やっぱりこの大先生『ご冗談でしょう,ファインマンさん』
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人は皆、物事を「本当に理解する」ことによって学ばず、たとえば丸暗記のようなほかの方法で学んでいるのだろうか?これでは知識など、すぐ吹っとんでしまうこわれ物みたいなものではないか。
実は電子とは、僕たちが使っている仮説なのだ。これが自然のしくみを理解するうえで、ほとんど実在していると言えるくらい便利だということだ。
僕という人間は「教える」ということを離れては、どうも生きてゆけそうにない。教えてさえいれば、万が一僕のアイデアが干上がって、ゆきづまってしまっても、「少くとも僕は「生きている」。少くとも何かを「やって」いるんだ。少しでも「役に立つ」ことをやっているんだ」と自分で自分に言ってきかせることができる。これは心の支えみたいなものだ。
だから僕は学生たちを「教える ということが、僕の生命をつないでくれるものだと思っている。