2023年12月
31日曜日
アレルギー反応が酷過ぎて具合が悪く、実家を逃げ出して近くのミヤマ珈琲へ。積読になっていた、『現代思想7 2020vol.48-9 圏論の世界』の久保田晃弘さんの「圏の図式からみた芸術の理論」を読んだ。志賀浩二さんの『現代数学入門』のはじめの方で次元が変わると空間の景色や性質がかわるのを、よくわからないまま面白いと思っていたけれど、ここ(p.181下段)読んでふわっと宙に浮くくらい事態が軽くなるような感じがした。そして自分の仕事のことが書いてあるって思う。
私の箱の作品の作り方について、俯瞰する神から板厚が神に、トップダウンからボトムアップになったと説明していたけれど、箱に内も外もない、板厚しかないと捉え方が変わるヒントになったのもトポロジーのこと知ったのがきっかけだった。けれども更にここに書かれているように、ユークリッド空間(箱には内と外があると俯瞰して見ている状況)から、「箱をトレースして次の箱にうつしかえる」という言い方もしていたように、蟻がその表面上を這うように視点が内在してかたちを見るようになったことだったのが理解できた。
というかこの号、他にも興味深い記事が幾つか。
大晦日。自分のやりたいことをやるしかなくて、私は随分とゆっくりで、歩調をなかなか合わせられないけれども。
30土曜日
喪中なので、いつもの家族の新年の集まりの代わりに、今日忘年会をすることに。途中妹と抜け出して、アメリカ大使館前でのガザ侵攻についての抗議運動へ。現地で播磨さんとも合流。溜池山王の駅のホームに既に警官が立っていて、どきっとする。大使館前にも警官はとても多かった。何をすることが許されているかがわからないみたいな不安が少し、そうやって自分が望むことに自らブレーキをかける自分は嫌だし、つまりは一々よく感じ、考えるしかない。
数日前から古い布団のせいか、アレルギー反応が出ていて、風邪っぽいのかな、熱はない(むしろ低い)けど、くしゃみ鼻水喉のイガイガ咳ゼーゼーで、晩にはとても苦しくなって、夜中ずっと唸ってたと。確かに自分の唸り声で何度も目が覚めた。
29金曜日
昨日までは色々なことが浮かんできて、日記以外にもメモを幾つか書いたのに、今日になってパタリと何も書くことがない。
一昨日から喉がイガイガするのでのど飴を買いに出て、ついでに昼食用のパン屋に向かう。反対側の歩道に年配の男性が倒れていて、近くに女性とその娘さんらしき小学生くらいの子が2人、もう1人別に男性がその方の様子を確認している。女性は電話をしている。パンを買って戻ると、すぐ近くの交番から警官が到着する様子が見え、間をおかずに救急車が来て、隊員が看護しはじめた。人通りも多く、何かあればすぐに声を掛け合って暮らす人々の街に見えた。
夫と息子と合流。久しぶりに会った。なぜか夫の方が息子よりずっと長く会ってなかった感じがした。
28木曜日
一昨日の出来事の意味を次の日になって理解して、そう思ってたのに今日新たにもう少し多く理解した。これはねにもつタイプの効用かなとふと思い、何故自分をねにもつタイプだと規定してしまっているかというと、「これ面白いですよ!」と、『ねにもつタイプ』(岸本佐和子・ちくま文庫)という本を個展に来た人がプレゼントしてくれたことがあり、それを側で見ていた友人が爆笑して、まさに私のことだと言う。不本意だったけど、この出来事自体を含めて物体化した本がうちの書棚に在る。その物はやたらと私に働きかけ続けて鮮やかなままなのだ。
ノイズについての話をいつか。メモです。メモが増えて行く。
そういえば、「抽象化・単純化」は別に体系化と対義語ではなく、抽象化してから自分の射程範囲(?)で関係を編むというか相互補完的に組み立てるのが体系化の作業だなと。そう思うと昨日見た図は入れ子かフラクタルかみないなイメージが浮かんだりした。
ある人のnoteを読んでいて、息苦しくなり、というのは文章が悪いとかではなくて、著者自身が行き詰まった苦しみについて書いているからで、私は思わず目をつぶった。(このことは盲目の人の話から意識できていることなのだけど、そこから派生して)私は少し前から目をつぶると目の前の空間が失われる代わりに、自分の背後に大きく空間が広がるのを感じる。家の前の道路でシャボン玉をして遊んでいた頃、時々通過する車体をよけて流れたシャボン玉が、背後でくるくるくるっと、急に忙しく気流に巻き取られる様子を見るのが好きだった。目をつぶると、風が吹いているわけでもないのに私の前方から空間が後方に流れ込んで、背後で美しい渦を巻いて広がっていくように感じる。そうすると、現状の息苦しさが弱まる気がする。
27水曜日
言い間違いや記憶違いについてもうちょっと細かく見ると、たいして似てもいないのに多分私の個人的な誤変換で頭の中の一緒の小さな入れ物に入ってしまっている言葉があるようにイメージした。例えば、小さな籠に千羽鶴用の小さな折り紙で、濃紺と紫が乱雑に沢山詰め込まれているみたいな。このイメージが何かというと、今日初めましてした「久保田」さんの名刺をいただいて、その名前をちらっと見て脳内で誤変換し、「長谷川」さんだと暫く思い込んでいた。改めてどっちが濃紺で、どっちが紫か思い浮かべてみると、どちらもほぼ同じ濃紺に思える。
帰って高橋さんが私が読みたがった久保田さんの原稿を送ってくれて、そこでその久保田さんが数ヶ月前に私が読みたいと思った別の雑誌の記事で、まだ積読のものの著者だったことに思い当たった。
私と同じような紙面を作り上げている人がいて、それは「体系化」していきたいという気持ちがあったりしますか?と聞いたら、寧ろ抽象化・単純化したいと言っていて、今思い出すと、中央から放射状に伸びている図だと受け取ってたものは、周囲から中央に流れ込んでくる図だったのだろう。
26火曜日
私のホームページを見に来る人もそれほど多くないだろうし、勉強不足でどのくらいの人がここに来たのかを判るようなサイトの設定もできてはいなくて、この日記が誰かに見つかることはまだ先だろうと、ここに何をどんなテンションで書くのが良いのかまだ掴み損ねているまま、ついここへ来るリンクの貼ってあるページのことを、今日交流したアーティストに話してしまった。
誰に読まれるかについて何かしらの設定があった方が書きやすい気がして来た。やはり手紙、独白、日記みたいな何か。
ファンダメンタルズという企画の発表会が駒場であり、私の発表はなく聞くだけだったが行ってみた。
自分が何をやっているかについて話すのは難しいなと思う。相手や目的によって違ってくるし、その相手を読み間違えると失敗さえする。
問題意識を共有出来ない時に、それ以上突っ込んで前段階に戻ってまで話しをするかはどうだろう、単に自分が望むか望まないかだなと、鏡写しのように他者の気持ちを想像したりした。
体系的に考えることの注意点とかセオリーって何かあるのだろうか?
そういえば星占いに、今日突如大きな決断をすると書いてあって、帰宅途中のエレベーターの中でちょっと思い立ったことがあったけど、行動せずに日付が変わってしまった。それとも今日の出来事や話の中で、何か決めたことがあっただろうか?
25月曜日
個展会期年内最終日。今日もお天気が良くて気持ちよく在廊。来て下さった方々がゆっくり滞在してくださって、色々な話をしてくれるし、色々質問してくれる。ありがたい。
重厚な床の間に掛ける作品を、自分では良しと思っても、見に来る方に通用するのか本当にわからないでいたので、やっとほっとする。自分の作品について掴むのにも時間がかかる。古い作品も出品していて、それらは落ち着いている。
今朝、以前2年ほど書いた新潟日報のレビュー記事のことを思い出していた。何について書くかも任されていたので、地方の狭い地域の中で、どの展示を見て取り上げるのかが私には手に余る権力に感じられて嫌だったのと、それぞれに何かしら積み上げる投げかけのような物差しでのセレクトだった面もあり、けれども個別の展示に何かのカテゴライズを加えることは、少なからず道具化になるし良くないと思い、だけどそういうわかりやすさが求められている界隈があって、そうやって美術が時間割の中の一コマみたいな社会の中の一分野に思われてしまうのは嫌だ、ってゆらゆら思い巡らせながら、地下鉄の階段を降りていた。
24日曜日
obi gallery 在廊日。藤沢駅からバスに乗って住宅街で降りるので本当にここにギャラリーが?となる方が多い。来てくれる方は街の中央での展示よりだいぶ少ないが、長く滞在される方が多い、2時間とか。印象深い人との会話がそれぞれ。
終廊後藤沢の居酒屋一番奥の席で、向井さん言水さん藤本さん井川さんと美味しい肉豆腐やアジフライを囲んで。編集の仕事のはなしや、せんだいメディアテークの写真の展示のはなし、リハビリ中のご家族が筆ペンでエモーショナルな線を引けるようになった話などを興味深く伺う。私は子供電話相談室の子どもが少ない材料で陰謀論的な期待を抱いて質問することと大人の答えの齟齬についてと私の制作についてパラレルだというはなしを初めて口にした。
23土曜日
今朝もいつもと同じで朝はなかなか布団から出られず、スマホでSNSを見て、主に悲惨なガザの状況、ひたすら残酷な行為が繰り返されているものを見て、イスラエルの人が国の存立を守るのに過剰に攻撃的であろうために、深い病に侵されている感じがしてさらに絶望的な心持ちになる。それともこれは生存戦略として有り得る選択肢だとでもいうのだろうか?
と、こうして書いているうちに書こうと思ってもいなかったことをつらつらと書いてしまう。書くというのは空で考えているときにすっと遠くに流れていくことともまた違うように行く。
今朝そうして過ごして布団から出る頃には、もう一度しっかり日記を書こうと思ったのだった。以前毎日努めて日記を書いていた頃の方が、色々な種をきちんと土に留めておくことが出来たし、その後に育てることもできたように思い出されて、当時のメモ書きのような「重ね書き」を見ていて、忘れていた閃きがそこに印として残っていることを好ましく感じた。それと、昨日一昨日で一気に福尾匠さんの『群像』の連載、「言葉と物」を読んだ。その中で彼自身の日記が引用されていたり、日記を書くことについて触れられていて、その意義を彼の言葉を通して私が実感したことが大きい。
その連載の内容に関しては、例えば私が何にかわからないまま何か躊躇しながら、または何故?と思いながらパレスチナのことをSNSで書いたり、投稿をリツイートしたりしていることについて考える起点にもなる内容もあった。
この日記を、ささやかな不特定の人に読まれることを前提に書いていこうと思う。匿名ではなく、でも積極的にコミュニケーションをとろうと思うわけでなく、宣言でもなく、オピニオンでもなく、独白で、離散しているものとして。フリーライティングとして。
福尾さんの連載が面白かったので、もっと丁寧に読みたくて、夫とシェアしてまずは第一回分だけ読み合わせをした。彼は、とても面白がって、図書館へ行って私が借りてる号と最新号以外の『群像』を全部借りてきた。
それから昨日は、15日に個展に来てくれた陶芸家の森田春菜さんが教えてくれたムラブリについてのゆる言語学ラジオを聞いたら、その研究者の伊藤優馬さんの話がとても面白く、特に定住したくないという話にとても興味を覚える。少し以前から公園に住むことについてをホームレスの方々の様々な側面として受け取っていたけれど、そこにまた違ったニュアンスのものが加わった感じがした。