グッドマンの理論
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ネルソン・グッドマン(Nelson Goodman, 1906–1998)
アメリカの哲学者。科学哲学の文脈では、帰納法(斉一性原理)にまつわる問題である「グルーのパラドックス」を提起したことなどで知られる。形而上学の文脈では強力な唯名論の立場をとっており、美学関係の著作にもその性格が色濃く出ている。若いころにアートギャラリーの運営に関わっていたらしい。美学の業績は主著『芸術の言語』を含めて複数あり、重要な論点をいくつも出しているが、いずれについても常識外れに見える(それでいて筋が通っているように見える)主張をしており、後続の議論の火付け役としての立ち位置である。分析美学者の中では珍しく、他分野にまで広く名前が知られている。
🐪 1. 前提
基本文献
Nelson Goodman, Languages of Art, second edition (Indianapolis: Hackett, 1976).
【邦訳】グッドマン『芸術の言語』戸澤義男・松永伸司訳、慶應義塾大学出版会、2017年
Nelson Goodman, Ways of Worldmaking (Indianapolis: Hackett, 1978).
【邦訳】グッドマン『世界制作の方法』菅野盾樹訳、筑摩書房、2008年
Nelson Goodman and Catherine Z. Elgin, Reconceptions in Philosophy and Other Arts and Sciences (London: Routledge, 1988).
【邦訳】グッドマン/エルギン『記号主義』菅野盾樹訳、みすず書房、2001年
描写の話は、『芸術の言語』のほかに『記号主義』の8章にも少しある。
『芸術の言語』
分析美学以外の分野でも頻繁に言及される古典。1968年に初版が出版され、すぐに大きな議論を巻き起こした。『芸術の言語』の議論に端を発する分析美学上の論点も数多い。
本文を読むのはけっこう大変だと思う(とくに4章)。巻末にある「用語解説」と「概要」でポイントをまとめてあるので、それを最初に読んだほうがいいかもしれない。
描写の哲学に直接関わるのは1章と6章の前半だが、グッドマンの見解を理解するには4章で展開される記号理論を踏まえる必要がある。
描写に加えて、表出(2章)、隠喩(2章)、贋作(3章)、芸術存在論(3章、5章)、美的なもの(6章)などの美学的な論点も論じられている。
参考:グッドマン『芸術の言語』裏あとがき - 9bit
描写の哲学における位置づけ
構造説の代表的な論者。
画像を記号の一種としてとらえる立場で、「構造説」よりは「記号説」のほうがしっくりくるかもしれない。
ゴンブリッチの議論(👉 ゴンブリッチの〈として見る〉説)に少なからず影響を受けてはいるが、ウォルハイムとは違って画像の知覚経験とかは一切に気にしておらず、もっぱら記号としての働き方にのみ注目している。
画像は、慣習・取り決めの結果として機能するという立場を一貫して主張しており、その点が主な批判の的となった。
🐪 2. 基本のフレームワーク
表象(representation)
何かが何かを表すこと。記号の働きと言ってもよい。
グッドマン自身は、"reference"(邦訳だと「表示」)、"symbolization"(邦訳だと「記号作用」)、"denotation"(邦訳だと「指示」)などの語を使うが、この授業ではややこしいので「表象」で統一する。
ちなみに邦訳では"represenation"を「再現」と訳してあるが、これは意味としては「描写」のことである。めちゃくちゃわかりづらい。
また、この授業では、表象の両端の要素を「記号」と「内容」で統一する。
つまり、以下の図式における矢印が表象。
記号 → 内容
表象にはいろいろな種類がある。グッドマンによれば、画像が何かを描くこと(=描写)も表象の一種であり、それゆえ画像は記号の一種である。
記号システム(symbol system)
グッドマンの考え方では、記号と内容はいずれも記号システムの中でのみ機能する。
記号も内容も、記号システムのもとである種の種類(タイプ)に分類されることで、記号や内容としての役割を果たす。
つまり、記号や内容という身分は、個々の物に内在しているわけではなく、記号システム内での扱いによって決まる。
たとえば、個々の物(実際に存在するインクのしみ、その集まり、実際の人間の発声、etc.)は、記号システムのもとでしかじかの〈単語〉や〈文字〉として分類されることで記号としての身分を獲得する。
同じように、個々の物(実際の存在するあの猫、この猫、etc.)は、記号システムのもとでしかじかの種類の〈もの〉として分類されることで、記号が表す対象としての身分を獲得する。
記号システム内に用意された身分のことをタイプといい、記号システム内でその身分が割り当てられる(それに分類される)個々の物をトークンという。
イメージ:
会社内の役割:部長、課長、係長、主任、平社員
何かに名前をつけることを考える
記号のタイプ/トークン(type/token)
記号タイプ:
「英語のアルファベットは26個ある」というときのそれぞれのアルファベットは、記号タイプとしてのアルファベット。
「英語には"cat"という単語がある」というときの"cat"も、記号タイプとしての"cat"。
記号トークン:
記号タイプに分類される個々の物のこと。
「"symbol system"という文字列の中に、"s"というアルファベットは3個ある」というときの”s”は、記号トークンとしての"s"。
「この本の中に"cat"という単語は101回登場する」というときの"cat"も、記号トークンとしての"cat"。
グッドマン自身はそれぞれを「符号/印字(character/inscription)」と呼ぶが、ぜんぜん広まった言い方ではないので、標準的な「記号タイプ/記号トークン」で通す。
内容のタイプ/トークン
内容についても同じ区別が言える(グッドマンの言い方ではそれぞれ「準拠クラス/準拠物」)。
内容タイプ:
「猫にはペルシャ猫という品種がある」というときのペルシャ猫は、内容タイプとしてのペルシャ猫。
「昨日、グレーのペルシャ猫を見た」というときのペルシャ猫は、内容トークンとしてのペルシャ猫。
統語論/意味論(syntax/semantics)
記号システムには、大きく分けて、記号を組織化する側面と、内容を組織化する面がある。
構造説の論者は、前者を「統語論」、後者を「意味論」と呼ぶことが多い。
統語論と意味論の区別を示す有名な例文:Colorless green ideas sleep furiously - Wikipedia
統語論:
たとえば、通常の言語では、複数の記号を組み合わせて新しい記号を作ることができるが、それを制御している規則が統語論である。
ある記号システムにおいて適切と認められる可能な記号を作り出すための規則と言ってもよい。
意味論:
たとえば「猫」や「ペルシャ猫」という語がどのような集合を意味するのかを制御しているのが意味論である。
ある記号システムにおいて、意味することが可能な内容を作り出すための規則と言ってもよい。
いずれも言語学に由来する言葉だが、グッドマンを含めた構造説の論者は、かなり拡大解釈して使っている点に注意。いずれにせよ、「統語論的」は「記号にのみ関わる」くらいの意味、「意味論的」は「内容に関わる」くらいの意味という理解で問題ない。
🐪 3. いろいろな記号システム
👉 描写:『芸術の言語』から現代の分析美学へ
記号システムの違いを特徴づけるための概念
分節化されている:記号や内容の分類が大雑把(だいぶ違う個体も同じ記号や内容に属する)
稠密である:記号や内容の分類がめちゃくちゃ細かい(ちょっとでも違ったら別の記号や内容として扱われる)
相対的に充満している:記号の分類に使われる性質の種類が相対的に多い
記譜法(notation)
西洋音楽の楽譜がモデルケース。
記譜法の特徴:
統語論的に分節化されている
意味論的に分節化されている
(もうちょっといろいろ挙げられているが、他の記号システムとの対比をわかりやすくするために単純化している)
注意:
記譜法の意味論は、内容タイプが分節化されているというだけであって、内容トークン(音楽の場合は演奏に相当する)の多様性は許容する。
グッドマンに言わせれば、記号システムに用意されている内容タイプがざっくりしているほうが、むしろ内容トークンの自由が保証されている。たとえば、ある楽曲の楽譜に沿った演奏は、演奏者の解釈によってかなりのバリエーションを持ちうる。
言語
日常言語がモデルケース。
言語の特徴:
統語論的に分節化されている
意味論的に稠密である(dense)
アナログ図表と画像
例:
心電図と北斎のドローイング
図表と画像の特徴:
統語論的に稠密である
意味論的に稠密である
図表と画像の違い:
画像のほうが相対的に「充満」している、つまり、関与的な性質の種類が相対的に多い
記号システム次第で記号としてのふるまいが変わる例
👉 にしこり