2024年2月
29木曜日
テレビやSNSで見た情報の範囲内だけれど、ここ数日でぐっとガザの飢餓状態が悪化している印象を受けていて、それだけで十分に暗い気持ちだったのに、支援物資に群がる人々を砲撃したり狙撃して死傷者が多数出た話は流石に受け入れ難い。それだけじゃない全部受け入れ難い。自分ひとりの身の大きさを保って、過分に期待したり負わないことを気にしてはいたけれど、人々を蟻のように映す映像を見て、蟻みたいと書く人がいて、私も自分の大きさを失ったように感じる。
疲れ果てて、何も見たり聞いたりできない寝静まった時間にしか、まともな仕事ができなかった。
28水曜日
1㎜のメモリの方眼紙、青い線の、それのトレーシングペーパーが世の中にあった記憶があって、文具館という大きな文房具屋に行く。なくて、店員さんに聞いてもない。ないというのが、この世にないのかこの店にないのか確認することなく、というのは、私は今欲しかったのと、そもそも一般に手に入りにくいものを今回は用いたくないのだったことを思い出して、他にも素敵な物がたくさん陳列されてる店内に見向きもせず、踵を返して帰った。
普通の方眼紙の、青い線を、鉛筆で辿りたかったからやってみたら、目も悪くなっていてあまり愉しくなかった。定規をつかっても、昔ほど鮮明には見えなくて、それでもそのほうがずっと速かった。
普通のトレーシングペーパーを重ねる。上部をテープで留めて、一枚。二枚目を左端で留める。パタパタと重ねたりめくったりできるように。
下に敷いた方眼紙の線が透けてうっすら見えるのを頼りに、適宜必要な箇所に点を打ち、それを頼りに定規をあてて線を引く。点と点を線で結ぶ作業がなつかしく、そんなことわざわざとりたてて書くのもどうかと思うし、でもそのくらい久しぶりで、こんなことやってなくて、今時そんなことする機会はあるものだろうかと思い、何故むかしはあんなにたくさん線を引いていたのだろう?くらい基本的な作業が変わってしまっていることにはっとする。昔が近くなる。
27火曜日
東大の公開講座の、学術俯瞰講義2012年の「「世界史」の世界史」を見ていて、日本の教育を受けての歴史観と他の国のそれはだいぶ違って、日本の世界史観は相当平くできている。他は強く西欧中心主義的なところがあり、極端にいえば、「ヨーロッパには歴史はあるけれどその外にはない」感覚だそうで、例えば、フランスの高校の歴史教科書にはフランスのことしか書かれていないと。日本は第二次大戦でドイツと同盟組んでいる側で、アジアを占領したこと以外何も触れられていないと。それに、日本では正確さが歴史学問の基準になっているから資料から言えることしか研究しないけれど、西欧では歴史はもっとナラティブなものだということに愕然としている。日本は世界がもっと多中心的だというイメージを早くから持っていて、西欧のそれとは違うイメージなんだなと。ざっくりながら聞きしていての内容だけれど。なので、歴史の中に位置づくように何かをするということは、(美術史において)自身を西欧に帰属させようとすることに他ならないのかなとかまで思うと、と言っても相当雑な話だけれど。私の仕事とは全く関係のないことだけれども。それから、リゾームということの刷新さは、私たちが感じるよりずっとびっくりする転換だったのかもなと。まあ、まだ見始めたばかりなのでどう話が展開していくのか見届けます。
異国語で書かれたものが翻訳されて読めること、日本語で書かれたものが翻訳されて読まれることが大きくなって感じられる。
文書作るのに色々調べものを一緒にした子は隣の市の子で、明日議員さんと会うことになったと。健闘を祈る。決議を得ることに集中したところから弛緩して、時間が出来たと思うと、その内容の部分についてもっと精査する必要を感じて、というか、私が何に怒っていて、何に怯えているのかについて再度落ち着かないと。
一所懸命ずっと前からパレスチナの仕事をしているNGOの人が、いつも落ち着いて地道に活動されているのに、この頃弱音を呟くようになって、事の深刻さを彼女から感じる。痛ましい。
図面の引き方をいつもと変えて、むしろ昔のやり方にすることで、曖昧になってた概念の隅々を見る感じがしている。これを人に伝える、この作業を通じてそこがまるっとフィットするようにかたちを考える。大事なところ。
26月曜日
昨夜電話したらお留守で、今朝8時に電話をもらうことになっていた市議会議員さんから電話。子が小学校の時に行事にいらしているのを見かけた程度で、話すのもはじめてのところから、市議会でパレスチナとイスラエルの問題について、平和実現を求める議決をお願いしたい旨、陳情と請願の違いについて知りたいなどと、今日が3月定例会に向けての陳情と請願の提出の締切日で、そうとは思っていなかったから慌てている旨を伝えた。はじめは一般論の返答だったけれど、だんだん親身になってくださって、書類はもう書けていると伝えると、実はこれから会派の集まりがあるから、話してみると言ってくださった。慌てて自転車で事務所に伺い、提出用の書類や参考になる他の地方議会での議決内容の書類や、最近の国のこの件に関しての動きがわかるニュースの記事のプリントアウトを渡し、9:30からの集まりに向かってくれた。
昼に、残念そうな声で報告の電話があり、話は紛糾したのだけれど、やはり今日の今日でというのは時間がなさすぎる。内容を詰めるのに手順を踏む必要があるということで、今回は紹介者は出せないと。陳情だけ提出しますか?とも言われたけれど、お話の内容からは、ここの市の場合はそれは決議に結びつく事はないもので、記録には残るけれど、あくまで私は決議を実現させたいから、6月の定例会に向けてのあれこれに付き合っていただくことをお願いして電話を切った。昨夕締切のことを知った時にはもう絶望的な気分だったし、今朝電話で陳情でも意味はあるかどうかを質問するくらいのつもりが、請願の可能性まで見ることができたわけだから、自分を労いたい気もするけれど、本当に何も動いてないといえば、つまり議決一つとったところでという気持ちさえある中で、そのことの重みも感じるようなここ三日間だった。それでとても疲れた。しばらくして、とても悲しくなって泣けてきた。もっと早く気がついていればと悔やまれる。
工房このすくで月曜版画部だったので、ことの顛末を話した。長岡空襲の語り部の人が、私は花火は見ないし音も聞きたくないと言っているのを聞いたことがあると、一人の人が少し涙目になって話してくれた。
25日曜日
市議会のサイトから「市政への要望は、請願や陳情として市議会に提出することができます。/請願と陳情の違い/根拠法令の有無/請願は憲法や地方自治法等の法令に規定されており、その方式や手続きが定められています。一方で、陳情は法令上の定めがありません。/請願は紹介議員が必要/請願の提出にあたっては議員の紹介が必要です。提出前に議員に請願の趣旨を伝え、紹介議員(2人以内)になってもらう必要があります。/なお、陳情については紹介議員は必要ありません。/提出後の処理方法の違い/請願は、関係する常任委員会で審査され、その後に本会議で採択か不採択か決められます。採択された請願のうち市だけでは解決できないものは、国や県などに意見書を送付します。/陳情は、審査は行わずに本会議で報告されるのみです。議会での報告をもって全議員に要望内容を周知し、将来の議案審査等の参考としています。」
私の住む市も他の地方議会のようにパレスチナ問題についての平和実現に関する議決をしてもらえないかと思い、他市在住の作家に話したら一緒に色々調べてくれた。3月の定例会での議決を求めるなら、締切が明日だとわかりとても青くなる。次の機会は6月になってしまう。
夜の読書会で日記の話になり、誰に向けて書くのか、日誌についてとか、私が匿名サイトに書いたこととか、ここに書いているけれど、積極的に知らせてないから誰も読んでいないような状態だろうけど公開状態について考えることを保留しすぎてることとかについて話した。
数学の「多様体」という言葉が人文の方でどういう意味で用いられているのかやっと合点がいった。
24土曜日
長岡造形大の卒業生たちがはじめたコレクティブスペースの模様で、反戦をテーマとしたグループ展が今日から。誘われて1点出品。会場に行ってみると、新潟日報の記者が取材に来ていて、この界隈では山本五十六や、長岡空襲の件で花火も鎮魂がテーマだし、そういう平和教育は小学校の時にするけれど、遠い土地での紛争や弾圧について話題になるようなことはあまりない。集まって何かするというのは一人一人がオロオロしているだけなのとはだいぶ違うなと。話をするというのはいいことだと思った。
県立近代美術館の「行為と私情」展へ。尼崎市コレクションの白髪一雄作品を中心とした展覧会。まとめて見ると圧巻。制作中の絵を前に彼と割烹着を着た奥さんの富士子が並んで写っている写真が会場の冒頭に展示されていた。それを見て夫が「この富士子がはい!って言って一雄に絵の具の入った大きな器を渡すんだよ」と。その話が強く印象に残って、見る絵、見る絵、とても鮮やかでひび割れも少ない溜まった絵の具の塊を見るたびに、これは富士子のおかげなのかなみたいな気持ちになっていた。
コレクション展の第3室が「反戦への思い」で、お馴染みのゴヤや、ケーテ・コルヴィッツの作品に、ずっと生々しく強く迫られた。(または、責められた。)
23金曜日
寝起きにふと思い立ってメッセージを送ると、私のテンションよりずっと具体的で重たい返信が立て続けに届く。偶々知り合いなだけで、異なる分野で仕事をしている方。指摘されたわけではないのに、私の曖昧さが明確な輪郭を持って突きつけられたように感じた。自分のところに泡の膜を通してしか情報が届かないことより、私の周りは泡で囲まれていて、外に手を伸ばしていないことを見ないとだと理解したい。
寝る前に、ジョン・バージャーの『見るということ』の「野原」を音読した。毎日土手を歩いていた頃のことを思い出した。経験についてこんなふうに示せるのかと、もう何回か読みたいなと思った。それから冬も雪がいいですよと思い、中谷宇吉郎の本のはじめの方を読んだ時のことを思い出した。
22木曜日
労働の方、デザイン仕事でプロでもないのに物撮りも任されることがあり、午前中は撮影。
午後は更生施設へ。若い頃、電車クロッキーをしていた話をしたら驚かれた。確かに今もする人いるのだろうか?
マルクス・ガブリエルの書籍を担当した編集者が、彼のパレスチナ・イスラエル紛争についての記事の主張に支持できない旨の投稿の続きにあった、ローティという哲学者も、朱喜哲も知らない。戸谷洋志も、ハンス・ヨナスも知らない。中村達も知らない。(『人類の会話のための哲学』『ハンス・ヨナスの哲学』『私が諸島である カリブ海思想入門』)もちろん知らないことがたくさんあるのは当たり前だけれど、色々追いつかなくておろおろしているだけで何かを絞らなくてはいけない。
数学者の志賀浩二さんが亡くなった報が出ていて、とても寂しく思った。
21水曜日
キュレーターの高橋裕行さんのART SINCE 1900読書会に参加している。今日は1943のハーレム・ルネサンスについてだった。アメリカでの黒人アーティストの動向について、思えば全く知らない。有名アーティストもバスキアくらいしか知らない。音楽はジャズやラテンなど、クラシックとは別の文脈で厚い層があるのに。でもクラシックだとオーケストラでアジア人は見かけるけれど、黒人やアラブ人はあまり見かけないなとか(そういえば一時、家族でクラシック音楽をやっている黒人一家のアカウントをフォローしていたことあったな)。自分がアジア人なことも併せて、オリエンタリズムと、西洋迎合と、ルーツを重要視する文脈とでモヤモヤする話題などを持ちよる。ところが今後、人種の人口比率が変化して白人が少数になるなど、その数通りに変化していくと、西洋美術とは別の文脈の美術の層が厚くなって、別の美術史が中心的に語られるような未来はくるのかとか、良く知らないイスラムや非イスラムのアラブ文化のこととか、中国と韓国とのまとまりの中での日本美術とかの歴史のアウトラインがもっと立ち上がるかとかについて話した。その人口比の価値観での今までになかったSFの未来像も見てみたい。または、文化はどうしても、人口比と関わりなく、強い火力によって爆撃され燃やさ駆逐されるだけなのだろうか?
20火曜日
確定申告を今回から青色の会計ソフトを使っていて、カードが同期できることが利点なのに、一枚のカードが先方の会社と会計ソフトの会社の技術的な理由で夏前から同期できないまま申告時期を迎えてしまい、明細データの手動入力方法を私が間違えるしで苦戦する。せっかちだし、慣れてないフォーマットの文書を読むのが苦手で、落ち着いてちゃんと端から端まで読めば遠回りしなかったのにと反省。視覚的に読みたい読みたくないのフォーマットがあるのと、はじめての形式で全体像がわからなくて、これがどう帰結するのか理解してない宙ぶらりんで、用語もわからないものもあって、多分何か自分の頑なさが働いているのだろう。どこかで無駄な抵抗しているのだ私。
19月曜日
この頃ずっと家が散らかっている。片付けや掃除が苦手なので散らかしを溜めてしまう。午前中は2階の片付けに費やした。しばらく使ってなかったお掃除ロボットにログインできずに時間がかかるなど。
書いた言葉の通じなさをあらためて思い知るなど。
18日曜日
2/24に始まる「模様」という長岡造形大学の卒業生たちがはじめたスペースの企画、”理不尽な抑圧・差別・暴力・侵略や反戦について思案するための作品展”「眼差し」の搬入に行ってきた。誘ってくれたパレスチナの件で心を痛めている子と、情報をどこからどう得ているかについて話す。家族以外毎日人に会う業態でないから、人ひとりひとりの大きさというか、実在感になんていうか、スケールとか距離感とかの当たり前の異和にいちいち少し驚く自分に、大丈夫か?とちょっと思う。さとうさんの作品、うさぎのぬいぐるみが天井からぶら下がっていてかわいくて、それも今違って見えることに意識的になると何かを見くびる感じがする。そういうのどうすればいいのだろう。見えているものを目に焼き付ける。
夫が中学校時代の恩師の退職記念の会に参加するので上京した。中学校の時に美術部を作ろうとして友人と生徒総会にかけて、誰も賛同の手を挙げてくれず、でもその先生と同好会としてはじめた話を聞いていたから、教育実習もその先生だったし、長い長い付き合いだなと。その美術部同窓の画家も幾人か。いつも2枚並べて敷いている布団を、1枚でいいから90度回転した方向に敷いて寝た。朝起きた時状況を理解するのにしばらく間がかかるように。
全国的にパレスチナ解放デモの日。
17土曜日
仕事(労働)を幾つか。修正校、初校、見積もり、校正返しなど。アレ?まだ支払ってませんでした、とか、支払い済みなのに未払いを心配して連絡下さる方とか、領収書再発行する?とか、見つかった良かった!みたいなやりとりが最近ちょこちょこある。確定申告しなくてはだけれど、手が出ない。
イスラエルの人がガザの広範囲の瓦礫の画像に、自分の友人たちが喜ぶ姿を見るのが辛い旨の投稿をしていて、ああ、この景色の無残はイスラエルのものでもあるんだなと思って悲しみが倍になった。
庭の雪が全部溶けた。現れた枯れて潰れて湿った草は汚くて、悲しい。
16金曜日
電子の軌道のことについてわからないことや知りたいことが増えたので、娘に質問する。答えは得たけど、その過程でお勧めされた解説のサイトが3つ。面白そうだから後で読むけど、また謎が増えてしまいそう。絵を描くなり具体的なイメージにしようとすると、知りたいことが詳細になる。
目の前で強い人が弱い人を殴っているのに止めない理由は何かという思考実験を友人が問いかけていて、目の前だったら止める一択だけど、それがどう私の目の前にあるのかを整理した。それはだいぶ個人的なことだなと思った。
デザイナーの友人に技術的なお願いがあって久し振りに電話する。本当に久しぶりだから近況を。そういえば俺の〇〇の投稿にいいねがついてないけど、あれ気に入らなかった?って言うから、見てないよ、私の投稿最近見た?見てない。私最近パレスチナ関係のリンクばっかだから嫌がられてアルゴリズムで誰のところにも行ってないかも、そういう関係じゃない?あ、あれ重いもんね、笑。聞いてくれたからペラペラ喋って、ドイツ行ってみた方がいいんじゃない?って言われたので、いつか一緒にトルコ行こうよって言った。
15木曜日
収入印紙を初めて買う。普通の切手と同じくらいと思っていたより小さい。
AIみたいに、「その時の」手近な言葉とその付帯物を用いて繋いでしまう傾向があって、それを面白がっている場合でもない気がしてきたので、またはじめからはじめるみたいな静かさを用意しようと思う。一旦、埃と塵が地上に落ちるのを待って。
先週話した「物の陰の色のこと、今日やってみてわかった」と伝えてくれる子がいて嬉しかった。1人の子と言葉を交わす機会がなかった、と帰ってきて気づく。いつもおろおろしている。
「サイバースペース」について読者会で、その空間感の変容について世代差で伝わらないニュアンスがあるかも話。そういえば、ウェブ黎明期にその空間について磯崎新が書いていたものを数年後に読んで、時の経過の速さに驚いたことあったなと思い出す。後で本を探してみよう。
14水曜日
買い物に行く。資料をまとめる。領収書を書く。
パレスチナのこと見ているか見ていないかで文脈が変わってしまっている。もしルーツなどで潜在的な火種を抱えている人のいる平穏な場所に、遠いアジア人の私が親ガザのバッジを付けていくなど、イスラエル問題のイシューを持ち込んだらどうなるか、どうするかについての会話。いきなり強いつながりを求めるような状況にならないようにする、弱いつながりについて教えて貰うなど。
夜、私の作品(展示)の鑑賞の経験がどんなだったかについてメッセージをくれた方がいて、心底嬉しかった。
13火曜日
週末から盛りだくさんで、今日はゆっくりできると思い込んでいて、久しぶりに手帳を開いて飛び上がった。市の最後の集団健康診断に申し込んでいて、時計を見るとまさに今、受付時間。慌てて問診票等に記入をして夫に車で送ってもらった。針刺すと血管迷走神経反射を起こすので、採血はいつも通りベッドでお願いする。担当してくれた看護師が、ベッドで心電図をとっている看護師に日頃から虐められてでもいるのか、連れられた私にまで塩対応で、採血直後にベッドを開けるように、看護師だけでなく私に対してもきつい言葉をかけた。帰りに橋を歩きながら腹が立ってきて、でも注射で貧血起こすくらい大したことないし、それに文句を言われたくらいで、彼の地では今もっと酷い目に会っている人もいるみたいなことが浮かんできたりして、そんな遠いものを相対的に比べても不毛なのに、ふとした隙にそれらに侵食されている。(比べるべきは、もっと近いもの。隣同士なら互いを支え、輝かせることができる。)
下を見ると、何かの工事を終えて河岸の通り道に敷いていた大きな板を、ショベルカーが1枚づつ持ち上げて撤収していた。地道な時間のかかる作業だけど鮮やかで美しかった。動画を撮ったので帰ってからTwitterにあげようと思ったけど、そこには破壊的なブルドーザー動画の残像が強くてできなかった。
夜は素粒子物理学者さんを囲んでのzoomの会。関連する本を読んだり、すみれの匂いの模型を作ったりしていたので、質問したいことが具体的にあって、難しい話も内容を具体的にイメージできることが増えて楽しかった。いづれ何らかの形でまとめたい。
12月曜日祝日
午後、尾道の本間智美さんと久しぶりに会う。オーストラリアからのご主人と、ハワイからの客人と一緒に摂田屋を回る。ミーティングでプロジェクトがどう出会って育っていくのかを目の前で見せていただいて、とてもいいタイミングに同行できてありがたかった。私や夫がある件についてどう取り組むか、ちょっとこの頃行き詰まりを感じていたので、すっと風が通ったように前向きになれた。いや、もっとどーっと強い風が悩みを吹き飛ばして行った。
11日曜日
朝から都現美へ。豊嶋康子「発生法-天地左右の裏表」を見に。昨日の白井美穂と同じく、キャプションはなくてハンドアウトでの鑑賞だけれど、何も見なくても楽しめる。兎に角仕事の量に圧倒された。過剰さが、いくつかの顔をして迫ってくる中で、呑気すぎるかもしれないけれど、高揚感というか多幸感を感じて過ごした。
午後は「天地左右の裏表を語る」というトークを聞きに。第一部がこの展示の図録に論考を寄せた勝俣涼さんと中尾拓也さんが、それぞれの豊嶋作品についての視点と、バックグラウンドとしての自身の普段の研究内容についてのレクチャー、その後に豊嶋さんとのクロストーク。第二部が豊嶋さんと、櫻井拓さん、小野冬黄さん、小池俊起さんから書肆九十九から既刊のほぼレゾネの作品集と、今回の展示図録の編集にまつわるこぼれ話を小田原のどかさんが司会役で。どちらも作品集をつくるに当たっての最初期からの経緯や、思考のプロセスなどを伺えて、私も今、本をつくることについて考えていたので、とても参考になる内容だった。豊嶋さんの姿勢や人柄も伝わって、または謎が深まって?面白かった。
メモには「私」「腐れ縁」「フレームとシステム」「軸・骨/抜け・バグ」「作者の言葉の信憑性、聞いててテンプレの言説はわかる/ポロッと出てくるものを」「鷹見明彦さんの豊嶋評」「最初からハードカバーでスタンダードなものにしたかった」「本を作る=可変性を閉じる」などなど。
豊嶋さんと挨拶程度だけれど話す。鎮西さんととても久しぶりに話す。
越田さんと向井さんと井川さんと呑む。新幹線で帰る。
10土曜日
_φ(・_・ 見ること、または見えてしまうことと相対性、と移動中のバスの中で思いついてメモしておいたのだけど、忘れてしまった。多分相対的に物事を考えるよりも、ものが2つ並んでいるのを見比べる方が一目瞭然で早いというか、これは2つの方法を比べているわけでなく。視覚の情報量の多さをあらためて思っただけかもしれない。
府中市美術館で白井美穂展、高田安規子・政子の公開制作、松山賢さんと麻衣さんにばったり。キャラバン隊のかなもりゆうこさんの個展、αM松平莉菜、佐野陽一・大塚聡、void+の内海聖史ほか
勉強して手を動かして何かしらのイメージを抱えて展示を見に行くと、沢山収穫があってとても楽しい。手を動かすことは本当に大事だなと思った。相対的に浮かび上がることと、偶然が結ばれる。
実家で母がロールキャベツを作って待っていてくれた。
9金曜日
長岡造形大の卒業制作展へ。絵画と版画の作品を見に行く。良い制作と展示あった。
良いものがきちんと評価されるといいのに。専門性の軽視の問題についての会話をした。
8木曜日
美術クラブの子が文芸コンクールの絵画の部門で賞をとった。この仕事に対しての私の肩の力もだいぶ抜けて、素直にとても嬉しかった。以前は優劣がつけられることに身構えるところ(全員に賞が欲しい!)があったけれど、個々の内容の豊さと外部の評価を切り離せるようになったから。これらは全部、結果ではなくて機会なんだなと思う。
すぐに忙しなさや周囲の刺激の強さに落ち着きを失いがちな中で、時間をかけること、かけられることの貴重さを思う。そしてそういう環境は努めて整えなくては手に入らない。
高橋悠治さんが、螺旋状の遠心力のかかったはたらき(営み)について話されていた記録だか、書かれたものだかを読んだ印象がよく再来する。「遠くへ行って帰ってくる」ような仕事のすすめかたを想っている。
夜の小さな音読会は開催機会をだいぶ減らし、参加人数も私と夫とワタナベメイさんのほぼ3人だけになっている。昨日は『群像』の福尾匠さんの連載「言葉と物」の3、p.473のA-5からで、メイヤスーの信仰主義についてが出てきて、読んでない二人に飯盛さんの読書会に参加した時の資料のおかげで、弱い相関主義と強い相関主義からの信仰主義について説明ができた。福尾さんのここでの扱いから、これまでの話が鮮やかに再来してきて、読後皆で現状について色々話せて盛り上がった。第一声は冒頭を受けて、「今まで暗い話しかしてない自覚あったんですね、」という笑いだった。
7水曜日
UNRWAのあれこれ見てしまって、資金拠出停止がとても恐ろしく。というのは、昨日久しぶりの友人と近況をLINEしてて、ムスリムの話題から、傷の消毒中に麻酔ないから痛みを逃すのにクルアーン歌ってる少年の映像見て歌がとても綺麗だったと書いたら、麻酔や痛み止めのないことに心底驚いていた。で、単純に何か、世間に知られてないことに恐怖した。
夫がパレスチナやイスラエルどころか、身の回りの事象でも話が全然通じないことにちょっと絶望してるって言った。数日前から具合が悪く、ちょくちょく寝込んでる。大丈夫なようで、関係者や自分が理不尽な目にあったことにやられているっぽい。
ペギーグッゲンハイムのドキュメンタリーを見た。キースラーの設計の宇宙船の中みたいなギャラリーが見れたのと、初期のポロック作品見れたのよかった。
6火曜日
分子模型を折り紙で作ろうとしてうまくいかなくて、息子に化学の教科書を見せてもらったり、ファインマンの本と付き合わせたりしていて、分子模型のキッドというものが売ってるっぽいとAmazonでググったら手頃な価格だったので注文した。
やる気の出ない日でコメダ珈琲に出かけて本を読もうとしたら、隣の席の二人組、50代くらいの男性と、40代前後の女性の会話がのっけから聞き取りやすくて入ってきてしまって、全くページが進まない。2人は初対面らしく、両方とも教員。初対面なのに、男性は自身の身のうち、奥さんの病状や通院先、まだ幼い息子さんのことや親がどうしているかを丁寧に話していて、女性の方が若いのに何か上からな感じ。でもって、日程の話をしていて、女性はシラバス書かないととか、卒業式とか学生って言ってるから大学教員らしい。ところが本題に入ると女性の声が少し小さくなって、人間みな遺伝子に行動を決められていて、遺伝子のスイッチがどうの、筑波の先生が本を出してて、見えない世界のこと、私たちの感情のことを全部説明してくれている、と、とても怪しい話に展開していった。浦和市に住んでいるとのこと。大学教員がか、世の中色々大変だなと思った。その向こうの席では高齢女性が4人で、友人グループの内の一人の困ったさんのことについてあれこれ話していた。私は私で、甘すぎるシノワールを食べながら、標準模型の表を改めて見ていて。地球上の物質はアップクオークと、ダウンクオークと、電子だけでできてるのかぁと、もし声に出して言ったら、周囲の人に怪しい人だと思われただろうな。
5月曜日
ファインマンの力学の本のはじめの方に、すみれの匂いの分子構造が出てくるのが好きで、昨日もそこも読んだ。よく考えたら物理の本だけど化学の内容に触れられてる箇所で、宇宙をつくっているものがつまり、すみれの匂いもつくってるってつなげられるイメージは、彼の本からしかできなかったと思う。元素的には炭素と水素と酸素だけですみれの匂い。でもって原子核の周りを飛んでる電子は物凄く遠いっていうのを最近知ったというか、やっとイメージするようになったから、日常の物理感覚からすると、分子の結合もすごく頼りない状況に思えるのに、非常に強い力でくっついている。図を立体的なイメージで捉えたくて、正四面体(炭素の外側の電子が4つだから)を折り紙で折って繋げてみたりしたけど、埒があかなかった。
4日曜日
折り紙であじさい折りを少し前から再び折っている。折り紙版画に使うもの。久しぶりに折ったときには訳わからなかったところに感覚が戻って来たのか、早く折れるようになる。でも折り図の詳細な箇所を見てもよくわからず、勘に頼ってる面が大きい。こういうのは記述だけで伝えられるだろうか?
読まなくちゃな物理の本を読むと面白いけれど疲れて眠くなってしまう。コメダ珈琲に行って読む。はじめての背もたれが丸く脇まで囲ってる椅子のカウンター席で、椅子大事だなぁと思う。複数冊持って来た中で、ファインマンの本の語り口が本当に好きだ。とても上品で自然への敬意があり、興味を先へ先へと強めてくれる。問題の提起の仕方が、自然な思考の経路の中の伏線として示されている。
少し前はTwitterの「おすすめ」は全く見に行かなかった。タイムラインさえアルゴリズムが効いてるっぽいのに、更にフィルターバブルの中に入っていくのウンザリだったから。でもって先日レイシストにうっかりリプライつけたら、そっち陣営に晒されるみたいな状況になって覗き見たのは見たことない地域で、足を絶対踏み入れたくない場所で、最大限に軽蔑するけれど、その小さな自尊心と日々の愉しみみたいな細やかさを考えると、現実の脅威だけれど、じゃあ排斥するのか?そんなこと出来る(やって良い)のかといった気持ちになる、というのも他では得られないことかもと思ったりした。
3土曜日
パレスチナについての展示の件、これまでの経緯を更に遡って見ていって、いわゆるショッキングな刺激の強いものは集めてないから見てないのだけれど、状況は充分悲惨で、理不尽で、信じられないことばかりで、やはり疲れてしまった。
記述の方法について対照的な2つのこと、視覚的なことと心理的なことについて考えていた。私にはまだ出来ない言い得ぬ記述しきれない内容について思いめぐらせていたら、人間全部が気味の悪いものに思えた。
そんなで眠りが浅かったのか、わるい夢でも見たか、翌日早く目が覚めた。
2金曜日
溜まってた手紙を投函
地元の若い作家から、パレスチナの件で反戦について考える展示の企画に誘ってもらった。近くのアーティストランスペースでの開催。緊急性を要する事態ということで、期日がとてもタイトな中、私も何か作品ではなくて、この件に直接的なことがしたいと思案する。主に情報を得ているTwitterで自分がどういう情報を考えて、または条件反射的にリツイートして来たか、ざっとここ1ヶ月に目を通してみた。その情報過多と、背景の人々の膨大な存在と労力に触れて、自分がただ悶えてるだけなのと、何かしらの罪悪感の軽減行為的な日課なのだろうと思った。
と罪悪感を持ち出して書くことも更に状況が入れ子になっている気がする。播磨さんと昨年デモの話をした時のことは私にとってとても良い杭になっていて、アメリカで彼女がデモにカジュアルに参加し、皆が普通に怒っていたことについて、その景色のイメージをおりに触れて思い出すようにする。
1木曜日
ここ暫く取り組んでいた仕事を初めて人に見せた。と言っても夫にだけど。もう自分では程度が訳わからなくなっていたので、素でざっくり面白いと言ってもらえてほっとした。とりあえず距離を置くというか手放して、先方に見てもらおうと思う。明日にでも。
いただいたういろうを食べた。実は初めてのことで、ういろうが何なのかよくわかっていない。冬は冷えて固くなるから、温めたほうが良いとパッケージに書いてあって、夫が湯煎してくれて温かいのを食べたら美味しかったけれど、一本を二人で食べたので、お腹いっぱいになって、夕飯のカレーを半分しか食べられなかった。夕飯は人参一本カレーで、一人一本人参が丸ごと入ってる。あと手羽元2本。
zoomの音読会、いつもなんか暗くなってしまい、それは私がペシミストだからなのか(でも暗くてもやられないというか、悲観的すぎる世界でも全然大丈夫なのだけど)、今読んでいるテクストが暗いからなのか、確かにだいぶ濃くて重たい。私はといえば、平たくてカラッとして読みやすいテクストを書きたい。難しいことをたくさん持ち歩くことがほぼ不可能なのと、時と共にあけすけさに拍車がかかっていることを肯定的に受け止めたいから。