分析美学における作品解釈をめぐる議論
🐪 概要
素朴なレベルでは、作品の「正しい」解釈がどうやって決まるかという問題に対して、作者の意図を持ち出すことで説明されることが頻繁にある。分析美学では、その話題がもうちょっと深くつっこんだかたちで論じられている。
分析美学における意図と解釈の関係についての議論は、ウィムザット & ビアズリーの反意図主義(ニュークリティシズム)に対する批判として展開していった。
現代では、極端な意図主義と極端な反意図主義の両極のあいだで多様な立場が提示されている。
おおむね以下の分け方がされることが多い。
極端な現実的意図主義(radical actual intentionalism)
穏健な現実的意図主義(moderate actual intentionalism)
仮説的意図主義(hypothetical intentionalism)
慣習主義/価値最大化説(conventionalism / value-maximizing theory)
極端な反意図主義(radical anti-intentionalism)
作品解釈をめぐる諸立場のまとめ論文のまとめ
勉強用の文献
ステッカー『分析美学入門』森功次訳、勁草書房、2013年、7章
🐪 ニュークリティシズム
作品の批評をする際には、作品のうちにあらわれているもののみを気にするべし、それゆえ(実際の)作者の(実際の)意図のような外在的な情報を参照するべからず、という規範的な主張をとる立場のこと。
意図主義に反対するという意味で「反意図主義」とも呼ばれる。
反意図主義の典型的なあり方だが、作品には正当な解釈やそれ自体の内容がありえると考える点で、いわゆる「作者の死」論者とは異なる。
この立場を明確に打ち出した有名な論文
W. K. Wimsatt and Monroe C. Beardsley, “Intentional Fallacy,” Sewanee Review 54 (1946): 468–488.
【邦訳】W・K・ウィムザット、モンロー・ビアズリー「意図の誤謬」河合大介訳、『フィルカル』2巻1号、2017年
🐪 意図主義
正しい作品解釈をする上で、作者の意図を顧慮することを重要視する立場。
ニュークリティシズムや「作者の死」論者の批判のターゲットになった。
日本の人文諸学では、ポストモダン思想が一時期流行ったおかげで「作者の死」論がいまだに常識であるかのごとく根強く生き残っているが、現代の分析美学では意図主義の穏健なバージョンを含めた諸立場が提示されている。
🐪 仮説的意図主義
正しい作品解釈にとって重要なのは、実際の作者が実際に抱いた意図ではなく、むしろ受容者(あるいは受容者の共同体)が「おそらく作者が抱いていたであろう」というかたちで適切に想定する意図であるとする立場。つまり、作者の意図についての適切な仮説が正しい解釈の基準になる。
意図主義をとるモチベーションを維持しつつ、現実的意図主義の難点をいろいろ回避できるという利点がある。
🐪 価値最大化説
作者の意図にかかわらず、鑑賞者の経験をもっともいい感じにしてくれるような解釈が正しいとする立場。
現代的な反意図主義。
もちろん、作者の意図に沿うことでそれが達成されることも多いので、実践上は意図主義と大差ないことも多い。
価値最大化説を押し出している論文のまとめ
🐪 作者の死
作者の意図は作品の批評に際して一切顧慮すべきではなく、鑑賞者の自由な解釈を許容すべし、という規範的な立場のスローガンとしてしばしば持ち出される非常に有名なフレーズ。
ロラン・バルトによる同名のエッセーから取られている(『物語の構造分析』に所収)。
一般にバルトやミシェル・フーコーの主張とされるが、実際はけっこう微妙らしい(下記のラマルクの論文を参照)。
立場としては、作者の意図を持ち出すことに反対するという点では、分析美学の文脈におけるニュークリティシズム(反意図主義)に近いが、さらに進んで作品解釈の正しさを否定する(作品という概念すら拒否する)という点で異なる。
分析美学と作者の死
分析美学では作者の死の議論が参照されることはほとんどないが(参照されるとしても、だめな議論の例として持ち出される程度)、このキャッチフレーズのもとになったとされる議論を真面目に検討して盛大にdisっている例外として以下がある。
Peter Lamarque, “The Death of the Author: An Analytical Autopsy,” British Journal of Aesthetics 40, no. 4 (1990): 319–31.