2024年12月
31火曜日
母と近所のスーパーへ買い物。都営住宅の近くということもあるのか、高齢の方が多くて驚いた。杖をつきながらなど、買い物も一苦労な様子の方が多い。長岡は勿論地方で高齢者の多い地域だけれど、買い物には車で行くのが普通だからか逆に、こんなには多くの高齢者はスーパーでは見かけない。ちょっと驚く。
お昼に合挽肉と微塵切りの玉葱、生姜をバターで炒めて、カレー粉、ホールトマト、コンソメ、ひよこ豆の水煮缶を投入して煮込み、キーマカレーをつくった。美味しくできた。
紅白を見て、知らないグループやアーティストの曲の多くを初めて聴き、知ってる曲を聴くとほっとして、子供達と話をしながら年を越した。
30月曜日
父と祖父祖母の眠る小さなお墓に墓参り。今月は忙しくて、クリスマスらしいことも、大掃除なども何もしてなかったけど、お墓参りして、何か今年を〆た感じがした。
帰り夫と母と別れて、息子と妹と3人でジュンク堂池袋店へ。私の本が書店に並んでるのを初めて見て、だいぶ嬉しかった。
29日曜日
ファンダメンタルズプロジェクトの集まりにオンサイトで参加。絵画の椛田ちひろさんと、数学の桑垣樹さんの交流の報告と絵画の哲学がご専門の清塚邦彦さんのレクチャーを聞く。その後忘年会。色々熱い話題で面白かった。皆酔ってて熱い。
28土曜日
個展最終日。朝起きると大きな雪が降っている。撤収もあるので車で出掛ける。雪の中走るのは怖いけれど、本当にきれい。
あたたかい鑑賞者、作家たちに恵まれて、無事に個展を終えて本当にほっとした。ありがとうございました。
27金曜日
お正月のお年賀、と言っても身内に配る分だけれど、良寛ひとえ(醤油)、かんずりの高級な方、瑞花のお煎餅、大和屋の越乃雪、日本酒(つなんと萬寿鏡)を買いに。
夜は長岡の友人たちで外呑み忘年会。故人が繋いでくれた優しい人達と過ごす。
26木曜日
ギャラリーでは仕入れた70冊はもう出払いそうで、追加で30冊仕入れるという。
更生施設の美術クラブ。どの子が描く絵も(切り絵をしている子も)それぞれにとても良くて、美術が楽しいとわざわざ言ってくれる子もいて、年内最後で、多分次回はいない子もいるから、なんかじーんとしてしまい、帰ってきてからしばらくぼーっとしてた。1時間だけだけれど、時間がたっぷりあるように感じる。ゆっくり時間をかけて見たり試したりすると、自然にできることはテクニックではなくて、造形的な内容になっていく。その力は各々に備わっているのが私にも本人たちにも少なからず見える。何某かが自らの手によって立ち現れてくるのはやはり喜びだと思う。
25水曜日
本の発売日。何人かの人が本を手にしたことや、書店に本が並んでる様子の写真を送ってくれたり、読んだ感想をくれたりした。そわそわいじいじしていたので嬉しい。
年末なので、慌てて労働の方の仕事を片付けて、本当はアトリエの片付けもしたいのに手が回らない。普段より早めの市の広報誌を町内会の班長さん宅へ配り、小さなお正月飾りを買う。手帳が欲しかったのにもう売ってなくてネットで注文した。世の中はすっかりクリスマス越えの年末準備で、スーパーの売り場も様子が違っているけれど、私は本が発売されてまだ個展中という、この一年の総回収祭り中で、世の中の時節とずれている。
24火曜日
ツバメコーヒーさんへ、本を仕入れてくださったと伺ってサインをしに行く。いづれトークイベントを何らかのかたちで行おうと田中さんが仰ってくださって、本の内容や執筆の背景、もし一緒に話をするなら誰とがいいかとか、リアルでか録画かとか人数規模とかの相談。自分の個展の内容を企画(どういう作品を出品して会場を編纂するか)は自分一人でやってしまうので、何かの企画について人と話をする機会はほとんどないのだけど、私は結構向いていると思う、とても楽しいし色々思いつく(全ては言わないけれど、他で活きてくるアイデアも浮かぶ))。美味しいケーキとカフェオレをいただく。
夫の工房へ学生さんたちにクリスマスケーキ(フルーツタルト)を届ける。喜んでもらえたみたいで嬉しい。買ったものだけれど。うちでは常夜鍋で息子がケーキを好きじゃないのでケーキなし。クリスマスらしさは全くなしで、でも最近知った、隠し味に梅干しとニンニクの丸ごと入った鍋は、本当に美味しかった。
23月曜日
洗濯する。
セーターの上に羽織るのに気に入ってるお古の大きめの青いシャツ、袖が長過ぎて、家事をするにも作業するにも邪魔で、袖口のボタンの切り込み部分を全て切り落とす7部丈くらいの長さで切って、ミシン出してぐるっと縫った。とても快適。急に思い立って。
同い年で今年亡くなった方の追悼展のDMのデザインをする。画廊からの掲載コメントで享年にするか、満表記にするかの修正について相談する。自分も53歳なので、若くして亡くなったのに宗教的儀礼とはいえ1つ歳を加えられることに違和感があり、先日見た木下佳通代も55歳と満年齢(没年齢)で記載されていたことを伝えて、53とすることに。人生は短い。
22日曜日
アーティゾン美術館へ。「毛利悠子ーピュシスについて」私の出自は全く別の方からで、でも今はだいぶ共通の興味を持っているように感じられる彼女の仕事と、多分私はこのようにはつくらないということがはっきりわかる上で、面白かったり、相対的に確認できることがあったり、細部への愛を愛しいと感じたりしながら見た。次の部屋が、「ひとを描く」の古代ギリシャの壺の部屋で、こんなにたくさんのコレクションが!と驚くのと同時に、さっきの「ピュシス」との流れがとても良くて、説明できないけれど、ジャムセッションとしては彼女が選んだ妥当な作品たちより、この古代ギリシャの壺の展示室の佇まいの方がピッタリ合っていたようにさえ感じた。私はこの部屋で一ヶ月くらいは寝泊まりしたいくらいに思った。
渋谷ヒカリエ8へ「内海聖史展 flapping painting」。今回もめちゃくちゃ攻めていて、昨年の岡本太郎美術館での展示の時に覗き込むと横からかろうじて見えていた設営用の構造が今回はもっと見えるかたちでの大きく変形して組み合わされる支持体と、普通に絵画を展示しているギャラリー空間とを貫入させ、両立していて刺激的だった。
埼玉県立近代美術館へ「没後30年 木下佳通代展」へ。SNSでちらっと見かけて、長岡に帰るのに大宮からがいいなというくらいの気持ちで行ったらとても良かった。私が生まれた頃、幼い頃にこのような思考を持って制作をしていた人がいたのは全く知らなかった。とてもかっこいいのだ。最晩年の油彩は私には少し退屈なところもあるけれど、最初期から油彩が始まって暫くくらいまでの仕事は、その経緯も合わせてとても腑に落ちる素晴らしいものだと思う。美術手帖の清水穣氏のレビューで、彼女の最初のコンセプトが度々ブレてしまうことを批判的に書いていたけれど、私の感覚からすれば、彼女の制作はつくられたものの方が全てであって、きっかけがそれでも制作がそのようにブレたりズレたりしていったことの内容についてこそ、何か言っても良かったような気もする。時系列で展示を見る限り、それらはとてもよく見えた。最後のインタヴュー映像で、高校時代に彼女が女子校美術部の部長で、河口龍夫が男子校だか共学校だかの美術部部長で、合同で文化祭か何かの企画をするので出会い、それからの付き合い(交際)だった話をしている時の様子が、かわいらしかった。彼女は子供が好きで何十人も欲しかったけれど、貧しくて叶わなかった話をしていた。今よりずっと女性には過酷な時代だったろうことも聞いた。乳がんで没年55歳。
21土曜日
在廊日。たくさん人が来てくださって、本を買ってくれる(時々作品も)。主に以前から見てくれている人、その多くは同じく美術など何かしらの制作者が多い。
長女が箱根の社員旅行の帰路途中に寄ってくれる。色々鋭い質問をしてくれる。今回は箱を展開した状態で台に並べているが、私がいるときは組み合わせて見せたりできる。その行為を見て、何を見せているのか、何を見せられているのかわからなくなるといった主旨の話になった。私自身もわからない。こういう機能やはたらきを持った事物だということを示しているわけなのだけれども。(動画等あります。)
またたくさん喋ってしまった。
20金曜日
東京へ出る。
まずはギャラリー椿で桑原弘明さんの個展へ。1988年からの作品が並ぶ。どれも造作に振り切っている仕事で舌を巻く。詳細さと小ささ、とにかく細部でできている。
自分の会場へ。今日は懐かしい友人にも再会できた。私が高校時代に作った箱(小物入れ)を今でも現役で使ってくれていると画像を見せてくれた。
Art Since 1900の読書会をやっている面々が来てくれて、閉廊後、すぐ近くの餃子やさんへ。詩の話と(言語に限らない)翻訳の話が面白かった。
母の住む都営住宅へ帰ると、机の上に小さな折り紙がたくさん。このパーツを貼り合わせて小さな花の玉飾りを作って、友人にあげるそう。本を喜んでくれた。
19木曜日
担当している美術クラブで絵を描くのに、先週リクエストを貰っていた資料を探しに図書館へ。その中には「おにぎり」を描きたいというのがあって、館内の検索機で探すと思いがけずたくさんヒットする。子供向けの絵本などが多いのだけれど、残念ながらどれも貸し出し中。小学校か何処かで米についての授業に使われているのかな。料理のコーナーを探してみると、お弁当の本が気になってきて、その中でも、レシピ本ではなくて、お弁当とそのお弁当を食べる人物を並置したレポの本があり(今出先でタイトル忘れ)、絵を描く資料としては少しズレるけど、とても良いと思い借りて少年院へ。1人の子がクラブの時間にずっとその本を読んでいた。色々な人がいるということは、人類にとって救いだと思う。
18水曜日
更年期の年頃とはいえ、あまりにも疲れやす過ぎると思い先日受けた健診の結果を聞きに。甲状腺には問題がなかったけれど、肝臓の数値に異常があって、三ヶ月経過を見て再検査することに。少し心配な状況かもしれない。できるときにできることをやろう。
17火曜日
今日は「あっ」と思うことがあり、一旦それについて身を引いたけれど、これは話さなくてはいけないと思い声をかけた。気持ちは伝わる前に、十二分に返ってきた。
白井さんにもし何の金銭的制限もなく一番やりたい規模の実験ができるとしたら、それはどんな?と聞いたら、めちゃくちゃ規模の大きな加速器実験という話になって、それを建設するには金銭面だけでなく、それを実現できる人材が必要だけれど、そもそも人間の寿命が短すぎるという話になって、それは確かに自分が50代過ぎると身につまされると思った。そのスケールで学べることも、経験できることも限られていると。
16月曜日
ipmuの白井さんの一般公演動画を昨夜から続けて見る。2回目。ノートをとりながら聴くと、すごく沢山の内容だけどわかりやすかった。勉強しないといけない内容についてもわかる。物理学での「量子化」についてよく知りたいと思い、あまり使わないChatGTPに聞いてみたら、よく答えてくれる。連続性と離散性の話になって、素朴に疑問に思ったこと「その微視的な世界の粒子がさらに詳細に観察、把握されることによって、再度連続的なものとして扱われるようになるような事態は想定できますか?」って聞いてみたら、その可能性や議論についても教えてくれた。明日白井さんに聞いてみようかな?
池田記念美術館での展示が昨日で終了し、午後から搬出に行く。東京での個展に出品する際に箱をきちんと作ってあったので、片付けも簡単にできた。心配していた雪はそれほど積もってなかった。それでも雪山を望む南魚沼の景色は美しかった。
昨晩急いで出した分の献本は明日には届くと思う。フラットリバーでは明日から本をお客さんに手にしてもらうことに。これを読んだ人はまだ本当に数人というか、5人くらいしかいない状況じゃないかな。
15日曜日
本が届く。コトニ社の後藤さんが美しい本に仕上がったと仰っていた通り、よくできていると思う。これもひとえに、ブックデザインをしてくださった宗利さんのおかげだと思う。ゲラの状態ではわからなかった効果が形になっているし、私の素人写真をモノクロでも表紙のカラーでも、きちんと調整してくださって、コンディション良く仕上がっている。流石だと思う。私の気づかないような調整をそこかしこでやってくださっていると思う。
本の内容は、これまで何度も読み返したけれど、勢いで書いたところが多く、実際勢いつけなければ書けないようなことも多く、どのように読まれるのか、今更だけどますますわからない。本当に書店に並ぶのだろうか? 届くべく人の元へどうか届きますように。
庭木を夫が切って、細かい枝を落としたり長さを揃える手伝いをし、紐で束にした。これがいわゆる「お爺さんは山へ芝刈りに」ってやつかな?と夫が言う。里山で皆がこういう作業をしていたら山は荒れないだろうけれど、うちの小さな庭でさえ、だいぶ草臥れる。
14土曜日
本は今日届くかと思っていたけれど、明日届くことになり、せっかちで我慢できない性格なのに待てるようになってる偉い、くらいに私は子供じみている。
待つのに、つまり本のことはもう私にはどうしようもないからそれよりも先のことに専念しようと思い、なんか今まではできなかった次の場所に出れた印象がある。やろうと思っていた作業をしてみると、やはり思っていたのとは異なる困難があって、詳細があって、軌道修正をしながら慎重に進めたりする。本が無事にできるまで落ち着かなかった気持ちが流れて、急にやらなくてはいけない課題が溜まっているのを理解するけれど、暫くは本ができたことを喜んで過ごしたいとも思う。やっと、身につまされることなく他人の本が読めるし、浮気症なくらいに別のことを色々やってみたいと思う。
13金曜日
中尾 拓哉さんの『マルセル・デュシャンとチェス』、私読んだつもりでいて全く別の本と勘違いしていたのに気がついて読もう読もうと思っていたのを読み始めたらとても面白い。冒頭の方で、デュシャンが「絵画」と「チェス」には類似点があると述べている箇所の引用があって、その造形的な側面に触れているのを読んでも、私もチェスに興味を持ちそうだと予感することができるのだけれど、私はオセロも将棋も苦手なのだ。夫に言わせると、私の性質を鑑みるとなぜできないのかわからないと。私も、何ていうか、その盤面の時空間的な様子を思えば好きで得意そうな気もするのに、その扉が開いたことはなくて、これを機に「勉強」としてチェスの入門本なり何なりを入手して真面目にやってみようかなとか思ったりした。将棋の棋譜が頭に空で入っているような人を尊敬するし、羨ましい。
高校の授業の準備で、ケント紙に鉛筆で調子を塗ってみる。綺麗に塗れる。こういう作業が好きだし、こんな単純なことでも、見るだけより時間をかけてやってみた方が経験になると思うのだけれど、PC上で簡易にできることを手間かけてやる甲斐について、やはり少し気になってしまう。この感触、加減について繊細に感受することができるか、雑にしかできない時に、それにどう付き合うかなど。
本ができたから送ったと版元から連絡が入る。無事にできたと聞くだけでほっとする。早く手にしたい。
12木曜日
美術を素直に楽しいとか面白いといってくれる子たちのその場面に居合わせることのできる幸せを噛み締める。
1日に何度か眠くなる。ガス欠のようにエネルギーが切れる感じがする。ジムから帰って30分寝たら復活できた。
11水曜日
高校の成績をつけても、講評会をしても、個々の制作についての評価がわかりにくいだろうと感じるので、コメントをまとめて書いて渡すようにしている。それを書いた。
申し込みしてあったipmuの一般講演会の配信動画を見る。川田 和正さん(宇宙線研究所 准教授)の「超高エネルギー宇宙線の正体とは」と、ファンダメンタルズのゆるユニットでお世話になっている白井 智さん(Kavli IPMU 准教授)の「暗黒物質は本当に暗黒か?」。月一のゆるユニットで白井さんから聞いてきた話の復習にもなって面白かった。「見ること」についてしか言語化できてなかった興味も、もう少しいくつかの広がりのある観点を理解できてきたし、いよいよ具体的に取り組みたいと思っているところはあるのだけど、話を伺っていて、ますますもっと勉強しなくてはと思えてきて、宇宙がいかに巨大な量かということと変わらないレベルで、例えば、白井さんが数学の第一人者への敬意について話すのを聞くたびに、私には垣間見ることすらできないような、広大な世界があるのだろうなと、少し恐ろしくなる。
10火曜日
車を運転しながら急に思い至ったこと。不安を抱え込むと、不安でない人達がなぜ大丈夫なのかがわからないことを通り越して、同じように不安でいないことを憎むようになる。でも、周囲の人間が自分と同じように不安を抱えるようになったからといって、何かが解決する訳ではない。不安の問題は自分で対処しなくてはいけない問題なのだ。社会の問題を、私は憂いているのに、周囲の人間はそれを知らず憂いることがない、という構図も少し似ている。皆で解決しなくてはいけない問題について、共に学び考えることは必要だと思うけれど、そこには常に先に書いたような恨みつらみの感情が場所を持っている。それをきちんと片付けられるかどうか。
授業の準備は慌ててした。まずは、皆で鑑賞会と講評会。色のマッピング作業で起きる外れ値を経験として認識した上で、ジョセフ・アルバースの『配色の設計』の座学。色の相対性について学ぶ。終盤に加法混色と減法混色の資料を見せて、透明表現の課題を出す。その場で構成の課題文を板書して、質問を受け付けるも何も出ない。なので、この場合の任意の部分(扱う図形の形の数と大きさの変化が許容されるのか)について、この課題文のままだと、これもあり得る、あれもあり得るが想定できたかどうか、そのような自由度が高い状況の場合、この資料よりずっとダイナミックでかっこいい構成もできることになるが、それでいいかどうかなど訪ねる。急に皆のアンテナが立つような感じがした。皆話を聞くより、手を動かすことの方が好きな様子。
一週間以上ぶりにジムに行く。測定すると1.3kg痩せていた。
9月曜日
BCCの一斉送信というのを初めてやてみる。本当にこれで大丈夫なのか心配。個展の会場にこれがあったほうがいいと思い至ったものを用意する。溜まっていた仕事を片付け、健康診断に行き、成り行きでレントゲンまで撮ったら思ったより高額になってしまった。でも何かとにかく色々棚卸するというか、片付け得るタイミングのように感じている。今日の一番のタスクは明日の授業の準備だったのだけれどそこまで手が回らず、明日の朝に先送りする。
8日曜日
車で河村記念と市原湖畔美術館に行きたかったのだけど、思ったより時間がかかりそうで、市原の方に先に行くことに(河村は行かれなかった)。夫と長女も一緒に。「かみがつくる宇宙 ミクロとマクロの往還」展。長岡市出身の尊敬する折り紙作家の布施知子さんと、同じく敬愛する安部典子さんが出品。もうひと方は柴田あゆみさんという方。三方とも紙に手仕事でアプローチする作家さんなので、仕事は机の上でするスケールになるのだけれど、それを大きな空間で見せる時にどう扱うかというのは私としても色々思うところがあって、相対的な意味でも見てよかった。
行く前に途中海ほたるに寄って、海を見て家族で写真を撮ったりした。あまり写真に写りたくないのだけれど、時間は過ぎ去っていくから、スナップ写真はその時にしか撮れないかけがえのないものだという思いでもあるのかな?と、いつになく写真を撮りたがる夫を見ていて思った。今年、共に友人を亡くした。
7土曜日
前日に設営を済ませてほっとしたのも束の間、会場を離れてしばらく経つと、あれでよかったのかどうかみたいなちゃぶ台返しが可能かどうかくらいに会場の状況について気になりはじめてしまう。けれども目の前に抵抗のあるものがないまま印象を思い出そうとしても、気分に左右されるくらいのものしか手に入れることがまだできない。そんな気持ちのまま、まずは六本木のTime & Style Midtownへ向井三郎さんの個展を見に行く。スタイリッシュな家具店での大きなウォールドローイング、木炭で描かれた雲と海と鳥の絵、ドライポイントやゴム版の版画の展示。動き続ける大気と水をその境も曖昧に溶けて、それは線やその集まりに回収されて行ってはほどけていく。細部を観察し、でもかたちとして定着させることがあそびを生み続けるみたいな、でもそれだけ見切ることの怖さみたいな質も含んでいてとても惹かれる。
自分の会場に移り、最初に井川淳子さんが来てくれていて、ドローイングを面白がってくれてとても嬉しい。知った人が多くいらしてくれて、作品について、そこから思い至ったことなどについて問いを投げかけてくれたり、聞いてくれたり、お話しされたりと、みなさんゆっくりされて行ってくださる。播磨みどりさんが、「見る人が皆沢山言葉を発しながら見る」って後で伝えてくれて、ほんとそうだなーって思い返していた。とても楽しい時間。
お客さんが途切れたところで閉廊前においとまして、新江古田のnohakoへ井川淳子さんの個展「ソングブック」へ。綿を用いて雲のような(でも雲をつくろうとしている訳ではない)状況をつくり、撮影された写真はこれまでに見たことがあった。他にずっと小さな写真で、人の手や足の写真、百合が写っている写真、海らしき水面の写真など。1Fで数点見て、外に出てから階段で2階へ。それぞれの写真で深度(とでも言えばいいのだろうか)が違う。深度って言うのがしっくりくるので、そう言うけれど、深みというよりは、目のチューニングに近い。カメラなら、被写界深度だったり、または焼き込み具合などのことかもしれない。それによって、再び1Fに戻ると、最初に見た写真が全く違うもののようになって迫ってくる。
もう一度六本木に戻って、向井さんと井川さんと、井川さんの会場でばったりお会いした言水さんと飲む。パレスチナの話や韓国の戒厳令についての話題もあったし、本のことも聞いてもらった。
6金曜日
年齢のせいか、兎に角ずっと疲れている。今日は搬入設営日で、昨日どうにかやっと準備が終わって、今朝は荷物を車に乗せるだけだけど、宿泊の準備やら色々で出遅れる。嵐のような荒れた天気の中出発すると、本州の反対側はとても晴れていて眩し過ぎるくらいで驚く。眩しさへの免疫ももうない。
設営を済ませた。紐を彫るのも、紐の絵を描くのも上手くなった。会場は緊張感のあるようなスペースではなくて、ここでできることを。
5木曜日
少年院で多分関東圏のまとまりでの文芸コンクールというのが年に一回あり、毎年美術クラブから絵画部門2つに出品する。その結果が出て、金賞と銀賞2名の3人が受賞した。2人は既に退院していて、1人の子に直接おめでとうが言えた。私は受賞しなかった子達の作品もみんな好き。時間をかけた制作の日々のあれこれが思い出される。みんな元気かな?
片頭痛の薬を切らしたので内科を受診。代替わりした医院は、血圧を自分で機械で測るシステムになっている。前の医院では年配の看護師が測ってくれながら、具合について色々話を聞いてくれる。その時間がとても好きだったので残念だ。
4水曜日
ドローイングの額装から。今年描いたもの12点と、数年前に描いたもの1点。全然テンションが違うのに驚く。今年は今年の何か自分の中での流行みたいな線があるっぽい、とひとごとのよう。
正式な書影が届いてSNSに本の出版の告知を上げると、今まで関わってくれた方々がリツイートしてくださって、ああ、あの人もあなたも、きっとご本人が思っている以上にこの本を私が書けたことに関わりがあるのですよって、心の中でささやいた。ありがとうございます。
あと2点、作品箱つくるか梱包して、額用の紐の足りない分をどうにか確保したら、搬入できる。あと少し。
3火曜日
板を切るのに難儀した。
2月曜日
紐のドローイング用の額に使っているのは、Amazonで売ってる安い写真用の額なのだけど、これが枠が細いし、ガラスを用いているのでとても良いのだ。ところが本当に安いインテリア用品の類なので、裏はMDFボードで壁にかける紐を通す金具だけでなくて、立てて飾る用の折りたたみの足がついている。これの厚みがはみ出していて邪魔なため、壁に額をかけた時に変な風に浮いてしまうので、その不具合の解消にその金具を外している。ネジでついているのではなくて、ハトメ金具でくっつけてあるので、その金具の箇所をMDFボードごとくり抜いて、不要になった足のパーツのMDFを同じ大きさに切って、その穴に嵌め込むようにしている。その作業を14個分。こういう単純作業は段々と慣れてくる。最初の一個に刃を入れた時は、全部終わるのに相当かかるのでは?と青くなったけど、要領を掴んで無事に終わらせることができた。その部分の接着の補助に水張りテープを使ったので、完全に乾燥させるために、ドローイングの額装自体は明日以降に行うこととする。
1日曜日
紐の木彫があと少しの段階に来ていて、丁寧に仕上げ。そういえばこの段階では、ひたすら紐の丸さと太さを整える作業になる。全体の中で違和感のないように。でもどうしても無理な箇所は逃がしてしまうかも。これ以上折れたくない(折りたくない)。
明日で結婚29周年だからそのお祝いに2人で飲みに出る。結婚記念日が師走の始まりで2人とも忘れていることが殆どで、こういうこと初めてくらいな気がする。私は展示直前だし、やっぱり結婚生活を振り返ってみたいな心持ちにはなれず、ただ普通に今のことについて話しながら、美味しいカルパッチョとか、軍鶏のグリルをつまみながら焼酎を呑んだ。