画像の統語論?
「統語論」の一般的な意味
当の記号システムの中で適切なものとして許容される表現を定める規則のこと。その表現があらわす内容についての制限は含まない。
簡単にいえば、当の記号システム内でどんな記号が可能性としてありえるのか/ありえないのか、ということ。
言語であれば、たとえば品詞間の結合の仕方についての適切/不適切や、語順についての適切/不適切を定めている規則がある(個別言語学はそれを明らかにすることを仕事のひとつにしている)。
記譜法であれば、どういう音符が用意されているか、それぞれをどのように配置できるか、などについての規則がある。
構造説での用法
グッドマンもカルヴィッキも、基本的には上記の意味で「統語論」という語を使っているが、言語における統語論(いわゆる文法)をイメージしてしまうと、画像に適用したときに理解しづらい。
一般的なフルカラー画像の記号システムにおいて適切なものとして許容される表現は、ざっくり言えば「二次元の表面(たとえばキャンバス)上に任意の色を持った任意の形が配置されている」というものだろう。もうちょっと限定して、「目立ったかたちで三次元的なでっぱり(たとえば絵の具が盛り上がりすぎているとか表面に穴があいているとか)がない」という条件をつけてもいいかもしれない。おそらくそれ以上の制約はほとんどなく、あらゆる色と形のバリエーションを適切な表現として許容する。
モノクロ画像のシステム(白黒写真や水墨画)であれば、色のうちの色相や彩度は統語論に関わる特徴としてはカウントされない(それをカウントするシステムはもはやモノクロのシステムではない)。
注意
「フルカラー画像のシステム」や「モノクロ画像のシステム」は、画像を解釈するときのシステムの話であって、それを作るときの制約(たとえば媒体上の制約)の話ではない。
また前回の授業で話したように、構造説の考えによれば、画像に対してつねに画像的記号システムを適用しなければならないという決まりはない。絵であれ言葉であれ、その記号としての働きは物に内在しているのではなく、われわれがどのような記号システムのもとでそれを扱うかに完全に依存する。
マンガの記号システム?
「マンガの文法」という言い方があるように、マンガの記号システムには言語との類比で考えると理解しやすい面がある。
たとえば、漫符、コマ割り、吹き出し、etc.
ただ、これは「画像的記号システムとしての統語論」ではなく、「コミック的記号システムとしての統語論」というべきものである。これはさらに、日本のマンガ、アメコミ、バンドデシネ、マンファ(韓国マンガ)、etc.で微妙に違うかもしれない。