2024年11月
19火曜日
ずっと家で仕事をしているのが日常の私にとっては、今日は用事が多くてあっぷあっぷした。世の中の人は毎日このくらい人に会ったりやりとりしているだろうなと思う。
夜になって、本の表紙、カバー、帯のデザイン案が届く。私が自分でデザインするなら絶対こうはならないデザインだった。私の地味な作品画像でも書店にもし平積みにされたら人目を引くものに仕上がっていた。しかも、レシピとうたっていることもイメージとして込みだし、カバーを外して内側を覗いてみたくなるようなしくみなど、苦心してデザインしてもらえたのがわかる。
大学を卒業して最初は、南青山にあった装丁家の川上茂夫さんのところで週数日アルバイトをしていた。まだ写植の時代。彼はよく編集者に、この本を売りたいなら著者の意向なんて関係なくて、ちゃんと説得するようにと度々怒っているのを横目で見ていた。なんて乱暴なって気持ちにもなったことあるけれど、それだけの自負と責任を抱えて仕事をされていたのが今はよくわかる。
既に本を何冊も出版している妹(小泉さよ)に時々テクストのことや今回の出版のことも相談したけれど、彼女が今までのことで後悔するのは、本を売る努力をもっとすればよかったなってことだと言っていてちょっとはっとした。
装丁のデザインを、若いデザイナーに頼む選択肢もあったけれど、コトニ社の後藤さんがよく知った方がいいだろうという気持ちもあったし、あとははっきりと、私や私の上の世代の人、つまり、川上さんの仕事のような、インターネットのなかった頃に紙に実寸で焼いた写植の文字をペーパーセメントで貼っていた時代を知っている人に、それが良い悪いではなく、懐古趣味とかでもなくて、何か世代として今回の仕事をしたいと思ったことが実は大きい。宗利淳一さんという方。お会いしたこともないし、やりとりは後藤さんに任せている。私はいつもは全部自分でやってしまう。なので、今回、私では絶対できない感覚でのある意味では至極真っ当で、あとは本への愛と、遊び心の加わったデザインをとてもありがたく拝受した。微修正の依頼をして、仕上がりを楽しみにしている。
装丁のデザインとなれば、桂川潤さんのことを度々思い出す。彼の不在は本当に残念です。桂川さん、私の本ができますよ!
18月曜日
木を削りたかった(紐を彫りたかった)けれど、手をつけずに先送りしていた案件の方に取り掛かる。展示計画を詰めて、作品リストの準備をし、ギャラリーのマルチプル企画(判子制作)の案をまとめる。どれも以前に考えていたものだけれど、それを再考し、新しいものを加えたり、ブラッシュアップしたりする。プランだっただけのものも、実際にやってみる。例えば、床にマスキングテープでギャラリーのガラス製の什器の棚板実寸をとって貼ってみて、その中に並べようと思っていたものを実際に置いてみる。思っていた通りのことと、思っていたのとは違うことがある。多分現地でも違う状況が起きたりするけれど、こうやってイメージを具体的に固めていく。
今日のタスクでは、明日の小さなインタヴューに向けて、少し復習したい勉強があったのだけど、どうしても木を削りたくなって、予定より夜更かしして彫刻作業をした。深夜になって、金属的なノイズ音のような耳鳴りがしているのに気がついて、もう眠ることにした。お風呂に入りそびれた。
17日曜日
木を削る。遅々として進まない。
以前、呑みの席で、神経を使う仕事をされている方から、心理的に困難なときに一つ一つの判断や選択に困ってしまうとの告白を聴きながら、私はとりあえず紐を削っていれば大丈夫だと答えたのを思い出していた。とても小さな手先の判断の積み重ねだけでできている。地味でゆっくりな仕事で、それをやるにふさわしい時期がある気がする。
16土曜日
午後から息子の参加している社会人(高校生から含む)の吹奏楽団の定期演奏会へ。会場に着くと早くも満席に近く、パーカッションの様子をよく見たかったので、舞台袖近くに少ない席数が設置してある右側の2階席について、舞台を見下ろすようにして鑑賞する。小学校の頃、息子が小さくてドラムに埋もれて、席から見えないことが多かったので、この席からよく見えて良かった記憶があったから。その時と比べてみてた随分と大きくなった。子どもの成長を考えれば、細胞が一定期間で全部入れ替わる話も納得いく。同じ人間だけど、同じ人間じゃないの矛盾が同居している。あの小さな子はもう居なくなってしまったなって少し寂しくなった。
15金曜日
再校ゲラは戻したけれど、具体的な記述内容についてで頭が冴えてしまうというより、漠然とした緊張から不安になって、うなされて目が覚める。
紐を削っている。ここしばらくは結び目を削っていたので、久しぶりのあやとり紐を削るのは結び目の時より難所が多いなと苦労する。特に2本の紐がねじれて絡む箇所、まさに局所的に平面が2方向、つまり完全な三次元に切り替わる箇所で、認識でも手作業でも難所となる。
14木曜日
久しぶりに寝室を丹念に掃除する。といっても、お掃除ロボットの「坂本」を稼働させただけだけれど、床に散乱しているものや、特にコード類を片付けた。それからベッドの下に入り込んだものを。
思い至ったことは、(本の執筆で)つくりかたを書いていて、それはつくる工程を考えることで、その中で要所になってくるところがあるわけだけれど、その順序が、いわゆるそのものの優先順位のようなもの、主従関係のようなものの状況とは違う関わり方の中にあるということ。つくる工程の順番と、つくられたものの内容のヒエラルキーのような序列に関わりがないこと。
13水曜日
「お腹を壊した。」と書くとだいぶ怖い。多分声に出して言う時は「お腹をこわした。」だろうなと思う。「壊す」と書くと「破壊」のイメージが強くて、「ハカイ」と言うと「機械」と音が似ていて、「お腹を壊す」は、お腹が機械のような大きな力で破壊されるようなイメージ、または、お腹自体が機械的な意味、つまり臓器が壊れる、臓器がバラバラになる、というようなイメージを加味する気がする、なんて思いながら、夜、トイレにこもっていた。何かお腹にあたるようなものを食べたつもりはないのだけれど、夕飯直前からお腹の具合が悪くなり、結局味噌汁しか口にできなかった。背中にホッカイロを貼って温めた後に、それを剥がしてお腹の方に貼り直して寝た。
12火曜日
高校の授業。虹の話から色の名前、電磁波の話から色相環の話を導入にして、情報量が多いから、制作が終わってから、色の相対性の話をしようと考えていた。つまり、100色折り紙を観察しているうちに、そういう現象をそれなりに経験するだろうから、その後に話そうと思っていた。けれども、その経験を取り出すきっかけがないとそこは流れていってしまう。というのは、色紙の貼りかたで、隙間を開ける開けないの問題があり、それによって効果が違うということはなかなか意識されない。色を分類し判断するときに、色同士を付き合わせる必要が出てくることはわかっても、それ自体が効果として表現分領だというところに気がつかない。その声かけが必要だったなと思った。
ゲラを戻したのでぐっすり眠れるかと思ったけれど、眠り足りない。
11月曜日
校正作業の追い込み。文字や寸法に間違いがないかを追うのと、文章がちゃんとつながってるかを追うのと、内容を読んでしまい、ちゃぶ台ひっくり返したいくらいの心細さにも襲われたりしてた。嬉々として赤入れできたら良いのに。読んでいて、デザインの印象が受け取った時と変わってくる。読んでいる内容とページ送り、画像の大きさにそれぞれ効果的な働きがあるのがじんわり伝わってくるような感じがする。三周して、返送するための封をする。今日のうちに送りたかったけど、クロネコヤマトの地域拠点からのトラック出発の時間に間に合わなかった。諦念の気持ちで机上の時計を見送りつつ、仕事を続ける。
本のことではなくて、私全般的に保留にしている荷物がそろそろ重くなりすぎている。そんなにたくさんのことは消化できない。その残像が層として重なってくる。それは良いことだと思っていたけど、その荷の重さのせいで、全体が遅々として進まない感じをいいかげん理解した方がいい気がしてきた。自信があった体力が急降下したから、その辺りを組み替えないとかもしれない。棚卸しの時期。
10日曜日
昨夜早く寝てしまい、朝、おかざきさんからテクストを拝受する。びっくりする。
バナッハ=タルスキーのパラドックスというのと、ゲーデルという人のことを知る。調べれば調べるほどじわじわくる。理系のことは、まずは娘に聞いてみることができる。本当にありがたい。
欲しいものは欲しいとはっきり言うことは大切だと改めて思った。
校正作業。確認したはずなのに、指摘されたところ、寸法を間違っていた。他、あとがきを直して、じっくり一周できた。明日キャプション部分を確認して、返送できると思う。とても良い本になると思う。
ここ数日あまりたくさん食べていない。こんなに食べないことはあまりない。お腹が軽いと頭がスッキリする。でも、栄養をとらないとと思う。
9土曜日
思いがけず連絡がついて、猛烈にアタックする。
校正作業。
8金曜日
嬉しいことも、悲しいことも、楽しみなことも、羨ましいことも、惨めなことも、色々ないまぜの日だった。
返却された作品の荷解きをする。それから木を削る。テクストを少し直して、でも本格的な校正作業は明日から。
7木曜日
フラットリバーギャラリーでの個展まであと1ヶ月。
少年院の日。やりたいこと、やりたくないこと、好きなこと、嫌いなことなど、手を動かしながら話してくれる。
コトニ社の後藤さんから熱いメールが来たり、再校ゲラが届いたり、帯文案の相談が来たり、急に動き出す。あとがきの一部を修正したくて考える。
6水曜日
アメリカの大統領選挙の結果が言われていたより早く出て、呆気なくトランプ。トランプはレイシストだと思うけれど、バイデン政権がずっとイスラエルに軍事支援続けてたの見てきたせいで、ハリスに投票する気にならなかった有権者には同情する。トランプを利する投票行動を馬鹿にするような物言いをする人もいるけれど、そういうことをこそ乗り越えないとなのだろうというのを他の選挙でも、何かの運動でも、見せつけられてきたこの頃だなって思う。それにしてもパレスチナの人々の置かれている過酷な状況に心が痛い。
開票特番の動画を流しながら作業していて、ふと目をそれより向こうの庭に向けると、雑草に木漏れ日があたって光っているのが見える。
仕事の関係で、状況に不安があると吐露してしまった。けれどもここでとにかく文字通り前向きに仕事をしないととは思う。
5火曜日
高校に行くと、この連休中の池田記念美術館での搬入の様子を参加した先生が教えてくれた。大人たちが用意していたプランは却下されて、高校生たちの意見が尊重されて設営が進められたとのこと。
先生と話をしていて、私の中の認識(領野の配分)としては、とても乱暴だけど「社会性=動物の領域」くらいに圧縮されていることを自覚する。
色の演習はどのように進むかわからないし、面白いものができるかもわからないけれど、一通りの話はしたし、よい経験になるように、無駄に思えるような放任の時間をゆっくりとりたいと思っている。
ジムに行く。年相応より脈拍が早い。若いの?それとも心臓が弱いの?
4月曜日
課題文を作ったり、木を削ったり、運転手役をしたり。
3日曜日
だいぶ疲れが出てしまい、栄養取らなくちゃと、今朝は中年女性に良いとされる納豆食べようと思ったけど、最近全く納豆ご飯食べたいと思わないので、考えた末、溶き卵にパン粉、ひきわり納豆、キャベツの千切りをよく混ぜてフライパンでこんがり焼いて食べた。加熱した納豆が好き。これとカマンベールチーズをおかずに白飯。 昼になっても草臥れてて、何も作る気にも食べる気にもなれず、超高いご馳走とか昼ごはんに相応しくないものも全部選択肢に入れて手放しで何食べたいかって考えてみたら、けんちん汁だったので、けんちん汁つくった。疲れてると思ってても、やり始めるとできてしまう。器によそってから刻み葱と胡椒とラー油。 晩御飯は、これに加えて近所のドラッグストアで見つけた王マンドゥという名前の冷凍韓国餃子にした。
市の会報と、先月町内会主催で開催した防災説明会の報告書類と資料と、回覧板用のプリントを各班の世帯分に分けて班長さんに配って回るという月初めの会長祭りを手伝う。玄関が搬入日の時と同じように荷物で溢れる。
2土曜日
南魚沼市の池田記念美術館へ搬入設営へ。美術館が個人コレクターから借りてきた作品と、県内外の作家の作品を、美術に熱心な高校生たちが展示構成や設営に参加して会場を作る企画で、今日は高校生たちと一緒に貴重な作品の荷解きをした。バーネット・ニューマン、フォンタナ、ジャコメッティ、荒川修作の「レシピ」、斎藤義重、オノサトトシノブ、高松次郎、山口長男とか盛りだくさん。私の「うつしかえ」は美術館によくある壁面のガラスケースに、斜めの台をつかって3列に並べてきた。あのケースに作品を展示するのは初めてで、やってみたかったから参加できて良かった。高校生に作品の説明をしたら、面白がってくれたので素直に嬉しい。
帰宅すると恐ろしく疲れていた。
夜の音読会は、今日から外山滋比古の『第四人称』。読みやすくて面白い。
1金曜日
明日の池田記念美術館の展示搬入のための設営プランのプリントと、コンセプトのプリント、キャプション用のデータなどを準備する。「うつしかえ」はこれまで新潟のrobayaでの個展で最初に出したのちに、金沢のポンテ、東京のギャラリー椿と場所を変えて展示してきたので、データが揃っていて準備が容易だった。特にギャラリー椿での個展では、搬入は車で、搬出は運送だったので梱包もしっかりまとめてあったので、扱いやすかった。作品の管理は大事。
木を削る。ジムで筋トレする。