2024年10月
31木曜日
室内トレーニング用のベネフィットシューズを試着して買いたいのだけれど、近所に置いている店がなさそう。梯子する。
少年院のミニコンサートへ。各寮、選曲も良くていい会だった。
30水曜日
久しぶりに糸鋸で厚い板を切っていたら思い出した。昨日書こうと思っていた内容を。
高校へ行く途中の田んぼと住宅の境目の道路、住宅の裏の通りを走っていると、反対車線で小動物が車にはねられて死んでいた。茶色いシャム猫のように見えて、すぐ近くの友人宅の猫だったらどうしようと不安な気持ちで通り過ぎた。帰路、遠くからその辺りに鴉が何羽も群がっているのが見える。道を通せんぼするくらいに鴉が列をなしている。徐行して近づくとそれは狸だった。ゴミを漁るのとは違い、屍肉を鴉が食べているところを見るのは初めてだった。そういえば、暫く前に見たドラマで、自宅の前で車にひかれた見知らぬ犬を、まだ息が微かに残っていたので老人がナイフで息の根を止めて、庭に埋葬するというシーンがあった。何故か、既に息絶えた犬を抱えて埋葬するより、とどめを刺した犬を埋葬する方がたやすいように感じた。それはそう感じただけで実際に出来るとは思えないけれど、死体に対しての穢れ/畏れの意識のようなものの不思議を思った。自分たちも死肉を食べていることは、想像できないくらい遠い事実だなと思う。その狸の遺体の処理をどこかに知らせて依頼した方がいいのだろうがと思いながら通り過ぎた。暫くすると、警察か消防かのあまり見かけない公的な車両とすれ違ったのでほっとした。
29火曜日
高校で講評会と「色を知る」課題の続きの制作。皆100色折紙の分類をはじめて、自分が設定したルールからの外れ値の色を発見してた。
ジムに行く。少し動くとすぐに脈拍が上がってしまう。
夜の読書(音読)会は前回に続いて『群像』福尾匠さんの連載「言葉と物10」。(その前は藤田正勝さんの『日本哲学入門』を読んでいて、ざっくりな内容だったので)久しぶりの福尾さんの鋭敏なテクストが嬉しい。今回は文学(村上春樹「眠り」)を下敷きにしていることもあって読みやすく、とても面白かった。私にはバックステップを起因に空間が変容したり、夜の増えた時空間が後に閉じ込められたりの、空間的なイメージが想起されて、読みながら変容していくシーンを見ていた。
28月曜日
ぐっすり眠った気がしたけれど、そのせいで悪夢を深いところで見ていたような感触だけが残って、よい寝覚めではなかったけれど、いつもより美味しそうなお弁当をつくった。
ドローイング。
月曜版画部に久しぶりに行く。私は版画制作というより鍵当番だけれど、普通におしゃべりが楽しい。新潟県当選全員立憲民主党だった前日の衆議院選挙の結果の話など。
山によく行く部員の方から、山小屋に二泊するようなトレッキングも、大きな山小屋なら寝袋も食料も持たずに軽装備で行けるということを教えてもらった。それにしてももうすぐ冬で行けなくなるからと、立て続けに遠出をされていて、本当にお元気だなと思う。私は家に篭りがちで、荷造りも不慣れになってしまった気がする。
27日曜日
(日記を書くのを忘れがちになって、月曜日の深夜、もはや日付が変わって火曜日に書いている。)
息子と選挙に行く。彼にとって市長選に続く2回目、国政選挙は初めてで、最高裁裁判官の国民審査もだから、時間をかけて記入していた。その姿を投票所の出口から眺めてた。
高校の講評の準備で、彼らの選んだ曲を聴く続き。自分が例えば茶の間で西城秀樹がヒット曲を歌うのを家族で見ていた時代からは随分と変わって、音楽の需要の幅が広いように感じた。まあ、でも自分の高校時代を思い出せば、クラスメイトの音楽の趣味はバラバラだった。そこにやはり、PCインターネットによる新しい領域が加わった感じ。素材として提供されてバリエーション増殖していくような曲や、OVAアニメを経由して自分が生まれる以前の音楽を聴いているなど。
書籍のタイトルが紆余曲折して『しくみの内側のしくみーー思考する手仕事のレシピ』に決まる。
26土曜日
昨日労働をしなかった分、印刷仕事でDMの印刷見積もりと印刷入稿、チラシとポスターの修正提出、36p冊子の割り付けラフ描いてみて、デザイン費算出見積もり出しなど。
高校で音楽からの配信ジャケット課題をやったので、講評の授業のためにそれぞれが選んだ曲を聴いてみる。すっかり今時の曲やアーティストには疎くて、必要に迫られて歌詞まできちんと聴いてみると、受け取れる情報が多い。面白かったり、または私は自分が思っているよりすっかり大人なんだなって思ったり。
あとはドローイング。
25金曜日
とりあえずあれこれを保留にして、ドローイングをする日にする。
が、本の副題をどうするかの相談メール。一旦決まっていたのだけど、この本を書店員にどう扱ってもらうかというか、本の題名から書店でどう扱われるかについての懸念からの相談。これは、美術の専門書棚ではなくて、人文書の棚に置いてもらいたいというのは既にコトニ社の後藤さんと著者である私の間でコンセンサスがとれているわけだけれど、それにしても美術の制作についての話だということは踏まえて読まれたい、または、「中学生にも読める」内容ということでスタートしたけれど、美術の人に真に受けてもらいたい、美術の本だという気持ちが私に強くて(というか、むしろその自信のなさかも)、副題の中に「美術」と入れるか、入れるとしたらどう入れるかについての相談だった。相談内容からすぐに「美術」を外してしまうことを直感するも、自分の書棚を眺めつつ、やはり入れたくなってしまったりしているうちに、その決定の締め切りに数日もらうことにする。
気持ちを少し整理して、またドローイングに戻る。ドローイングしながらは、そういうことはあまり考えられない。BGM代わりに既に見て内容を知っている動画等を流しつつ、ただ線を引く。
疲れて、夕方少し仮眠をとるつもりがぐっすり眠ってしまい、暗くなってから目が覚めた時に今が何なのか一瞬分からなくて、夜中なのに家族が誰もいないのかと思ってびっくりした。多分怖い夢を見てた。
24木曜日
切りすぎた前髪ともみあげと、伸びすぎた襟足を整えにヘアサロンに行って、刈り上げた。
少年院では、100色折り紙を全ての色を使うことを条件に、何か具体的なものを絵にするというよりは、色をテーマに色々並べてみて貼ってみようというゆるい課題。とても個性の強い応答、皆それぞれ違うことをやっている。面白い。絵を描くのが好きな子が意外にも、こういうのはあまり好きではないようなところがあって、嫌わずに済むように、これでできることを自身の好きを優先して色々やってみるように促す。
買い物、筋トレ、それから息子の送迎。待っている間に時間を潰すのに、これまでのノートを見直す。主に物理学関係。やはり、自分の専門ではない難しい内容の場合、それを聞いたり調べたりして書き記した時が一番その思考が温まっている時なので、その時にもう少し粘って色々残したり広げたりしておくことが必要だなと思う。時間が経って古いにかかったものが残っているはあるとしても。
とても疲れたのに寝付けない。飲むとぐったりしすぎる抗不安薬を久しぶりに出してきて飲んでぐっすり眠った。
23水曜日
頂いてきた大きな白い百合の花の、花粉が落ちて周囲を汚すのを避けるために雄しべの先を取るというのは知っていたのだけれど、自分でやったことはなくて、花の開きたてでピンセットで摘んでみると、まだ粉がなかった。軸を中心に4つのひだが、二つづつ向き合って巻き込んでいて、表面は紫がかったスモーキーな赤色をしている。先端の方からそれが捲れ始めている。その中に発光するような鮮やかさのオレンジ色の花粉が詰まっている。夕方には全体がめくれて、つまり、ひだの表裏がひっくり返った状態になって、全体がオレンジ色になった。以前友人からもらった顕微鏡を出してきて花粉を見てみる。フットボールのような形の楕円の粒々が見えた。当たり前だけど、米粒のように一粒一粒が個として違う形をしている。
ダイニングテーブルの上にティッシュを敷いて、その上に置いた雄しべの部分が、時々そこに来るたびに見ると変化している様子を見ていて、時間を感じるってこういうことだなと思う。色々な思いにお構いなしにひだはめくれていってしまう。百合の花に、今日は私の時間を託したように思う。粒が一つ一つ違うことに掴まれたのは、例えば顕微鏡を覗く行為とそれで見える図像が、科学的なこととして何か切り離されて思えていたことが、日々の暮らしや生き死にに浸透したように感じた。中谷宇吉郎の雪の結晶の写真について、実感が深まる。
溜まってた仕事に目処をつける。
外壁のシロアリ駆除の業者さんが来て、状況を見てくれたけれど、やはりギリギリセーフだったみたいで、シロアリを黒蟻がやっつけたのかもしれない。周辺の外壁だけでなく、コンクリートを通過して地面にも薬剤を埋め込んでもらった。蟻さんごめんね。
22火曜日
高校で作品講評と色についてのはなし。手を動かすのが早い。分類、それから相対になるのかな。
葬儀にかけつける。
夜は白井さんと宇宙のはなし。宇宙の中心は常に自分というはなしがあって、ではその人間が不在の時代のことを話したり見たりわかっているという状況に矛盾はないのかと尋ねると、見ているものは常にいると、インフレーション宇宙のような高熱の中でもそれを見ている者がいるのかと聞いたら、いるって返答にびっくりした。それは物質のことだった。物質が観測者だと。そういえば、私たち自身が原子の集まりだもんな。そういう世界で素粒子物理学者は生きているんだなって、クラクラした。見ることにも時間を有するし、時間の感覚も日常のそれとは違う。
そういう話も彼女の死とつながっていくように思う。早く寝る。
21月曜日
お別れの手紙を書く。
溜まっていた労働の方の仕事をする。
お通夜に行く。お経を皆で唱えるときに最初は音がずれていたのだけど、段々と揃って来て、私もただそれに集中して唱える。お経の内容と、故人を知る若いお坊さんの簡潔な話が心に沁みる。お別れは後悔のないようにしたいけれど、彼女とのこと私からは後悔の思いばかりが押し寄せる。
20日曜日
友人(人生の大先輩)を会わせたくて故人の家に送迎したり、ずっと葬儀の準備をしている友人の誕生日なので、フルーツタルトを届けたり、託された思い出の品を娘ちゃんに渡しそびれて戻ったり、タルト食べたり、ずっと行ったり来たりウロウロしてる。線香をあげるくらいしかできない。話をゆっくりする時間に救われる。
夜になって、友達たちからお礼のメッセージが届く。お礼を返す。生きている者たちに対しても普段以上に有り難みを感じて、つい声をかけたくなる。そういえば、夜の読書会では「無常」の話になった。
19土曜日
今週ジムに3回目。ちゃんと運動を続けることに、こういう場所に行くのに及び腰だった気持ちがなくなる。
葬儀に流す映像用に、友人との思い出の写真を探す。予想以上に少ない。なぜなら彼女が撮ってくれた写真が主だから。もっとスナップ写真を撮ろうって思った。
18金曜日
東京から長岡に戻った友人に会いに行く。昨日の臨終も聞いただけではやっぱり心にわからないところがあって、ずっとふわふわしていた。遺体に会えて、実感が瞬間的に湧いて泣いたのちにやっぱりまだわからない状態に戻ってしまった。まだこの世にいる感じがする。弔いの流儀が父の時と違う。そういう細かいけどただ具体的なことを時々フックにして話したりする。美しい写真を見る。
17木曜日
シロアリに食べられてそうなところを大工さんが来て探してみるも、どこも食べられてなくて、でも黒蟻がいっぱい出て来た。シロアリにやられる前に、黒蟻がシロアリをやっつけてくれたのだろうか?来週薬剤処理。
危篤の友達の家からビデオ通話。声をかける。なんて言っていいかわからないけど、言いたいことを言う。苦しそうだった。とても頑張って息している。
少年院に行って色の話の続きと、100色折紙で虹、色相環、補色残像の実験して、光学(波長)の状態と私たちの内的認識による色の関係(補色による環状)の違う話をしてから、兎に角100色が綺麗なので、グレーの画用紙に紙片を広げて、色のマッピングを自由にやってみてもらう。顔がぱっと明るくなる。
高校に行って文化祭での課題の展示設営。どの作品もよく見える。贔屓目過ぎるだろうか?
他所用を済ませて、帰宅後しばらく放心する。ふと危篤の友人を見守っている友人たちに連絡を入れると、旅立つところだった。そんなわけないのに、とても近くに感じる。本当にきっと、時間や空間を超えて、彼方此方に居られるようになるのかもしれないってリアルに感じた。
父の臨終を思い出す。
16水曜日
工房このすくで息子と同い年の子が銅版画の制作。藝大受験を控えている。本を読み、好きな画家がいて、やりたいことがハッキリあって、黙々と制作をしているのを見てると、息子と同い年だという感覚はなくて、同じく制作者だって認識の方が大きくなる。
少年院と高校での色の演習のための試作をする。色相環のようなものを100色折紙でつくってみる、カラーマッピングしてみるような演習にする予定。
夕方になって、闘病中の友人の体調が急変したという知らせが入る。東京が遠く感じる。スマホが普段と違う質感の存在になる。メッセージが行き交う。眠れない。
15火曜日
高校の授業。任意の曲の配信ジャケットのデザインをする課題で、文化祭で展示するので、額装の浮かしのような方法をやってみる。定規をあててカッターで紙を切る作業があったのだけど、そんな機会は実はあまりないのだろう。定規やカッターの使い方から教えるのが新鮮だけど、経験がない分、理由とそうならないためにこうすると良いと言っても、そのことの重要さって伝わらない。失敗しても、一回きりのことで運が悪かったくらいにしか思わないのかも。実際、この後、定規とカッターで紙を真っ直ぐに切る機会が、人生で数えるほどしかないかもしれない。
ジムに行ってひと通り説明を受けながらマシーン各種を使ってみる。筋トレマシーンは初めてなので、ずっと使ってなかった部位に直接作用する感じに素直に驚く。帰宅したら流石にぐったり疲れてしまい、暫くぼーっとしてた。慣れるまでしんどいかもしれないけど、がんばろうと思う。
14月曜日
娘は二日酔いで布団に突っ伏している。気持ちが悪いというので、漢方の胃薬の六君子湯をすすめると、粉薬で苦手だといいながら服用、すると吐きそうになる。幼い頃に風邪を引いて病院で処方されるのがいつも粉薬で、飲みたくないからグズグズいいながらやっとの思いで飲んだけれど、気持ち悪くなってすぐに吐いちゃったら、お母さんが「グズグズいやだいやだと思いながら飲むから吐いちゃうのよ!」って激おこで鬼だったのを思い出したと言われた。心当たりがある。子が薬を飲まないことに、母親の方が不安を感じて、母子で負のスパイラル状態だったのだ。今ならなんでそんなに余裕なかったのだろうって思うけれど。因みに歳の離れた弟は、粉薬大好きだったしで楽ちんだった。娘によく詫びた。本当に可哀想なことをしてた。笑い話にしてくれたけれど。
娘は東京に帰ってしまった。寂しい。
13日曜日
昨日行けなかったので、午前中に娘とお風呂に行く。
12月に出版予定の本の表紙カバーに使う画像を提案する締め切りが今日までだったのだけど、全く選べてなくて、アトリエでの制作中の画像を古いものから攫う勢いで見ていくと、普通に家族のスナップ写真も一緒に入っているので、つい脱線してしまう。結局は作品の画像にする方向に決まりそう。私のことを知らない人が手に取ることも考えて見ようとするけれど、渦中の私は未知の人がそれらの画像を目にした時にどう見えるのかあまり想像がつかない。本としてどうなのかについてよく考えて、相談したい。
娘が中学校の同窓会がそれなりに楽しかったらしく、日付が変わっても帰ってくる気配がないけれど、鍵を持たせ忘れたのでアトリエで起きて待っていた。仕事のメールを夜中に送っているので、夜遅くまで作業する人と思われただろうなと。でも朝は7時には眩しくて起きてしまう。
12土曜日
整骨院に行く夫に代わって、土曜版画部を担当しに工房このすくへ。かきがわひらきでの展示のための貸し出し用額縁のマット紙のサイズを確認し振り分ける。パズルみたいな作業。
昼から酷い頭痛が出て寝込む。
夕方には長女が東京から帰省してくるので、迎えに行って、出かけていた息子も迎えに行って、3人で図書館に寄ってからスーパーへ買い物。娘が帰ってきて家族で一緒に過ごす時間は幸せだ。スレッズに、新生児で眉間を蚊に刺されてしまい腫れているけれど、日本脳炎になるのではないかと心配だという新米ママの投稿を見かけたことを笑い話として話しつつ、お母さんは最初はそのくらい何でも心配だった話をしたり、息子は二人目だったし、関脇みたいに大きかったから何も心配してなかった話とかを聞いてもらって楽しかった。
11金曜日
ロボット掃除機とコードレス掃除機を使っているのだけれど、コードレス掃除機のバッテリーの調子が悪いのを言い訳にして掃除をさぼっていたので、充電の接続不良をよくするコツがわかって使えるようになった掃除機を活用すべく、押し入れの中の衣装ケースを全て出して、下にたまっていた埃を吸い取り、衣装ケースも押し入れの床も水拭きをして、乾くまで4棟の衣装ケースは群像のように無造作に乱立して部屋にあり、そこを迷いながら「さかもと(ロボット掃除機の名前)」がウロウロしていたのが可愛かった。
洗濯物も一気に洗濯した。
たまっていた家事は午前中に済ませて、午後からの作業の予定があったのに、会計ソフトの会社からのメールを見つけて、口座との再連携をしたついでに、エラーの修正をしようとして沼にはまって時間を喰ってしまった。数字が嫌いでなかったはずなのに、すっかり苦手意識がしみついてしまっている。
アマプラでスティーブン・キングの「キャッスル・ロック」。登場人物のルース、アルツハイマーで記憶があやふやな設定は時間の混濁についてで、それを避けるために手彫りのチェス駒を各所に置いてそれを目印に現在と過去を見分けて対処しようとするが、最早それが上手く機能していなくて逆に、時空の迷宮が加速していく。その回、最後に悲劇が待っていて、それを受け入れられずにハッピーエンドのタイムループの妄想シーンで終わるところは流石の回収だなとぞわーっとしたときに、映画メッセージのオープニングとエンディングの印象的な音楽が流れたときには、ちょっとやりすぎかなと思った。あの映画の音楽はどれも素晴らしかったけれど、その音楽家は自死してこの世を去っている。
10木曜日
今日は施設での美術クラブで「色のはなし」をした。
①虹の色の数/日本では、虹は7色とよく言われている。/赤・橙・黄・緑・青・藍・紫
8 アフリカのアル部族は8色(+黄緑)
7 7色は他に、韓国、オランダ、アフリカ(ドゴン族)
6 アメリカ、イギリスは6色(−藍)
5 ドイツ、フランス、中国は5色(−紫)/メキシコのマヤ族は同じ5色でも、黒、白、赤、黄、青
4 インドネシアのフローレス島では4色(−橙)
3 台湾のブヌン族は3色(赤、黄、紫、または、赤・茶・青)/ブリヤート・モンゴル族は3色(赤、黄、青)
2 シベリアのエヴェンキ族2色(赤、青)/南アジアのバイカ族は2色(赤、黒)/アフリカのマサイ族は、虹の色は多数だが基本は赤と白
どうして違いがあるのか/色の(名前と認識)文化の違い/虹の光がグラデーションだから
②虹は、大気中に浮かんでいる微小な水滴の中で太陽の光が屈折・反射して生じる。
プリズムを使って、光を分けてみる。天気が回復して、プリズムでの分光体験ができたの良かった。
③色は電磁波
色は光がものにあたって、そのものの性質で吸収される光と反射される光があり、反射された光が目に入って見える。では、その色が見える光とは何かというと、電気と磁気のエネルギーが波となって空間を伝わってくる「電磁波」のある波長帯のもの。「可視光線」という。知られているのは、波長が短いものから、ガンマ線、X線、紫外線、可視光線(ここが色)、赤外線、マイクロ波、電波、テレビ波、ラジオ波。可視光線以外は目に見えない。
ここでポイントなのは、実は光自体に色がついているわけではなくて、その波長と周波数の光を目にすると、目と脳の機能によって、その色を私たちがそのように見る、見えるということがわかっている。
本当はこの後、100色色紙をつかって、色のマッピングをそれぞれでやってみてもらうつもりだったのだけれど時間切れで、続きは来週に。よく発言する子がいた。音の話など横道にそれることも多くて、それも良かった。ノーパソ等持ち込めないから、ひたすらホワイトボードに図を描いた。描きながら話すのは楽しいし、より進行を注視して聞いてもらえる気がする。
女性専用のジムに見学に行って、体験して、入会した。本当に筋力が落ちきっていて、惨めな気持ちになる。
9水曜日
展示計画の確認と、次の箱の製図。製図作業が久しぶりで熱中してしまう。重なる箱は完全にボトムアップな計画方法で、段階ごとに判断を変えると結果というか道すじが変わっていくので、行きつ戻りつ、割と近視眼的な作業の繰り返しになる。その中でふと俯瞰して判断する。
急にとても寒くなった。一昨日までは半袖シャツをきていたのに、今日はフリースを着ている。
作業中にポリタスの小田原のどかさんの番組企画、「アートと学ぶジェンダー」を2つ見た。高木さんの回で、芸術作品の制作現場で女性を対象としてまなざす時のこと、私が以前感じた違和感は間違いじゃなかったなと理解が深まった。小勝さんのことよくは知らなくて、栃木県立美術館だったら、ああ「メメントモリ」を企画されたお一人だったのかと、図録を引っ張り出してきて気がついた。私本当にこういうことに疎すぎる。ジェンダー論争のことも当時気にして見たり読んだりしなかったので、遅れてだけれども知れてよかった。ながら聞きなのでざっくりしか理解してないけれど、どちらもとても良い内容だった。いずれ書籍化されるとのこと、楽しみ。
1 美学とジェンダー|美学とはどのような学問? 男女二元論を脱し、反トランス差別を前提とするジェンダーの学びについて、専門家に聞く|高木駿。
2 ジェンダー論争を知る|ジェンダー論争以後の日本の美術展におけるジェンダー視点の導入とは? 専門家に聞く|小勝禮子。
8火曜日
折り目が入ってしまって、淡彩のように薄くといたアクリル絵の具がその箇所に溜まり、筋が見えてしまうようになった画用紙をパネルに水張りしてピンと伸ばしたらその筋が消えるなど、生徒の制作の事情に個別に対応した。
文化祭に展示する台紙の色を、自分の作品に合わせて選ぶように促しても、なかなか、実作と実際に合わせて色を決めようとしない。または、画面の中で最後に塗る色を決めるのに、試しに余分な紙に塗って当ててみるように言ってもやらない。それは言うだけではダメで、やってみせると本当に一目瞭然なのでやってみせること。自分が実際にそれをどうしようという直接的な局面に立たないと得られないものがあって、そうなってはじめて経験になるんだなというのを、空気がファーって変わるのを一つ一つ目の当たりにした。それが楽しい。ここにその色を当てると世界がどうなるのかを、正しくやってみると見えるのだ。濃い藍色、濃い紫、濃い青緑、どれを当ててもそれぞれ状況が一変するのが見てとれるようになる。
ゲラの校正の件。私のテクストには数字が割と多く出てきて、それを縦組みでどう扱うかについて。アラビア数字で扱う方針だったのだけれど、どうしても漢数字でないと違和感のあるところがあり、それを修正しているとグレーゾーンのものが出てきてしまい、統一したほうがいいのではないかという編集さんの意見。手持ちの本を片っ端から見てみるけれど、縦組みはことごとく漢数字に統一されてる。でも私のテクストは、アラビア数字の方が、つまり本文から数字が浮き足立っている方がいいだろう箇所があり、つまりは、漢数字とアラビア数字が混在することになる。そんな本見たことないけど、いいだろうか?悩みどころだ。
本は、今のところ12月中頃に出る予定。
7月曜日
設計の後藤さんが今日寄ってくれるというので、ざっとアトリエを片付ける。
たまった書類も分類し、できるだけ断捨離をする。
授業の準備や関係各所への連絡や、連絡の準備など,情報の整理も今日一日で随分と片付いた。
6日曜日
長岡市長選挙に、18歳成人になった投票初めての息子と一緒に近所の小学校へ。息子の小中同窓の子のご両親とばったり。彼はまだ数日の差で選挙権がないとのこと。それを聞いて、ああ、初選挙なんだなということが強まって感じるなど。息子が、昇降口から校門まで、こんな近かったっけ?と言っていた。確かに、彼が入学した頃より背丈は倍くらいになったんじゃないか?くらいに思った。
庭の片付け。夏野菜の胡瓜、トマト、ミニトマト、紫蘇を片付ける。雑草も片付けたり、捨て置いていた観葉植物に眼が出ていたので植え替えたり。片付けていたら、庭の造作に使った古い材木にたくさんシロアリがいて、びっくりして、家の外壁にも入ったかもしれない疑いがあり、本当に悲しくなる。心配事を増やさないでいたかったのに。設計してくれた後藤さんに夫が連絡することに。シロアリのことを色々調べた。多分おとなしい方のヤマトシロアリだと思う。生体について、過去に少し話題になったのかな。面白い生き物なのだろうけれど、これを家の外で見ると、ああ、この世から虫が全部いなくなればいいのにくらいのアホなことを考える。弱さの思考だと思う。
NHKスペシャル「正義はどこに」を見る。踏み込んだ内容だと思う反面、ずっとこの醜悪さは、少なくともこの苛烈なイスラエルの攻撃が始まってからのことは知られていた内容だった。理解し難い信じ難い内容に思考が停止しているのだろうか?やはり世間の静かさに異様なものを感じる。イスラエルの歴史教師が孤立した状況、彼に投げつけられた言葉の数々、少ない理解者の同僚の話さえ、私のような立場の人間には理解し得ない価値観だし、その中で生活しているあの歴史教師は、よくまともでいられるなと思う。とても辛いだろう。西欧圏では「ホロコースト」はとても重いものだった。日本への原爆投下や、日本のアジアでの戦時中の蛮行などに比べても、ユダヤ人の虐殺はゲルマン人の日々の生活のすぐ近くで並行して行われていた異様さについて、凡庸な悪について恐れ慄く内容だし、それについてをテーマにした表現物について真摯に受け取ってきた。けれど、今の状況をみていて私は白々しく感じるようになってきている。人数の問題だとは思わない。イスラエル兵や、入植者、極右活動家の悪意のこもった執拗な嫌がらせや虐待を日常的に行っている様子を見ると、病的だと思う。この破壊の根は深い。
5土曜日
紐のドローイングをする。
本当は授業の準備をしなくちゃなのだけれど、本棚にしまいきれてない本をしまおうと整理し始めたら片付け熱が出てしまい、収納用品を検索したり、ホームセンターに行って釘やビスを整理するグッズを買ったり、100均で引き出しの中を整理するトレーを買ったりと少しうろついた。そういえば、新型コロナに感染して以来出歩いていなかったので、出掛けたかったのかもしれない。
急な来客、麻雀で振り込みまくるなど。
4金曜日
紐のドローイングをする。
3木曜日
紐のドローイングをする。色々片付けた方がいいものもあるけど、捨て置いてドローイングをする。時々あやとりをする。自分が書いたことと時々向き合いながら、ドローイングをする。思っていたより時間がかかるけれど、どれだけ描けるだろうか。
2水曜日
初校ゲラの戻しの締切日なので、もう一度、ゲラを最初から通しで読んだ。いまだに自分の本が出るなんて信じられない気持ちがあるのだけれど、読むときはそんなこと考えずに読むし、悔いない状態に整えられたと思う。でも、口絵のカラー図版や表紙に使ってほしいカラー図版が全く思い浮かばない。まだ物としてのリアリティを持ちきれてない気がする。本のサイズが最初の予定より大きくなったせいだと思う。私は大人になって拘り(悪い意味での、症状としての)が強くなった感じがする。局所的に切り替えの効かない時がある。なんでこんなに歪なのだろう。強い偏りのある計算機だと思う。
自分の書いた文章を読んでいて、うっすら別の層で別のネットワークがつながっている感じがしてる。それは最初からつながってたのだけれど、自分では見つけられずにいたもので、やっとかすかに見つけたと思うのだけれど、明示的に書き出すことがまだ困難というか、一目瞭然のように結びついているけれど、その理路までは説明できない。
1火曜日
町内会長業務の手伝い。朝早く届いた会報他の印刷物を班ごとに分けて、回覧板用の書類を分配して、班長宛の連絡事項を書いた封書と同封して大きなビニール袋に入れ、班長宅へ配る。全13班、113世帯。今月は、会長といえども新参者で、近所のことがほとんど分からず、高齢者も多い現状なので、防災の専門家を呼んでこの地域の具体的な避難行動などについて質問したり、ご近所の交流をはかる「防災説明会」を企画したので、その告知チラシを同封した。チラシは私がデザインした。パソコン内の写真を探すと、2019年の千曲川決壊の時の、水道塔公園近くの信濃川の満水状態の写真が出てきた。川の水は茶色でカラフルなプラスチック容器が散り散りに浮いている。もう空は晴れ上がっていて、土手ぎりぎりの水を見ながら近所の人たちが家族で散歩している様子が写っている。既に破壊を済ませた水が平和な休日に近所まで届いた感じの不思議な写真だった。これを用いてチラシをつくった。今は印刷代がびくりするほど安い。