2024年5月
31金曜日
随分昔、彫刻家の長澤英俊さんの展覧会でのトークイベントに行った友人が、生業についてだか、どうやって食ってるかといった類の質問を会場から受けて、それはどうでもいいんじゃないか?何とか食べていけるなら何でも。その辺りのことは言わなくてもいいのでは?という返答だったよという話を、泊めてもらって朝起きた時だったかに、急に私にした。長澤さんはそう言ってたよと。私はなぜ彼女が私にその話をしたのかがわからなくて、特にそういう悩みを話した覚えもその時はなかったのに、なぜか彼女はそれが私が求めている問いに対する答えだと言わんばかりの様子で私に伝えた。そのことを時々ふと思い出す。今日も。
長澤さんのことはよくは知らず、会ったこともなくて、声も聞いたことないけれど、私の中ではその返答が、とても清々しく響いている。その彼女の得意げな話しっぷりも、それを的を得ずにぽかんと聞いている私の状況もじわじわくる。そういう私たちの生息領域は、どんどん小さくなっているなとこの頃思う。それを淋しく思う。というか本当に嫌になるよ。
新潟の、三幸製菓の工場で深夜に高齢女性が6人亡くなった火事があった数年前、そんな年齢で深夜に働くのかと驚いたけれど、長岡の友人のお母さんも畑をやりつつ、煎餅の会社に勤める働き者で、それを思うと、私も高齢になって食べていくのに困ったら、せんべいの工場で深夜に働くのかなと思った。制作が続けられるならなんでも。
30木曜日
それにしてもこの頃私はいろいろなことをやりすぎている。それから日記もままならなくなっている。ちょっと他所で書く機会が多すぎる。それでそれを負担に感じている。やり方を変えた方がいいと思っていた。妹に原稿をひとつ読んでもらって、話をしているうちにやり方の変え方もわかってきた。
『動きすぎてはいけない』の読書会。今日は序章のおしまいまで。ヒュームのことがあって、やっと状況がクリアーになってきた。以前と違ってドゥルーズについての理解もある程度といっても本当にちょっとだけどあるから、それがヒュームと像を結んでとにかく楽しい。そして、ここに「動きすぎてはいけない」とあって、私はもう少し、自分のペースで深く息をして過ごそうと思った。十分に接続するし、断絶している状態も多いし、その中で自立/自律していくには、相当エネルギーが必要。特に今みたいな不慣れな仕事をいくつか抱えているときには。
絵の具で色をつくる。やってみせると魔法みたいに用意した葉とそっくりの色ができて、それを見た少年の顔がぱっと明るくなった。私だって今でも驚く。それはとても普通な現象で、でもこれからもずっと魔法みたいなのだ。青と黄色を混ぜて黄緑になるのに因果関係があるのは、私には経験から自明に思えても、少年にはまだ習慣のないこと。だけれど、私にとっても魔法みたいに見える。それに、盲目の人が色のイメージは持てても、混色のイメージができないことと、これが魔法だということはきっと関係している。
29水曜日
デザイン仕事。すっとできる時と、いつまでもうまくいかない時があって、あまりうまくいかない日だった。
28火曜日
高校の構成の授業。先週からバウハウスの演習「9つの正方形の構成」という、9つの正方形の画面に、小さな9つの黒い正方形のピースを使って、9種類の構成を行うという課題をやっている。条件は簡単でやればできるものだけれど、構成についてよく考えて取り組めるようにするために、資料として残っている当時の構成作品(ブルーノ・ムナーリの『正方形』という本に載っていた画像)を皆で丁寧に読み解くことにした。最初に3つ、私がそれぞれの構成がどう考えて行われたと思うか、またはどのように見えるかについて板書していく。正方形の特徴の活かし方、隙間の扱い、画面の中での動きの方向、拡大していくように見えるなど、これが1つ目。板書した以上のことをもちろん補足的に話す。3つ目の構成まで示した時点で、残りを皆で考えてもらう。4人づつの机に、残りの構成をこれから皆が構成するのと同じサイズでプリントしたものと記入欄を用意した用紙を配布して、私がやったのと同じようにどんなことを考えて構成したと思うか、または、観察して見えたことについて話し合って記入してもらう。それを回収するのではなくて、それぞれ発表してもらいながら板書、都度私からも補足して話をする。とても意外で面白い発見もあり、予想以上に面白かった。出た内容から、自分達がこれから構成をするのにポイントになるような内容について、目立つように黄色いチョークで丸く囲んで示した。先に考えがあってそれを実現するという一方向ではなくて、どのように考えるかと、どのように見えるかは常に行き来するものだから、頭でっかちに先にやることを決めることはないとも注意した。作業に入ってからも、個々の改善点について、板書した時の話に触れると、すぐに合点がいくようなスムーズなコミュニケーションが取れて、パッと構成を決めずに、画面の中で紙片を動かしながら検討するという作業がそれぞれ行われていた。
27月曜日
朝、書き直した請願書を議員さんの事務所に持っていくのに、もう一回心配になって言葉の意味とかを確認してしまった。もはやゲシュタルト崩壊レベルの心配性になってた。渡せて、具体的に手放せて良かった。
ラファに攻撃があって、この世の地獄が更新され続けていることに文字通り言葉を失いつつある。殺される側だけでなく、殺している側の人々の未来の暗さにも破滅を感じる。多分私の生きている間、イスラエルに関わるものには嫌悪感情が被さるだろう。そういう国は他にはない。他のものはもっと複雑で多様だろうと思えるけれど、イスラエルの場合はあまりにも量的にその対象を凌駕してしまった。小さな国だもの。そんな風に感じることについてどうするか。
明日の授業で導入に演習的なプリント用意するつもりだったけど、思い直して、グループで考えて貰うような演習の準備をした。私対大勢(教師対生徒)の構図を避ける。
26日曜日
玄関のジューンベリーはもう枯れているだろうから、枝を落とすことに。岡谷が枝の切り方の練習をしようと、ネットで検索したものを頼りに、忌枝から落とした。庭の頭が重くなりすぎたプルーンの枝も整理した。ずっと植え替えそびれていたローズマリーと、レモンタイムと、バジルを鉢に植え、バジルは室内に入れた。
播磨さんが近況のメッセージをくれて、欧州で見てきたことについて、主に植民地主義の栄誉の陳列のようなものたち、西洋の美術、を今の殺戮のことを思わずには見れない、ゆえに受け入れられない話から、小鳥の死、動物と人間の話。仏教についてまで話題が広がって、昔見たNHKスペシャル「チベット死者の書」を思い出してすすめた。検索するとYouTubeにあった。
請願書はもう一通、他の会派から出ることになり、順調にいけばまとめて審議されることになるため、そのことも勘案して内容を整理して書き直した。言葉一つ選ぶにも立ち止まり思案した。何度も何度も修正した。パレスチナをめぐって、言葉を書いては消し書いては消した人たちが、この世にきっとたくさんいるだろうと思った。
25土曜日
7000字くらいの文章を、ああでもないこうでもないと、読み直すたびに修正を加えたくなって、だらだらと終わらない時間を過ごしてしまっている。ものを作っているときは、文章を書くよりも不可逆的に時間が進んでいくような感じがする。油画のように盛った絵の具をこそげ取ったり、粘土のように加えるも削るも出来る場合は違うかもしれないけれど、木で何か彫ったり、板で何かを組み立てたりするのは、常に手数の分だけ変化が見えるから、上手く行こうが行くまいが、自分の手を離れている時間が常に用意されている気がする。ああ、だから私は粘土に苦手意識があるのかも。いつまでたってもぶよぶよして抵抗がなく、固定できない気がして常に負け戦な気分に沈潜してしまう。文章ももっと割り切って手放さないと。
居間の模様替えをした。電子ピアノを食卓のすぐ隣に移動し、その位置にあったローチェストをピアノのあった場所に移動してテレビを乗せた。
夜、AIについてのトークを円城塔さんと布施淋太郎さんがしているのを聞いた。円城さんが変換を重ねていくことをどう捉えているかなど、世代もあるのか、感覚的にとても共感できた。というか、丁度「うつしかえ」について反芻していて、気持ちがくじけそうになっていたから、ただただタイミングとして励まされた。
24金曜日
アマプラで「アウターレンジ〜領域外〜」のシーズン2を見終わった。ここから雑なことを書くけれど。このドラマだと奇妙な出来事はタイムスリップによるもので、それに加えて可塑性のある未来の「ヴィジョンを見た」というのも要点になってくる。このような何かの神秘的な「サイン」を回収していったり、次への興味をつないでいく手法の海外ドラマを最近よく見る気がするのは、私がそういうのをよく見るからおすすめされているだけといえばそうなのだけど、気になるのは、そういうものへの免疫が私にでき過ぎていてそれほど注意を払えなくなってるよりも、作っている方もそれをかなり多用するようになったよなと思うこと。カウンターカルチャーや、精神分析関係の亜流、スピリチュアルが二周回ったくらいのタイミングなのか。そういうものに慣れるというのは、それ自体がまだ物語の映像として現象的な細部(個別具体的な人物設定、背景、カット)を持っていても、容易に記号化されていってしまうんだなということ。それは、作り手の方と見る方とが共犯関係で加速していく。昔、一つのさりげない「サイン」に釘付けになって、それが物語の外にまで漏れ出すような鑑賞体験があったことが、とても遠い昔のことに感じられる。
「サイン」の強度というのは本来どこにあっただろうか? それは特殊な何かということではなかったなとも。私自身にとっての強烈な一手はそもそも、他の人には効かない何かだ。決定的であればあるほど、それは他の人には何でもない出来事。ならば、過去にまだ「サイン」の効力を皆が信じていなかった頃、それを信じさせるためには壮大な仕掛けが必要だった。今はただのお約束になって、誰もそれを本当とは信じなくなり、でも形式として市民権を得たので、いくらでもそれを入れ込むことができるようになったという、ただそれだけのことか。
今晩から音読会は『動きすぎてはいけない』千葉雅也著(河出文庫)。スピリチュアルに絡んで、私にとってのユングは河合隼雄より湯浅泰雄で、ドゥルーズと同い年だった。「サイン」もたくさん、アトリエは身体化していた。ドゥルーズが肺が悪くてアパルトマンの窓から飛び降りて亡くなったはとても印象的。湯浅さんは朝、布団の上で亡くなられていたらしい。
23木曜日
請願書の紹介議員を出してもらうために相談している議員さんにセッティングしていただいて、その会派の議員さん4人とはじめましての顔合わせだった。請願を書くにあたっての個人的な経緯と、考えていること、要望をお伝えした。 これから会派内で請願書の内容について議論して、紹介者を決めるとのこと。よく精査して頂いて、そしてどうか順調に進みますように。 長岡花火の花火師さんが、戦争で火薬の値が上がっていると言っていたとの話題も。具体的な影響が生々しい。門前払いを食わずに済んだのは良かったけれど、軍事衝突直後から、というかちょっと前から状況を気にしていたこともあって、どうやっても書類に書ききれないほどの量の散らかった内容があって、そこから整理するのに色々なことを考えた。まとめる時に譲れないことに絞ったつもり。けれどこの内容で良かったのか急に不安になる。どっち見て書いているのか、パレスチナを見ていたつもりが違ってないかとか、これが更に当たり障りのないものに書き換えるのに都合が良かったりしないかなど。表現が弱くて意図が消えかけていないかとか、話をする為に書いたつもりが、話す必要ない内容で手打ちになったりしないかとか。 近隣市で友人が前回出そうとした請願が、話し合いの末、紹介者が立てられずに陳情止まりになったこともあった。最早何故それが叶わなかったのかわからない。
それよりも前に妹から、国への請願のための署名について投稿したけれど反応が薄いというLINE貰って見てみたけれど、告知画面に署名を集めている主催が誰なのかわかりにくいのと、請願内容がわかりにくい所為ではないかなというやりとりしたこともあって、自分のやってることや文面について、もう一回蓋が開いてぐつぐつしはじめてしまった。その国への請願についてのアクションは他色々見てみて、主催がどういう集まりかも、その請願内容に話し合いで熟考されてまとまったのだろうことも想像できるところまで来た。それには関心のある私でも時間がかかって、というのはそれを不備だと非難しているのではなくて、煮えた鍋を抱えている人が、まだそうではない人にそれについてを繋ぐのは難しいなと感じたのだった。
窓口になってくれた議員さんが、人道の問題だから、政治的なことでなくて人道についてのことだからと、なんとか採択に向けて進めるために他の議員さんに言っていて、それは私も望むことだけれど、人道を強調すること自体がとても政治的だなと、自身の立ち位置についても揺れていることを思い知るような苦い後味が残った。まだまだこれから。
父の死から、人々の死が真っ当な死で(つまりはまともに生きる権利があって)、穏やかな弔いのできることについて、本当にそれが誰にでもそうでありますように心から願う。
22水曜日
よく、昔書いた文章を読むと、私は昔の方が賢かったのではないかと感じることがあるけれど、今ちょうど昔描いた図面を確認していて、どう考えてどういう段取りを踏んだのか、パッと見ではわからなかったのを丁寧に追っていくと、ああ、成程と自分で感心するところがある。昔の自分を信頼できた。
昨日の白井さんの話は、「理論の冗長性(リランダンシー)」が大切だという話題で(それを私が自分の興味に引きつけて昨日の日記に書いたのでちょっとズレた)、今まさに私に必要なのはそれなのだ。過去の自分が描いた図面を後追いして、自分が何をしたかを一元的に理解するだけではなくて、無駄なような別の観測の仕方でそれを読む必要がある。自明な部分は圧縮されて、なかったことのようにスルーされてしまう。それを深く追うということではなくて、平板に行いたいのだけれど、きっかけをまだ掴めずにいる。
21火曜日
高校の今日からの授業は、バウハウスでやっていた演習「九つの正方形の構成」。四つ切りケント紙に九つ正方形の画面を作図するのも、折り紙を小さな正方形に切るのも、その小さな正方形を保管しておくために何かしろの袋をつくってという副次的なお題に対しても、その応え方を見るだけで色々なことがわかる。方法を自分で考えることは経験に相当依存していて、自分で段取りを組めるか、効率的な方法を知っているか、リスクに備えられるか。それと少し違う層で、ヒントややり方の基礎を示した時にそれをすぐに汎用できるかの能力は個人差があって、固定化しないように良くしていきたい。実習、制作によって。
素粒子物理学の白井さんとのグループミーティング。ポッキーの箱を複素数で表現できるなんて話になって、興味津々。常に見方が偏見に満ちていて、量子性を見ることができるようになったのも、その偏見を外すような別の観測の仕方によって可能になった話や、観測の仕方によってそれぞれ見え方が異なるといった話題から、つまりは表現の仕方も一意に決まるものではないといった話だったと思うけれど、これであっているか。私は量子的な状態が現れるには?とか、あるものについて記述、描画なり模型をつくるなりを繋げて繋げていくことによって「普通の物質としての描像がOK」な段階とそうでない段階の境目のようなものをイメージできるようにできるのではないかと気になっている。
けれどそこまでなかなか手が回らない。色々手を広げすぎている。
20月曜日
「見る」ことと「経験」について、昨日の読書会が印象的だったから、暫く考えている。というほど大仰ではないけれど、気になった言葉は餌のついた釣り糸のように私の足元にぶら下がっていて、何かの折に触れて反応する。
ちょうどウィトゲンシュタインの読書会で、3つのアスペクトの見立ての話題の後に、参加者から「経験」と「見る」という言葉の箇所について言及があって、私の中では「見立て」と「経験」の関係について思い巡らせるのが楽しかった。見立てる「能力」とまで言ってみると、先週のドゥルーズの読書会の話にも繋げてしまってる私は乱暴過ぎるだろうけれど。見立てる能力があるなら、見立てる能力のない状態を夢想することもできる。見立てと分解して見ることと繋がった話題だったので、見立てる能力のない世界について、ものやかたちはどのように見えるだろうか?と、絵空事なのか言葉遊びなのか。
19日曜日
友人宅に合宿状態。昨晩使い切れなかった食材を用いて豪華な朝食。一口大の冷奴、ご飯と豆腐と生わかめの味噌汁、オクラ納豆、レタスとトマトのサラダ、セロリとエビのエスニック炒めパクチー添え、うに豆腐。
小木曽瑞枝さんの個展へ。強く鮮やかな淵のピンクの蛍光色が、物体感や距離感を惑わせるように浮かんでいて、お盆状の窪んだ正面の抵抗が、ざらっとして対比的にはたらいていた。前日に見た川村記念のコレクションの一室に1点、贅沢に展示されていたオリツキーの《高み》の中央、広い朦朧とした淡い緑青の色面を思い出していた。
帰宅後、音読会。『見るということ』ジョン・バージャーの最終「野原」のところ。私にとっては、そこに書かれている理想の野原の条件とは少し異なるけれど、1日おきくらいにいつも信濃川の土手を歩いて買い物に出掛けていた頃に目にしたもののことを思い出し、考えていた。毎日同じルートという意味ではフレームとして区切られていた。ワタナベメイさんは、昔入院した時の窓から見える大きな公園の緑の話をしてくれた。本当に美しく幸せな経験。
引用「空間における野原の視覚的な拡張があなた自身の生きられた経験に取って代る。」
「あなたの目の前の野原は、あなたの人生と同じ大きさで広がっている。」
18土曜日
新潟の友人達と、東京に越した友人に会いに上京し、川村記念美術館「カール・アンドレ 彫刻と詩、その間」へ。空間を思い切り大きく使った展示で、2室目のコンクリートポエトリーの詩と、小さな模型様の作品との対比が効いている、という点が私の好みだった。第一室目、どう配置すると空間的に効果的かと別に、なんかもっと見たかった方法があったようにも少し思った。内容としては、以前のミニマル・コンセプチュアルで見た時の方が、彼の手つきのようなものが感じられて興味深かった。
17金曜日
風が昨晩から強くて、庭のミニトマトや茄子やきゅうりが心配。地面から生えている草や、以前から生えている紫陽花などの庭木はそれほど心配でない。風に打たれてしんどいだろうとは思うけれど、野菜の苗は根本から折れそうに見える。立派に茂っているように見えて、他の草木と異なる有り様に見えるのは本当にその通りの、弱く人為的な何かなんだろうな。
何年か前に銀行が合併した。うちの一番近くの北越銀行はなくなってしまって、少し離れた第四銀行が第四北越銀行になった。通帳記入をずっとしてなくて、そこまで歩いて行った、というほどの距離ではないのだけれど、外を歩いたのが久しぶりで、歩き始めに脚の強張りのようなものを感じて笑えない。普段あまり歩かない道、コンクリートの割れ目から生える小さな草草に、斜め向こうから少し逆光気味に陽の光が当たって、その小さな起立が妙に逞しい。街路樹の根元の多様な下草を見るのが好きだ。2種ばかりこっそり分けてもらって持ち帰りたいと夢想したりした。普段通らない小さな橋の中央で、真下の川面を覗くと、急に不穏な気分になった。私の平板な散歩道に不似合いな穴がぶら下がっているみたいな空間模型を、思い出して書きながら頭の中につくる。
16木曜日
請願書を紹介者を立てるために窓口になってくださる議員さんのところに預けに行った。この内容を書く背景となった自身の認識について、資料としてまとめたものも持って行った。長岡の「模様」での戦争に関しての企画展が取材された時の新潟日報の写しも加えた。パレスチナで人がたくさん殺されていることについて、私の動機と私ができることについてよく考えて、全部を負えないことを考えて、勿論行きがかり上の偶然の流れやタイミングに身を任せたことも大きくあって、自分で制作とは切り分けてやることをやると決めた行動なので、これはきっちりやりたい。門前払いを食わないといいのだけれど。
こちらは制作の話。真に受けること、真に受けないことが同居しているような状態に自分が居ることが多いように感じていて、それは、何か体系化したものを作りたい欲求は間違いなくあって、勿論本気な訳だけれど、つまりは全部をつくるに等しいようなことだからとても大それたことなことであって、でもこれはたくさんあるうちの一つと思っていたりする。複数性? 本当だけれど、いっぱいあることによって、絶対的なものではないという前提に立っている。知らないうちに自分はそんな状態なんだなということに気がついた。
それはやはり、角川の『類語国語辞典』との出会によるなと思う。だってこれは言葉を全部体系化したわけで、それは乱暴なのだけど、世界を征服してないから私は絶賛してるけど真に受けてないところもある。
15水曜日
まだ請願書を書いている。というか、その背景となる私の認識について伝えられるような資料をまとめてて、太ったり痩せたりしている。いつまでも手を離せないでいる。
髪を切った。いつものヘアサロンで担当の人に切ってもらう間、話をするのは私には結構難しいのだけど、言う練習と思い、請願書書いていることとか、春から始めた仕事の話とか、いつもより自分を開示するようにして過ごした。今までで一番前髪を短くした。
14火曜日
時間を見つけては控えていたメモ書きはあるけれど、考えをまとめるのも、資料をまとめるのも本当に苦手で、書類を作るのに苦労する。すぐに寄り道をしてしまい、主旨を見失いがち。勿論考えていることはある。それはどうやって滅多に会うことのないタイプの方達とこの請願書と資料を元にして話をするのか、どうやって説得するのかの方。そもそもどうすれば門前払いを食らわずに取り合ってもらえるのかということ。
明日からいつも利用している中央図書館が一ヶ月休館になるため、予約していた本を受け取るのと、着物をリメイクするための本を探しに行く。思いがけず先週末に、夫の実家で不要な着物を3つ譲り受けたけど、着物は着慣れないので洋服に仕立て直そうと思って。借りてきて見てみるも、私のもらった着物の柄にはどれも合わなそうで、ハサミを入れるのが勿体無い。もっといい本はないか、家で検索しているうちに、とても素敵なリメイク業者を見つけた。洋裁に特に詳しい訳ではないと、何がどうなってこんなにも仕上がりが違うのか思い当たらないけれど、ちょっとしたことで随分と違う。自分でやる自信は全くなくなって、折角の良い着物なので、お小遣いをためていづれ仕立て直しに出そうと考え直した。
13月曜日
この頃は自分の書いたものが嫌いになっていて、日記を書き終わってから残念な気持ちになるばかり。日誌として雑に書いてるけど公開してるけど読まれてないだろうからという三重?の煮え切らなさに、落ち着きのなさが加速する感じがする。
今日から福尾匠さんのドゥルーズ回。わかりやすい内容が濃いので、こんなに栄養価の高いもの一度に食べきれないよ!という嬉しい悲鳴。全部ちゃんと聞けてないので、配信をもう一度聞くことにする。
早速全体をぼんやりした感想書いただけだけど、「ひとつのトピックについて書くこと」というフィードバックのお題が出ていて、たったそれだけの縛りが私にはそもそも必要だったなと。
思い出した思い出すこと。昨日の日記に吉田克朗さんやのり子さんのことを書いた後に、歯医者に行って、その帰り道歩いていてまたお二人のこと思い出していて、それは私に子が産まれる前や生まれてまだ子が小さな頃のこと、そのくらい昔のこと。ほんの短いけれど決定的なシーンというのがあって、その映像はとても鮮明に脳裏に浮かぶ。正確さについてはもちろん怪しいけれど、言語化して閉じないで映像としてまとまっている短いけれどたくさんの情報が。相手の眼差しには思い出が、それを見る私の眼差しには今の感情も含まれている。シーンを思い出すことを思い出していて、克朗さんの笑顔、のり子さんと育児についてのおしゃべり、に続いて、全く関係ないけれど、母の年齢を夕飯の支度をしている台所で問うて38歳になったと聞いて驚いたシーンと、幼稚園の時に友達の家の玄関のすぐ脇にあったオルガンで、メロディーを弾いて発見があり驚いた時、暑い日で室内が暗く、開け放たれた眩しいドアの外で友達たちが遊んでいる声が遠く聞こえてたシーンを鮮やかに思い出した。
12日曜日
神奈川県立近代美術館葉山まで車で足を伸ばし、吉田克朗展「ものに、風景に、世界に触れる」へ。克朗さんの思い出を少し。岡谷が大学卒業後しばらくしてついた明星大学の嘱託実習指導員だった時、克朗さんが版画の教員で大変お世話になった。年譜を見るとそれは短い間で、その後克朗さんは武蔵美へ移ってしまうのだけれど、印象ではもっと長く一緒に過ごしていたように感じる。そのくらい、岡谷から大学での克朗さんの話題が多かった。特に初期の学生たちとは付き合いが濃く、岡谷は今でも克朗会と行って、克朗さんの命日に集まったりしている。奥様ののり子さんは数年前に他界。初めて克朗さんのお宅に招待いただいた時は、中村敬治さんご夫妻も一緒で、克朗さんが嬉しそうに岡谷も同行した学生引率のイタリア旅行の話をしていた時の様子を今でもよく覚えている。のり子さんはその時とても無口だったのだけど、克朗さんが亡くなってからのり子さんを囲んでの克朗会では、のり子さんがマシンガントークの人で、時間を忘れて談笑するのが常だった。克朗さんからは、私は「奥方」と呼ばれて、私の初個展の時の鏡を使った作品がとにかく気に入らなかったらしく、ちょこちょこはっきりと何故ダメかはおっしゃらないのだけど、考えを促すようにつっつかれたのと、「岡谷君をよろしく!」と言って何度か握手されたことが思い出。豪快のようでとても繊細で正直な人だなと感じていた。その印象その通りの誠実な制作の日々だったことが展示から伺えるし、このように克朗さんの仕事をトレースして組み立てられた設営や解説に頭が下がる。子息の成志くんとは群馬でばったり会った日のことも印象的だったけど、obiでの個展に来てくれて、その時に「やっと克朗の美術館での個展が開催される」という報告の熱に(克朗さんに似て眼力が強い!)、私もとても嬉しかった。安部典子さんと播磨みどりさんがオープニングに行って、とても良い展示だった旨投稿したり知らせてくれていたので期待して行ったけれど、本当に内容の良い、というのは、克朗さんが本当にご自身のいい制作をされていたことがとても近く感じられる作品と制作ノートが見られて、本当に良かった。別室の彼の恩師である斎藤義重についての展示も良かった(位相ー大地の制作の様子など、多摩美の卒業生たちの様子が見れる)。
最初の部屋の資料のケースの中に、1971(私の生まれ年、生まれる前)のBT 6月号表紙の作品についての掲載されたテクストが展示されていた。ある日神社に散歩に行った時、賑やかな結婚式の集まりの人々を抜けて本殿へ向かうと、一人の男性がお参りしている姿が目に入り、それまで通ってきた道のりそれぞれの空気とは全く異なるものを感じ、慌ててシャッターを切ったけれど、その時の空気は2度と感じられなかった旨が素朴に吐露された文章で、今の私は、そんなこともはや間に受けてくれる人はいないだろうと思って過ごしていたなと、パンチを食らった気がした。彼の書いたものは初めて読んだけれど、先に書いたように「とても繊細で正直な人」だと感じてた印象そのまますぎるなと何かショックで、とても良かったのだ。
11土曜日
東京の夫の実家、両親が家を壊し建て替えることにしたので、そのさよなら会に集まった。兄弟4人とその奥さん旦那さんと手伝いに来た孫ひとり。庭に出て子供の時に登った松の木や屋根や植えた記念樹の話、(義兄が突き破ったガレージの屋根の話も)を、懐かしくする様子を見てた。
夜は小泉の実家でビール飲んでお寿司食べて、アレルギー反応必至の布団で寝た。母はひとりでの暮らしの中でまた新しい友人ができたと。元国語の先生で、色々な本を貸してくれると、嬉しそうに赤い和柄の美しい森鴎外の本を見せてくれた。
10金曜日
取れた古い歯の金属の詰め物を持って歯医者に。少し虫歯を削る。あのきゅいんきゅいんいう音が本当に嫌い。
昨日の件、想定問答で色々考えていて、この話を話題にした途端にこれは問題化されて、新たなルールが出来てしまうかもしれないから話すのはやめることにした。問題として施設側から問われたら折衝するけれど、これを話すべき内容として取り上げるのは私の側からの問題であって、管理者の文脈と、クラブの構成員の少年の文脈と、それぞれが違うと思い当たり、表に出して得する人が誰もいない(クラブの管理官として毎回同行する2人が当番制なので違っていて、ずっと継続的に状況をおえるわけではないという特殊な状況もある)。俎上に上げずにコントロールすることを考える。彼らには賢さがあってそれに助けられよう。
少し違うけれど、刑務所では色鉛筆さえ使えない状況がある(色鉛筆裁判)。教育と、更生と、コミュニケーションについてちょっと考える。私が受け取るものについて、普段からもっと明示的に伝えることができるようになりたい。その価値が、私にとってのものとは勿論わかる。彼らにとってのものについて、押し付けたくないけれど、もっと専門的な内容から評価出来ることについて、触れて伝えられるようになりたい。
久しぶりの読書会。生物機械論について会話。今週は兎に角忙しく目が回る。
9木曜日
少年院で少年たちに最初に水彩で静物画(モチーフ組むところから)を時間かけてやり、終わった人からそれぞれ相談しながら自由制作をしている。資料に色々な画集を持って行き、反応を見て資料を変えている。北斎を面白がる子がいて、他にも国芳を加えた。内容について勿論ある程度の注意は払っていたつもりだけれど、「少年院ではこれギリギリアウトですよ」という声にハッとする。和彫の絵(刺青の柄)を描くことは禁じられていると以前も聞いたことがあった。他に石田徹也は話題になり、横尾忠則の夢枕なども十分刺激的だった。それから幽霊を描いてみたいという子のために、図書館で松井冬子の画集を手にして、エロスとタナトスの剥き出しな絵に、私自身がこれまでとは違う感覚で触れて驚く(画集自体を持っていくのはやめた)。「美術は何でもありですね」(素朴な感想)になり、それは勿論良いことだけど、厳しく抑圧された環境にある者にとっては美術のそれというより、ただ刺激的な消費物にも。見ることは大事なのだけど、ただ刺激を消費するだけの場になってしまわないように、何かまとめて話をしなくてはいけないかもと、急に状況にリアルに近づき私の目も覚めた。でも自主規制と違う内容、文脈や作者の動機について話ができるかどうか。この日記を読み返してもただ愚かな教師の検閲的な側面しか見えない。
8水曜日
請願書を出すのを諦めてないけど忙しくなって慌てて昨日少し調べ物したりして書いていたら、実効的な文書書くのが綺麗さっぱりすっきりするテンションで、他にも急に溜まった実務を片付ける熱が湧いて、午前中は久しぶりに早い時間からタスクを詰め込んで動けた。
頼んであったガーデン施工業の会社の人に玄関のジューンベリーを診てもらうも、やはり枯れてて復活はなさそう。といってもすぐにこの土に植え替えるわけにも季節的にももう少し早い時期が良いということで、このまま一年位様子を見ることに。やっと諦めというか、はっきりして心のモヤモヤが晴れる。それにしても無惨で残念。
高専の保護者会。私は学校で息子がどんなことしているか他のお母さんたちに比べて全く知らなくて、そのことにそれほど不安も感じていないのだなと、相対的にそう思った。帰宅後、進路を考える意味での具体的な会話というより、いつも通り興味のある分野の話をふんわりとして、参考になりそうな雑誌を渡すと、喜んで受け取ってくれた。普通に楽しい。
7火曜日
記憶力に自信がなくて、準備したものについて空で思い出しきれない感じがして何度も見返してしまう。春がとにかく苦手で、一昨年は抗不安薬の、昨年は抗うつ剤の世話に1ヶ月くらいだけれどお世話になった。主治医に来年もまた春に来ますねと伝えてあったけど、結局今年は行かずに済んでいるので御の字だとは思う。診断的には、更年期で体力も落ちてきた分、自信がなくなって不安に感じる様になったのだろうという話だったけれど、今は祖母のようにアルツハイマーになりかけているのではないかとぼんやりとした、だけど大きくて不動の不安が居座っていて、妹に相談すると、それはやはりアルツハイマーより不安感情の方が心配だと指摘され、途端に気持ちが整理されて落ち着いた。他人にはこれではわからないかもだけれど、事の組み替え一つで、本当にすっと心理的な問題が解決することがあるのだろう。私の場合は今日のこれがその一つだった。
6月曜日
過去に制作した作品について記述するのに記憶だけでは思い出せないところがとても多いことを思い知らされて、実物を手元に置かないことにはにっちもさっちも行かない段階になったので、一旦中断することに。現場で判断していることがいかに多いかを思う。同じ状況に置かれても、思いもよらない判断を他者はするのだろうということも思い出される、monadのワークショップで、私とは違う感覚のものが幾つも現前するのを見てそう思った。
千葉雅也と國分功一郎の『言語が消滅する前に』を食器を洗いながらオーディブルで聞いていて、ケーキを注文した後に、箱に入れたケーキを客に見せて「これでよろしいですか?」と聞かれることが最近の言質を取るような慣習だといった指摘があって、ふと、はて?と突っ込みたくなったのは主旨とは異なるだろうけれど、私はまさに、自分が選んだものが箱の中で同居して並んだ状態を視覚的に見たい。だからあれはとても重要。誰が何を食べたいだろうや、味の組み合わせのバリエーションとして、セレクトしたとしても、それを詰め合わせた時の見え方、または、同じテーブルに並んだ時の見え方を確認したいのだ。それは視覚的な意味での構成として重要で、でも、だからと言って、「これでよろしいですか?」と私のセレクトを見せられた時に、「やっぱりミルフィーユをやめてモンブランにします」と言えるほどの図々しさはまだ持ち合わせていなくて、結局言質をとられっぱなしになるだろうけれども。
5日曜日
木工作家の富井貴志さんの家でBBQ。彼の家族とうちの家族と友人たちで過ごす。木の芽のおにぎりや、山菜の天ぷら、肉をたくさん焼いて、私は運転手だったから飲めなかったけど、美味しそうなワインがいくつも振る舞われていた。漆の器が素敵で、何をよそっても絵になるし、ああ、こんなふうにヘビーユーズしても全然大丈夫なんだと。どうして顕微鏡を毎日覗くようになったのかを聞いたりして、見えている世界と見えない世界を繋ぐのはやはり面白いなと思ったのと、きれいな場所の水には生物がいない話から色々思い巡らせるのは面白かった。
楽器を持ち込んで適当にセッションして楽しかった。
娘が東京に帰った。
4土曜日
夫がずっとうどんを打つのに凝っていて、うどん粉が常備されている。今日はピザを作ろうということになって、うどん粉でも作れるので(うどんは中力粉、ピザやパスタも強力粉と薄力粉を混ぜて作ることが多いので、中力粉でちょうど良い)、生地作りを任せるも、うっかりうどん生地を打ってしまう。庭でBBQコンロの上に網を乗せて、ピザ用の金属製の持ち手のないフライパンのようなものを乗せて、コンクリートブロックを組んでその上に鉄板を乗せる。コンロと鉄板に炭を入れて上下から焼く即席の仕様。ガーリックオリーブオイルにトマトソース、トマト、ベーコン、コーン、玉ねぎ、茄子、舞茸、ウインナー、しらす、長ネギ、バジルソース、チーズ、粉チーズなどを色々組み合わせて焼いた。クリスピーだった。
庭に7年前に植えたアオダモの木が大きくなって、庭の真ん中に木陰ができる。そこにレジャーシートを敷いて寝転がる。雲一つない。木の葉の群集が美しい。
片付けて、昼寝ののちにメメシスというボードゲームをやる。宇宙船の中でコールドスリープから目覚めた様々な属性の乗組員たちは、船に巣喰うエイリアンと戦ったり、寄生されないようにしながら、それぞれのプレイヤーの秘密のミッションを達成させることを目指すゲームで、カードやトークン、フィギュアがたくさんあって、ルールも分厚いし、面倒くさいゲーム。こういうゲームをやるのってコスパもタイパも相当低いのにすごいなーと感心しつつ、皆がエイリアンに襲われまくっている中で、なぜか災禍を逃れ、終盤にミッションの一つである、プレイヤー2を排除するにも取り組み、最後には感染疑いも晴れて、脱出ポッドで脱出も果たして、たった一人の生き残りとして勝利した!長いゲームだった。
こんなに仕事に関すること全く何もしないし考えないで1日を過ごしたのは久しぶりだったかも。ぐったり疲れた。
3金曜日
大掃除の箇所を9つホワイトボードに書き出して、3人家族でひとり3つづつ担当することを決めた。
お姉ちゃんが帰省。職場はまだ研修中だけど開発部での課題出題があり、とても面白く楽しいとのこと。担当から色々突っ込まれてもシュンと落ち込むタイプではなく、「なるほど!」と興味津々でその内容を面白がれるらしい。厳しい研修という名目なのに、彼女にとってはとても楽しい日々だと。兎に角元気そうでよかった。
夜は家族4人で麻雀。常に誰かが奇声を発してるか歌っているかで、鼻笛(ノーズフルート)が現れたり、口の前で手を叩いて空気をポンと鳴らす奏法も加わって賑やかな麻雀。本当にくだらなくて楽しい。
岡谷家ミームでも楽しんだ:ワッツ?エヴリデイ?/どーなってんだっおーい/なーんちゃって、カクカク/こまっちっち/ころされるっころされるっ/い”〜ーーよ”/どっあっほ/etc...
2木曜日
課題の関係から急にデザインづいて、読み逃しているもの、見逃しているものの多さにおののく。
一昨日一昨昨日には早く寝て、割とたっぷり睡眠をとったので、昨晩は作業が止まらなくてだいぶ夜更かししたのに、朝響かなかった。事に集中してエンジンがかかるまで時間がかかって、夜更けになって作業がはかどり出す。今日も気がついたら日付がまわってしまっていた。構成課題を自分でつくって自分でやってみるのがたのしい。仕上げないまでも、エスキースを何パターンも自覚的にバリエーションを増やしながら、つまりバリエーションの出し方を名付けるような感じで膨らませていくのがたのしい。
1水曜日
GWは家の片付けと大掃除をして過ごすつもりでいたけれど、宙ぶらりんで捗ってない仕事の方が気になってしまっているのと、予定外に慌てて玄関の土の入れ替えなど、庭仕事を先にねじ込んでしまったので、予定が狂ってしまって考え直すことに。大きく3つあるうち、急ぎの1つ、授業の準備をすることにした。本当に急に引き受けたので、何の準備もないのは当たり前だった。3回授業を終えて、様子がある程度わかって、採点の期日を指示されたので、慌てて夏休みまでの授業計画とスケジュールをきちんと組むことにした。不在のうちに用意されていたシラバスはあるのだけれど、縛られなくて良さそうなので、美大進学希望の子とそうでない子も混じっているクラスで、私自身が面白いと思うことについて学びながら(復習しながら)と、まずは久しぶりにブルーノ・ムナーリの本を図書館で手にする。大学生の頃、青山のこどもの城でバイトした時にちょうどムナーリ展があって設営を手伝ったのだった。その機会で初めて彼の仕事を知ったのだった。
ガストで昼食を食べて、そのまま本を読んだり調べ物をしたり、エスキスしたりした。
昨日茹でたたけのこで昨晩はたけのこご飯、今夜はタイのグリーンカレーにたけのこ入れた。