能力や努力の不足は不幸の言い訳にならない
俺の能力が十分であった試しが無いことは、仕事や活動を少しでも共にした人なら誰もが知っているところであるが、
もっとできることがあれば…もっと頑張れたら…などと、できもしない未来の努力や成長を仮定することをやめたことが、かえって人生の安寧に貢献しているという逆説がある。
社会全体の基準に対する無能力は、一対一の関係性においては緩衝される
有能者が、その能力を発揮できないタスクに忙殺されていることは、世界の損失である
そもそも価値は、必ずしも能力の有無に立脚しているわけではない
このような価値と能力の関係性を踏まえると、自分に能力がない上に、様々な理由で十分な努力を行うことができない人間であることは、ただちに不幸な人生を確約する性質などではない。といえる。
これは能力をもたない人間を擁護する立場というよりは、むしろその人の苦しみや不幸を、そのような能力・努力の欠如によるものだと嘆くことを認めない、辛辣な態度である。
資格勉強や精度上昇訓練と相性が悪い