2024年9月
30月曜日
朝もまだ鳩尾とその周囲の腹部表面が痛い。それから嗅覚がなくなっちゃったみたいで、朝の生ごみを出すときに、夫は臭いと言っていたが、全く匂いを感じなかった。食べ物の塩気と甘味はわかるけれど、舌触りがいつも以上に強く感じられて、お粥のご飯粒でさえガサゴソした感じがし、なめらかなはずのプリンも、すのたった硬めの茶碗蒸しくらいにはざらついていた。夕方遅くには辛かった腹部の痛みが消えていて、ああ、具合が悪くないこと、痛みがないことはなんて幸せなことなのだろうかと思った。
初校の校正、勿論一人でやっているのだけれど、不安になって夫に見てもらう、といっても全部読んでもらうとかではなくて、パラパラと赤の入った状態の校正紙を見てもらう。それだけで自分の外側にこれが出た感じがして緊張が解ける。もう一踏ん張りする。
29日曜日
コロナの主症状は軽いけれど、朝からみぞおち(「鳩尾」と書くのが変換で知れて、鳩の尻尾とは奇妙な)がとても痛くて仕方がない。具合は怠い程度なので、休み休み仕事ができる。そんな無理して仕事することないのいうのとは違って、私はじっとしていた方がいい時にじっとしていられない。少しづつ校正を整理するように再確認しないと気持ちが落ち着かない。
高熱が下がって以来、検温すると34度しかなくて、昨日病院で2回測っても34度台だった。体温計がおかしいのかと思ったけれど、腋の下を触ると冷たい。夫が死体みたいって笑っていた。死ぬのか?
28土曜日
夜中から具合が悪化しているので、今日こそは受診を決めた。結果新型コロナ検査で陽性判定が出た。体調はまだ悪いけれど、だいぶマシになった。家族への感染が心配。
この頃は涼しくて、庭に出るととても気持ちがいい。庭仕事をするでもなく、庭で草を見ているだけで心が落ち着く。心を落ち着けて仕事をする。一つ一つ。
27金曜日
具合は悪く、少し仕事をしては横になり、でもすぐに色々気になってしまって起きて作業するも、また疲れてしまって休むを繰り返していた。それにしても私は落ち着きがなくて、うちの他の家族は皆、具合が悪い時はずっと死んだように突っ伏して静かにしている。飴も舐めず、間食も取らず、ほとんど起きてこない。私は眠れる時以外はずっとオロオロしている。
夜中になってまた熱が上がった。
26木曜日
数日前から喉がイガイガして怠かったが、昨晩から具合が悪く、今朝悩んだ末に今日の美術クラブの担当を休んだ。頭痛と身体中が痛い。布団であやとりをする。騙し騙し少し校正作業をすすめる。でも具合悪いと仕事は進まない。
妹も体調を崩してコロナ陽性ときき、私も抗原検査キッドで調べてみたが、一応陰性。中途半端に仕事をしたり、ゴロゴロしたりする。
夜中に熱が上がってうなされてた。ずっと、人員整理を、何か3種類の構成で1組の集まりを3組まとめてぐるぐる回ってるのを制御してる。3種類なのに正方形の集まりになってて、それが3つ回ってる、のを更に幾つも組まないといけなくて、それは私やそれらの人々が受診するのに必要な取り組みで、夜中に何度も目が覚めても、朝起きてもしばらくそのミッションをやり遂げねばって思い込んでた。
25水曜日
デザイン仕事をまとめて済ませて、午後からテクストの校正作業。取り掛かる前に気分が落ちてなかなか手が出ず、妹とLINEでそれぞれの仕事を励ましあい、作業をはじめる。うまく行ってない箇所は一章のところで、それについては一旦後回しにし、それ以降はフラットにすすめることができそう。集中が切れたタイミングで、近所の図書館まで歩いて行く。少し体調も悪くて少しの距離がしんどい。図書館は飲食もOKの新しいパブリックスペース的な施設で、リビングのようなテーブルで勉強する人が多くいて、それに混じって作業をすすめる。
帰り道、歩いていると前方の鳥の声がけたたましい。セブンイレブンの交差点の電柱の電線の集まっているところに大量の鳥。多分雀だと思う。よく見ると、電柱下のところに街路樹があって、まずそこに大量の雀が枝葉に埋まるように集まっていて、入り切れない鳥がその上の電線にとまっている様子。皆すごい勢いで鳴いていて、帰宅を急ぐ自家用車群のエンジン音と相まって、ただただノイズの塊になっていた。調べてみると、雀は晩夏から秋にかけて、一番大きな群れになるらしい。気に入ったねぐらくらいの意味で、ここで何が話されているかまではわからないとのこと。
24火曜日
朝起きたら、数学に関する部分と、コラムの扱いについての気がかりを伝えたメールにそれぞれ返信が来ていて、その内容に安堵する。
今時間が無いのに、仕事帰りに1つのジムの体験に申込みをして、別のジムの見学に寄った。運動をする時間をコストをかけて用意しないともう無理だと思って。
夜は月に一度の白井さんとのゆるユニットミーティング。フレーバー(匂い)にパラフレーズされた「フレーバー模型」というものがあることを教えてもらった。標準模型で区別の無いはずの素粒子が世代で大きく質量が変わることについて、ヒッグス粒子との結合の仕方によるらしく、それを(とりあえず3つの)フレーバー模型としてパズルのようにあてはめていると。他に「ヒエラルキー問題」についてや、ブラックホールの黒いところはとても小さい(数㎝)という話など(レンジングで光が曲がる透明な部分はとても大きい)。それから、数式を見て感覚的に宇宙をイメージできる話などを伺った。白井さんの頭の中は、宇宙みたいに果てしないように感じる。
23月曜日祝日
デザイン仕事。10月から葉書の郵便代が上がるので、DM葉書のデザイン仕事にも影響が出そうだなと。今回は大きなサイズの依頼。
柏崎へ。今日は晴れているけれど、雨続きだったから山道を行くのが心細い。音楽もかけず、ラジオもテレビもつけずに運転をする。信号で停車したときに、道路脇の産廃業者が油圧ショベルか何かの大きな機械で、金属の建材を潰していた。パレスチナの地をイスラエル軍が空爆したり、重機で潰したりしているのを映像で見て、破壊行為のおぞましさのようなものを素朴に感じていたけれど、それとは別に、私が何かをつくれば、不要になったときにそれを誰かが廃棄している。肉を食べるのに、誰かが家畜を殺してくれているし、私の糞尿の処理に関わることを誰かがしてくれている。新しく清潔な世界の側面だけを見て過ごしている私が、そういうものを透明にし、破壊的なシーンを生理的に嫌悪することの傲慢さに心が寒くなった。
校正の沼にはまる。
22日曜日
母は82歳。昨年父は他界して母は都営住宅に一人で住んでいる。身の回りのことも一人で出来るけれども、足腰がだいぶ弱ってきていることをこの旅行で実感した。私がミドルエイジで心身の衰えを感じはじめているけれども、ここから老いて行って人生を真っ当することの先の短さよりも、長さのことの方に何か感じいるものがあった。宿の長い廊下を歩く時、一緒にお風呂に入る時、父はもういなくて母はひとりなのだと思う時。
家に無事帰ってこれた。雨がひどいと聞いていたけれど、こちらは無事。能登は本当にお気の毒で心配。
21土曜日
小泉家、といっても、私たち娘は二人とも嫁に出たのでもう小泉ではないのだけれど、私の家族と妹の家族と母とで草津温泉へ。妹が学生時代に一ヶ月住み込みでアルバイトをしたことがあった草津ホテル1913へ。あいにくのお天気だったけれども。母を宿に残して皆で湯畑の方へ。生ビール、牛タン塩、地ビール、温泉まんじゅう、久しぶりに日本酒。食堂で配膳してくれる男性が、独特のイントネーションで料理を説明してくれる。八百屋さんの客寄せとかバスの運転手のアナウンスみたいに、日々の仕事のうちに独特の歌のような拍子のついた言い回しになってしまったようなそれ。一泊。
20金曜日
新潟での個展を続けていて、その間、東京での発表が少なかったこともあり、まだ見てもらっていないものを見てほしいと思うことにタイミングがあって、また、いくつかのシリーズがそれぞれに補完的というか、緩やかな関わりのようなものがあるのでその組み合わせ、あるいは編集的なことを考える。12月の個展の内容を大まかには決めていたのだけれど、ここにきて、紐のドローイングを描きたくなっている。見せたいタイミングとつくりたいタイミングは別で、でもつくりたい、描きたいタイミングの方を優先したいと思う。つくりたいと思うとき、指先の感覚のようなものが予感のように誘うのだ。私の場合は机上で作業が終わるような小さなものが多いので、身体というより、その先っぽの指先の感覚になる。例えば今回なら、まさにそのまま、紙の上に鉛筆で線を引くこと。緩やかな曲線を描くこと。久しぶりに少年たちと鉛筆で絵を描いたことが呼水になっているかも知れない。拙い表現が、ふと本物らしさを見せたり、また紙の上の少し投げやりな線の戯れに戻ったりの彼岸を見ていて、具象と抽象の境目のような紐の絵を描くことをもっとやりたいと思って。
19木曜日
おかざきさんの『而今而後』を入手する。「じこんじご」と入力してもうまく変換されない。言葉の意味は「今より後やこれから、今後」だという。2015年に還暦を機に制作された私家版の冊子に収録された文章だという。彼の本、『抽象の力』でとても好きになって、他に出た批評集も買い集めてはいるが、私は遅読なので通読したと言えるのは『抽象の力』と『芸術の設計』(こちらは氏の編・監修だけれど)だけで、この『而今而後』が発売されたのは知っていたけれど、手に入れるのが遅くなっていた。好きなら普通は夢中で読み進めるのかもしれないけれど、物語とは違って、少し読むと胸がジーンとしてしまい、しかもとても個人的に自分に関わりの深いものに思えて、それは懐かしく深く慣れ親しんだもののような印象をもつと共に、決してこれを読まなければこのような言葉として受け取ることができなかった類のもので、多重に心が震えてしまう。
冒頭の書籍のタイトルと同じ短い「而今而後」を読んだだけで、まずは本を閉じてしまった。パウリの名前とここで再開するとは思ってなかった。ノーベル物理学賞を受賞したこともある著名な物理学者パウリは、カール・ユングと親交が厚く、往復書簡が残されている。往復書簡集が英語に翻訳されてからも日本語版はなかなか出ることがなくて、生前の湯浅康雄さんが亡くなる直前まで翻訳の監修に取り組まれていた。2005年、好きだった湯浅さんに思い立って手紙を書き、何通か文通したり、電話で話したり、一度だけお会いしたりした。彼が亡くなられたのはお会いしてから二ヶ月後のこと。その後その本の出版は棚上げになっていて、忘れた頃に出版されたのは2018年、13年後だった。
ユングはオカルトで非科学的だと、パウリの周囲の科学者たちは彼がユングと付き合うのを嫌ったという。そんなパウリが精密機器に近づくとなぜか壊れてしまうというのが知られていて、その現象は「パウリ効果」と呼ばれているそう。
数学セミナーに場の量子論についての連載も載っていて、良い機械なので色々調べながら読んでみたら、よくわからなかった言葉などが整理されてとても良かった。それでも基礎的な数学についての理解が足りないことで、こんなにも読めないものがたくさんあるということについて残念に思う。まあ、語学も一緒だけれども。
18水曜日
午前中にゲラ(初校)が届いた。時間が経ったのもあるのか、私が書いたものなのかどうか少し遠さを感じる。縦に組まれたものを見て、ソワソワしてしまう。少し落ち着かなくて、ちょっと間を置いて校正に取り掛かったのは夕方からだった。
歯科に。下の前歯のところに麻酔を打って、歯石をとって貰うと、少しぐらつきが気になると言われてレントゲンを撮ることに。放射線を局所にパッと浴びたのだろうけれど、当たり前だけれど何も感じない。歯は問題なかった。
制作でコツコツやりたいことがたくさんあるのだけれど、手が回らない。
17火曜日
授業の後に久しぶりにガストへ。『現代思想 2024/9 読むことの現在』。読みたかったのは、谷村省吾さんの「物理学者、哲学書を読む」で、マルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』の論証の間違えを数学的にやり直したというのをTwitterで見て気になっていたから。数学の部分が結局は私の数学力が足りなくてちゃんとはわからなかったのだけれど、谷村さんがご自身の読書の仕方について、とても平たくあけすけに書かれているテクストは面白かった。
図書館で借りた『数学セミナー』2024年の4月号〜6月号。あやとりのところだけ読めばいいと思って、早々返却しようと思ったら、場の量子論(の数学)についての連載もあったので、もうしばらく手元に置くことにした。白井さんとのゆるユニットのための勉強を進めないといけない。
16月曜日祝日
『数学セミナー』6月号、長谷川浩さんのあやとりについての連載。四段はしごの紐の絡み方の違うアレンジの作り方が掲載されている。とても面白いのだけど、これをどうやって考えたのかを教えてほしい。手取り足取り教わりたい。
制作の、シリーズでまだまだやり残していることがたくさんあるけれど、次の個展には何を主軸に見せたらいいのか、一旦は決めたのにまだ煮え切らなくて、考え中だけれど、何も考えずにドローイングするのが楽しい。紐を描くのが楽しい。数学セミナーのあやとりを見つけてしまったせいで、紐のことやるのが楽しい。
本のゲラができるのが遅れているという連絡をもらって一週間以上経った。だんだん待つのが辛くなってきた。時間が経つと、あれこれ書き直したい気持ちになってくる。書き始めた日から、書き終えて手放した日、ゲラを待つ日々と、ずっと時間がつながってる感じがする。日常のつながり方ではなくて、自己が同一でないことを思い知るような、今の地点からのものに更新したい気持ちになってくる。でも多分、ゲラを手にしたらそれはもっと具体的に物で、物は既に発生を終えて在る物という、重さを持った過去として目の前に現れるのだろうなと期待しつつ。
15日曜日
なおえつうみまちアートへ。4年前、最初の年に東京の知人からの問い合わせでその開催を知って行った以来だった。最初の年は東京からキュレーターが大きな予算で作家連れてきてドーン、という地域祭だったけど、今回のは地元に密着した?素朴な内容だった。軍ちゃんという有名店で海鮮丼を食べ、小さな傘では凌げない風雨に濡れながら日本海を拝んで帰路についた。
米山インターで降りればtanneに行けると気がついてとても久しぶりに伺う。常設展開催中。硬めで美味しいカスタードプリンとバニラアイス、エチオピアを注文する。いつか欲しいと思っていた富井貴志さんのWe Are Atomesシリーズの小箱があったので、夫に誕生日(13日)プレゼントとして買ってもらった。とても良かった。
夜の読書会。藤田正勝『日本哲学入門』の第4講「言葉」。西田幾多郎から始まって、上田閑照、坂部恵、三上章、井筒俊彦、丸山圭三郎についてをざっと。
14土曜日
昨日、互尊文庫に入ってるのを知っていた『数学セミナー』を借りてきた。娯楽数学愛好家!の長谷川浩さんによるあやとりについての連載があるのをTwitterで知って。自然言語でのあやとりの手順の記述(≒記譜)が紹介されていて感動してしまった。座標を決めるように紐の位置に指との関係で名前をつけて、動きも定義して、決まった紐の扱いも名付けてから、手順を記述する。とてもシンプル。あやとり紐を出してきて、掲載されていた「さかずき」や「四段はしご」をその記述を見てやってみる。久しぶりに紐のスケッチをしたくなってするも、やはり美しい線を引くのにもう慣れてないのを感じる。毎日鉛筆を持たないとと思う。
あやとりへの興味について考えても、私は随分と浅いところというか、それについて深めるというよりは、その発生地点のところを愉しむ感じがしていて、例えば先日見た『石がある』でも、言葉のない世界の情報の多さや複雑さについても勿論惹かれるけれど、ここで「言葉」や「道具」が発生するその時みたいなところに強く惹かれる。それでも、長谷川さんの投稿やサイトを少し見ただけで、そのニッチな分野において深めることについて、見せていただいたような心持ちになった。あやとりの手順の記述(≒記譜)についても、簡単なようでそこに行きつくまでの道程のあったことについて触れられていたのとパラレルかもしれない。
それにしても、私の興味は分散しすぎていて自分でも困ってきた。
13金曜日
鉛の仕事をする。息子の三者面談。図書館に寄る。
ながおか映画祭でパレスチナ関連の映画を見ようとリリックホールへ。『壊された5つのカメラ パレスチナ・ビリンの叫び』2011年。ヨルダン川西岸のビリン村住人イマードが撮影した四男ジブリールの誕生からその成長と、村への入植に対する非暴力の抵抗運動の記録。果てしない不条理と、それでも人に絶望しないあたたかさのようなものに驚く。日本と比べるととても乾燥して見える村の土地に、オリーブが所々植わっている。対峙するイスラエルの入植地には、本物と思えないような集合住宅が、嵩上げされた土地に聳え立っている。本物と思えないようなというのは、雑で単純で非人間的な建造物に見えるからだ。あんなところに人は本当に住むのだろうかと。入植活動に夢中で、それはパレスチナ人だけでなく、自らも他の人々も非人間化する活動に思える。
今日は53回目の誕生日で、外食。帰宅すると息子が扇子をくれた。更年期で急に熱くなったりするから持ち歩ける扇子が欲しいって言ってあった。今日に間に合わないだろうと思っていたので嬉しかった。
12木曜日
今日は車がなくて、クラブのモチーフに使おうと思っていた大きめの煮干しを買いに行くのに、レインコートを引っ張り出してきて、自転車でウオロクへ。行きはよかったけど、帰りが土砂降りのタイミングでずぶ濡れになりながら帰ってきた。極端に物が少ない制御された生活を送っている施設で、煮干しを二つづつ机に並べて一所懸命に見て描いている少年たちと一緒に過ごしていると、私自身も普段より煮干しがクリアに見える気がする。
車がなくて、急ぎの仕事を持ち込まれたHさんにお願いしたら、少年院への送迎をしてくださった。助かった。アトリエで物撮りしてその場で画像を相談して決めて、モニターでデザインの当たりも一緒に見ながら済ませてしまったので早かった。自分が受け身の体質なせいか、人と一緒に過ごすとその人のペースに助けられて、違う時間の進み方をする。
11水曜日
急ぎの仕事の初校提出を済ませて、ほぼ制作のことだけできる珍しい日となった。
鉛の仕事のための型紙をつくり、出力して当ててひたすら切る。手作業の細かい仕事をはじめると、眼鏡の度が既に甘くなっているのを実感するも、直線仕事なので刃先は見えてはいなくても、定規の当て方を経験でカバーして切り終える。鉛は、カッターの刃を押し当てて、ブツを押しのけて切断していることの実感が紙より何倍も大きく手応えにもかたちにも現れてくる。切断面は船首が波を押しのけるように少しめくれ、刃の分行き先を失った質量がその隣で膨れ上がる。切断後、平板さを失った部分をバニッシャーで撫でて平らに戻す。
日記を書くということは、書かないことがその背後にはあるけれど、この日にそこのことについて触れなかったということが、あたかも記録に残ったような形になってしまうことについてちょっと思ったりする。
10火曜日
高校の授業へ。準備したパワポ見せるのにノーパソとモニターの繋げ方(画面切り替え)の仕方がわからなくてかなり焦るなど。機械音痴に拍車がかかるのって苦手意識によるよなと反省する。リモコンの文字がきちんと目に入っていなかった。
授業中に支給されているタブレットで色々検索して調べて良いことになっていて、勿論それを促すわけだけど、自分がそういう環境で学校時代は制作してこなかったことと、少年院ではそれができないというか、ノートパソコンも私は持ち込めないので、環境によってやれることと、それをさらに拡張した方がいいこと、またその逆の方針の意味みたいなことが相対化されて際立つ。情報を遮断された状況でこそ、具体的なモチーフを見る時間が可能になったり、先にあるイメージを補強するための資料は何が必要なのかの想定を絞ることがクリアになる。
9月曜日
急ぎで入った労働仕事。タイトルのとても長い展覧会のチラシで、文字をどう組むかにとても苦戦する。3つの情報の羅列(内、さらに3つの名前が並んでいたりする)で、どれをメインにしたら内容が落ち着くのかも判断がつかない。こういうのを意味的にではなくて、視覚的に処理するのがグラフィックデザインの醍醐味ではあるのだけれど、すっとうまく行くときもあるけれど、今回は他の情報や複数図版を表面にいれる必要があったりして、統合するべき内容が多かったのと、私に冴が足りなかったかも。他細部を決めつつ、何度もタイトル文字に戻って調整し、あとは少し寝かせることにした。
8日曜日
朝、母の家を後にして、長男と練馬区立美術館の「平田晃久―人間の波打ちぎわ」展へ。平田氏と同い年だと気づく。同世代生のようなものを通奏低音的に感じながら思考の経緯を見ることに。個人的に建築展を見るのが好きなのと、美術の隣接領域のものを見ると相対的に炙り出されるものがあって、今回は特に問題意識的な部分で受け取るものがあった。初期のからまりしろのところが特に面白かった。
埼玉近美へ吉田克朗展。入口でばったり明星大学の吉田先生の教え子だった池田さんやこずえさんに会う。吉田成志くんとも会場内で。展示は、神奈川近美葉山でも見ているのだけれど、天井高の低い入り組んだ空間の埼玉の方が、克朗さんの版画やドローイングのようなペーパーワークや、指の触感のすごいタブローを見るのに、大きさや距離という面でふさわしいのか、肉薄していてよかった。思考の流れがそのまま潔い形で制作になっていて、繊細さと直球さに打たれる。成志くんには制作ノートについての話や、李禹煥のようには再制作しないことの「もの派」についての話を聞かせてもらった。国立新美術館の李禹煥はあまり良くなかったよね。
大宮から長岡へ帰る。
7土曜日
長女とも待ち合わせて今日は3人で。とても久しぶりにICCに行った。二人は初めて。ICC アニュアル2024「とても近い遠さ」面白かった。古澤龍さんの《Mid Tide # 3》《Slack Tide # 1》(2024)共に仕組みが面白く、3人で何度も見ながら色々話をした。他、米澤柊さんの《「オバケの」第10話——アニメ物族室C》 (2024)、リー・イーファンの映像作品が面白かった。
水野幸司くんが参加している「Poltergeist(=騒がしい幽霊)」展へ荒川区の元映画館という変わった箱で。AI時代に霊について興味が生じるというのはなるほどなと。主体の誕生や発生を考えた時に、印象の束から現象の束のような方向に思考が繋がるのは最もで、素朴に私という意識について心理面にも切り込んで思索を発展するとそこを通ることになるのかと。私がオカルトに興味を持っていた頃は完全に個人的な動機からで、誰もそんな話をする相手はいなかったなと。湯浅泰雄さんと文通したり電話したり実際に会えたのは良い思い出だなと思い出すなど。子どもらがタルコフスキーのことを知らなくて教えてあげた。レムの原作(「ソラリスの陽のもとに」)の方は読んでいる。
お姉ちゃんと別れて、長男と二人で東中野へ。ポレポレで映画『石がある』。上映後の太田達成監督と編集の大川景子さんのトーク。稀有な映画だと思う。言葉の少ない静かな映像の濃さに、見た後でじわじわと喋りたいことが沢山やってくるけど、それを言葉にしないままとっておきたいようにも思う。寺田寅彦のエッセイみたいに、言葉が生まれた時は「石」と共にあった感じがリアルさを増す。獣っぽさと、道具の発見、名前のあるないなどについても思った。大川さんの話はとても面白くて、彼女がとても楽しそうに話す様子が好きだ。少し話せてよかった。息子が前情報なしで見たけどとても反応が良くて、映像のメディアとしての凄さに驚いていた。
今日はとてもとても良い鑑賞内容だった。
6金曜日
息子と東京へ。東京都現代美術館で展示を3つ見る。「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」「開発好明 ART IS LIVE ―ひとり民主主義へようこそ」「MOTコレクション・竹林之七妍・特集展示 野村和弘・Eye to Eye—見ること」
高橋龍太郎コレクションは現代美術の教科書みたいなラインナップで作品数も多く、少し食傷気味だった。開発好明さんの展示は参加型なので、子と楽しめた。参加型は人と一緒に行くと普通に楽しい。
常設で、前本彰子さんの作品が見れたことが良かった。実は1998年にコバヤシ画廊で個展した時に、次が前本さんで、私の搬出時に設営にいらしてが初めましてで、小さなお子さんがいて制作はどうですかといった質問をしたら、あまり良い反応を示されなかったから、何か悪いことを言ったかなと思ったことがあった。それきりだった。今回展示されていた作品の一つ《私の子どもは私が守る》が1998年制作とあって、なんか胸が熱くなった。
あと、福島秀子さんの仕事が良くて、当時もうこうだったんだなって自身の不勉強と遅れを感じながら少し元気になるなど。
夜、母の家ですき焼き。腰が痛そうなのが可哀想だけれど、あとは元気で部屋もきれいに整っている。私はずっとだらしない。
5木曜日
メダカの水替えをする。藻が生えて水が真緑に見えるバケツから、きれいに洗って前日から水をはってあった甕にメダカを移す。緑の水を混ぜたくなかったので、網でメダカを掬って移す。過包卵のメダカは身が重く、容易に捕まえられたが、他はすばしっこい。
バケツを覗き込む私や網の影に怯え、水面にそーっと浮き上がって来ては、気配を察知して慌てて緑の靄の中に潜っていってしまう。これは根比べだと思い、私は網を構えてじっと待つ。メダカは網に掬われてバタバタと暴れるとき、死を覚悟するのだろうか? 甕に移されて視界の開けた別世界に一瞬にして投入されたとき、来世に来たくらいのことを思うのだろうか?
弱らせない為に注意深く移す。皆元気な様子に見えた。バケツの方は水を庭に捨ててしまえば、容器自体は意外なほど汚れていなかった。スポンジで擦って落とす。
2ヶ月ぶりの美術クラブ。水滴の描き方のコピーを教材にして描いてみた。鉛筆と練りゴムの使い方を一通り、ざらっと乗せる、強く塗りつぶす、グラデーション、ティッシュや指で擦ってみる、丸と平たいヒッチ、練りゴムで細く白を抜いたり、ハイライトを入れたりする。カリキュラムとしてはこうだけれど、八人八色の悪戦苦闘があって面白かった。
4水曜日
家の脇の草が伸びて隣家にはみ出しているので草むしりをした。夏ずっと暑くて外に出て作業したくなかったけど、一昨日から急に涼しくなったから思い立って。夫も午前中なら体が空いているということで一緒に。というか、彼は人間草抜き機といった感じで、草を抜くのがとてもうまい。彼は抜いた草をしばらく置いておけば量が減るという考えなのだけど、そのままにしておくと黒ずんでしなった塊の下に魑魅魍魎が大量に湧くので、私は抜かれた草をビニール袋に入れていく係。75ℓ袋7つ分と、縛った枝が2束になった。
草や葉を掴みながら、特にシダ植物の葉の裏にびっしりついた茶色い粒々を見て、小学校くらい小さな頃に、植物を理科の観察のために描写した時のことを思い出した。自分が加わったこの世界の身近に、注意してみて見ないと知ることのない細部がたくさんあることに喜びを持って向かい合っていた日々の感じ。絵を描く時間の充実。
途中、コンクリートの上にいたカタツムリを長靴で踏み潰してしまった。経験のない感触で、砕けた殻とナマモノが混じってしまっている様子だけれど、目が悪くて鮮明には見えない。とても気の毒で残酷なことをした。ごめんなさい。
イモリが大きなカマドーマを咬て横切って行った。
みょうがの葉を少し整理して収穫した。これは植えたわけでなく、勝手に生えてきた。日当たりの比較的悪い場所で、大きな葉に隠れた暗いジメジメした場所に頭を出して植わっている。ここにも魑魅魍魎がたくさんいて少しこわい。土に埋まっているところは白く、出ているところは紫がかった茶色。その中間が淡く美しいピンクでグラデーションになっている。
3火曜日
高校の構成の授業、夏休み明けの初回。たった1ヶ月の休みと思っていたけれど、授業やったのがずっと昔のことに感じられて、朝起きてからとても緊張していたけれど、行けばやるべき事も言うことも自然な流れの中で整理して伝えられた。
高校の先生を同じく50代からはじめた人が、張り切って授業の準備をしているという話を読んで励まされ、私も楽しみ方がわかってきたと思う。
2月曜日
福尾匠さんのフーコーの最終回で、先週がドゥルーズ最終回だったので、今期のフィロショピーが全部終わった。追いつこうと一気見したけど内容が濃いのでキャパオーバーだった。読書会や勉強会、レクチャーなど、オンラインで気軽に出来るようになって色々参加しているけれど、その中でも特に印象深い講座だった。
1日曜日
実家を後にして夫と上野へ。国立博物館に内藤礼の「生まれておいで 生きておいで」を見に行く。彼女の大きな展示を見に行くのは多分初めてだと思う。彼は水戸で見ている。私には彼女の仕事に乗れる側面と乗れない側面があって、おおよそ予想した範囲内の感受だった。それでももちろん行ってよかった。また、それとは別に、3会場を回るにあたって、本館の博物館の通常展示室を通る。高村光雲の老猿が思っていた以上に漫画的な表現だなと感じたり、ああ、掛け軸の縦の画面の使い方について面白く見るものがあったり、琉球のものに惹かれたり、他をゆっくり見る時間も体力も残っていなかったので、あくまで途中に通るところについて見ただけだったけれど、博物館に来たのが久しぶりで、近代ではないものを新しい目で見ることができる自身のタイミングなのがわかって、また来たいなと思った。ミュージアムショップで素朴な絵葉書ばかりに夢中になった。民藝という括りでなくても、もっと作ったり描いたりすることについての自由でプリミティブな強さを持ったものがたくさんあった。