2024年7月
31水曜日
半年くらい前に走り書きしたテクストを見つけて読んだら、結構良いのだけれど、それはとてもとても走ってて(笑)、私にしかわからない、理路になっていない理路で書かれている。自分には伝わる理路で、人には伝わらない理路ってそもそも何だろう。はっきり言って全く普通にはつながっていないわけだ。下手な文章なわけで、では世に下手な文章を書く人はいっぱいいるわけだけれども、それはどうなっているってことなのか?普通に考えてつながっていないものがつながるのは、勘違いで間違いなわけだけれども、なぜ間違えるのか?つながったと錯覚するのだろうか?理路とは違う仕方でつながっているきっかけは何なのだろうか?などと、悪あがきをしてみる。これをきちんと書き直すことはできるだろうか。偶然見つけてしまったテクストにかまっていないで、元々の方をなんとかしたほうが言い訳だけれども、フォーマルに書いたものよりも、走り書きの方がリアルが詰まっている感じがして、その文体の違いにちょっとやられてしまうというか、私がフォーマルな方でやっていることで欠損している部分を、その走り書きが見せつけてきて、また青くなっているわけである。
言葉を道具として使いこなせていないわけだ。ちゃんと使おうと真摯に向き合うことをしないで、意志を持って喋るのではなくて、口が喋るのだ。自動筆記に近いわけだ。でもそれによって、何か抱えているイメージを外に吐き出している。つらつらと、見たものを連続的に描写するように、心に浮かぶものの圧が強くて外にはみ出すように文字を連ねてしまう。文字列に理路の骨がなくても、関節や軟骨がなくても、流しそうめんのように流れ続けてしまう。誰もが掬い損ねて下のバケツに溜まるだろう素麺。
30火曜日
ホフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』を何度目かだけれど、丁寧に読み直したら、本当にどの一文をとっても水晶のように美しくて、制作にとっても偶然の一致と言っていいくらいの記述もみつけて、わたしにとって大切なものだなとあらためて思った。写経のように全文繰り返し書き写したいと思った。
相談を受けて、デザインやコンテクストや表象についての会話をしたのだけど、うまく伝えられず。一般的、総合的判断と、わたしの個人の価値観は違うから、両方を言うとして、その場合に踏み込んで現状認識の前提を伝えることになると、それはそれでセンシティブな面もあり、コミュニケーションは難しいなと思う。
29月曜日
取り組んでいる仕事について、つまづいていて、何が問題か一瞬で気づきそうなことに気がつくのに一日かかった。それでも気がついてよかった。でもこれをクリアするのに、0から始めるような内容で、閉じかけていた仕事をもう一つ内容を加えるようなことになって、草臥れた。明日からそれ。
夜ウィトゲンシュタイン読書会。ウィトゲンシュタインは動物に全く興味を示さなかったらしい。生物の分類のこととか、家族的類似の話と相性が良さそうなのに。私は角川の『類語国語辞典』の「ゲーム」のページの写真を披露した。
28日曜日
息子の吹奏楽団の県のコンクール日。上越文化会館へ聞きに行った。練習にしょっちゅう送迎していたけれど、練習の様子を見たことはなかったわけで、私の知らないところでやっていることの方が当たり前だけどずっとずっと多いよねと。
道中本を読んでいて、書くことを思い出してメモをする。自分で何を書いて何を書き忘れているかわかってないのを思い知って青くなるなど。地図を見るように空間を把握するのが苦手で方向音痴で、視覚的な道の連なりによって行き方を覚えているのが常で、書くときもつらつらと流れだけで書いてしまう。お喋りと同じ。量がそれほど多くないからそれで済ませてしまっているだけで、一応章立ても書いているけれど、全然抜けてるじゃんと思うし、流れで書いてしまったので、後でポッと抜けている内容を思い出したときに、うまく入れ込めなかったりする。それ駄目だなと。もう一回攫い直さないと。
27土曜日
オリンピックの開会式があったの気づいてなくて、外出した際に車中でついていたテレビで録画映像を流していたから、あまりちゃんとは見れてないけれど、イスラエルの選手団とパレスチナの選手団が紹介されるタイミングは勝手に気になって情報が目や耳に飛び込んできて、なんなんだこれは?ってくらい白々しい気持ちになった。あとで、この状況でも出場したパレスチナの選手について、駐日パレスチナ大使がツイートしているのを見て、全体で見えたものに対する嫌悪感と、個人の状況を見たときに感じるものとの接続し難さを知らされた気がした。全部人間が決めてやることだけれど、その組織的な意味での系統的な上下大小関係の権力的な決定と、その中で翻弄される個人の判断のこと。
26金曜日
寝起きに見ていたのは、髪が真っ白になったシーンだった。水色の折目正しいシャツを着ていて、髪は美しく、少し黄味がかってミドルレングスだった。考えていたことというか、感じたことは、自分が陰謀論の大風呂敷を広げすぎていて、綺麗にまとまりすぎていることを少し怖がっていた。
25木曜日
自分が書いている言葉にうなされるような感じがあって、読み返してみるとそんなことないのだけれど、目を話すと悪いイメージばかりが湧いてしまう。何をそんなに恐れているのか。作品を制作する方がずっと他人事のように思えたり(距離をうまく取れると感じる)、自分の言葉はほとんど手近な破片のコラージュで、永遠に生の言葉には触れられないと無力感に苛まれたり。
24水曜日
髪を短く切る。前髪短めで、耳にかけられるくらいの長さのショートで気に入っていたのだけれど、お風呂入った後に髪を乾かすのにこの頃は暑くて、ドライヤー使わなくていいくらい短くしたかったから。
この頃、何かを正しく読むことの自分の能力のなさを思い知って残念な思いでいる。一人でだと特に厳しい。
メダカが1匹死んだ。
23火曜日
私の伝え方の拙さもあるのだけれど、一度言ったくらいでは伝わらない(聞いていない)ことがよくわかったので、同じことを、シンプルに要点を毎回伝えることを心がける。初めからよく聞いてくれる子もいるけれど、なかなか注意が向かない子も、同じことを繰り返し言っていると、流石にこれは要点なのだなと理解するのがわかる。それから、制作途中でも具体的な見本になるものがあれば、それを示すことが最も効果的だなと思う。授業の話、夏休み前最終日。私の方もやっとこの場所に慣れてきた。一ヶ月間のお休みの間に、この後のことをよく計画しようと思う。
私が机に膝をぶつけると、皆一斉に心配してくれる。やさしい。
22月曜日
絵本作家の早川純子さんが長岡造形大学に講義3回来るの最終日だったので、片付けの手伝いとお茶をしに講義室に顔を出す。出版してきた絵本や、参考になる本、ジャワの水牛の皮を用いた影絵的な人形劇のワヤンの人形そのものや資料、早川さんが描いたお土産などたくさん持ち込まれていた。彼女とは学生時代から始めた青山のこどもの城造形スタジオのアルバイトで出会った。ひたすらいくらでもいつでも絵を描いてしまうような彼女の描く人間的な生き物たち。話していても、只者ではなさ過ぎる。そうは言ってもお互いに、仕事をどう収入に結びつけていくか、どう収入を得るかには能力が足らなくて、これだけの仕事量を抱えてくる彼女でも、学生に話していて、どうしたらいいんだーってなってしまうと言っていた。私たちが若い頃は絵本作家といえば一つの花形職業だったけれど、今は誰でも絵本もアートブックも作れて、フェアで売るような人気商売的な面があるからな、、、。例えば福音館の月刊誌『大きなポケット』は2011年に休刊していると聞いて、だいぶショックだった。あの冊子はとても良質で濃厚だった。
月曜版画部で、ソフトグランドでつくった紫陽花折り紙板をひたすら刷るなど。ひたすら刷ると短時間でも刷りが上手くなった。
21日曜日
中央図書館に久しぶりに行った。よく改装工事をしていて、少し前から自分で貸出手続きをする機械が入っているのを知っていたけれど、初めて使ってみた。とても簡単だけれど、窓口で何か会話をかわす訳でなくても、対面でやってもらう方がホッとするなと思った。多分家族以外の人と接する機会が少ない私にとっては、図書館に行って、人が沢山いるとしても、直接的にやり取りする場面がそこだけだからだと思う。日々複雑に人々とやりとりをしていたり、業務量が多い場合は単純なこの窓口でのやり取りを、対面ではなくて機械が代替してくれること、またはショートカットするのが効率的というより、そのほうが幸せなのかもしれない。一人で暮らして制作だけしている人が、図書館に来て、一人で帰っていく時間のことを考えてしまう、自分の家族を棚に上げて申し訳ないけれど、そんな風に少しその機械での操作の呆気なさに寂しさを感じたりした。これも普通になって、慣れていくかもしれないし、そうは言っても窓口はなくならないだろう。窓口業務が軽減される分だけ、司書という仕事が手厚く守られますようにと願う。
20土曜日
ここ数日疲れが溜まっていて、作業の切れ目にふと気が抜けるとぐったりして、少し休もうと思い横になるが眠れないということが続いていた。昨晩から喉の奥が痛くなって、今朝は症状が悪化したので予定していた外出をやめた。幸い熱は上がらず、心配していた事態にはならずに済んだ。
横になっても眠れないことはあまりないタイプで、眠れない時は何か嫌なことがあって、ぐるぐるそのことを思い巡らせてしまう時、いわゆる脳が興奮している時なのだけれど、今回のそれは、嫌なことはないけれど頭が興奮していたのだと思う。特に具体的に何かを考えたり思い出したりもしていないけれど、体は疲れているのに頭が起きている感じがした。
夜、仕事場のまさに階段の根元の板間でふとゴロンとすると、上階からクーラーの冷気が降りてくる。階段のところは2階の天井まで吹き抜けのようになっているから、高い空みたいに空間が美しい。この家で初めてみる視界だった。とても気持ちよくてうとうとして、あ、早く寝床に入ろうと上階へ上がる。布団に入って「無」な心持ちでまさに眠りに入るというときにふと我に返った。多分今、何かの書類を大量に整理していた。私の心理的な画面、正方形で全面が書類状態で、一枚づつめくってはこの束の最後尾に移す。手がある訳でなく、中空に浮いた書類が機械的にそのようにめくられていく。薄暗い映像で、赤っぽい光。アニメーションっぽい。「無」の状態と、そのアニメーションの状態は重なって意識の違う層だった。時系列的に並ばない。そんなこと思いながら、ああ、今とても気持ちよく眠りに入れそうだったのになぜ我に返ってしまったのだろうと残念に思いながら、割とすぐに眠りについた。
19金曜日
テキストの修正をしていると、翌日になって日記を書くとき、昨日本当に何もしなかった気がしてきて怖い。
(うちにあるのは、「小さな木琴」と形容した方がいいかもしれない。)
小学校のころ、木琴をやったことあるけれど、久しぶりにマレットで叩いてみると結構難しい。音板が小さいので外して打ち損ねる。何を演奏する訳でもないので、iPhoneのアラーム音を何種類か耳コピしたりして遊んでいた。息子が自分の担当するパートを時々練習するのを見ていて、音感としてなんとなくシロフォンでどんな音楽を演奏するのかを感じとることができてきて、少し遊べるようになってきた。左右のマレットで和音、連打、交互に、片方でリズムとって片方でメロディとか。パーカッションパートの楽器なので、やはりリズムが大事。
少し小さく閉じる。ドからミまで、その間の半音も入れると5つの音。これだけで演奏してみる。そうするととても簡単に楽しめる。少し不穏な音の組み合わせがいい感じ。ここで一通り色々なリズムと音列の順番の組み替えで遊んだのち、少し外の音に手を伸ばして音楽を広げていく。そういう遊びをはじめた。
18木曜日
福尾匠さんのフィロショピーのドゥルーズ#3と#4をながら聞していて、ドゥルーズの動物の捉え方の話が想像の斜め上を行っていて最高だった。クッツェーの本読んで動物のこと気になっていたけれど、階層があって味わいはとても深いけれど、どうしても方向が一様にしか私には受け取れずに、倫理的に回収されて終わってしまいそうなのをどうしたらいいかと、ただチャンドス卿の話題、見ることの方に寄せて、または動物に見られることの方も加えて何か考えられるだろうかとか思う程度だったものが、違う回路が開けるようだった。高瀬智淳さんの「地紋のドローイング」のことを思い出したりした。という内容では、自分にしか何を言っているかわからないだろうけれど、メモとして。
梅雨の雨はスコールみたいで、降る時にたくさん降る。全体で水が多いので、トマトもミニトマトも激しく割れてしまう。胡瓜や茄子は大きく良く育ち、見落としていて今までで一番大きくなってしまった胡瓜も、中まできちんとしていて美味しかった。だいぶ種の粒々が大きく、胡瓜というより瓜だった。
子を隣の市のコミュニティーセンターに吹奏楽団の練習に送り、終わるまでいつも読書やテクスト仕事などしているガストへ。ところが改装中で入れず、同じ敷地内のミスタードーナツに久しぶりに入った。夜7時から客は店内に私だけ、9時までの間にも3組のお客さんがテイクアウトに来ただけで、何かエドワード・ホッパー味がある。広い駐車場の大きな敷地内に、ガスト、ミスド、鍼灸院などの小店舗が連なった建物、大型食品スーパー、100均、家電量販店、子供服量販店、クリーニング店が建っている。9時に店を出た時には、車がほんの数台、ぽつんぽつんとだけしか停まっていなくて、その寂しさは雪が降り続く屋外で独り佇んでいる時のそれとさほど変わらないなと、ふと思った。街頭の光に照らされた部分だけ空中の雪が光って舞っているのを見ているのがとても好きだけれど、ポツンと照らされた車のそれも、真夏に似た感情を引き起こした。
17水曜日
実は今、本を書いている。その内容に必要な工作的な制作をして細部について確認をして、そうすると部分的な修正だけでなく、全く別の箇所に書き忘れていた内容を思い出したりする。制作について書いているわけだけれど、ただ思い出して書くことは本当に怖い。手を動かしていないと、前意識的な内容はずっと捨て置かれたままになる。だからと言って書いても仕様のないこともある。書きたいのにそのことについてうまく書けないということより、忘れられて書かれないことは膨大にこの世にあるだろう。市井の人の暮らしとかそういうことよりも、もっとミクロな手のひらの中の話。例えば定規上で見分けられる寸法はせいぜい0.5mm程度。それも慎重に固い鉛筆で線を引かないと効果的な差異は現れない。でも、指で触れればもっとミクロな差異がわかるし、それは実は矛盾しているようだけれど見るとわかるし、全体に影響を与える差なのだ。
そういう話をしようと思ったわけではなかった。制作を振り返る時間が続いていて、次のこともしたいのだけれど、次のことはまだ書けるような段階では全くない。今の私が過去方向と、全く未知の未来方向へと両方へ気持ちが焦っていて、その真ん中で少し引き裂かれそうな疲労があり、早くテクストを書き上げてしまいたいけれど、慎重に大切に進めたいし、今までのことを考えずに手放しで、次のことにも集中したい。今までのことを辞めるという話ではなくて、制作にとってもっともよい状況を用意するためにという意味で。未知のところから勝手にシナプスが伸びてきて繋がるから。
本は、本編はほぼ書けて、でももう一周している途中。そのあとはじめにとおわりにを書いて、今年中には出る見込み。それから12月に個展。来年は3月、9月、12月に個展。個展の準備を進めつつ、いわゆる新作とは別に、シリーズ外の制作をしたいと思っていて、少し無理な感じがしている。
16火曜日
ファンダメンタルズの企画で素粒子物理学の白井さんとアーティストたちのZoom Meatingの日。私はこれまでも話の中で日常的な理解の物質観からそうではないところにどこで移行するのかが気になっていて(この気になっていることについても明確に言語化できないことが書いてみてよくわかる)、ざっくり結論から言うと日常の延長内とでも言えるような現実部分は、ニュートン物理学の範疇で、現実には手にすることができないけれど、理想的にはそうという領域(量子状態)が量子力学の範疇。と書くとよく知られている内容のような気がするけれど、なぜそうなるのか、それについて以下。
素粒子の標準模型にボゾンとフェルミオンの分類がある。これはボゾンなのかフェルミオンなのかという問いが立てられる。端的に粒子の数(量子数)で分類することができるという。例えば水素原子ならば、陽子1個と電子1個の計2個からできている。粒子が偶数個なのでボゾン。重水素原子は、陽子1個と中性子1個と電子1個の計3個からできている。奇数個なのでフェルミオン。これが、もう少し複雑な状況、タンパク質のアミノ酸くらいになると、分子構造図はあくまで模式図であって、全て理想的にその姿を保ち続けているわけではなく、特にそれを確認しようと見る時(観察/観測しようとする時)、外在的な何かこちらのアクションが影響して理想的な状態が崩れてしまう。またはそれについて「内部自由度が高い」と言う。例えば、10円玉はボゾンかフェルミオンかという問いに対しては「内部自由度が高すぎるので決まらない」という解となる。それは全く同じ状態を用意できる(と言って差し支えない)かどうかが境目だということだと教えてもらった。
(現実には個体差があるけれど、それを確認することができないだけということかというと、きっとちょっと違う気がする。もう少しわかりたい。個体差があるという言い方では違うのかもしれない。)
15月曜日
来るはずの原稿が予定通り来なくても全く気にならなくなったのは年の功だろうか? 遅れますって連絡はもらっていて、そこで予告された日を過ぎてしまったのだけど、遅れますっていう連絡のメールには返信してなくて、その返信がないことを相手は気にしただろうか? というのも、今は私は返信がすぐなくても全く気にしないのだけれど、若い頃、1日1日気に病んでいたことあったなとも思ったりした。そういう塩梅って人によって色々だろうなと思う。今回は返信がすぐ来ない人のサンプルになろうと思う。
提出物のプリントを明日返却するのに、他の先生が「よくできました」だったかの判子押してたのを思い出して羨ましく思い、うちの判子がしまってある引き出しを物色したら、リスの判子とカモノハシの判子を見つけた。文脈も意図も伝わらないだろうけれど、「見ました」という意味で押した。
自分が書いたテクスト通りに木を切ってみた。思ってたのと違う箇所を発見したから、後で書き直さないといけない。
ここしばらくSFものを立て続けに見て、自分の中年ぶりと親世代の頑固さを見ていると、ああ、人間は例え寿命が伸びて多くの時間を過ごしたとしても愚かなままで、高等な異星人に有害な種族として滅ぼされるしかないのだろうなと思いかけていたのだけれど、北斎は70越えてまともに絵が描けるようになってきたと自覚し、100歳を越えればもっとと思っていたと動画番組で話題にされているのを見かけて、申し訳ありませんでしたという気持ちになった。
14日曜日
里山食堂でお昼を食べたかったのに、行ったら既に受付終了だった。昨日から大地の芸術祭がはじまっていたが、何か見る気力がなくて、そそくさと山道を下る。雨模様でも緑が美しく、灰色がかった青い空は油絵の絵の具のように抵抗感があって、それも美しかった。山肌の緑の自然な植生が、ストロークを生かした抽象絵画のように見えて、あれを美しいと感じる要因はここからくるのかなと思ったりしながら運転していた。
友人がSNSで、花の美しさを愛でて人に贈ることについて、「他の哺乳類にはない人間らしさだ」という旨を書いていた。私は少し前に読んだ『動物のいのち』で、人間が動物をどう見て扱うかについて色々考え直すことがあり、それのきっかけがパレスチナ人を「人間動物」だと言うイスラエル人の攻撃の苛烈さや、元々のアパルトヘイト的な状況ということを踏まえてだったのもあり、動物を下等なものとして差別的に眼差すことに反省的になっている。友人のその内容について、以前なら人間の良い面を指摘するものとして自然に受け取れていただろうに、嫌悪感が先立つ。差別的な意識がないと知っている(その人が犬や猫を飼っていて、愛していることを知っている)けれども、パッと、私の気が立つのが早くて、そこで、ああ、私と同じ視点を持ち合わせていない人という線引きが起きてしまう。私の中にこれを理由に「差別的な感情」が沸き立ったことに本当に驚いてしまった。
13土曜日
A3の図面をA4スキャナーで半分づつ読み込んで、フォトショで貼り合わせて部分的に修正したり、画像のキャプション情報を集めたりした。
夕飯に、ジャガイモを薄切りにしてレミパンに入れて、牛乳入れてバター入れて弱火で煮る。塩胡椒。それをグラタン皿に敷いて、その上に昨日作った野菜たっぷりキーマ豆カレー(ニンニク、生姜、玉葱、人参、ナス、ピーマン、シシトウ、トマト、合い挽き肉、大豆の水煮、これにバターとオリーブオイル、クミンシードとカレー粉とコンソメ)を乗せ、シュレッドチーズをかけて、電子レンジでだいたい温めてから、魚焼きグリルで焼いた。
12金曜日
帳簿付けや請求書作成などの業務を溜めすぎていたので、久しぶりにアプリケーションを開くと、口座連携が外れたりしていて時間をとられる。証明書類のアップロードで運転免許証のパスワードはすぐに思い出せないし、マイナンバーカードを無くしたかと思って青くなるなど。結局きちんと入れておくところに入っていた(のを見落として、他を探し回ってしまった)。
請求書を紙で送って欲しいという取引先に、古い手書きの複写式の用紙に書いて出す。ついでに、詩誌を送ってくださった方や、ブランクーシ展見てハガキを送ってくれた人に返礼を書いて出す。
一時期手紙魔の友人ができたせいで、手紙をしょっ中出していた。彼女が目が悪くなって、手紙の頻度が落ち、その前から元々ヤギさん郵便状態で、お互いのやりとりが応答の体を為していなかったのに、読むのが困難になったと聞いて、書くことも少なくなった。娘に読んでもらうといっていたけれど。
その手紙魔の女性は元々、校閲の仕事をされていた方。共通の友人(むしろその友人を通して彼女と知り合った)は、彼女の目が悪くなったので、しばらく本を朗読してあげに彼女の家に通っていた。当時読まれていた本が、ハン・ガンの『ギリシャ語の時間』で、その話自体がまるで小説や映画のようだなと思った。
「手紙」といえば、私の中で手紙魔の彼女自身の存在が代名詞のようになっている。そうだ彼女に手紙を書こう。
11木曜日
息子の放課後、吹奏楽団の練習に車で20分の隣の市のコミュニティーセンターへ送る。数時間後にまた迎えにもう一往復するのが面倒で、近くのガストに行ってドリンクバーでコーヒーを飲みながらで原稿仕事をするのが最近の習慣になっている。夕飯時だけれど空いている。今日は外壁工事をしていて、足場と灰色のネットに囲まれていて、「営業中」の小さな横断幕を見落としていたら閉店していると思って通り過ぎたかもしれない。塗装の関係か、店内でもまだらに有機溶剤系の匂いがする、レストランなのに。少し気になりつつも作業をする。
私の隣の席、といっても間に空席をいくつか挟んでのテーブルは、高齢男性の集まり。何かとても穏やかで楽しそうで、不思議な感じがした。夫から聞く各所での町内会がらみの集まりでは、いつも高齢男性が一人は怒っている。そういう感じの全くない平和なテーブルに真っ白く輝く髪の男性が4人、身を寄せ合っている。
向かいの席には後から20〜30代の女性客二人。韓国に行った時の話か、推しの韓国のアイドルの話をしている様子だった。遠慮があり、同意があり、少し緊張があり、武勇伝があり、共感があり。久しぶりに会って、しかも少し年齢差もあり、異なる環境の近況を報告しあっているようだった。魔が刺したようにほんの少し気まずい空気が流れる時が気になってしまって、そういう「間」にやたらと共感する。
10水曜日
朝、弁当に入れようとミニトマトを採りに庭に出ると、ここ数日の豪雨でだいぶ荒れていた。草はだいぶ伸びたが倒れ、タマアザミもピーマンもナスもパクチーも倒れてしまった。ミニトマトの紐支柱の片側が下がってしまった。午前中、家人が家に居られるというので、一緒に庭仕事をする。倒れて葉の色も悪くなったタマアザミを切って、花を花瓶や鉢に移した。雑草を抜いて、野菜には新しく支柱を立てた。
雨が降ってきて、庭の隅に建てた東屋に久しぶりに入って休んだ。ここから見える視界が元々好きだったが、今年は勝手に育っている桑の木がだいぶ茂って、視界の上部を枝葉が占拠する。その様子がまた良い。
麦わら帽子のてっぺんに、オニヤンマをリアルに模した実物大のグッズをつけて庭に出た。蚊や蜂がトンボを怖がって近づかないという効果を謳ったもの。確かに、普段刺されない夫でさえも蚊に刺されたというほど多かったのに、私はほとんど被害に遭わなかった。それでもあちこち痒い気がする。うっかり部屋の中に蚊が入ったかもしれない。
9火曜日
高校の専任の先生と話す。一学期の成績つけを終える。
やりたいことがたくさんあるのに、なかなか動けなくて、更年期だと思うのだけれど疲れはてて、今夜は何もなかったのでとても早く布団に入る。少しうとうとしたら、母から、ニュースで新潟の豪雨が心配で電話したと。枕元に置いたスマホが震えて母の名前が表示されているのを見て、こんな時間にかかってくることないので何かあったかとどきっとしたせいですっかり目が覚めてしまい、しかも悪い知らせではなかった反動で元気になり、起き出して片付けや仕事を少し進めた。
8月曜日
月曜版画部担当日。読書会などでこの頃早退続きだったので、閉める時間までいたのが久しぶり。娘さんの仕事の話や、ウクレレ教室に参加した話、子が小さかった頃の花火大会の思い出など、緩やかなお喋りを伺いながら。
話題の中で職人の話になり、私が子供の頃はあちらこちらでしょっちゅう左官屋を見たことを思い出した。度々遊びを中断して夢中で見ていた。ざっざっという独特の重たくて粘度が高くざらついた物質の音、真似の出来ないリズムがあって(そうだ、銅版画のインクを練っていてその話になったんだった)、壁に塗る時も手捌きに緩急があって、書家のパフォーマンスを見るような、見せ物ではないのに技に華があるのを見ていた。他にも国鉄の切符切りや、八百屋魚屋の倍音の声など、身体が専門性によって変容している様を、日々身近に感じて過ごしていた。
アクアチントの松脂の振り方も、ルーペで見た時の腐食具合の見分け方も、版画家の夫に教えてもらったけど、見分けがつかない。ルーペを覗きながら皆でうんうん唸ってた。
7日曜日
都民ではないけれど、東京出身で東京に家族親族が多く住む私としては、都知事選は気になっていたけれど、こういう結果になったことにそれほど驚きはない中で、陰謀論者(ワクチンを打つことを心配したり、打たない選択をする人達のことは尊重するけれど、彼の色々な主張は許せないものがある、特に自閉症児などに対する発言など)がかなりの票数を集めたことの方が気が重い。
『三体』をアマプラで数日前から見ている。ビリヤードや太陽の運行の話など、ヒュームやなぁと思って見ている。読書会で読んでいた『動きすぎてはいけない』の2章のところ、ドゥルーズのヒューム主義も、筆が走っている気がするよねぇーって音読会で楽しい時間だった。何がそんなに楽しいのだろうか。自分の心許なさは不安だったし、ある意味、悪い印をつけられた身のように感じていたのに、これを大真面目に扱ってくれているものがあって、それを聞いていて息ができる気がしたからかもしれないし、でも皆も楽しそうで、皆は何が楽しいのだろう。
あ、七夕だったのだな。母の元に花が届いてお礼の電話が来た。
6土曜日
子を社会人の吹奏楽団の練習に車で送る。他にも高専の吹部もやってるし、他学校と合同の吹奏楽の集まりもある。パーカッションを担当していて、今担当している楽器を教えてもらった。タンバリン、トライアングル、バスドラ、サスペンデッドシンバル、スレイベル、クラベス、タムタム、バウロン、スネア、クラッシュシンバル、ビブラフォン、シロフォン、コンガなどなどだという。最近お小遣いを叩いて、カウベルを買っていたのに、それは個人的な愉しみ用だったらしい。同居する家族が、私のやらない専門的な何かに足を突っ込んでいることを有り難く思う。
5金曜日
朝起きてから前日(5金曜日)の日記を書いている。本当にこの頃前日のことを覚えていない気がして心配になっている。
必要な図版の用意で、特に自分で作る必要のある図、主に図面を作っていた。取り敢えず、4つあるまとまりの中の1つ目はできたことになる。こんなに図を入れるつもりではなく文章だけでと思って書いていて、図を加えることにしてみたら、書けることがさらに増えてしまった気がする。どうしよう。もう一周するか。
4木曜日
やっと自分の中で大事な仕事を再稼働させることができた。うまく手をつけたので、やればやっただけ仕事を整理して、次々にやる作業が見えてくる。こうして始めてみると、ここからやることが思ったよりも多くて、それも愉しいと思える。
「再稼働」という言葉を使ったことに原発のイメージから抵抗があり、でもその抵抗が薄まっていることを感じる。読み慣れた、そして黙読で音声が頭の中で鳴った回数が多いと、慣れ親しんでしまい、近くにあって掴みやすいから掴んでしまう。こうして私のテクストが半自動的に任せて連なって行ってしまう。好ましいと思う言葉ばかりに触れていれば、自然と好ましい言葉を多用することになる。食べたもので自分ができているように、読んだもので自分ができているのだと思う。でもこうして、忌み嫌う言葉への抵抗が下がって、自分のことを書くのに掴んでしまうことを思うと、自然に任せていることや、感覚に任せてしまうこと、でもそうしないとしっくりこないことなどについて、ちょっと複雑な思いがする。もちろん「稼働」という言葉は原発のことだけを指すわけではないけれど、私の中でのその言葉の由来は原発に対して、原発再稼働に対して反対の気持ちがあるからから居座っているものなのだ。
3水曜日
なかなか本題に入れない。労働に終始してしまう。そして本題の方、修正や調整の手をつける前に弱気になってしまう時がある。
2火曜日
高校の授業の成績をつけるのが初めてで、テストはなくて実技課題のみ。素点をつけるところまではいいのだけれど、ABCの3段階で、知・思・主をそれぞれつけてからの5段階評価というのに馴染みがなく、単純に振り分けると総合的な評価が素点と食い違ってしまったりするので、それに沿った分析的評価の配分をよく事前に考える必要がある。結構厄介だというのは聞いていたのだけれど、やってみて事の煩雑さに気がついた。能力や成果をこの3つにうまく配分しないと算出されるものに偏りが生まれてしまう。子供の成績表を見て「はて?」と思ったことあるけれど、これはわかりにくい。という沼にはまって、苦手なエクセルでも使わないわけにはいかず、とは言っても大元を考えるときは、手元で紙に手書きで構造をまとめる方がやはり抵抗(手応え)があってやりやすい。PC上の数値は時間と共にどんどん現実味を失って行くような感じがしてしまう。来学期からは後で困らないように事前に採点の計画を立てようと思う。ちなみに今の息子の成績は単元ごとの完全なる数値なので、なんていうか、そのほうがすっきりさっぱりしていて納得できる。
1月曜日
もう7月。昨日のうちに長岡に戻る。今日は市議会へパレスチナの平和を求める請願もう1通の方を出されたお二人と喫茶店で話した。お互いどういう経緯でパレスチナの現状への関心を強くしたのかや、請願へ行き着く経緯、請願文と意見書の内容のことなど。
お一人は日頃からエネルギー問題に取り組まれている方で、ガザにイスラエルやアメリカが強く影響力を行使したい背景にエネルギー問題があるだろうと考えている方で、もう1人は社会人学生で、英語でパレスチナについての論文を書かれているとのこと。お互いなかなかこの件について話し相手も多くないので、沢山話してしまった。
私からは昨日行った丸木美術館のこと、動物のこと(差別、同じ/違う、命、殺す、食べる、信仰、ああここまでの内容までは話せなかったけど)が気になっている話をした。