2024年6月
30日曜日
丸木美術館へ向かう。スマホの乗り換え案内で行き方を調べたら、つきのわ駅から徒歩29分となっていたのだけど、いざ着いてGoogleマップで行き方を調べると徒歩38分と。タクシーも来なそうで歩いて行くことにしたら、道中もあまり人が歩くような道すがらではない景色で、曇り空だったけれど蒸し暑くて、途中で水が切れて、運動不足の私には少し辛い。でもこんなどころではない状況の中で安全を求めて南下や北上を繰り返し彷徨う人々がこの星にいると思うと泣けてくる。
素敵な建物入って階段を登っての展示室。まず正面にはお母さんの丸木スマさんの作品の部屋があったが、そこは後回しにして丸木位里、俊夫妻の《原爆の図》の部屋へ。まず最初にの《救出》の絵が出迎え、手を合わせる母子の様子に目を奪われ、思いがけずいきなり涙が出そうになる。《幽霊》では下の方、死んだ猫の隣(奥)に横たわる歯の出た男の横顔が、父のデスマスクそっくりで、あっ、お父さん!って思った。まさに私の死んだ父の元にたくさん押し寄せるパレスチナの死者たちの図に見えた。
スマさんの絵は本当にあたたかくて、人間も動物も一緒に生きている。
企画展示室では松下真理子さんの展示「人間動物」。このタイミングのおかげで丸木美術館に来ることができた。播磨みどりさんが来てよかったと教えてくれていた。
丸木さん、原爆の被害についてだけでなく、外国人捕虜の虐殺についてや第五福竜丸、ホロコースト、南京大虐殺、水俣病、韓国朝鮮人の被爆者に対しての差別について、文字通り等身大で描かれている作品に圧倒されたというか、自身の無知や今現在それをどう受け止めるのか、私は、ということについて肝に銘じるような鑑賞となった。
池袋に戻って、本の打ち合わせ。この夏のうちになんとかしようと思う。
29土曜日
実家の墓じまいのため高尾に向かう。12:30に高尾駅待ち合わせ。長岡からの上越新幹線、自由席にしたら座れなかった。数百円で指定に変えられるけれど、節約のために立ったままで。
高尾駅で妹夫婦と母と落ち合い、駅前の蕎麦屋。とうもろこしの天ぷらが美味しかった。
義弟の運転で南多摩霊園へ。もう20年くらい私は来てない気がする。管理事務所に顔を出すと、既に祖父小泉秀松と祖母小泉澄江の骨壷が白い段ボール箱に入れて用意してあった。作業員さんが「水抜きをしっかりしたけれどまだ水が残っているかもしれませんが、漏れることはないでしょう」と言うと、母は少し驚いて、骨が水に溶けてドロドロになって無くなってしまったりはないですよね?」と確認していた。
空になった墓を見納めと思い見に行く。母は腰が曲がって杖をついてゆっくり歩くので、暑い昼間坂道上るのも少し心配だった。
車で早稲田の寺の一画の墓地、小さなプレートつきの樹木葬のうちの区画を見に行く。25cm角くらい。このお寺に骨壷を預ける。8月末に、父の納骨をここへ。祖父母のも一緒に。
父の四十九日の時に坊さまが、浄土真宗は仏壇も墓も不要で、常に光と共に皆と一緒に故人が居ると教えて下さった。私と妹は嫁に出てしまったのでいずれ墓守が居なくなる。なので墓を閉めてしまい、海にでも散骨するつもりでいたのだけれど、母は父の墓参りがしたい、寄り所が必要だと。それで近い距離の小さな墓地を探した。いずれ合同供養されることになる。
母の都営住宅に帰り、甥っ子も呼んで、お寿司をとって食べる。マンゴーを食べる。妹家族は帰り、私は泊まった。
28金曜日
思いがけず大村益三さんの共同アトリエが火事に見舞われ作品が焼失したことについての展示が新潟市美のコレクション展会場で開催されているのを知って向かう。数日前に講師で行っている高校の美術の専任の先生に「好きなんです」と遠藤彰子展のチラシを見せてもらったときに、裏の下の方の「大村益三」の文字が目に飛び込んできた。これより前の猫に関係する企画展に合わせたコレクション展の会期が少し、遠藤彰子展にまでかかっていたのだった。
火事のことについてまでの《B術の生態系》は読んでいたのだけれど、その後のことは知らなかった。運転を夫に任せ、隣で市美のサイトにリンクが貼ってあった三つの記事を音読する。その時点でも最近触れることのなかったものに触れられた気がして、全体を振り返ると、苦々しいものがどこかに求めていた倫理に反転するような気さえする。
悲惨さを覚悟して出向いて、その途端に、適当に貼られている写真が全て崇高でとても美しく見えてしまう。そうやって、この災禍を見ながら心の中に鮮やかさが沸き立ってくる自分を恐ろしく思い、振り返って貼られている若い女性の笑顔やキャラクターやらの混合している防災ポスターを見て、視覚表現の禍っぷりに慄いて、ああ、こういうものにいくらでも囲まれてやり過ごしていることを突きつけられたりした。でもそれによって鬱が明けるみたいに、目の前のもやがパーっと晴れて明るくなっている自分を感じた。
大村さんのことは、東日本大震災後に情報を得たいとはじめたTwitterで、どうしてだったか思い出せないが多分、中島智さん近辺な感じでフォローするようになって、ブログが面白くて一目置いていた方だった。彼の作品についてはよく存じ上げず、失われた今回の機会で、残欠と、映像などの記録にて拝見することになった。ケースの中のブルーシート、作品の紹介映像、PDについて、アトリエトリゴヤを紹介する吉川陽一郎さんの映像、無事だった小品とコバヤシ画廊の壁、小太郎のこと、アトリエのかつての賑わい、大村作品についての数々の掲載誌、彼自身のテクスト掲載誌。
感化されやすい私はもう、その先の展示室、猫の視点でのコレクション展の部屋に入る頃にはすっかり、猫になるしかないだろう、私はうまく猫になれるだろうか?の調律になっていて、最初の猫じゃらしの縞々では、その単純な類似的な作品の並びに歓喜し、ところが猫の爪痕くらいのところでは、そんな甘い仕事ではダメだと、人間の仕事は動物のそれと相対化されきっていた。帰ってきて、そういえばこの頃、動物になることについて考えたりしていたんだったこととやっと繋がった。または繋ぎすぎなのかもしれない。
遠藤彰子さんの仕事に普通の感覚だったら文句つけようがない(おすすめしてくれた高校の先生の言葉になんて応えたら良いのだろう?)訳だけれど、この受け入れがたさはもちろん大村さんの展示を先に見てしまったことは多大にあって、夫はそれを「宗教が違う」と端的に言った。乱暴だけどそうかもしれない。だからこそ、そのことを脅威に感じる。
坂口恭平展にも寄った。そっちも全く宗教が違った。
学芸員の藤井さんからは、火事の後処理の大変さも伺ったし、そのほか色々歯に衣着せぬ現実の評価について率直な言葉をいくつも聞いた。けれどもこの期にこの展示(ではなくてドキュメンテーションかもしれないけれど、でもやはりリアルな表現としての色々な層)を見る機会を得た私にはこれは恩恵だった。ありがとうございました。
27木曜日
夏にクラブ活動が2ヶ月間お休みになるので、夏前最後の少年院の日。コンクールに出品する作品が間に合うかで時間が足りなくてバタバタする。もう少し落ち着いて話したかったけど、最後にほんの一言だけど声掛けられて良かったな。
書道の先生と一緒に感謝状を拝受した。
教室に居残って作品の整理や備品の確認。普段、時間に皆と一緒に行進して施錠解いて入室、クラブ終わったら皆と一緒に退室施錠で退勤なので、事前にゆっくり教室で準備したり、事後に残って片付けたりもできないし、今日私が整理したりしている間もずっと教務官が付いて行動なので、どうしても落ち着かない面はある。
26水曜日
朝、息子の弁当にレタスを入れようと庭に出る。鼻水がつーっと出るなーって思ったら、淡い黄緑色のレタスの上にパッと真っ赤な色が現れて驚いた。暫くそれが自分の鼻血だとは思わなかった。色のコントラストが鮮烈だった。植物はよく色が発光しているように感じるけれど、血の色も光っていた。
請願から国に提出される「パレスチナの平和実現を求める意見書」が市議会のホームページに掲載されていた。facebookに報告しようと、最初の請願文、修正した請願文、それを元にした紹介議員が数ヶ所修正を入れた請願文(これを確認して印を押して提出)、それから別にも請願が出ていたのでその要旨と合わせて委員会の委員によって書かれ、議会で可決した意見書。最終的にはとてもシンプルな内容になっているけれど、ここまでの経緯で変更された単語一つとっても、色々なことが読み取れるのだけど、それは表には出ない内容(例えば、私はイスラエルの「攻撃」と書いていたのを「紛争」という表記に変更したなど、そこで抵抗することもできただろうけれど)でなるほどなと思う。そういう道程を私自身も悩みながら、沢山の人の総意として形になるのを見届けられたのはよかったと思っている。
この件ではできなかったことというか、個人としてのもっとはっきりした見解による何かをこれからもと思うところ。
25火曜日
授業。構成の講評会。それからバウハウスの話と抽象絵画の黎明期の話を簡単にした。それから新しい課題の説明。
成績をつけるのが初めてなので、簡単に説明を受ける。次回の準備など。
家に帰ってからお昼を食べたかったけどだいぶ遅くなってしまい、ガストで食事。あ、今市議会本会議やってるはずだとネット中継を小さな音で開いてみると、まさに請願の採択が行われるタイミングで、可決されたのを見ることができた。議会の進行がどうなっているのか知らなくて、意見書の内容はいつどうやってなのかな?と思っていたところ、帰宅後、ずっと地方議会のこの件についての議決をリスト化している「上海Ⅱ」さんがその様子がわかる録画箇所を投稿してくださって、私も録画で見ることができた。とても簡潔な内容だけれども、市議会として出す意見書としてはよかったと思う。今まで経験したことのないような経路で私は高揚していた。関わってくださった幾人もの方々、ありがとうございました。
24月曜日
心に刺さった棘がうまく抜けずに上京の疲れもあって、じっとしてあれこれ考えているだけで時間が過ぎてしまった。
今年(またはもっとかかる?)やることを大きく分けて6つ付箋に書く。展示に向けた制作、まだ先が見えない執筆、授業など(高校と少年院)毎週ある仕事とその準備、先方のペースで散発的にくる急ぎのデザイン仕事、読書会などの哲学の勉強、科学者との何か(コラボに向けた勉強など)。とりあえず夏まで哲学の勉強をして、その後はそれは休んで科学の方をやろうとか、制作はボトルネックになってたのをすっ飛ばして、別のシリーズの制作をはじめてしまおうとか、執筆はもういいかげん腹を決めて急ぐようにしよう、それから授業関係ははっきり時間割のように日時を決めて準備等して、他の時間は考えないようにしようなど。ちょっと先日友人に仕事の件を話していたら、(来年の展示も複数あるので)多過ぎている感じがして青ざめたので、サクサク区切ってやることにする。というような、仕事の進め方についての宣言をこれまで日記に何度も書いているような気もする。
自分の文章が、馬鹿みたいに長くなって、時々ひと段落が一文になっててびっくりして分けることや、自分の文章がどうしたらもっとスッキリするか気に病んでいると言ったら、それはその人の様態だからそのままでいいのでは?と言われて、文章、文体なりを変えなくていいということが新鮮に感じられたというか、私は物書きではないというときに、とくに訓練せずに何も考えずに文章をただ書いたままという状態をどう考えるのか? 技術や能力について、その場合どう考えるのかについてちょっと混乱した。でも、もっとこういう感じにしたいというはっきりとではないが、もうちょっと違うようにしたいといった気持ちがあるのだ。
23日曜日
母の住む都営住宅から東京都現代美術館へ。昨日の鑑賞体験とは随分対比的な内容となった。特に映像の作品はあまり引き込まれなかった。中には、画面を消して「ここには〜が〜している映像が流れます」って書いてあるのでもいいのではくらいしか見ることができなかったものもあった。あまりにも下手くそか、または他の人が撮っても同じか。作品のコンセプト云々より、撮影することについてもう少し何かないのだろうか? 映像という現象的なメディアなのに、物事の扱いがかなり記号的だなと思った。私が疲れていただけだったらすみません。
鈴が鳴らないように大事に鈴の入った入れ物を持って耳をすましたり、紙を揉んで柔らかくなっている展示の部屋(「翻訳できない わたしの言葉」の新井英夫さんの部屋)で生気を取り戻すなど。
池袋駅東口から高速バスに乗って長岡へ帰るのに、早めに駅に着いたら蓮舫さんが演説をはじめるところだった。彼女が都知事になったらいいのになと思う。私は都民ではないけれど、親も妹家族も東京に住んでいる。私のふるさと。
22土曜日
上野に出る。都美セレクション展C「回遊する風景」。向井三郎さんの作品が目当てで、ついそれだけに集中してしまう。少し疲れていて、他のものまで気がもたなかったのもあった。彼の作品のことを知ってから、絵のことや絵を描くことについて考える時、よく彼の仕事のことを思う。そんな中で久しぶりに実見した大きな絵は、やはり思っていたのと少し違う様子で、見れることは幸せだ。とても大きな、それぞれが3枚を連ねた風景画が2点。人が像を認識する、それを描く、そのことの彼岸のよう。近くで見ると小さな筆致や手元の濃淡(紙の目が潰されずに粒々が残っていて)で猛爆としていて、少しづつ離れるとわーっと景色が広がりはじめる。もう一枚のもっと模様のように整理されたかたちの繰り返しも、繰り返しと言ったけどそうも言えないかたちの連なりによってであったりで、自分が何度も頭の中のスイッチを切り替えたり、またはそのようなオンオフではなく自然にシームレスに見えていることとを多重に面白がって過ごした。
他を見る気力がなくなりというか、すぐに福田さんの作品が見たくなって、西船橋へ移動。Kanda & Oliveira 福田尚代さんの個展「ひとすくい」。時間をかけて見ました。1階の暗さと3階の明るさがあって、それをひとつの展示で見れたのが良かったかな。彼女の仕事は設営もとても重要で、会場によって受け取れる感じが違う、と書くと普通のことだけれど、物事をああだこうだと簡単には評価できない、兎に角、その時々で見たり感じるしかないと思う。
1階の消しゴム、何日も見ていたい。
21金曜日
市議会の総務委員会の傍聴へ。パレスチナの平和実現のための意見書提出を求める請願の審議を見届ける為に行った。朝受付で、今日の委員会で審議されることを確認して、多分会議の1番最後に審議されることになるけれど、だいたいいつぐらいかを聞いて、きっとお昼前後とのことでそのまま全てを聞いてみることにした。
市議会がどうなってるのか全く知らずで、まずは本会議が招集されて数日経って後、各委員会、建設や文教委員会があって、最後に総務委員会の日。総務委員が前列、中央に正副委員長、後列に傍聴の委員ではない市議会議員たち。これに向き合うかたちで中央正面に市長、副市長、市の職員たちが40人くらいかな、席についていて、委員からの質疑に応じる。その後ろ壁際に、広報などの記者と市民の傍聴者、定員12人のところ、私も含めて4人だった。
中山間地域の過疎化高齢化率が高くて、いずれ廃村が増え、野山が荒廃する危機についての話は、だいぶリアルで怖かった。山歩きの好きな友人達が、熊の出没頻度が増えて心配している。動物が緩衝地帯のない状態で、人の少ない土地へ入ってくるだろう。
午後、各審議の時間は午前中の質問のやり取り以上に間髪入れない集中した応答が飛び交い、演劇的だった。そう、あれは私にとっては観劇的な時間だった。私の請願文書も、1番最初に書いたものはとても長くて、それを紹介を頼む議員さんに持ち込んだのだけど、もう少し短くした方が良いということです短くし、それを紹介議員さんの名前入りの文書にするときにさらに簡潔なった。今日の審議での読み上げ要旨はそこからさらに一文一文が簡潔になっていた。こういうことかと合点がいく。審議文体?
おかげさまで、私の請願及び同様の内容の請願がもう1通出ていて、意義なしで採択された。国へ提出する意見書はこれから委員さんたちが書いてくれる。25日の本会議で可決される見込み。
20木曜日
背景を鉛筆で「真っ黒に塗る」と言うとき、その「真っ黒」がどのくらいのことを示しているかは二者の間では全く未知だった。文字通りに「真っ黒」が可能なのかどうか知らなければそこを突破することが出来ない。または事物には通常の用途以上のこと、普通の地点からはリミッターを外すような使い方を試してみることを常とできるようになっているかどうか。それには、物質の性質や強度についての理解なり類推ができるスキルは必要になる。真っ黒くして見せてまた、魔法を見たみたいにキラキラした驚きを分けて貰った。
19日曜日
課題の採点。学校の規定に基づいて成績をつけるのが初めてだから、どのように整合性をつけるかにちょっと混乱する。できれば作品の良し悪し(もちろんその過程も含めて)でつけたい。
授業の準備をする。まとめてみると、自分が教えてる内容の背景に、これまでの歴史的な経緯などについても触れて、私たちがどうしてこのようなことをやっているかについての動機づけをしたいんだなということを自覚する。渡された教科書は技術的な面についての内容なので、全くその辺りについては触れられていなくて、それが私にとってのやりにくさだったなと思う。
頭痛がひどくてもう仕事できないと思い午睡を取る。目が覚めたらもう18時で、ああ、1日が終わってしまったと落胆がすごかった。18時からいつも夕飯作るから。その後はもう食後しばらくぼーっとしちゃうし、読書会やらなんやらで何もできないことが多い。
今日は夫と息子がジャズの日(部活のように有志でセッションして遊ぶ日)で、夕飯は帰ってから食べると出ていったので、私は寝起きだしお腹減ってないしでそのまま仕事を続けて、夫たちはやっぱ皆と食べてから帰ると言い出したから、一人で夜遅くに食べ、そういえば読書会もない日で、普段は使わない18時からの時間に、まとめて仕事をしながら過ごせた。このくらいの時間の方が集中できる。
18火曜日
普段から肉眼で見ることに興味がない(違う方法で見ることについて専門的に取り組んでいる)人が、いかに見ないかを目の当たりにしたことがあって、では、そういう人にとって、絵を見ること、アーティストのような視覚的な何かを作る人はどういう存在になるのだろうか?というか、この興味のなさについて考えたい。
翻って、私たち作り手が見えるものを作ることについて。これはどういうものかという抽象化された内容よりも、どうやって、どう辿って作られているかの方が気になる内容に思える。私が見ることと、作り手がその途中で見ている景色と、その変容にどう反応するかなど。
庭に日暮れどきに出てレタスを採る時、昨日に続いて同じ辺りから機械的な音が聞こえる。多分虫に違いないのだけど、聴き慣れない音。規則正しく同じ音程同じ音量で鳴っている。やはり虫は機械なのではないかと思ってしまうくらい、情緒がない。または虫ではないのかもしれない。
何かの枠組みを通してしか、何かのフィルターを通してしかものを見れないとして、枠組みの方に意識を向けると目の前に映っているものを見なくなる。では、ちゃんと見続けるようにするためにどうするかといえば、枠組みを作ったり変容させることに安住しないで、常に目の前に写っているものをよりよく見るための枠組み、方法を更新し続けなくてはいけない。絵を描いている幾人かの人たちの仕事にとても惹きつけられるのは、彼らがそうやって制作を続けているからだと思う。絵の中に、そのような安住を許さない静かな緊迫が続いている。
そのことは、先の科学者(違う方法で見ることについて専門的に取り組んでいる人)が射程にしていることと何か相似形だなと思う。整理できてはいない。
17月曜日
必要な作品画像を探す作業に思いがけず時間がかかった。自分のことについても、ぼんやり思っていた時系列と実際に齟齬があったり、作品の量的なことにも、時間的なことにもかなり思い違いがある。とは言っても、自分の中での時系列は確かにあるはずだ。多分今つなぎ合わされた話の流れがあって、これはもう少し前には違っていたし、この後も変化するかもしれない。なので、ここで一旦定着させる、固定するという性質のこの作業は思っていたより怖いことのように思えてきた。
日記のように日付で書くというのは、今日はそう思って書いたという大前提を印につけて書くわけだから、だいぶ健康的なことのように思う。
16日曜日
伝えたいことがあって、それを上手く伝えられないというのは(それ以前に言葉にすることをさぼっているというか、伝えたい気持ちはあっても何を伝えたいかわかるところまで行っていないなど)あるだろうけれど、今日は、明確にそれが言葉にされてとてもわかりやすく発せられているけれど、それについて私に通じるのは、発話している人が一緒の読書会仲間で、今何を問題にしているか、前提としているかが揃っているからで、そうでない場合にはその部分の意味内容について拾われることがないんだよなーというのを目の当たりにした。
今日の音読会は『動きすぎてはいけない』(千葉雅也)のつづき、第2章のヒュームのところ。ドゥルーズを通してのヒュームは本当にエキサイティングだ。I love everything about this!
15土曜日
印刷仕事の色の話。色がとにかく相対的なものだということの理解が標準だったら楽ちんなのになと思う。色の相対性について話をするのは楽しいのに、印刷仕事でその話をするのはだいぶ面倒くさい。そっちでも楽しそうに話をすればいいのか?
送られてきた知らない人の日記を読む。私にはないその静かな質感にも色のようなものを感じる気がした。
返事を書く。手紙を書くのは久しぶりだ。読んでもらいたいテクストのコピーと、昔刷ったクレーの絵を模写した銅版画を同封した。投函はまだしていない。
14金曜日
息子の学校が休みで、今日が土曜日だと錯覚する。
デザイン仕事の修正稿を提出したのと、pc上で製図したのとくらいで、あまり経験がないくらい集中できない一日だった。
クッツェーの本の続きを少し読む。昨日のこの本の衝撃がまだ残っている。
13木曜日
日記書くのを忘れるくらい疲れてた。
8日の日記に書いたけれど、ドゥルーズの『差異と反復』で哲学はどうはじまるのかという点で、ふと(というか明確に、やる気のなさについての引用文を読んでいて、レクチャーも受けている中で)チャンドス卿のことが思い出され、チャンドス卿とドゥルーズで検索をかけると、『千のプラトー』の中で触れられていると。その検索の過程で、クッツェーという南アフリカの作家のことを知り、『エリザベス・コステロ』の中に、チャンドス卿婦人のエリザベス・チャンドスの手紙が出てくること、それから、『動物のいのち』が重要そうだと思い、図書館で借りてきた。動物については、播磨みどりさんと、先日彼女の小鳥が亡くなったことと、私の父が去年亡くなったこと、パレスチナのこと(人間動物とガラントが言ったことが強く傷として残っている)を巡っての会話の中で話題になり、その時は弔いということについてで私からは『チベット死者の書』の話と、動物から見られること、動物の深淵を覗くことについて『見るということ』の最初に触れられていることについて話したのだけど、ずっと気になっていて。チャンドス卿は私にとっては、言葉と見ることについての示唆の深い物語だったけれど、『千のプラトー』の中で、生成変化、動物のそれについて悶える鼠の群れが目に入った時のことに繰り返し触れられているのを読んで、物語がずっと生々しいものとして返ってきた。それから、『動物のいのち』は本当にすごくて、私はヴィーガンになろうとは思わないけれど、書かれていることについてはとても多層的に強く重く受け取ったし、私の思春期の精神的な危機の時期に、自分で肉食を続けつつも、家族や他の身近な人々が何も躊躇することなく肉や魚を食べることについて自分も含めて深く嫌悪していた頃のことを思い出した。この物語に描かれているのは、そんな単純な話ではなかったけれど。主体的な動物になったり、人間の意識や知性とは別の意味で動物になったりすることについて。それから動物と人間を入れ替えることを禁じるような言説は全て欺瞞で本当の現実からだいぶかけ離れているように感じられる。本当はそう感じられるはずだと思う。
右の瞼がアレルギーで切れていてとても痛い。
12水曜日
テクストを「で、ある」調で書くといいという指示が出ているものがあって、つまりその人と私の会話的な態度で書くより、もっと一般に向けて書く強度を持つような内容になっていくことへ向けてのフォーマットな訳だけれど、なるほどなと思っていた。ところが別件で、「ですます」調ではないかたちで書いたテクストを、文章が固いのを柔らかくするのに「ですます」に変えたらいいかもしれないという助言を受けて、思いがけず気持ちに抵抗があり、その私の抵抗がわからない。自分がこういう本になりたいみたいなことから、家にある好きな本をいくつかめくって、ああ、これもですますじゃない、これも違う、これもそうじゃない、となる中で、ふと『四月と十月』の中に宇田敦子さんのエッセイ見つけて、「ですます」だったので、なんかほっとした。こんな感じの存在のテクストになるの私はいいなとやっと思えた。これで、強い抵抗をゆるめて、よく考えてみる。
千葉雅也の『勉強の哲学』は、両方混じっているという離業で、読んでいて急に私に親密に近づいてくるなと感じていた。ですます調の部分なのだけど。テンションを揃えるのではなくて、効果的に使っている。
11火曜日
起きたことに対処して一般化して知らせるの繰り返しだけしていたい。
時間をかけて能動的に「見る」ことはどうしたら身につけられるのか。手放し(といっても大きな目的については言及)でゴーサインを出しても動きがないので、2つ見つける内容について具体的に項目を上げて指示し、それでも鈍いので、選んだそれを記載させるところまで指示した。記載の仕方は自由。
夜は白井さん(素粒子物理学)とアーティストとのzoomミーティング。今日は「宇宙ひも」のはなしと、次元のはなし、加えて通奏的に見ることと見えてないことの話ができたのが面白かった。光で見る→ニュートリノで見る→重力波で見る、全部合わせてマルチメッセンジャーで見るとか、私たち三次元(+時間)に生きていても、二次元しか見えてない話など。普通に裸眼では見えないことをどうにか見ようとしている、というか見ている科学者のやっていることが、美術やってる人の問題意識ととても近くなる感じがした回となった。
10月曜日
実体のあるなし、見える見えないなどの興味をつなぐ一つの方法として、ミクロの状況、例えば分子や原子を表す時に、模式的に便宜的に済まされているところ、折り畳まれた情報を広げて見てみようと企図したものをずっと棚上げにしていて、少し戻ってまとめようとしたのだけど、やはり次から次へと瑣末な部分が気になって、全く先に進まなかった。
言水さんから『日記にゃっき』が届く。
9日曜日
中央図書館が一ヶ月くらいの休館期間を終えて開いているので、もう読まない本を返しに行こうと自分のページにログインして見てみる。五月雨式に必要な資料を借りに行ったり、休館中に予約していた本を2回取りに行ったので、その時にも少し返却したりしていて、自分が何冊借りていたのか覚えてなかった。デザインの本、画集、文芸誌、裁縫の本、料理の本など全部で16冊。まだ借りていたいものは残して、返すものをかき集めていたら2冊足りない。あれ?これは休館中にもう不要だからと、臨時窓口で返したものではなかったかと、記憶の中ではそんなシーンが再現され、気持ちが晴れないまま図書館に向かう頃にはもう、もしかしたら該当の書棚にその本が戻っていて、入力ミスでデータの方が間違っているのではくらいに思っていた。着いて探してみるも2冊ともない。家に戻って、もう一度、私のエリアではないところで本の積んである箇所を見てみてら、寝室の椅子の上の手提げの下に積まれた本の中に紛れていた。
記憶力に自信がないし、あっても勘違いの場合迷惑だし、深刻な事態ではないから心に余裕があるので引いて見ていたけれど、関連する出来事の映像が継ぎはぎされて自分に都合のいいように、というか私が安心できるように簡単に脳裏に自動再生される様子を見ながら、事実(実際に物体としての本が今どこにあるか)と私の(記憶/記録としての)人生の齟齬は誰が作っているのだろうと思う。
8土曜日
私が昨年《言葉のかご》の制作をした文字通り素材にもなっているホフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』については、言葉のことが色々言われるけれど、それだけじゃなくて「見ること」や「見えること」についてとても印象深かった。同じ本に編纂されている『帰国者の手紙』にも。私には言葉と実存とかではなくて、視覚体験についての書かれ方で胸を打たれた本。
よく、チャンドス卿と帰国者の内容が、チャンドス卿を受けての、帰国者で、後者の方は視覚について書かれていると言われているのも頷ける。そのように自覚的に書かれたとして、そうでなくて、言葉について書かれているものの中で、視覚的な経験について、つまり実在ということについて取り上げている箇所かもしれないけれど、明らかにそうというよりは、視覚的な経験について書かれている箇所があって、それがとても印象的なのだ。
言葉について書いているのについ、主旨と少し外れるのに追加的に記述されたり、引用にくっついてくる視覚体験があったりすることを気にするのは面白い。
言水さんが、勧めてくれた古田徹也さんの『言葉の魂の哲学』という本を注文してからチャンドス卿について振り返っていてそう思った。それから本が届くのが待てなくなって、Kindleならすぐ読めるし0円だったので読み始めた。中島敦とホフマンスタールと、フリツ・マウトナーとウィトゲンシュタインという私の興味がある布陣について書かれている本で、はじめの『文字禍』についてのあたりまで読んだ。ゲシュタルト崩壊が文字だけでなくて、店の軒先のような日常的な視認も崩壊させるようなことについての部分も引用されていた。精神的危機についても触れられていた。
福尾さんのドゥルーズ『差異と反復』のレクチャーを聞いてからテクスト本文の該当箇所を読んで、思考を本当にはじめる時に、前提を疑うという程度の弱いものではただ足元を確認するだけで、足元が崩れ去って宙に投げ出されるくらいの崩壊と、生存への強い要請がないとはじまることのないものについてを言っているのかなと思った。そのきっかけもはじめ方も異なるかもしれないけれど、その地点の一つの告白が、ホフマンスタールと中島敦によってされていて、私にもそれはあったと思っているのだけど、他にもそういう告白のようなことは色々な作家がしている。例えば、ジョナス・メカスの『森の中で』という詩がある。私は彼のそれに自分も一人ではじめることの思いを重ねて、その言葉をタイトルに作品を作ったりした(1999 Destinationの展示での作品群)。
戻って、今は言葉と実存や現実について語られる時に、視覚体験についてがどう記されるか、どう差し込まれているかがとても気になるなと思っているところ。言葉の不確かさは見ることの不確かさと関係していると思う。言葉が過ぎると見ることができないというような、反比例的な単純なことではないと思う。古田さんの本が届いて紙で読むのがとても楽しみ。
7金曜日
一旦ひとつの案件にキリがついて油断した隙に、つい別に仕事はじめる前に裁縫をはじめてしまった。服飾作家のヤオイタカスミさんから余った麻の布を段ボール2箱貰ってあって、今までにもロングスカートと、ベストと、サリュエルパンツの短いのと長いの作った。今日は気に入ってるパンツをざっくり採寸して、似た形でパンツを作った。股のところの曲線とかよくわからないから全て直線断ち。なので股のところがもたつくけど、たっぷりした形なので大丈夫だった。薄いリネンなのでこれからの季節、うちでヘビロテで着ようと思う。(息子にとても羨ましがられる。私の服を着たがる。)
午後はそれで終わってしまった。今日のタスクは終わらなかった。色々全く手が回ってないのに、服を作った時間、凄くのんびり過ごせた気分。
別件 日本の昔の市井の人はどんな絵をどうやって描いていたのか。筆より前とか、筆が手に入らない時。コンテチョークのようなもので描くのと、筆で描くのは本当に違うよなと思う。
6木曜日
退院おめでとう。がんばって!
5水曜日
必要な過去の作品画像や展示会場の画像を探していた。見知っているはずのものでも、何かの予見を持って探して見てみると、思っていたのとちょっと違うものが見える。わかりやすいところでは、紐の彫り具合は初めの頃よりうまくなってた、思っている以上に。当たり前といえば当たり前だけれど。しかもそれ自体は私の仕事ではわざわざ取り立てて言うことでもない極自然なことのように思う。でもきっと、大体このくらいみたいに思い始めたらそこでやってれば良くなってた技術は成長を止めるだけでなく悪くなるだろう。技術的な鍛錬に常にフォーカスしている分野とはその辺りも違うのかもしれないし、その良さについて、その分野でもことさら言うこともなさそう。伸び代の広大な領野があっても、そのことは書く対象に向かないということか? 見る方が早いし、特にそれは目が肥えていないと比べないとわからない。
4火曜日
生徒が制作している様子を見ていて、こちらがヒントとして提示した方法がうまくはまって動く場合が多くとも、思いがけず手を止めさせてしまっている様子も見えて、常に想定したことの外があるなとあらためて。メッセージがうまく伝わっていないと言ってしまえばそれまでだけれど、その子は色々なものを持っていて、自分の中に情報を入れ込んでから外に出すときに不全が起きているように見える。想定外の状況があることを目の前にして、当たり前だけれど、現実はとても複雑だなと思う。その子には何を伝えたらよいだろう?
子がピアノを習っているときに、音が、辿々しい音列の状況からだんだん曲になって、それがさらに良い音楽に変容していく様子をとても不思議に感じていた。チェロ奏者の田崎さんに以前そのことを質問したら、それは「耳が良くなる」ということですと仰った。きちんと聞けるようになるということ。夫が、メトロノームに合わせて練習するというのは、はじめはリズムキープの練習だと思っていたけれど、きちんと音を聞く練習なのだとわかったって喜んでいて、それはとても似たことのようで明確に違う内容だと理解するとはこういう経験なのだなと思った。
3月曜日
町内会の仕事の手伝い。赤い羽根共同募金を町内会で集める方法についてのあれこれの文書を書くだけで二転三転する。
昼に素麺を食べるのに、市販の麺つゆがないことに気づく。買いに出てもいいのだけど、つくってみようと思い、栗原はるみの冊子を探して、鰹節と味醂と醤油と砂糖と水を耐熱ボウルに入れて、ラップしてチンするだけのことをやってみたらとても美味しかった。本当は鰹節を濾すのだけれど、面倒だし勿体無いからそのままで熱い漬け汁の体で冷たい素麺を食べた。レシピはとても単純で、見開きの冊子の紙面、片側は大きなカラーの写真、もう片側は大きな余白で少ないテクスト。もっと情報を詰めて紙面を作ることもできるけれど、これだけのボリュームを使ってよいレベルに重要なページだなって思った。
オンラインの読書会の後にオンラインの懇親会があり、多くが初めましての方々で、何をされている方なのか想像がつかないまま終わった。
2日曜日
原稿を書いていて、大事な部分、修正しているうちに自分で全く理路がわからなくなってしまい、こんがらかって、頭の悪さに不安になって逃げ出したくなった。
請願のことでお世話になっている市議会議員さんから電話。会派の執行部の方で、書類を一部修正したので確認してもらって判を押しにきて欲しいとのこと。心細いまま事務所に伺い、文書を確認。火薬や瓦礫の量についての記載を削って、請願事項に意見書の提出を「国に」と明記した程度の修正でほっとした。最大会派の紹介議員さん二人に推薦人になってもらい、提出をお願いして帰ってきた。本会議は11日に招集。21日の総務委員会で、このパレスチナの平和を求める請願についての議論が行われ、25日の本会議で採択されたら、その後に意見書が作成され国に提出される。それまでよく人々によって話し合われて実を結びますように。もちろん、停戦し、パレスチナが復興されるところまで。
1土曜日
子がテスト勉強を教室でやりたいというので学校まで送ったら、教室が開いてると思ったのは勘違いで施錠されていたというので、Uターンし、早めの昼ごはんを食べにガストへ。私は原稿が進んだが、子はハンバーグを白飯おかわりして食べたら眠くなったらしく、帰宅することに。
雪の結晶の構造が設計図のようにあるとして、降ってくる雪を虫眼鏡で観察するとそれらは必ずしも完璧なかたちをしていないことについて思い巡らせていて、もし原始の構造が完璧でない場合はこの世界は崩壊してしまうだろうに、ここの差は何か、というかどこに線が引かれるのだろうと思ったけど、それはそういえば力の差だ。雪の構造を作っている力は弱く、原子を作っている力はとても強い、ただそれだけのことだった。ある閾値以下の小さなものは皆同じく小さなものと思ってしまうけれど、だいぶ違う。とても小さな世界は、とても強い力の働いている世界だということを忘れてしまう。普段小さなものは弱いという感覚の中で過ごしている。それはとても安全で呑気な世界の話だった。