2024年12月
20金曜日
東京へ出る。
まずはギャラリー椿で桑原弘明さんの個展へ。1988年からの作品が並ぶ。どれも造作に振り切っている仕事で舌を巻く。詳細さと小ささ、とにかく細部でできている。
自分の会場へ。今日は懐かしい友人にも再会できた。私が高校時代に作った箱(小物入れ)を今でも現役で使ってくれていると画像を見せてくれた。
Art Since 1900の読書会をやっている面々が来てくれて、閉廊後、すぐ近くの餃子やさんへ。詩の話と(言語に限らない)翻訳の話が面白かった。
母の住む都営住宅へ帰ると、机の上に小さな折り紙がたくさん。このパーツを貼り合わせて小さな花の玉飾りを作って、友人にあげるそう。本を喜んでくれた。
19木曜日
担当している美術クラブで絵を描くのに、先週リクエストを貰っていた資料を探しに図書館へ。その中には「おにぎり」を描きたいというのがあって、館内の検索機で探すと思いがけずたくさんヒットする。子供向けの絵本などが多いのだけれど、残念ながらどれも貸し出し中。小学校か何処かで米についての授業に使われているのかな。料理のコーナーを探してみると、お弁当の本が気になってきて、その中でも、レシピ本ではなくて、お弁当とそのお弁当を食べる人物を並置したレポの本があり(今出先でタイトル忘れ)、絵を描く資料としては少しズレるけど、とても良いと思い借りて少年院へ。1人の子がクラブの時間にずっとその本を読んでいた。色々な人がいるということは、人類にとって救いだと思う。
18水曜日
更年期の年頃とはいえ、あまりにも疲れやす過ぎると思い先日受けた健診の結果を聞きに。甲状腺には問題がなかったけれど、肝臓の数値に異常があって、三ヶ月経過を見て再検査することに。少し心配な状況かもしれない。できるときにできることをやろう。
17火曜日
今日は「あっ」と思うことがあり、一旦それについて身を引いたけれど、これは話さなくてはいけないと思い声をかけた。気持ちは伝わる前に、十二分に返ってきた。
白井さんにもし何の金銭的制限もなく一番やりたい規模の実験ができるとしたら、それはどんな?と聞いたら、めちゃくちゃ規模の大きな加速器実験という話になって、それを建設するには金銭面だけでなく、それを実現できる人材が必要だけれど、そもそも人間の寿命が短すぎるという話になって、それは確かに自分が50代過ぎると身につまされると思った。そのスケールで学べることも、経験できることも限られていると。
16月曜日
ipmuの白井さんの一般公演動画を昨夜から続けて見る。2回目。ノートをとりながら聴くと、すごく沢山の内容だけどわかりやすかった。勉強しないといけない内容についてもわかる。物理学での「量子化」についてよく知りたいと思い、あまり使わないChatGTPに聞いてみたら、よく答えてくれる。連続性と離散性の話になって、素朴に疑問に思ったこと「その微視的な世界の粒子がさらに詳細に観察、把握されることによって、再度連続的なものとして扱われるようになるような事態は想定できますか?」って聞いてみたら、その可能性や議論についても教えてくれた。明日白井さんに聞いてみようかな?
池田記念美術館での展示が昨日で終了し、午後から搬出に行く。東京での個展に出品する際に箱をきちんと作ってあったので、片付けも簡単にできた。心配していた雪はそれほど積もってなかった。それでも雪山を望む南魚沼の景色は美しかった。
昨晩急いで出した分の献本は明日には届くと思う。フラットリバーでは明日から本をお客さんに手にしてもらうことに。これを読んだ人はまだ本当に数人というか、5人くらいしかいない状況じゃないかな。
15日曜日
本が届く。コトニ社の後藤さんが美しい本に仕上がったと仰っていた通り、よくできていると思う。これもひとえに、ブックデザインをしてくださった宗利さんのおかげだと思う。ゲラの状態ではわからなかった効果が形になっているし、私の素人写真をモノクロでも表紙のカラーでも、きちんと調整してくださって、コンディション良く仕上がっている。流石だと思う。私の気づかないような調整をそこかしこでやってくださっていると思う。
本の内容は、これまで何度も読み返したけれど、勢いで書いたところが多く、実際勢いつけなければ書けないようなことも多く、どのように読まれるのか、今更だけどますますわからない。本当に書店に並ぶのだろうか? 届くべく人の元へどうか届きますように。
庭木を夫が切って、細かい枝を落としたり長さを揃える手伝いをし、紐で束にした。これがいわゆる「お爺さんは山へ芝刈りに」ってやつかな?と夫が言う。里山で皆がこういう作業をしていたら山は荒れないだろうけれど、うちの小さな庭でさえ、だいぶ草臥れる。
14土曜日
本は今日届くかと思っていたけれど、明日届くことになり、せっかちで我慢できない性格なのに待てるようになってる偉い、くらいに私は子供じみている。
待つのに、つまり本のことはもう私にはどうしようもないからそれよりも先のことに専念しようと思い、なんか今まではできなかった次の場所に出れた印象がある。やろうと思っていた作業をしてみると、やはり思っていたのとは異なる困難があって、詳細があって、軌道修正をしながら慎重に進めたりする。本が無事にできるまで落ち着かなかった気持ちが流れて、急にやらなくてはいけない課題が溜まっているのを理解するけれど、暫くは本ができたことを喜んで過ごしたいとも思う。やっと、身につまされることなく他人の本が読めるし、浮気症なくらいに別のことを色々やってみたいと思う。
13金曜日
中尾 拓哉さんの『マルセル・デュシャンとチェス』、私読んだつもりでいて全く別の本と勘違いしていたのに気がついて読もう読もうと思っていたのを読み始めたらとても面白い。冒頭の方で、デュシャンが「絵画」と「チェス」には類似点があると述べている箇所の引用があって、その造形的な側面に触れているのを読んでも、私もチェスに興味を持ちそうだと予感することができるのだけれど、私はオセロも将棋も苦手なのだ。夫に言わせると、私の性質を鑑みるとなぜできないのかわからないと。私も、何ていうか、その盤面の時空間的な様子を思えば好きで得意そうな気もするのに、その扉が開いたことはなくて、これを機に「勉強」としてチェスの入門本なり何なりを入手して真面目にやってみようかなとか思ったりした。将棋の棋譜が頭に空で入っているような人を尊敬するし、羨ましい。
高校の授業の準備で、ケント紙に鉛筆で調子を塗ってみる。綺麗に塗れる。こういう作業が好きだし、こんな単純なことでも、見るだけより時間をかけてやってみた方が経験になると思うのだけれど、PC上で簡易にできることを手間かけてやる甲斐について、やはり少し気になってしまう。この感触、加減について繊細に感受することができるか、雑にしかできない時に、それにどう付き合うかなど。
本ができたから送ったと版元から連絡が入る。無事にできたと聞くだけでほっとする。早く手にしたい。
12木曜日
美術を素直に楽しいとか面白いといってくれる子たちのその場面に居合わせることのできる幸せを噛み締める。
1日に何度か眠くなる。ガス欠のようにエネルギーが切れる感じがする。ジムから帰って30分寝たら復活できた。
11水曜日
高校の成績をつけても、講評会をしても、個々の制作についての評価がわかりにくいだろうと感じるので、コメントをまとめて書いて渡すようにしている。それを書いた。
申し込みしてあったipmuの一般講演会の配信動画を見る。川田 和正さん(宇宙線研究所 准教授)の「超高エネルギー宇宙線の正体とは」と、ファンダメンタルズのゆるユニットでお世話になっている白井 智さん(Kavli IPMU 准教授)の「暗黒物質は本当に暗黒か?」。月一のゆるユニットで白井さんから聞いてきた話の復習にもなって面白かった。「見ること」についてしか言語化できてなかった興味も、もう少しいくつかの広がりのある観点を理解できてきたし、いよいよ具体的に取り組みたいと思っているところはあるのだけど、話を伺っていて、ますますもっと勉強しなくてはと思えてきて、宇宙がいかに巨大な量かということと変わらないレベルで、例えば、白井さんが数学の第一人者への敬意について話すのを聞くたびに、私には垣間見ることすらできないような、広大な世界があるのだろうなと、少し恐ろしくなる。
10火曜日
車を運転しながら急に思い至ったこと。不安を抱え込むと、不安でない人達がなぜ大丈夫なのかがわからないことを通り越して、同じように不安でいないことを憎むようになる。でも、周囲の人間が自分と同じように不安を抱えるようになったからといって、何かが解決する訳ではない。不安の問題は自分で対処しなくてはいけない問題なのだ。社会の問題を、私は憂いているのに、周囲の人間はそれを知らず憂いることがない、という構図も少し似ている。皆で解決しなくてはいけない問題について、共に学び考えることは必要だと思うけれど、そこには常に先に書いたような恨みつらみの感情が場所を持っている。それをきちんと片付けられるかどうか。
授業の準備は慌ててした。まずは、皆で鑑賞会と講評会。色のマッピング作業で起きる外れ値を経験として認識した上で、ジョセフ・アルバースの『配色の設計』の座学。色の相対性について学ぶ。終盤に加法混色と減法混色の資料を見せて、透明表現の課題を出す。その場で構成の課題文を板書して、質問を受け付けるも何も出ない。なので、この場合の任意の部分(扱う図形の形の数と大きさの変化が許容されるのか)について、この課題文のままだと、これもあり得る、あれもあり得るが想定できたかどうか、そのような自由度が高い状況の場合、この資料よりずっとダイナミックでかっこいい構成もできることになるが、それでいいかどうかなど訪ねる。急に皆のアンテナが立つような感じがした。皆話を聞くより、手を動かすことの方が好きな様子。
一週間以上ぶりにジムに行く。測定すると1.3kg痩せていた。
9月曜日
BCCの一斉送信というのを初めてやてみる。本当にこれで大丈夫なのか心配。個展の会場にこれがあったほうがいいと思い至ったものを用意する。溜まっていた仕事を片付け、健康診断に行き、成り行きでレントゲンまで撮ったら思ったより高額になってしまった。でも何かとにかく色々棚卸するというか、片付け得るタイミングのように感じている。今日の一番のタスクは明日の授業の準備だったのだけれどそこまで手が回らず、明日の朝に先送りする。
8日曜日
車で河村記念と市原湖畔美術館に行きたかったのだけど、思ったより時間がかかりそうで、市原の方に先に行くことに(河村は行かれなかった)。夫と長女も一緒に。「かみがつくる宇宙 ミクロとマクロの往還」展。長岡市出身の尊敬する折り紙作家の布施知子さんと、同じく敬愛する安部典子さんが出品。もうひと方は柴田あゆみさんという方。三方とも紙に手仕事でアプローチする作家さんなので、仕事は机の上でするスケールになるのだけれど、それを大きな空間で見せる時にどう扱うかというのは私としても色々思うところがあって、相対的な意味でも見てよかった。
行く前に途中海ほたるに寄って、海を見て家族で写真を撮ったりした。あまり写真に写りたくないのだけれど、時間は過ぎ去っていくから、スナップ写真はその時にしか撮れないかけがえのないものだという思いでもあるのかな?と、いつになく写真を撮りたがる夫を見ていて思った。今年、共に友人を亡くした。
7土曜日
前日に設営を済ませてほっとしたのも束の間、会場を離れてしばらく経つと、あれでよかったのかどうかみたいなちゃぶ台返しが可能かどうかくらいに会場の状況について気になりはじめてしまう。けれども目の前に抵抗のあるものがないまま印象を思い出そうとしても、気分に左右されるくらいのものしか手に入れることがまだできない。そんな気持ちのまま、まずは六本木のTime & Style Midtownへ向井三郎さんの個展を見に行く。スタイリッシュな家具店での大きなウォールドローイング、木炭で描かれた雲と海と鳥の絵、ドライポイントやゴム版の版画の展示。動き続ける大気と水をその境も曖昧に溶けて、それは線やその集まりに回収されて行ってはほどけていく。細部を観察し、でもかたちとして定着させることがあそびを生み続けるみたいな、でもそれだけ見切ることの怖さみたいな質も含んでいてとても惹かれる。
自分の会場に移り、最初に井川淳子さんが来てくれていて、ドローイングを面白がってくれてとても嬉しい。知った人が多くいらしてくれて、作品について、そこから思い至ったことなどについて問いを投げかけてくれたり、聞いてくれたり、お話しされたりと、みなさんゆっくりされて行ってくださる。播磨みどりさんが、「見る人が皆沢山言葉を発しながら見る」って後で伝えてくれて、ほんとそうだなーって思い返していた。とても楽しい時間。
お客さんが途切れたところで閉廊前においとまして、新江古田のnohakoへ井川淳子さんの個展「ソングブック」へ。綿を用いて雲のような(でも雲をつくろうとしている訳ではない)状況をつくり、撮影された写真はこれまでに見たことがあった。他にずっと小さな写真で、人の手や足の写真、百合が写っている写真、海らしき水面の写真など。1Fで数点見て、外に出てから階段で2階へ。それぞれの写真で深度(とでも言えばいいのだろうか)が違う。深度って言うのがしっくりくるので、そう言うけれど、深みというよりは、目のチューニングに近い。カメラなら、被写界深度だったり、または焼き込み具合などのことかもしれない。それによって、再び1Fに戻ると、最初に見た写真が全く違うもののようになって迫ってくる。
もう一度六本木に戻って、向井さんと井川さんと、井川さんの会場でばったりお会いした言水さんと飲む。パレスチナの話や韓国の戒厳令についての話題もあったし、本のことも聞いてもらった。
6金曜日
年齢のせいか、兎に角ずっと疲れている。今日は搬入設営日で、昨日どうにかやっと準備が終わって、今朝は荷物を車に乗せるだけだけど、宿泊の準備やら色々で出遅れる。嵐のような荒れた天気の中出発すると、本州の反対側はとても晴れていて眩し過ぎるくらいで驚く。眩しさへの免疫ももうない。
設営を済ませた。紐を彫るのも、紐の絵を描くのも上手くなった。会場は緊張感のあるようなスペースではなくて、ここでできることを。
5木曜日
少年院で多分関東圏のまとまりでの文芸コンクールというのが年に一回あり、毎年美術クラブから絵画部門2つに出品する。その結果が出て、金賞と銀賞2名の3人が受賞した。2人は既に退院していて、1人の子に直接おめでとうが言えた。私は受賞しなかった子達の作品もみんな好き。時間をかけた制作の日々のあれこれが思い出される。みんな元気かな?
片頭痛の薬を切らしたので内科を受診。代替わりした医院は、血圧を自分で機械で測るシステムになっている。前の医院では年配の看護師が測ってくれながら、具合について色々話を聞いてくれる。その時間がとても好きだったので残念だ。
4水曜日
ドローイングの額装から。今年描いたもの12点と、数年前に描いたもの1点。全然テンションが違うのに驚く。今年は今年の何か自分の中での流行みたいな線があるっぽい、とひとごとのよう。
正式な書影が届いてSNSに本の出版の告知を上げると、今まで関わってくれた方々がリツイートしてくださって、ああ、あの人もあなたも、きっとご本人が思っている以上にこの本を私が書けたことに関わりがあるのですよって、心の中でささやいた。ありがとうございます。
あと2点、作品箱つくるか梱包して、額用の紐の足りない分をどうにか確保したら、搬入できる。あと少し。
3火曜日
板を切るのに難儀した。
2月曜日
紐のドローイング用の額に使っているのは、Amazonで売ってる安い写真用の額なのだけど、これが枠が細いし、ガラスを用いているのでとても良いのだ。ところが本当に安いインテリア用品の類なので、裏はMDFボードで壁にかける紐を通す金具だけでなくて、立てて飾る用の折りたたみの足がついている。これの厚みがはみ出していて邪魔なため、壁に額をかけた時に変な風に浮いてしまうので、その不具合の解消にその金具を外している。ネジでついているのではなくて、ハトメ金具でくっつけてあるので、その金具の箇所をMDFボードごとくり抜いて、不要になった足のパーツのMDFを同じ大きさに切って、その穴に嵌め込むようにしている。その作業を14個分。こういう単純作業は段々と慣れてくる。最初の一個に刃を入れた時は、全部終わるのに相当かかるのでは?と青くなったけど、要領を掴んで無事に終わらせることができた。その部分の接着の補助に水張りテープを使ったので、完全に乾燥させるために、ドローイングの額装自体は明日以降に行うこととする。
1日曜日
紐の木彫があと少しの段階に来ていて、丁寧に仕上げ。そういえばこの段階では、ひたすら紐の丸さと太さを整える作業になる。全体の中で違和感のないように。でもどうしても無理な箇所は逃がしてしまうかも。これ以上折れたくない(折りたくない)。
明日で結婚29周年だからそのお祝いに2人で飲みに出る。結婚記念日が師走の始まりで2人とも忘れていることが殆どで、こういうこと初めてくらいな気がする。私は展示直前だし、やっぱり結婚生活を振り返ってみたいな心持ちにはなれず、ただ普通に今のことについて話しながら、美味しいカルパッチョとか、軍鶏のグリルをつまみながら焼酎を呑んだ。