまったけれど、多分中国系の方がされている中華料理屋。駅に着いてからバス停に並ぶ人たちまで、とにかく異様に高齢者が多いなと思ったら、その店の中も恒例の常連さんらしき方々でいっぱい。カウンターの私の隣に座られているおばさまは、昼から生中呑んでて、おかわりも大きな酎ハイ。私が担々麺を食べ終わるまでに、もう一杯「いつもの」を頼んでいた。というか、店内活気があり、若くてサバサバして綺麗な店員さんの最低限の給仕具合と気遣い(おじいちゃん、手を伸ばしても卓の箸入れに手が届かず、お姉さんが気づいて手渡しするのに駆けつける)に元気を分けてもらう。バス停でもおばあさんに話しかけられる。
「戦争と子どもたち」展。子供向けの翼賛的雑誌や教科書のことが辛くて、画家たちがどう時代に翻弄され、戸惑いながら、子どもに眼差しを向けていたかを見て苦しくなった。子どもを前にすると、やはり大人の責任について強く意識させられる。国立近美で見た展示の時とはちょっと見る側の私の意識が違う感じがした。戦争は大きくて巻き込まれるものだという気持ちがどこか残っていたけれど、それも剥ぎ取られて詳細なものになる。祖父秀松の子どもが鳩を持った絵を私が持っている。戦後の平和への思いを描いたのだろうと、そのステレオタイプ的な画題にはあまり興味を持てずにいた。美しい絵だなとは思っていたけれど。この展示を見て、戦後生まれが考えるそんな単純なことではなかっただろうと。そしてそれ自体もある意味プロパガンダ的な働きをした可能性も考えれば、絵を描くことの不穏さというか、政治性について考え込んでしまう。
大槻英世さんの個展へ。擬態の緻密さと画題の抜け加減のスケール感が、つまりとても離れていて、例えば私が量子の話を勉強したり、科学について興味を持っている中で、そういうスケール感が変なところ、日常の感覚から離れているところ、それが「在る」んですよっていうところが面白いと思っているからツボだった。
25木曜日
埼玉近美へ。「野島康三と斎藤与里 ―美を掴む手、美を興す眼」展示をとても興味深く見始めたのだけれど、西洋の美術を一所懸命勉強し、吸収し、同時代の同志の動向にも敏感で強い向上心を感じるも、話題に出てくる人たちが男性ばかりなことが気になり出して気持ちが冷めていってしまった。ここではないが、浦和にルーツのある作家たちのうらわ美術館での大コレクション展みたいな企画が数年前にあって、本当に男性ばかりだったことについて友人作家が苦言を呈していたのを思い出してしまった。コレクション展に出ていた熊谷守一やっぱよかった。
うらわ美術館へ。「約束の場所で:ブック・アートで広がるイマジネーション」。近親憎悪というか、私にとっては「本」が大切だからこそ、そもそも本が既に持っている知的な雰囲気や、趣味性、神秘性などの価値に寄りかかり過ぎなものがあまり好きではなかったりする。安部典子、福田尚代、加納光於、柏原えつとむ、西村陽平、奥村綱雄の作品が見れてよかった。加納光於の「アララットの船、あるいは空の密」はかなり私の原点だし、西村陽平さんの文庫本があんなに縮むのは知らなかったし、「本を釜で焼く」という直接的な行為による制作を私が良いと思うようになったという自身の変化にもちょっと感慨深かったりしつつ、先人の人たちと同じ道を通ってると思うと、だいぶ周回遅れだよなと思いつつ、自分で通らないと納得できないタチだから仕方ない。柏原えつとむの「ROCK」「良寛、」もあの中にあったら潔くてすごくよく見える。
夜は小木曽瑞枝ちゃんと待ち合わせて紹興酒と小籠包。言葉も選ばず、躊躇せず、とてもナチュラルにいろいろ話した。若い頃のこととか、キャリア形成のことも、老後のことも、介護や親の死後の片付けのこととか、ローンのこととか、売り込みのこととか、ビジネスのやり取りのこととか、展示のこととか、あっという間に4時間。
24水曜日
今日は完全off日、といってもWi-Fiのない母の家にポケットWi-Fiをレンタルしたので、資料を見ながらの採点の作業や、個展後の雑務をしたけれど、燃えるゴミを出すのと夕飯用の食料品を買い物に出る以外は母の家で過ごした。母が午前中、施設に出かけている間に掃除機をかけて、買い物に行き、帰ってきたら昼ごはんを作る。豚こまとねぎと生姜とキノコ類を入れた煮麺。母が美味しいと思っていたよりたくさん食べた。午後そのパソコン仕事をして、本を少し読んだけれど文字が滑って、早めに夕飯の準備をする。鍋にオリーブオイル、にんにく生姜、多めのスライス玉葱を炒めて、買い物帰ってきてすぐに塩を揉み込んでおいたスペアリブ、乱切りの人参と蓮根を投入。水を少なめに入れてお酒少々で煮立たせる。暫くしたらトマトホール、大豆の水煮、固形コンソメ、胡椒。暫く煮込んでからピーマン。器によそってから、加熱しなくても食べれる細いシュレッドチーズをトッピングした。昨日母が作ってくれた薄味の洋風炊き込みご飯の残りと、このスペアリブのトマト煮込みでクリスマスイブの夕食。そうだ、父には赤いラナンキュラス。仏壇の菊が少なくなっていて、スーパーで買い足そうと思ったけれど、仏花ではなくて少しクリスマスらしいものにしようと赤い洋花を選んだ。白と赤紫の菊と合わせても綺麗だった。この家での暮らしらしい時間の過ごし方をした。
母が度々「お父さんがよく来るのよ」と言っている。オカルト好きな私でも全く信じてないけれど、仏壇のある部屋で床について眠りに落ちるまでの間、今夜は小さなラップ音がしている気がした、というか本当に小さくぽちぽち言っていた。もちろん母から父が来ると聞いていなければラップ音とは思わない。簡単に影響されてしまう。
23火曜日
藤沢へ撤収に行く。もう一回会場をゆっくり見させてもらってから、洋食佐藤に連れて行ってもらい、とても美味しいランチをいただく。チキンの濃厚なきのこソースがとびきり美味しくて、ここ数日で最も栄養を採れて疲れが吹き飛んだ。
普段人に会わないから、個展で在廊すると祭りな感じになってしまい、時々小さくキャーキャー言いながら片付ける。『ある返礼』の什器というか、設営補助的な華奢な仮構造物、もう使わないから壊して捨てようとすると、小尾さんが欲しいと言う。
今回の個展は一つには科学者との交流の成果を何らかの形にしたいという目標があって、なかなか見えにくいけれど模索した部分と、苦心した箇所と、これで個展になるかどうか不安だったこととがあって、あたたかく見守って貰えていることに甘えて、これからもやりたいことまっすぐに(結果遠回りして)やっていこうと思った。
22月曜日
個展最終日、小田急線のダイヤが乱れてて、しかも乗り過ごし、悪い夢みたいになかなか目的地へ辿り着けない。振り返って日記を書いていて、在廊中に話ができた人、あまり対応できなかった方など、ぼんやり思い出しては時計を巻き戻したくなったり。作家がいない状態で見てもらうことのほうが理想かもしれないけど、お話しさせてもらう中で自分でもはっとすることとか、じわじわ来る内容、思ってたのと違うことが発見されて収穫があるのです。ありがとうございます。
言語化する意義とは、言語化してもう一回、実際との齟齬を確認しに行くところまでやってこそだよなと思う。そもそも実際(の受容)自体が揺れ動くわけだけれども。作品は待っていてくれるからありがたいメディアだと思う。
『ある返礼』がすごい仕事量だから、狂気の作品のように思われることがあるのだけれど、そういう時には例として「編み物に近い」と伝えている。しかもよく見ると、気分が揺れて編み目が揃ってない感じの編み物になっている。子どもが産まれて、それまでのようには制作できなくなった。例えば、制作するにはそのモードに切り替えたり準備することがあり、集中には山があり、せっかく調子に乗っているのに急に中断しなくてはならないような状況になるととてもストレスだ。まとまった時間が確保できる保証が心理的にも肉体的にもないと、制作を深めるようなことが叶わない。その中で、時間が細切れでも制作ができるもの、という方法論に収束していったのだなということに気がついた。『ある返礼』は下のおチビが8歳の時にはじめた。このシリーズの最初は7歳の頃。
向井さん、井川さん、言水さん、藤本さん、奥村さんと居酒屋ビートルで呑む。奥村綱雄さんと会うのは何年ぶりだろう?
21日曜日
朝、家から駅までこんなに遠かったっけ?と歩くの大変だった。体力が落ちている。
芳名帳を見ると会期中にたくさんの人が見にきてくれていて嬉しかった。私のいない間に小尾さんが、小さな惑星の木彫はきっとコイズミさんが指を血みどろにして削っているだろうと説明して、私の血みどろ伝説が流布されていたらしく笑ってしまった。
昨日も今日も、本のサインを求められたり、本からはじめましてでお会いできた方がいた。本を二周読んでくれた尾関さんにも感謝。じわじわ読まれている様子を知れて嬉しい。
自分のドローイングを見てみて、「描けそう」って思った日のことや「これなら描ける」って思った時のことを思い出しながら、あきら子の「絵ができる」について思いめぐらせてみたりした。
20土曜日
今日は県立万代島美術館で開催中の田畑あきら子展のトークに登壇しにいく日。もっと早く家を出るつもりがオロオロしていて、美術館には12:30頃着いた。集合時間が13:30だったので、駆け足で見たいところを再び見る。この展示は一回見たし、さらに前にも見たことのある作品もあったけど、話そうと思っている内容について、絵が本当にそうかどうか、きっと思い込みがあるだろうと懐疑的に見てみると、気が付いていなかったところが見えてきてとてもよかった。トークは「田畑あきら子を語る」。松沢寿重さん(前新潟市新津美術館長)が基調講演として概要を話され、星野健司さんが同郷巻での当時の彼女について言い伝えられていた話をされ、丸山直文さんが影響関係や同時代の美術動向にも絡めた話をされたので、皆さんがしっかりされていたから、私はだいぶラフに主観的感覚的に、あきら子の言葉と、詩の空間とドローイングが手書きの文字や声を通してシームレスに行き来する感じみたいな話をした。事前にとってあったメモは、
①2014年の新潟市美術館「洲之内徹と現代画廊」展での吉増剛造さんの講演会に行った時「プルーストの質問書」が配布されていたのがはじめ
②京橋のかんらん舎で、彼女の手書きの詩篇画像を見せてもらったことで受けた衝撃。これがとても長く尾を引いている。言葉が息のようなものであること、これは彼女が若く、推敲することなく瑞々しい詩が書かれていること、見ることと思索や意識が散漫に移動し続けるままに任せて、驚きや喜びが平坦に続いていくことなど。
③彼女が同じ武蔵美で、多感な二十歳の頃と20代を過ごしたこと、その時の感覚にあっという間に引き戻されること。若くして病気に苦しみ、死を意識したことだけでなく、その年頃で、女性には女性の自分の身体への戸惑いや恐れや悦び、惨めさがあったのを否応なく思い出す。
無事トークが終わり、結果私にはとても楽しい時間だったので、肩の荷が降りて興奮してしまって帰り道はちょっと危なかった。自覚はなかったのだけど、思い入れのあるあきら子について話すのはとてもプレッシャーだったようで、家に帰ったら憑き物がとれたみたいに身軽になって、明日から東京行くこととか、上京したまま年末には飛行機に乗ることとか、どれも大したことではない感じがしてきた。でもまあ、まだ心身が時間に追いついていない。
19金曜日
健康診断の結果を聞きにいく。相変わらず1つの肝臓の数値が悪いのだけれど、他も検査しての経過判断としては、体質ということになるっぽい。お酒は毎日呑まないようにと念を押されるに留まる。甲状腺機能も正常。
誰でも多かれ少なかれそうかもしれないけど、記憶も印象も、強力な物語の力によって改変されていく。自分の思考が眼にフィルターをかけて、取り出した内容は向こう自ら私の元にやって来た感じになる。自分の思考や感覚を走らせる場合はそれで良いけれど、何かを本当に見たり受け入れたりするときにはし損ねる。腑に落ちる時はだいたい勘違いしている。誤配が完了している。それとこれとは別で、もう一方をもう一度改めて見て、異なる姿勢で出会い直せば良いのだ。前のが間違いで打ち消すべきものということではなくて、はじめのものを手放して、また最初からはじめるのだ。
18木曜日
年内最後の美術クラブだったのだけど、1寮さんたちが風邪が流行っていて閉鎖とのことで、皆は揃わなかった。でも皆すごく熱心にそれぞれの制作に集中してた。それが凄いなと思う。自由に自分が描きたいものを描くという状況がつくれているのが私自身嬉しいのだ。それぞれ全く異なる性質だから、題材も世界観もテンションも十人十色。例えばある子がおもしろ可愛いキャラクターを描きたいというので、キューライスと長新太の本を図書館で借りて行ったら、キューライスがぴったりだった。ここから研究して自分なりのシュールなキャラクターを生み出すところまでやることになってる。そのほか、かなり絵を描くのが好きな子がいて、円山応挙と伊藤若冲の画集を見て、どうしたらこんなに描けるようになるのだろうかと。こういう人たちは寝ても覚めても描いていると言ったら、一所懸命少し前から取り組んでいる題材の「龍」をいくつも描いていた。そういえば彼らはいつでも自由に絵を描けるわけではないのだった。その様子を見ていたら、ただ好きに描いていいよと相談しながら資料を用意したり、画材を提案したりだけでなくて、所謂素描のようなこと、つまり「見ること」について本格的に取り組む機会も用意した方がいいのかな、そもそも素描とは、みたいな根源的な問いに直面することになった。
17水曜日
大好きなヒュームについての講座回があるというのを知って申し込んだアダム・タカハシさんのNHKのオンライン講座。とても面白かった。アダムさんがとにかくヒュームを飛び抜けて変わった人と言っていて、私もそう思うのでまずは嬉しかったのと、私の雑なヒューム理解を修正してくれるような面があり、と言っても詳細には理解できていないのだけれど、やはり、私にとっての制作論において主軸になる人だなと思う。なんか、いつかヒュームにも触れつつの制作論になるだろうか、私の世界の把握の仕方のようなものを書いてみたいと思った。なんか、自分の偏りを超えて体系化したものを提示できるような気がしてきた。こんな気分は初めてかもしれない。でもすごい勉強しないとだと思う。
16火曜日
鏡餅みたいなチーズを手でボロボロと分けて、大きなガラス瓶に入れた。これを観察すると、あきら子みたいなドローイングが描けるという確かな感覚に歓喜して目が覚めた。昨日あきら子のドローイングを模写してみてたから夢に見たのかもしれない。アーシル・ゴーキーには全く興味がなかったけれど、彼女が好きだったと読んだので、彼の本を図書館で借りてきて線を真似て描いてみた時には、その表現の幅の大きさに驚いた。私とは呼吸が全く違った。とても繊細だった。あきら子のそれもそのくらい私と異なることを予想していたのだけれど、思いがけず息が合う気がした。私のドローイングはもっと育つだろうと感じられて、もっと研鑽しなくてはと思った。
年内最後の高校の授業だった。みんなの構成がそれぞれ面白い作品になるといいな。
五十肩でとにかく右腕が痛い。日頃どれだけ右腕ばかりに負荷をかけているかを思いしる。何を取るのも、何に手を伸ばすのもつい右腕。
15月曜日
いつもより早く私だけ長期上京してしまうので、片付けやら何やらを済ませてしまわないといけないのだけれど、細々した雑務が多くて、多分綺麗には片付けて出ること(新年を迎えること)はできない気がする。子供の頃はもっとゆっくりと年をしまうような片付けをし、新しい年をきちんと迎えていたのに、そういう気持ちの余裕がなくなって、時間を取り戻せない感じがする。歳時記通りに暮らすことは、丁寧な暮らしというのとはまたちょっと違って、自分のスケールを自分の身体や住んでいる家(空間)にきちんと合わせて繋ぎ止めることのように思える。幽体離脱気味に過ごしている感じがする。ルームランナーで歩くのも走るのも、実際の地面に足をつけてするのとはだいぶ感覚が違う。それでもフィジカルに訴えかける良い機会だから、毎日歩いてみようと思っている。酔わないようにちょうど目の高さの壁に、ノーパソを置ける棚をつけた。動画でも見ながら歩くようにしてみる。
「暗号探偵クラブ 女たちの殺人捜査」というドラマがアマプラにあって、何の気なしに見てみたら、英で第二次対戦中に暗号を解読する仕事に従事していた女性たちが、戦後、それについての秘密を守り、功績も能力も隠して普通の女性として暮らししているが、こっそり事件を解決しようと奔走する話で、史実としても数学の能力やパターン認識やデータ解析といった専門性を持っているのに、それを隠して暮らさなくてはいけなかった女性たちのことを思うと、ただのドラマなのに見ていて辛くなるシーンがあった。関係ないけれど、極最近も出る杭の中でも女性は必要以上に打たれる気がしてる。何か落ち度をやケチをつける隙を見つけては、女性が活躍していると不安になるのだろうか?何かしらの溜飲を下ろす機会を狙っていた人たちが一斉に文句を言っているようにみえるし、実際の評価の仕方にも随分と恣意的なものがあると思う。しかもそれが何も面白くない。
14日曜日
ルームランナーの設置をしていきなり1キロ、早足から軽いランニングしてみたらすごく酔った。ルームランナーを設置するために作業場を片付けた。展示台用の板がたくさんある。作品は小さいけど、いつも展示台の準備や運搬の方に労を割くことになる。庭の小屋の屋根が飛んでしまって、構造体の垂木の方も傷んでしまっているから簡単には直せず、そのままになってしまっている。庭に手が入らないまま雪の季節を迎えてしまった。そういえば、ガスファンヒーターの点検や不凍液の交換なども全くずっとしていなくて少し慌てる。夫とスーパーへ買い物に行き、夫の同僚のご家族に会ったり、以前パートで勤めていた印刷会社の営業さんに会ったりした。晩御飯はクリームシチューと白飯にした。家庭の日曜日っぽい日曜日だった。
13土曜日
ルームランナーを2500円で夫が落札し、某引越し業社が届けにきた。二人組で一人は新人のよう。梱包資材を持って帰ってもらおうと開封をお願いするも、親分格の人が既にイラついている。黄色いベルトを外し、外側の片ダンボールを剥がすと、それを少し持ち上げる。ここで片ダンボールとベルトを荷物の下から外すタイミングなのに、新人は気が回らず、スペースを確保できない。次に段ボール箱を解体する作業も見ているだけで、ここに着くまでの他の場所でも、親分はずっとイラついていたのだろうと思う。1つを見て10できるようになるには、汎用したり類推したりして経験を考えによって拡張していく技術が必要だけれど、それがすぐに備わる人とそうでない人がいる。だからこそ根気強く、今これから何をしようとしているかについて説明して、段取り通りに順番に、役割を確認して作業をするをやるしかない。見て学んでもらうには時間がなさすぎる世知辛い時代に思える。そんなことを考えながら、自分でも生徒に時にもう少し粘り強く接する必要がある局面があったなと反省したりした。
先週も一緒に飲んだ人一人を含めた5人での飲み会。メンバーが違うと話す内容が変わるのは当たり前だけれど、あまりに景色が違うので、ちょっと複雑な気持ちになった。現代性に流されすぎるのは良くないとしても、現状の理解はますます細分化されて難しいなと思う。
12金曜日
絵を専門としている人にドローイングを褒められるととても嬉しい。
成績つけは終わっているけれど、通知表は何の教育的価値もないと思い、コメントシートを用意する。
11木曜日
美術クラブは個別に対応をはじめるタイミングになっていて、先週のリクエストを受けて資料をコピーしたり、本を増やしていった。絵の歴史は、手の跡を残したり、動物の絵を描いたりという根源的な欲望にはじまって、薬草や毒草を見分けるためや、聖書の内容を示すなどの目的のための絵もあったけれど、写真が発明されて状況が変わったりした。そもそも写真見たいに絵が描ければそれでいいのか? そもそも「良い写真」ってどういうこと?みたいな問いを投げかけてみたりしてから、「何を」描くかの他に「どのように」描くか、「どんなふうに」描くかについても考えてみながら制作を進めてほしいという話をした。今日は13人。このくらいまでの人数がいい。それでも短い時間に個別に接するのはギリギリの人数。普段は難しい子がいるという。そんなこと全く感じない。落ち着いてそれぞれのことをやれている。
10水曜日
健康診断を受けにかかりつけ医へ。以前は市の集団検診を受けていたのだけれど、ここ数年は申し込みそびれて、年末になってからかかりつけ医で受けることに。昨年体調が良くなくて不安になって、血液検査の内容を増やしてもらうために医院で受けるようになった。私は針を刺すと血管迷走神経反射を起こすことがあり、貧血状態になって具合が悪くなったり、血が採れなくなったりするため、横にならせて貰ってる。以前はそういう人はあまりいなかったようなのだけれど、ずいぶん一般的になったのは、コロナワクチンを一斉に行ったからなのだろうか。それまでは検診でも注射の時でも、そのように言うとイレギュラーなことのような対応を受けたけれど、今は少し言うだけですぐに予定された対応を受ける感じになった。私自身、そんなに針やその痛みが怖いわけではないし、今日採血をすることについて緊張もしていなかったのだけど、あまりに緊張してなかったせいで、いざ針を刺すというタイミングになって、ちょっと全神経がその部位に集中してしまいそうになる瞬間があった。いかんいかんリラックスと思い直すも、ほんの少し恐怖の心持ちが差し込んだ感じがした。この恐怖は積み重なったもので、小学生の頃にインフルエンザの接種のたびに目の前が真っ暗になり、高学年の頃には、自分でトイレに駆け込んで、個室の中で視界が闇に覆われていくのを待ち、真っ暗闇の中で便器に吐いていた。とても辛く暗い思い出なのに、数年前になって、私が注射をすると吐くことが辛いと訴えていたのに、それを全く知らなかったと母に言われたことがかなりショックだった。私自身が子を育ててみて、私は独りで育ったと言うのは傲慢だろうけれど、そういう面がある。ちなみにこの迷走神経反射は母親譲りの症状らしい。それも最近になってわかった。母は担任の先生がその症状について理解してくれていて、注射をするときはいつも横にならせてもらっていたらしい。私はその知恵は大人になってからのものだった。昭和のスパルタ的な公立教育の中学校では、ただの貧血だろと保健室で横になることさえ許されず、廊下の地べたに寝たこともある。すごい時代だ。つい恨み節を書いてしまった。
9火曜日
高校の授業。タイミングがなかなか合わなくてしてなかった色の話をした。電磁波の話(外界の様子とされているもの)と、色相環の話と3つの錐体の話(相関的というか、人間の内的な感覚器官や、認知される現象的な内容)、鉱物と虹と色の名前の話(色を認識する時の名前の力、色は物質の色、文化による違いなど)。 色の相対性について、ジョセフ・アルバースの『色彩の設計』を見せながら話すと、その錯視的な内容が興味を引いて話を聞いてくれる。色彩構成の時に小さな紙片に色を塗ってみて、画面に置いて隣の色との関係を見ることをしつこく言い挟む。女子の一人がブルベとイエベ(メイクアップにおいて、肌の色がイエローベースかブルーベースかによって選択すべき色彩が違うというセオリー)の話と結びついたようで、その話題に乗ってみる。確かに例えば口紅の色のレパートリーは豊富で、単に唇の色といっても相当様々なものがある。マーク・チャン・ジーギーの『ヒトの目、驚異の進化』も持ってきていたので、肌色界隈の解像度がめちゃくちゃ高い話に繋がってた。春にはバウハウスでも行われていた演習をしているので、バウハウスがナチの迫害で閉鎖され、アルバースもアメリカに渡りブラックマウンテンカレッジという学校で教えていた話、このようにして西欧美術史的には、美術のホットスポットがヨーロッパからアメリカに移った、ということまで話した。きちんと聞いている子がいた。
夜の『暇と退屈の倫理学』の読書会で、ハイデガーが気分や不安について書いているという話題が出て、知らなかったから、へーってなった。それから、そもそも自分の存立に役割は必要なかったのだと逆説的に簡単に腑に落ちちゃったの驚いた。
8月曜日
労働の方の業務や、散らかしたままの予約案件(ICカードが紐づいていなかったり、手続きをきちんとフォローできてないもの)の内容を確認したりする。例えばお菓子のパッケージを開けることの勘が働かなくなって久しい。子供の時は、この包装をどうやって開ければいいのか、眼もいいし、勘も働いてすぐに見つけられたのに、メールやサイトの中で必要な箇所に辿り着くのがなかなかできない。実際はUI設計が悪いんだと思いますよ、と苦言を呈したいけれど、多分それぞれのサイトで工夫もしているが、そのフォーマットがちまちまと違っていて考え方も整理されていないため、すっと行かないのだと思う。皆違う言語で喋っている。なぜ昔はもっと揃っていたのだろうか?ちなみに、注意喚起のようでいて、責任回避が主題のテクストが多すぎるせいもあると思う。デザインはもう少し、このあたりのことをきちんとコンセンサスを持って業界として取り組むべきなのではないかと思うけれど、まあ上から網をかけるようなことは時代にそぐわない。しかも変化が早いと中高年はついていけない。きちんと登録できたか、設定できたかが心配になって、何度もサイトに戻ったりする。迷惑メールが多すぎて、必要なメールを見落としているのではないかと不安になったりもする。チケットレスは便利だけど、ちょっと心許ない。スマホより先に、モバイルバッテリーが最近調子が怪しくなってきている。紙に出力してあることが一番安心という世代。
7日曜日
図書館巡りの日
一つ目は小千谷の「ホントカ。」へ。「ホントカ。市」にオジヤ在住のアーティスト小野久留美さんが出店していて、私の本と、ZINEおかけんと、このすくサコッシュを出してもらったので行ってきた。ここに行くのは2回目。趣味的な手芸の手作りのものから、多分各所イベントに出店経験の多いプロの方までが一緒に緩やかに小規模なマーケットを展開している。この感じはとても好ましく思う。デザインが画一化して生の小さな地域性を恥じるようになったらおしまいだと思うのです。
二つ目は柏崎市の図書館、ソフィアセンターへ。新潟アール・ブリュット展「ものと語り」。これがとても良かった。アール・ブリュット展は複雑な事態を発生させる。そもそも「美術作品」とどう違うか、展示前提で制作しているとは限らない、本人の意思を確認できるできないがある、そもそも制作や作品、そしてそれを公開するとは何なのか?など考えること多い。私はディレクションをされている角地智史さんには一目置いていていつも驚くのだけれど、今回は出品者の制作を展示して見せるにあたって、どう位置付けるかについてを出品者の関係者(時には本人)の「語り」によって「個」と「日々」の視点をおくことで、その「もの」を揺れたままにする。角地くんは「ZINEおかけん」を買ってくれていて、彼もBTを読んでおかざきさんの授業の内容をやってみていたと。それから『絵画の準備を!』を時々開くと言っていた。柳宗悦が民芸運動において、制作者を透明化するような姿勢に対する批判など、おかざきさんの書くものに惹かれることが多いそう。実はTwitterで昔おかざきさんがホームレスのような人々こそが世界を再生産して支えているという話をした一連のスレッドがあって、それを私はプリントアウトしてお守りがわりにしていて、昔、角地くんの仕事に打たれた時に送ったのを私自身は忘れていたのだけれど、彼はそのことを言ってくれた。結構配ってるのだけどそれは初めてで、『ZINEおかけん』と共に届くべく人に届いて良かったなと嬉しくなって、DiscordでZINEおかけんの人たちに伝えた、笑。展示の凄さが見た人にしかわからないだろうことが残念だけど。や、本当は書けばいいのだし、書けとおかざきさんに怒られそうだけれど、なかなか圧倒されたものこそ書くことを憚られる。
6土曜日
久しぶりに新潟市へ。県立万代美術館へ田畑あきら子展を見に行く。本当は初日に行って担当学芸員の松本さんの話を聞きたかったのだけれど個展前で行けず。展示はまず、入ってすぐの部屋の素描群に驚いた。こんなに力強い素描たちがあると思ってなかったので、これが意外と言えば意外だけれど、彼女の芯としてあったものに間違いがない感じがして、確かに彼女の自画像と並べてみると納得。意外というより新鮮に見えた。それから恩師の作品群で宇佐美圭司の最初期の油画を3点みれたのも良いかった。ゴーキーも。
あまり良くないものを見ると疲れる。良いものを見ると充実して複雑になる。
5金曜日
山本雄基さんがfacebookに子どもに読み聞かせている絵本の絵について、画家目線で詳細に書いていて凄かった。全くもって敬服。私は絵本については消費者目線だったなと。けれど思い出したのは『おおきなおおきなおいも』(鶴巻幼稚園・市村久子の教育実践による (福音館創作童話シリーズ) )。幼稚園児たちが単純化された線画で描かれているのだけど、それが愉快で面白いと思っていた。ところが、信濃川土手を散歩しているとき、土手すぐ脇の眼下に保育園の園庭があって、そこで遊ぶ子供達をみた時、まさに絵本のそれなのだ。その単に簡易に思えた絵は、非常にリアルな絵だったのだとわかって驚いたのだった。これ既にどこかに書いたかも。ちなみに山本さんが書いたのはヴァージニア・リー・バートンの『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー』について。これ買おうかな。意図せず昨日の日記には、図書館の子供のコーナーの本がどれだけ素晴らしいかを少年院の少年たちに話した話だった。主に科学の本を持っていったので、子どもにもわかりやすく伝えるためにとても工夫がされているし、正しいことを伝えるために、筆者も一流揃いだと伝えた。実際私は何か新しいことを学ぼうと思った時に、大人向けの本と子ども向けの本を借りるようにしている。どのように表現するかについてのバリエーションは、子ども向けの本の方が色々な糸口のものがあると思う。
4木曜日
前回の美術クラブの時にリクエストを受けた星座についての本を探しに図書館へ。子供のコーナーで本を探す。星に関わる本が皆素晴らしくて、ついつい何冊も選んでしまう。それから動物を描きたいというこの為に動物図鑑、応挙と若冲の本、建築パースの本。私はそもそも基本的な化学の勉強をしなくてはと思い、というのも素粒子物理から入って分子の話にしがみついているという迂回路での触手なので、正攻法の道も通らなくてはと今更ながら。一般向けの化学入門の本が歴史的な内容に偏っていたので、分野として知りたいことに近いと思う量子化学の本を借りてきた。
少年院で体育館から美術クラブの部屋へ移動する時、廊下の窓の鉄格子越しに見える外では雪が降っている。こう盛大に降る雪を見ることも初めてかもしれない彼らに、私が雪が好きなことをはしゃいで話した。それから図書館について、特に子供向けの本についての話。本を手にして絵を描きはじめる子もチラホラ。皆がそれぞれのことを勝手にやっている。おばちゃんの適当さ加減が、数学でいう意味での「適当」に作用していて胸熱になった。
3水曜日
昨日猛烈に雑務に取り組んだら、今日はだいぶフットワーク重くなってゆっくり目に労働した。夜は新潟の友人たちとの飲み会。ガラス作家と陶芸作家の2人と4人(皆同世代ちょい上)で呑む。中国酒がとても美味しい。ギャラリー事情や工芸クラフトと美術の違いなど。それから人生が終わりつつあることの実感と、親を見ていての老後の長さなど。つくることができていての幸せと、例えば私の父(藝大図案計画卒)が、リタイア後に絵を描くことと文章を描くことと散歩を愉しんでいたけれど、次第に手が震えて描くことも書くこともできなくなり、足腰も衰えて散歩も出来なくなり、それでも健やかに人生を全うするというのが自分にも出来るだろうかと思ったりした。でも目の前の彼のパートナーは、私の友人でもあり、そして去年他界した。中高年になってからの人生はそれまでのものとは全く異なる未知のものだ。
2火曜日
今日は30回目の結婚記念日で、私たち夫婦は記念日に何かみたいなことはあまりしなくて、というかこの師走の月はじめというタイミングが悪いのか、大体忘れてる。でも流石に銀婚式をスルーしたのはちょっと残念だったので、今年は近所のレストランを予約して貰った。のだけれど、今日になって大事な会議が入っているのを忘れてたと職場から電話。レストランに電話して遅れる旨を伝えるも、その時間には大丈夫だろうと余裕を持って1時間ずらした20時にも間に合わなそうな勢いでハラハラし、イライラし、店に向かう道すがらはつい愚痴ってしまった。会議後に呼び止められて、思ったより話が長くなったと言うから、いやそれは、今日はどうしても急いで帰らないとだからまた明日くらい言ってよって言った。でも、食事は本当に美味しくて嫌な気持ちは吹き飛んだ。毛蟹と菊芋のフラン、真鱈の白子のグラタン、コッパディマイアーレ、天然きのこの手打ちタヤリン、アニョロッティダルプリン、牛ほほ肉の赤ワイン煮込み、リンゴとキャラメルのムース。きちんとしたコース料理をこれまでほとんど食べてこなかったねと、でもこれまで食べてこなかったことを悔やむ気持ちは全くなくて、ただただ今美味しいことに充足した。料理って凄い。「ひげとワイン」さんありがとう。
1月曜日
東京長岡間を移動するのに高速バスを使う時は、いつもは西武バスと越後交通の運営する路線を利用している。そのバスだと、高速道路上の停留所に降りることになり、迎えに来てもらわないとなので、今回は長岡駅近くに停まるウィラーの運行バスにとても久しぶりに乗った。南口が新しくなって「バスタ新宿」を利用するのは初めてだと思うので、少し緊張した。外国人の利用者が多いのも、確かに世間が脅威を感じる気持ちもわからなくもない。久しぶりでこうだとびっくりする。他の交通手段の時はこんなに多いと感じたことがなかった。いろいろなアクセスの面で、相当偏りがあるんだと思う。ウィラーは車内放送もとても丁寧で、その丁寧さがなんというか、丁寧すぎて疲れる。ホスピタリティが過剰だと、失敗しないようにが先回りされていて許されない感じがする。神経症的だ。私もそういう性分だなと思って、これに抵抗していいかげんさを増したい。そのためには、未だ小心者過ぎる。
なるほど、読み返すといつの間にか日記がお気持ち表明になっている。日記とは?
昨日までの三日間在廊して、ちょっとややこしい縮尺や原子の構造などの話を説明せざるを得ない状況に置かれて話しているうちに、ああ、これこういうことだったかもみたいな発見が自分にいくつかあって、すると展示が未消化な状態で提示されていることを思い知るけれど、それはきちんと着地してからでなくちゃ見せてはいけないとかではないということで、これでよいのだ。