フィクショナルキャラクターを論じる視点
🐫 文献
松永伸司「キャラクター:その存在、表象、鑑賞」『美学の事典』丸善出版、2020年
商業出版物に掲載されている原稿なので、授業の学習用途を超えて使ったり共有・頒布したりしないでください。
🐫 フィクショナルキャラクターの特徴づけ
上記文献からの引用:
キャラクターとは、フィクション作品の登場人物のことである。ここでいう「登場人物」には、人間だけでなく動物やロボットなどなんらかの主体性をもった存在者すべてが含まれる。ペガサス、ハムレット、シャーロック・ホームズ、ミッキーマウス、ドラえもん、マリオ、ちびまる子、ピカチュウ、ハリー・ポッターなどは、すべてこの意味でキャラクターである。英語の「character」には、ほかにも複数の意味があるため、登場人物の意味でのキャラクターを指すのに、しばしば「fictional character」という言い方がされる。
伝統的に、一人のキャラクターは一つの物語作品(またはシリーズ)にだけ登場するものだった。そして、キャラクターは主に物語の中で特定の役割を担う存在として考えられてきた。一方、現代のポピュラー文化では、キャラクターが一つの作品を超えるかたちで登場することがよくある。アメリカン・コミックスのクロスオーバー作品(例えば『アベンジャーズ』)は好例だろう。さらに、キャラクターグッズやイラストレーションのように、物語ぬきにキャラクターが描かれることもある。もともと、物語作品のキャラクターだったものがグッズにされる場合もあれば(例えばスヌーピー)、はじめからグッズ用につくられ、特定の物語や世界を背負っていない場合もある(例えばキティ・ホワイト)。自治体やスポーツチームなどのマスコットキャラクターもまた、ふつう物語や世界をもっていない。このように、現代のキャラクターは、一つの作品、一つの物語、一つの虚構世界に縛られないあり方をしている。キャラクターは、物語や世界から離れて、それ自体として鑑賞の対象になっているといえるだろう。
キャラクターに関する哲学的・美学的な問いは、大きく三つ考えられる。①キャラクターはどのような仕方で存在しているのか(そもそもそれは存在しているのか)、②キャラクターを絵に描くとはどういうことなのか、③私たちはキャラクターをどのように鑑賞しているか、である。
描写の哲学に関わるのは、②の問い。
🐫 論じる視点①:キャラクターの存在
フィクショナルキャラクターがどのような種類の存在者なのか(それはどんな存在のあり方をしているのか)を問題にするタイプの議論がある。
伝統的に言語哲学における指示(reference)の問題とからめて論じられる。たとえば、虚構名(キャラクターの名前)の指示対象は何か、それは空名(指示対象を持たない名前)なのか、といった議論。
追加の勉強用文献:
🐫 論じる視点②:キャラクターの画像
🐫 論じる視点③:キャラクターの鑑賞
性格の鑑賞:
E. M. フォースターによる区別:
平面的人物(フラットキャラクター):単純で深みのない性格造形。
立体的人物(ラウンドキャラクター):複雑で深みのある性格造形。
外見の鑑賞:
キャラクターの外見に対する評価(「かわいい」など)は、フィクショナルキャラクターと描写の哲学で説明する「Pキャラクター/Dキャラクター」の区別でいえば、Pキャラクターを対象にする傾向にある。 属性の鑑賞:
東浩紀の「データベース消費」(上記文献から引用):
これは、個々の物語作品を鑑賞することでも、個々の物語作品の背後にある大きな「世界観」(物語設定)を鑑賞することでもなく、さらに個々のキャラクターをそれとして鑑賞することでもない。データベース消費では、もはや個々のキャラクターの個別性は重要ではなく、キャラクターの属性(「萌え要素」)の組み合わせと、その組み合わせを支える整理された属性の「データベース」が重要なのだという。