卒業論文の書き方について
2019.2.2
タイムマシンがあったとして,1年前の自分に,その内容を語るつもりで書けばよい.
レポート課題で書くレポートと同じ
つまり,
1年前の自分が知らない単語を使うのなら,丁寧に説明する.
その目的,背景は,当然知らないだろうから,その意義は丁寧に説明しないと伝わらない.
読み手が同じ苦労をしなくても,短期間で,ここまで到達できるようにしてあげる.
重要なことは以上.この考え方だけでOK
https://gyazo.com/5766c8b60b5aad1afa9776aa42056759
書くのは難しい.わかりやすい文は,偶然書けるわけではない.最初はでてこない.おそらく3回目でもでてこない.絶望するかもしれないが,これが真実.書くことが難しいのは,単に,それが難しいから.
よくなるまで,何度も書き直せばよい
何度も書き直すと,よくなる可能性が高い.
1. ひとまとまりの文章を書く.
2. k=1
3. 自分で書いたk番目の文を読む
4. If clear sentence が書けている then k++; 3.へ(最後の文で終わり).else k番目の文章を書き直し.
「自分で書いた文章が clear かどうか」が見分けることができる力があれば,自力で論文がかける.
自分の思いが上手に書けない(言えない)と自分でわかることが重要.
なんど書き直しても,clear な文が書けなければ,指導教員の力を試せばよい.
圧倒的に力のある指導教員なら,おどろくほど簡単に,無駄を削ぎ落とし,より clear な文に仕上げてくれる.
指導教員と自分の力が同じくらいなら,指導教員に見せても,よくならないし,改悪されて不満がたまるだけなので,自力で改善する.この場合,自分に力が付いている,ということで自分を褒める,決して指導教員を責めない!
この作業は終わりがない?
どこかの段階で終わらせる.
人にもよると思うが,自分自身で「明瞭」「完璧」と思える文章が書けることは,ほとんどない.もう何度も書き直して,意味を読み間違えされる文章が一つもなくなったと思ったら,そこからさらによくするのは大変な作業なので,どこかで終わらせる.
自分の書いたものを添削してほしい場合:
真横に座って,1文1文,二人で確認していく作業(時間の確保)が必要.
4年生の場合,赤ペンで添削してもらったものを,あとで見ても,なぜ修正されたのか,理解できないことが多い.指示された通りに修正することは教育的によくない(自分で考えることをしなくなる),かつ,時間の無駄.
信頼関係ができた者どうしであれば可能.
→添削してくれる AI システムがほしいですが,ちょっといまのところムリ.
目的は,自分の力を身につけること.
よく書けた(悪く言えば,指導教員が手を入れた)卒論を提出することが目的ではない.
よく書けた卒論 = 少年野球でいえば,勝利至上主義.
論文のすべての文を,1文1文みてもらい,修正すると,当然,よく書けた論文に仕上がる.
ただし,文の構成がダメな場合もあるので,その場合は,そこから修正.
しかし,それでは自分の力はつかない.
どうしてもみてもらいたい,少数の文章についてだけを,指導してもらう.
他の文章は,自力で修正する.
自分が,以前より clear な文章が書けるようになった,という達成感を味わえる.
他人に多くのことを頼らないので,どこまでも進歩できる.
「卒業研究の単位がもらえる最低レベルが書けていればいいので,そこをクリアーしているかどうかだけでも教えてください?」 → 「自分の卒業論文なので,自分がそれで満足できればいいんじゃないですか.絵の作品と一緒です.どこで止めるかはその人次第.成績は,卒論の概要と卒論を提出,発表会で発表して,少なくとも3人いる審査員の点数で決まります.最低ラインは,正直言って,よくわからない.そこも気にする必要はないでしょう.他人が高く評価しようが低く評価しようが,自分の持っている力は変わりません.Good Luck! 」
私が添削しない,つまり指導していない(ようにみえる)のは,指導しすぎはよくない,と考えるからです.
もっというと:
小学生の描いた絵や,小学生の書いた文字に,小学生らしさがあるように,
大学4年生には,大学4年生しか書けない卒業論文があります.
研究者の書いた論文を下手に真似した(指導教員が手を入れすぎた)卒業論文は,本当につまらない.
親や先生が手を入れた作文や絵と同じ.恥ずかしい.それで賞を取ったりすると本人が傷つく.後ろめたいと思うでしょう.
やっぱり,自分が力がついた,と実感できることが,本人にとって一番良い.
指導のしすぎは禁止.(これが難しい)