2024年4月
30火曜日
(うっかりしていて5/1の夜に昨日のことを思い出して書いている。)高校での構成の授業日。早く課題が終わる子が多いだろう日だったので、同じ「初雪」の紋を折り紙で切り出す方法について見つけてもらうことにした。ちょうど製図していた画面も15cm四方だったので、折り紙と同じサイズだった。私は子供の頃よく、障子紙を小さな正方形にして5つにたたみ、桜の切り紙をして障子にあいた穴を塞ぐ役目を祖母から教えてもらってやっていた。五角形になるように折るのはコツはいるけれど、教えて貰えば小さな子供でもできる。雪の紋は六角形。普通に折ったのでは八角形になってしまうので、苦戦している子が多かった。こういう切り紙をしたことがあるか聞いたら、2人いた。なかなか経験がないといきなりは難しい。なので今まさに経験している。折り方がわかり、対照になるように切るコツを掴みさえすれば、見事に詳細な模様入りの雪の結晶を自らアレンジして切れる子も現れた。理屈を理解するのと、手を動かして感覚で理解するのは、とても近くて一体化している面と、理屈なしでできるようになる面と両方あるなと思った。
29月曜日
祝日。ムサシへ野菜の苗と、玄関の土の入れ替え用で足りなかった分の腐葉土と赤玉土を買いに。混んでいる。つるありインゲンが売ってなくて、コメリに寄る。庭の畑の奥に、ミニトマト2、トマト、ナス2、ししとう、ピーマン2、手前の畑につるありインゲン2、きゅうり2、シソの苗を植えて、ベビーリーフの種を蒔く。パクチーも蒔こうと思ったけど、種の外殻が固いので、割って水に入れておいてから蒔くことに。他にプルーンの木の根本に蚊香龍(蚊を寄せ付けない)の苗を2つ植えて、周りにミックスフラワーの種をばらまく。これがちゃんと目が出たことがないのだけれど、今回は丁寧にまいた。鉢植えで、バジルとローズマリーとタイムを育てるつもりだけれど、土が足りなかったのでまだ植え付けができていない。
使わなくなった子供用のスキー板とスキー靴を、お隣さんにあげた。
筍を茹でた。
昨日訃報を知らせにこられた町内の方へ、夫が町内会からの香典を届けに行った。この1ヶ月でもう3人も亡くなられている。街の中だけれど高齢者が多い。
28日曜日
近況を持ち寄り、友人宅へたけのこ掘りへ。他に、タラの芽と山椒をたくさん頂く。猫のモズの耳に悪性の腫瘍ができたと。猫だけどCT撮ってその病状が判明。手術を控えているという。片耳を落とすらしく、片方だけドラえもんになる。
今夜から音読会はジョン・バージャーの『見るということ』。そうだった。ここにルソーの『言語起源論』についての記述があったのだった。見ること、見られること。(/私の深淵や存在について気にかけて見る人は思うより少ない、またはいないと思って過ごすことが私の平穏には単純に必要。)
27土曜日
山椒の木が枯れて、ジューンベリーも芽吹かないのどうしてかな?って夫と見ながら話してたら、3月に肥料まいたと。で、よく見ると、木の周りがぐるっと一周雑草も枯れた感じになってる。よくよく聞いたら、その肥料撒きすぎだよ!!って量で、肥料焼けだったことが判明。色々対処の仕方について検索かけてみて、その周囲の土を掘って取り除き、穴に水を大量にかけて残土も洗った。このあと、赤玉とかの肥料の混じってない土で新しく埋め戻す予定で、ホームセンターで土を買ってきてもらう。原因に気づくのが遅すぎて、瀕死のジューンベリーが復活できるかは神頼み。
その土を掘る過程で、夫氏、植えてあったヒヤシンスの球根も、紫陽花の影に隠れて生育のあまり良くなかったブルーベリーも気づかずに抜き取ってしまう。版画の仕事とか、とても几帳面で器用に見えるのに、全然器用じゃなくて雑で乱暴な感じで混乱する。というか、「器用さ」ってとても曖昧な、領域横断的な不思議な性質だなと思った。言葉がなのかな?と思って調べてみると、器用は何かの行為をするときの手や道具の使い方、そのやり方が丁寧で要領を得ているというような内容についての言葉であって、ただ私がこの言葉を人の性質ではなくて、性格に当てはめて考えてしまってた間違いによる。よく考えてみれば、例えばざっくり夫氏について言うなら、決して器用な人ではない。むしろ不器用な人だ。彼の器用な面、例えば版画の刷りが学生の頃に比べると別人みたいに上手くて、その専門家な訳だけど、そのことに驚いたので、彼についての私の印象の中で、その器用さがその人の全体像に比してかなり拡大されて鎮座している。そういえば、私は自分を器用貧乏だと自認するくらい器用なつもりでいるが、手先についてのことだけである。
26金曜日
欲張りなもので、とてもいいと思ったことの中にも、部分的に心配なことや、状況を引いてみた時に感じる権力的なことや権利のことや、自由や意志について、いいと思ったからこそその鳥籠の外の籠から、また外の籠から、事態を複雑な気持ちで見てしまう。手放しで共に喜ぶことの方が、つまりは籠の外があることさえいつも理解していれば、籠の中に慣れ切ってしまわなければいいのだと、もうちょっと状況を許せばいいのだろうか? いつも現状に慣れることを怖れるあまり、保険をかけるような無駄な感覚を発動しすぎな気もする。
言ったり書いたりしている内容が、本当に思っていることの逆だったりすることが起きるって、シャワーを浴び終わって脱衣所に出た時に思ったのだけど、詳細を書いている今になっては具体的な内容例を忘れてしまった。でもなんていうか、表立った社会で言える言説としてはAで、でも社会での前提だとAになるのであって、私の中の自然の状態では前提が異なっているから、もしくはひっくり返っている、裏返っているので、本当は−Aだと言っている。でもそんなの伝わるわけはない。社会的にはAの情報で辻褄合うしとりあえず有用だろうくらいの感覚、という、これ書いていて人を舐め切っているし、本当は、自身の中で通常になっている前提についてをしっかり言ったり書いたりしなくちゃいけないのだ。ということに書いていてまとまりそうだけれど、実際のところはそれだけではなくて、なんていうか、外皮のない自分の内側の生の部分を守ってるということなのだな臆病で無意識にそうなってる。空気を読んでそうしているとかの話ではなくて、なぜ自動的に自身の奥から浮かび上がってくる時に言説が反転するのだろう?って気になって。
25木曜日
エネルギーが有り余ってるみたいな話を誰かしてたと思う。それで、今日は美術クラブの帰り信号待ちしているときに、ああ、あれがエネルギーが有り余ってるってことだなってストンと腑に落ちた。持って行き場がないとして、それからある場合も、つまり時間をじっくりかけて静物着彩した後に、色々図録や雑誌などの資料を持ち込んで、反応を見つつ資料を差し替えて、自由に何か描くものを決めて作品をつくってとなった時に、や、そこまでの段階行かなくてただ着彩させている時に絵の具の扱い方とかを見ていて、そのエネルギーの差し向け方というか、一言でエネルギーと言ってもその質が十人十色で、人間って豊かだなって思ってしまった。それでもって、私にはちょっとエネルギーがもう足りてなくて、というか元々平常状態で型破りなほどのエネルギーはなくて、さらに減ってきたエネルギーを何にどう差し向けるかみたいなところで、、、というしょぼい思考を、夕方、子を遠くの演奏練習会場まで送った帰り道の車中で考えたりしていた。数日前に別件で強いエネルギーを見たせいもあり、というのは、やはり同時代におけるスピードありきの強者の闘いのなかで生きてる人を見る機会があり、またそれとは別に、同時代性の揃わなさというか、そんなにわかりやすい一緒の土俵に、残ってる仕事皆乗ってなかったなみたいなことを過去の作家の仕事、例えばマグリットとか見てると思ったりしていて、まあ、それが私の視界に同じ一週間のうちに入るのが面白いのけれど。そして、今夜はお誘いいただき、友人知人と初めましての方々と、オンラインで浅田彰や建築に関する動画や資料を見ながらおしゃべりする会だった内容とも重なるものがあった。モダンの話。
夫の町内会長仕事の手伝いで、市の会報を班長宅に届ける道すがら、細い私道で後ろのバンパーを電柱にぶつけて凹ませてしまった。バックモニター暗くて、メガネなしで見えなかった。
24水曜日
少し前からアマプラで「ヤング・シェルドン」というアメリカのコメディドラマを見ている。と、このあとにこのドラマを紹介するような内容を書いたのだけど、そんな必要ない気がしてきて消した。日記に書きたかったのは、そのシーズン2の4の終盤で、父、祖母、兄がソファーに座らされて、バレた悪事を母に問い詰められて、出て行けって言われてそそくさと皆が勝手口から出て行くのをシェルドンと双子の妹のミッシーが離れてみていて、ミッシーが、「I love everything about this!」って呟くところ、ここが愉快すぎて何回も巻き戻して見た。吹き替え版のコメディだとなんていうか阿呆っぽいテンションになることが多いけど、シェルドンみたいに天才児ではないけれど、おませで鋭い女の子が低い声で落ち着いて感慨深く小さく素早く呟く英語の響きにとても痺れて、私もいつかあれと全く同じようにこの台詞を言ってみたいと思った。ただそれだけ。
23火曜日
2時間続きの授業の間の休み時間に生徒が二人でパンケーキを食べていて、暫くしたら、先生も食べますか?って持ってきてくれたのだけど、食べれる自信(まだ緊張しているから)がなくて断ってしまった。新しい地に足を踏み入れた者は、勧められた食べ物を口にしないとであった(油断した)。
この春、自分の出足が何か悪くて季節に乗れてない気がしていたのは、玄関のジューンベリーが芽吹かないままだったからだって今朝気づき、枯れてしまったのかと心配で、枝を少し切ってみると中はまだ青味があり、まだかろうじて生きている。これはどうしたらよいのだろう?
昨日直したデータを、多分間違えて古いもので上書きしてしまったみたいで、直したはずのところが反映されていないデータしかなくて、わかりやすい箇所はもう一回直せばよいのだけど、内容を変えたところまでは、うまくいったと安堵の上、弛緩してしまったので思い出せない。2台あるPCを行ったり来たりしながらデータを探すも見つけられなかった。
夜はファンダメンタルズのゆるユニット定例ミーティング。新しく得た知見で新作をというところまで私はなかなか考えられないけれど、制作しているからこそある手応えによって、聞く話にも理解への糸口のようなもの、または相対的に考えられる起点になるようなことを頼りやすく、イメージの中を遊ぶのは本当に面白い。昨晩は、暗黒物質の宇宙の分布図のシミュレーションの絵と観測の話など。フィラメントが伸びていて、ボイドがある。重力が他の力に比べて極端に弱い理由の一説や、場の広がりの大きさについての話。
22月曜日
授業の準備をして、それから原稿を書く。書く内容はもちろん既に決まっているのだけれど、先日読んでもらって指摘されたことから足りないと思っていた内容を書き足していて、なんかついつい子どもについての話題が多くなってしまった。確かにここ数年になって、自分にとっての子どもとの日々について話したりできるようになってきた。子が大きくなったのはあるし、私自身がそのことを消化できたのもあるし、自分と同年代についてももはや出産するしないの選択期が過ぎて、以前ほどデリケートな話題だとは感じなくなっているからかもしれない。世代でも違う、今は全然違うと思う。子のいない男性の作家が数年前に、僕たちの頃と違って、美術館で友人の若い作家に会うと子連れだったりすることが多くなったよねと言っていて、本当にそうだよなと思った。私たちの頃はタブーな空気だった。
それなりに人生波乱万丈だけど、何気に、それまでと全てが変わってしまうくらいの「破壊」は子が生まれたことだと思う。
21日曜日
とても久しぶりに信濃川の土手を歩く。草はまだ低い。スギナが沢山出ていてサップグリーン。夫が学生時代によく人に色のイメージをあてて言っていて、私はサップグリーンだったのが不満だった。とても変わっていて才能があって、普通じゃない魅力的なMちゃんを深い藍色だと言っていて、私の中でそれはさらに宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のイメージに重なって、ちょっと嫉妬してたことがあったなって、今書いていて思い出した。
たかだか往復で6,000歩の道程に、目的地のスーパーに着いた時にはくたびれ果てていて、イートインのコーナーで無料のお茶を飲んだ。もう年寄りみたいだ。
夜の読書会で、マグリット凄いなと思った。彼がどういう作家だったのかのイメージは激変した。《再現(ルプレザンタシオン)》(1962)を例に相似は類似と違って母型なしで連環し続ける話から、マグリット自身が類似は思考によってなされると言っている(それが凄い)のを引いて、相似を別の軸として立てるフーコー凄い。というか幸せな2人。
20土曜日
ここ暫く時間をかけて書いてきたテクスト、と言っても大した量ではないのだけど、それ書くために図面引いたり色々別の実作業も伴ってるから時間かかったのだけど、それを夫に読んでみてもらった。ずっと1人でああでもないこうでもないと一喜一憂してよくわからなくなってたものを、人に見せる、読ませる時になって、ちょっと不思議な気持ちになった。私しか読んだことのないテクストを人が読む。
思っていたより好反応だった。
でも、私や私の作品のことを全く知らない人が読んでも大丈夫なものになりますように。
19金曜日
フーコーの『これはパイプではない』の読書会(というか音読会)。今日は「Ⅳ 言葉の陰にこもった働き」のところで、比較のためにクレーの絵についての記述が出てくる。「クレーは辛抱強く、記号の経糸と図像の緯糸とを交叉させることによって、名も幾何学もない一空間を作り上げる」。読んでいて、クレーの絵画群が、というかスケッチや水彩たちのイメージが頭に浮かんでくる。実際に経糸緯糸の交わったような格子状の画面の中に、アルファベットや矢印、人物や顔や木々や建物のような線画が織り込まれているような絵が幾つもある。そのことと、意味としてのそれらが記号と図像の糸としての交わりが文章で記述されていることとのダブルイメージというか、私の中に呼びかけられる仕方が同じ言葉で別の方法で同時に起きていて、それを実現させているテクストの巧みさと自然さにちょっとクラクラした。もちろん前振りとして、ここで取り上げられているマグリットの最終版的なパイプについての版画の、入れ違い的な複数の空間の発生を言ってみせていることが、そのような受容体を刺激しているからなのだけれど、私は特にクレーのところだけページが輝いて、二行が浮き上がって見えた。
18木曜日
昨日書いた、言葉で考えると絵で考えるの比較、トピックが随分と雑だなと思ったのが主な印象だったけど、私の話もだいぶ雑だったなと車を運転しながら思い出していた。絵のような網膜にべったりと貼りついた表面の情報全ての量は多いとしても、そこから何を取り出すかの解像度はやはり、その表面以上に大きな領野を前提としている場合があるわけだから、それは翻って異様な能力だと脱帽するよなと。一つのイメージから大体を包含できる言葉を見つけてくる程度の私のぼんやりとした普段のやり取りとは全く次元が違う言葉の世界があるよなと。
嬉しいことがあった。心配なことも。
「絵は上手くなるのですか?」「才能って?」と問いかけられて、その素朴な問いにはっとする。普通にその時に思ったことを応答したけれど、もっと色々な話題に繋げて広がりを持って応えられそう。
17水曜日
文章書いていて、書いてみて気がついたことがあって、それは書こうとしないと気がつかない書くことの不自由さというか、書くのに向いてない内容についてから発して、でもその不自由な抵抗感がなければ目を向けることもなかった細部で、そのこと自体についてどこかで触れようと思っていた。それから時間が経って、本来の目的の方を書くこと自体が大体終わり、遂行しているうちに、先述の件がどんどん小さくなっていって、霞の向こうというか、実態のないなかったことのように消滅した気がしてる。もう一回引っ張り出してきて、それについて何か言うことができるだろうか?
言葉で考えるか絵で考えるかを比較した題材のyoutubeの番組を見たことについて息子と話題になった。そもそも、言葉はある程度の内容を還元した状態であるわけだから、概念を共有するなどして、道具として何かを協働するようなことに適していて、知や技術を積み上げるのに向いているから、社会の形成に効力を持ち、その発展に向いているのは当たり前じゃないか。でも含まれる情報量で言ったら絵よりめっちゃ少ないという話をした。お母さんはいつも話す時、何かのイメージがあって、それを伝えようと言葉を探してる感じがする、と息子に言われた。自分では、絵を描く人ほど現象的に詳細について普段から見ているような能力は低いけれど、基本的に図的に、それから空間的に配置状況をイメージしながら考えてることが多いと思う。だいぶ無駄も多い。それに方向音痴なのだけれど。
16火曜日
いよいよ高校での授業初日。過去に美術館の企画でアーティストとして呼ばれて継続的に中学校で授業をしたこと(2003年「体感する美術2003」佐倉市立美術館)はあったけれど、教員として1人で教壇に立つのは初めてだと思ったら、急に緊張してしまい、最初からぐでんぐでんだった。成績に関わるので出席をきちんととる必要があり、慣れない調子で名前を読み始めると、あれ?最初から読めない。1人目2人目3人目4人目と全然読めなくて、当てずっぽうで呼んでみるとことごとく間違っていて、それが可笑しくて緊張も解けた。それでもどうしても私は話が散らかってしまうから、座学の時間は授業の構築をもっと細かくやらないと駄目だなと反省。人数は12人と少ないので丁寧にやれると思う。少年院で仕事をしていると施設から何も持ち出せないので、課題の製図の描きかけのケント紙を回収し、名簿と一緒に自宅に持ち帰れることに私が感覚的に不慣れで、なにか後ろめたいようであり、これをゆっくり見ることが出来るのがありがたい。
15月曜日
後回しでもいいやと保留にし続けていた細々を順に片付ける。重要でないものから、荷が重いもの、結論を先送りしたいもの、それぞれ理由も事の大小もバラバラなのに、to do listのような(今はホワイトボード)ものに箇条書きにする時、普通は並列にはならないようなものがつらつらと並んでいる平面を見るのは、ある意味愉快かもしれない。私にとって、支払わなくてはいけない娘の引越し後の残りの大学生活最後の分の水道代の振込も、送って貰った展示記録冊子のお礼と感想を伝えるのも、息子の体操着の洗濯も、講座の申し込みも、個展会期の決定も、デザイン仕事の初校の提出も、今日やったという日時的な意味より、今日やる必要があったという等価な価値のイベントだったかもしれない。かけたコストも、それの見返りも関係なくて。
絵を描く時、ざっと植物の葉をスケッチするときに、葉の位置関係とかを端から描いても空間的に狂わずに捉えられるのって、結局はそのやり方で見なくていいところを見ないように取捨する方法を理解してるってことで、狂いまくったデッサンみたいに細部にぐっと入り込んで迷子になっちゃう見方をしてる子をちょっと羨ましく思う。玄関先の鬼胡桃が芽吹いた様子がかたまりとして美しくて、久しぶりにクロッキー帳にスケッチしてみた。線は不慣れであまり美しくないのに、だいぶ複雑な状況を一通りぐるっと描くと、ピッタリかたちが収まってしまった。魅力的な窪みや葉の生え出す込み入った空間を後回しに、全体を構造として支えている屋台骨の方を重要視して描いている自分を発見してはっとした。魅惑されることに溺れずに覚めた状態で全体像をさらうというのは、形を見る慣れた手つきであって、この鬼胡桃を見た時に美しいと思い、描いてみたいと感じた時とは違う視点に立っていた。スケッチが久しぶりすぎて上手く描けないとタカを括っていたのに、美しくもなく、でも正しく把握できているみたいなスケッチが描けてしまってがっかりした。辻褄が合うように描けたことに驚くと同時に、それにがっかりして、その理由がわかったのはちょっと後だった。
14日曜日
工房の鍵の管理で、使用を任せられる裕子ちゃんの利用日だけれど、気分転換にそのままここで仕事をすることにした。午前中高校の授業の準備をする。人がつくったシラバスに目を通し、週一回のスケジュールを年間行事表と照らし合わせてみるも、まだ学校行事の運営のされ方がよくわからないから、授業がある日を数えるのもままならないけれど、どのみち生徒たちの制作にどのくらい時間がかかるかもまだよくわからないから、まあいいかくらいに思い直す。使っているという教科書に目を通し、デザインサイドからのモンドリアンの絵の理解はこんなかとツッコミを入れたくなるも、きちんと高校生に話せるほどの言語化がすんなり自分でできなくてがっかりする。このページは触れないだろうしとスルーする。そのほか指摘点についてはよく整理されているけれど、こういうことはロジカルに取り出して理解して仕事に照応させることはないだろう内容については辟易したりして、だからといって感覚的なことを鍛えるのは一朝一夕ではできないだろう。でもだからこそ先に頭でっかちになって良いことはないだろうし、その知識は萎縮を呼ぶか、むしろ事故を起こすかも、などなどと思いながら、最初に軽い課題を出そうと思っているのを帰宅後自分でやってみる。思ってたより(私は)時間はかからないけれど、経験が必要で難しそうなので、対象を自分で選ばせることはやめて、皆で同じものを製図してみようと考え直した。課題文をつくっていて、そういえば、私は予備校で講師を始めた時に、課題文や教材をイラストレーターでつくる副次的な業務でイラレの扱い方をおぼえたんだったのを懐かしく思い出した。
13土曜日
グループ展に展示中の「模様」へ、一週間分の追加の文書を持っていく。年配の女性が3人来ていて、さとうゆかさんの一列に並んだたくさんの指人形を見ながら、私たちの差別意識について話していた。この展覧会がはじまった頃よりだいぶ経って、パレスチナでアラブの人々に対して世界が酷いことをしているのを多くの人が知っていると思う。
福島旅行の時に買ってきた蕎麦を茹でる。天麩羅も欲しくなって、茄子とピーマンと南瓜を揚げ、残った衣で天かすもつくった。
アマプラで少し古い刑事ドラマを見た。昔の泥臭い捜査や取り調べ手法を礼讃するような面があり、今見ると見ていられない。時の流れや世代差に残酷さを感じた。
自分が過去に影響を受けた作品についてネットでタイトルなどを調べていて、画像を見ると今見ても新鮮で素晴らしく、内容が濃くて強度が高かった。
12金曜日
来週は無いと聞いていた授業のことが気になって、もう一度確認の電話を入れると、やはり連絡ミスであるとのこと。少し慌てる。
とても久しぶりに新潟市に出る。知人の展示を見る。美味しい定食屋でお昼を食べる。貝の出汁の効いたお味噌汁が美味しい。楓画廊に寄ると、来年の9月の個展開催の確認を伝えられて、私、忘れていてびっくりする。ありがたい。
帰りの車中、オーディブルで國分功一郎さんと千葉雅也さんの対談本を聴き始める。國分さんが、研究よりも勉強がいいという主旨の発言をしていて、ああ、なるほどなと聴き入りながら、私が昔むやみに研究というものに憧れていた頃からだいぶ時がたったなぁと思った。
11木曜日
家にある図録と、行きがけに図書館で借りた図録を両手に抱えて美術クラブへ。「どこの地域にも大きめの図書館があって、そこには美術の画集が結構たくさんある。昔は、本が買えない貧しい人にも図書館が出来たことによって知的文化的利益を受ける機会となったけれど、最近は、親が文化的教育的な子どもの利用の方が多く、格差を再生産するようになったという話を聞いてショックだった。でもみんなはもう大人かもうすぐ大人なのだから自分で行ける。ぜひ自由になったら図書館に行ってみてください。」って珍しく授業の前に皆に向かって話をした。「自由になったら」のところで笑いが起きた。いい顔だった。
コメダ珈琲で自分の書いた原稿全体を見直した。今書いているところが重過ぎる。1章目にしようと思っていたけれど、3番目にしようと考え直す。想定していたより図が多くなりそう。本当は全部テクストにしたくて、一応全部記述してみたけど、ちょっとやはりこのままというわけにはいかない感じでしょんぼりしてる。これは他の方法、何かないだろうか? 図像の圧縮ぶりを、私だけが身に沁みて味わっただけの顛末。
10水曜日
庭の小さな畑に籾殻を買ってあったのを今入れよう!と夫が朝風呂上がりの私に言う。やだーと言い、全部任せる。青梗菜の花を躊躇なく引っこ抜いて庭の隅に捨ててあったので、救済して花瓶やコップに活ける。救済と言っても人間の都合だけれども、と書いて、消して、もう一度戻す。何に言い訳や保険をかけているのだろう?私。
書き散らかしていた原稿に添付する製図を完了させて、とりあえずテクスト全体をひと連なりに出力してみる。間が空いてしまって、これがどんな全体像を企図していて、進捗がどこまでだったかさえすっかり記憶が抜け落ちている。それに目を通したかったけれど、今日はここまで。原稿書いているより日記書いている量の方が多い。
細々と続けている小さな音読会。今晩からはミシェル・フーコーの『これはパイプではない』(豊崎光一 清水正 訳 哲学書房 1986)のⅠとⅡの途中まで。おしまいのところに『言葉と物』を読んだマグリットからの二通の手紙が掲載されている。気になって先に目を通す。日付が共に1966。マグリットが亡くなるのが翌67。フーコーがこの本を出したのが1973。とても素敵な本だなと思った。
9火曜日
仕事をした。
飽きっぽくて、自分を管理していた方法は、はじめは使っている紙の手帳がフリーのページの多いものなので、そこに毎日to do listを書いていた。それに飽きてからiPhoneにシンプルなto do listのアプリを入れて管理していた。で、それにも飽きて、というのはそれでもシンプルさが足りないのと、リストが残るのは瑣末な雑務の内容が多いと達成感が棄損されて残念で。それで今日から片付けついでに綺麗にしたホワイトボードを使うことにした。やることをランダムに書いて、片っ端から消していく。思いついたことを書く、また消していく。後腐れが全くなくて身軽だ。チェックリストが増えていくことで積み上がるものなんて必要なくて、今日はもう店じまいと思えることの方がずっと重要で、それは意味としてではなくて、本当に徹底して事実としてこの世から消し去らなくてはいけなかったんだというのがようやく体感できた。と、書いてはみたが、ただ飽きっぽいだけからかもしれない。しばらくはこれでやっていく。
8月曜日
息子も夫も本格的に学校が始まった感じ。私は二日間家を空けただけで溜まった家事などをしていると、昼頃に息子から断末魔のような電話が入り、具合が悪くなって保健室にたどり着いたが誰もいなくて鍵が閉まっているけれど動けないと。慌てて学校に電話を入れ、様子を見に行ってもらう。多分強い偏頭痛だとは思ったけれど、家系的に脳梗塞リスクのとても高い子なので、いつも心配になる。一台しかない車は夫が大学に乗って行ってしまったから、タクシーを呼んでみるもなぜか電話が繋がらない。ので痺れを切らして自転車で橋を渡り、自転車の鍵をばったり会った同僚で友人の先生に預けて車を奪取。学校に向かい、人気のない建物の保健室に通してもらって、しばらく具合が良くなるまで付き添い、それから連れて帰ってきた。血の気の引いた灰色の顔をしていた。
夜、読書会。「ポシブル・パサブル」の3回目、最後まで。(私これを持っていたので過去に読んだつもりだったのだけど、読んでなかった。)今回(つまり後半)が一番面白く、まさか換喩の話が貞久秀紀の詩を引いてくるまでのところに来るとは予想外だった。『詩と減喩』買ったのに読んでなくて見てみようと思った。図のまとめと、デコイの話もイメージが分節されるというよりポンと生まれて加わる感じがあって、読後、振り返ってインスタレーションと作者と鑑賞者についての会話をしばらく、というかたくさんした。
後になって、以前、私の作品集を見てくれた大好きな人から「コイズミさんは言葉をつくることについて興味がありますか?」と問われたことを、インスタレーションについて考えたり会話したことと相対されて、思い出した。その人が言った「言葉をつくる」の意味がやっと届いたようでもあり、誤配かもしれないのだけれど、私の中ではそれについての空間が生まれたのかもしれない。
7日曜日
午前中は母とゆっくりして、早めのお昼ご飯(へぎそば)を食べて実家を後にする。
今日は青柳いづみこさんの『パリの音楽サロン』(岩波新書)刊行記念の「6人組誕生!」という演奏会へ。出演は、青柳さんの他に、工藤あかねさん(ソプラノ)と、高橋悠治さん。高橋さんの演奏を見たのは、だいぶ前にスタジオイワトと、朝比奈ホールとここ、Tokyo Concerts Lab.で3回目。平河町ミュージックスという企画の52回目公演とのこと。
早稲田の会場(AVACOというところで、2Fは女たちの戦争と平和資料館だった)につくと、並んだパイプ椅子の客席の中央に悠治さんが座っていて、入口の方を見ていた。イワトの時も普通に居て、というと変な表現だけれど、始まる前も終わってからも、客と同じ存在のようにそこにいらっしゃる。勿論気さくとかそういうことではなく、素過ぎてちょっとペルソナに困難さを感じている私にとっては、独特のありようで、そうありたいと思い憧れてしまう。それから彼はよく、椅子に座った途端に弾き始める。
演目はとてもよかった。今日記書くにあたって、プログラムを持ち出してきて復習している。曲の前に、青柳さんが当時のことや曲のことについてお話ししてくれた。プログラムを無くさないうちに、ここに書いておこうと思う。
タイユフェール イマージュ(1918)青柳さんと悠治さん
オネゲル アポリネールの6つの詩(1915-1917)工藤さんと青柳さん
ラ・サンテにて/クロチルド/秋/曲芸師たち/別れ/鐘の音
デュレ カリヨン(1916)青柳さんと悠治さん
プーランク コカルド(1919)工藤さんと青柳さんと譜面をめくってくれていた方がトライアングルで
ナルボンヌの蜜蜂/子守り/サーカスの子 タンバリンを青柳さんが太鼓のように締めに叩いたりして楽しい
休憩
ロラン=マニュエル 7つのペルシャの歌(1918)工藤さんと青柳さん
オーリック ガスパールとゾエ(1914)悠治さんのピアノソロ、青柳さんが短い言葉を所々、タイトルのようにして語り、これすごく良かった。
サティ 梨の形をした3つの小品(1903)青柳さんと悠治さん これすごかった。ひとつ目しか聞いたことなかったけれど、とても迫力があって、面白くて。ドビュッシーから「君はもう少しフォルムの感覚を養うべきだ」と忠告されて、多分カチンときたサティが応答した曲という。ほんと、聞けて良かった。
アンコールで、ミヨーのマズルカを悠治さんがお一人で。魅了されてしまい、できればこの曲を弾いてみたいと思った。
それから、ミヨーのやわらかいキャラメルを3人で。工藤さんがお茶目な方で、メガホンをお持ちになって歌う。フランスっぽいというか、当時の酒場の陽気なワンシーンのようなウィットに富んだ愉しさがあって、とても素敵な締めくくりだった。
昨日ブランクーシを観たのも時代的にも人間関係的にもちょうど良くて、本当に豊かな上京だった。『点点』に書いた過去が芋づる式に蘇ってきた。本とCDを求めて、青柳さんと悠治さんにサインをいただく。悠治さんに三つの梨が聴けて良かったこと、悠治さんのサティを聞いて自分で弾いてみたくなり、読めないのに楽譜を買って弾いてみたことを伝えたら、「あ、そう」と。それから、楽譜の上に乗ってる言葉が面白くて、その後それについて悠治さんが書いているものを見つけて嬉しかったと伝えたら「あ、そうだっけ」とまた柔らかい表情で軽い応答をいただいて、なんていうか、自分の色々も小さく軽くなった。海外に出たみたいな、そのくらいの旅行をして帰ってきた気がしている。
江古田で小木曽瑞枝さんと待ち合わせ。お茶してから、池田光宏さんも合流して食事。近況を話す。お二人のリフォームした素敵な新居を見せてもらって、時間があまりなくて早々帰路に。長岡でしばらく一緒に過ごした日々が懐かしい。
6土曜日
昨日見たYCAMの渡辺さんの話がとても面白かった旨を、高橋裕行さんとメッセージで話す。東京に出る新幹線の車中で、あ、裕行さんに会えるじゃんと思って誘い、急遽妹と一緒に3人で池袋のバーで夜に。
11時頃からアーティゾン美術館のブランクーシ展へ。会場の多くはぐるっと写真が掛かっていて至福。接吻や頭部の彫刻が第一室で普通の展示台の上にアクリルケースで飾られていて、意外にもケースへ像が反射している状態で見るブランクーシは美しかった。ライティングがドラマチック過ぎるかもだけど、美しい。映像は全部見た。アトリエに女性たちがいる様子を見て、思ってたのとスケール感が違っててびっくりした。アトリエの造作、何もかも思っていたより大きい。レダも円盤も大きかった。ブランクーシの自作を模した石膏の台に作品は乗せられていたけれど、そうでないものも見たかった。でもとても嬉しい展覧会だった。
伊藤嘉朗さんの個展へ、伊藤さん、奥さん、寺島さんとはなす。
佐野陽一さんの個展とトーク。
実物を見て、言葉少なくても作者の話すのを聞くのは、直に我が身を振り返れるよい時間だった。
裕行さんからは、オッペンハイマーの映画見て、日本ももし先に核兵器を開発できていたら、躊躇なくどこかに落としただろうと言っていた。
5金曜日
明日出掛ける(つまりは書いている今日のことだけど)、となると急にアレもコレもやっておかないと不味いとなって慌てる。自分を管理することがまるで初心者のよう。デザインの仕事、届いた戸籍抄本や卒業証明書と併せて特殊な様式の履歴書や身体の証明書など一式揃えて速達。それから関わってる工房のワークショップのチラシと展示のキャプションづくり、町内会の地図再制作という雑務雑務雑務。
ファンダメンタルズ内の企画で、YCAMの渡辺さんが悪魔のしるしの搬入プロジェクトを山口で展開して行ったことや、空き家をゆっくり解体するプロジェクトの話をしてくださった回があって、参加できなかったのが残念だったのだけど、運営から送られてきた記録動画を見れた。本当に面白くて、こうやってコンセプトを元に協働できる伸びやかさに脱帽、激しく憧憬だった。開き方について意識しようと思った。
4木曜日
すごく勇ましいなと感じていた人から、弱音というか、甘えられることが起きてちょっとびっくりしたけれど、関係が深まった気がして、というよりはただのおばさんかお婆ちゃんのような気軽さからだとは思うのだけれど、私自身もそうやって肩の力を抜いていくことを学んでいく。娘が以前、舐められてなんぼだと言っていて驚いたのを思い出す。
一つ作品が仕上がるのに立ち会えて、私も誇りに思う。
ここ1ヶ月以上バタバタしていてなかなか本題に入れず、流石に気持ちが焦っている。
偶然の残酷さについて読んでいて、偶然ではなくて因果関係が説明できるような内容でも、どこまでも遡って、私ではなかった可能性を見つけることは容易いし、悲劇的な運命を呪うというよりは常に、なぜ他の誰でもなく私なのか?な気がしてしまう。そのような経験があればそういう感情に翻弄されることの強烈さに贖えない気がする。それについて書かれていたのかもしれないけれど、少しよくわからない。
3水曜日
もう着ないだろう分厚いセーターをしまおうと思ったら、衣替えしたくなって、引き出しを入れ替えた。もう着ないだろう、着れないだろう服を出し、ぼろ布として使うものと、リサイクルに出すものを分ける。こんまりのようにはなかなかいかない。
ツバメコーヒーの田中さんから声かけてもらって寄稿した本が届いた。最初去年の8月に800字の依頼だったもので、一週間経たずに提出してあったものが、1月になって他からの要望に応えて1600字(倍!)に増えたので、加筆してくれたらとの連絡が来て書き加えたテクスト。書いた内容はほぼ同じなのだけれど、時間を経てもう一度見直して内容を書き足すと、様子がだいぶ変わるのを実感して良い勉強になった。自分にとって自明なことはなかなか書こうとも思わなかったりするけれど、本当はそれをきちんと描き出せることの方が重要なのだよな。それができたとは言えないレベルだけれど、前の原稿になかった箇所こそ、本来書くべき内容だったなと思う。それでもまだ描けてないというか、普段からその糸口も見つけられないことが多いだろうし、面倒だから並べるだけで書かずにすますことも多い。モチーフを組んだだけで、デッサンをはじめていない状況なのだ。こう組んだら、私ならこう書くのわかってるでしょ?ですむわけがない。文筆家になるわけではないけれど、書くことは面白いと思っている。
2火曜日
夫が町内会長になって、最初の広報を配るという業務。玄関に山積みになった印刷物、4月の広報誌、ごみ収集の手引き、健康カレンダー、長岡花火の観覧席先行販売リーフレット、社協だよりの全5種が、各118部届いている。これを開封して13班+1介護施設用にそれぞれの班の会員数に束を組み直し、加えて追加で届いた回覧用の書類と、制作した町内会総会の報告書類を合わせて束ね、班長宅13カ所を回って届ける。段ボール箱があるわけではないから(袋に入る量ではない)、留守に置き配というわけにもいかず、半分以上持ち帰り。
予約に間に合わなそうで、慌てて昨日の病院へ。今日は内科の予約日で、診療を受けて健診の診断書を出してもらう日。昨日に続いて、待合の観察。電気的な番号表示板は診察の待合のためで、各科の受付窓口と計算窓口、看護師が個別に検査に呼び出しをかけるときは声でのみ。私の隣に座った老婦人がよく聞き取れないをことを気にされている様子で、人が声を発するたびにそちらに不安げに身を乗り出している。マスクをしているし余計にわかりにくい。私の母も義理の両親も耳が遠いから、普段とても不自由だろうなと。聞こえなさは自分か身近な人がそうでないと様子として見えない気がした。
そういえば、昨日の聴覚検査でよく聞こえていると検査師さんに言ってもらえたけれど、それは父由来かなと。亡くなった父はずっとよく聞こえていた。地獄耳だった。
広報は夜にもう一度回って、配り終えた。
1月曜日
先日、「雇入れ健診」と電話口の病院の人は言ってた。検査項目が特徴的なので、それだけオーダーメイドのように受けられる健診をしてくれる病院を見つけるのに苦労した。今日はその予約の取れた大きな病院へ。総合受付で診察券を作ってもらい、言われるままに指定の番号の窓口を回る。持ち歩くファイルには決まり事があり、番号で呼ばれ、待合の上方や、中待合の診察室の扉の横には液晶画面があって、それぞれ番号で表記される。ああ、そういえば子供の頃、こういうの、わからないなりに真似して書類のようなものとか、電子仕掛けの情報端末のようなものを使い慣らすことに憧れを持ってごっこ遊びをしたなと唐突に思い出す。こんなたくさんの人を効率よく捌く方法は、とてもよくできているように見えて、昔と変わってないようにも見える。
聴覚検査は耳が悪くなっていると思ったのにとてもよく聴こえているらしい。
夜、息子が梅酒の入った瓶を台から豪快に落とし、キッチンが悲惨な状況になる。梅酒まみれの細かい破片を片付けるのが大変で、彼の態度につい怒鳴ってしまった。なんで私はこんなにイラついてるのかと逡巡しながら、父が昔、怒鳴っていた様子を思い出す。ああ、あれは小動物が現状を掌握することができてない不安に慄いて吠えてしまってたんだなと、勝手に自分がそうだからそうだったなと、父のせいにして自分の不足を認めながら床を拭いていた。足の裏に破片が刺さって血が出た。