風土ー人間的考察
序言
この書の目ざすところは人間存在の構造契機としての風土性を明らかにすることである。だからここでは自然環境がいかに人間生活を規定するかということが問題なのではない。通例自然環境と考えられているものは、人間の風土性を具体的地盤として、そこから対象的に解放され来たったものである。かかるものと人間生活との関係を考えるという時には、人間生活そのものもす でに対象化せられている。従ってそれは対象と対象との間の関係を考察する立場であって、主体
的な人間存在にかかわる立場ではない。我々の問題は後者に存する。たといここで風土的形象が
絶えず問題とせられているとして、それは主体的な人間存在の表現としてであって、いわゆる
自然環境としてではない。この点の混同はあらかじめ拒んでおきたいと思う
自分が風土性の間題を考えはじめたのは、一九二七年の初夏、ベルリンにおいてハイデッガー
の『有と時間』を読んだ時である。人の存在の構造を時間性として把捉する試みは、自分にとっ
て非常に興味深いものであった。しかし時間性がかく主体的存在構造として活かされたときに
なぜ同時に空間性が、同じく根源的な存在構造として、活かされて来ないのか、それが自分には
問題であった。8ちろんハイデッガーにおいてる空間性が全然顔を出さないのではない。人の存
在における具体的な空間への注視からして、ドイツ浪漫派の「生ける自然」が新しく蘇生させら
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