喫粥了
喫粥了(きっしゅくりょう)当たり前のことを、日々続けることが修行
「例えば朝ご飯を『作って、食べて、片付ける』といった当たり前のこと。その当たり前のことを日々続けることが修行になるということ」と書家から聞いた時、私は無線の「喫粥了」を考えてみた。「喫」は作る。アンテナや周辺機器など。「粥」は自作したもので交信すること。さて「了」は何だろう・・・
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「了」とは、自分が作ったのものを、誰かに使ってもらい、喜んでもらうことだと思う。その製作過程で得た知見を、「情報の一つとして提供すること」だと思う。それは技術的なことでなくてもいい。無線と関連のないことでもいい。たとえそれが、誰の役に立たなくてもいい。
喫粥了(きっしゅくりょう)当たり前のことを、日々続けることが修行
禅の道場の朝ごはんは、お粥です。
お粥をいただくことを、喫粥(きっしゅく)といいます。
そして、喫粥が了ならば、食べ終わったならば、片づけなければなりません。
de JN1GGZ
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