ベネットの嘘つき画像の例
以下、松永「ビデオゲームにおける意味作用」(pp. 77–78)から引用。
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まず、画像がうそをつくという事例は明らかにあるように思える 。ジョン・ベネット(Bennett 1974)の例を引こう。
ある絵葉書を考えよう。その片方の面は画像になっており、日当たりのよい浜辺とその背景に今風の大きなホテルが描かれている。絵葉書の正面には「ホニャララビーチ」という語句が書かれている。私は、ホニャララビーチは日当たりのいい場所で、しゃれたホテルと気持ちよさそうな浜辺があるんだなあという印象を受ける。後日私がそこを訪ねてみると、そのようなたぐいのものは一切ない。ホニャララビーチにはとがった岩場しかなく、周辺 20 マイルにあるいちばん大きな建物はさびれたガソリンスタンドであった。太陽もほとんど顔を見せない。私はだまされたのである。(ibid: 259–260)
この種の事例には事欠かない。偉人の肖像画が当人の容姿を正しく伝えていないということはしばしば指摘される。製品の広告画像やパッケージ画像は虚偽や誇張を含みうる。報道写真や報道映像は事实を捏造ないし歪曲しうる。デジタル写真の加工修正が「詐欺」と呼ばれることもしばしばある。ある画像を偽であると判断するということは、別の条件のもとではその画像を真であると判断する可能性があることを含意する。たとえば、先の事例において、ホニャララビーチが实際に今風のホテルのある日当たりのいい浜辺であったなら、絵葉書は事实を正しく伝えるものと見なされていただろう。同様に、肖像画に対しても、それが写实的であるかどうかの判断とは独立に、それが当のモデルの特徴を正しく描いているという判断がありうる。また、われわれは、報道映像に対して、それが現实のありようを正しく伝えていることをふつう期待する。
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文献情報
松永伸司「ビデオゲームにおける意味作用」東京芸術大学博士論文、2015年
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John G. Bennett, "Depiction and Convention," Monist 58, no. 2 (1974): 255–268.