虐殺器官
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【作家】伊藤計劃
【出版】2007, 早川書房
ぼくの母親を殺したのはぼくのことばだ。
この出だしかっこいいよなー。
人は、選択することができるもの。過去とか、遺伝子とか、どんな先行条件があったとしても。人が自由だというのは、みずから選んで自由を捨てることができるからなの。自分のために、誰かのために、してはいけないこと、しなければなないことを選べるからなのよ
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「虐殺の文法」という単語のキャッチーさとその概念が話題になることが多い本
ただ,個人的には「母の死」や「痛みと責任」「自由」についての話が印象的だった
とくに母の死について.
個人的に,脳死は死を意味すると思っていたし,死んでしまって意識がなくなってしまえば死体はbodyでしかないと思っていた
だけど,もし家族やパートナーが脳死状態になったときに(そして,”脳死”とはいうが,実際問題として意識があるのかないのかも断言できるわけではないのだ),延命装置を取り外す選択を迷わずできるだろうか
結局のところ,それは「自分が殺した」ことと何が違うのか.
痛みについて
つらさや過酷さから逃げること,目を瞑って背けること,責任逃れの態度,その延長としての痛みのなさ,感情のなさ.
自由について
若干説教くさいが,自由と不自由,自由と責任のトレードオフの話
これは,もし自分に年若い知り合いができたら,その人が中学生や高校生ならぜひすすめたい.
お説教そのものの授業や大人の言葉よりは響くものがあるんじゃないか.
シェパードが,考え方も生き方も合わないかもしれないが戦友としてたくさんの作戦を共にし,ドミノ・ピザの休日も過ごしたウィリアムズよりも大した交流もしていないように見える,そして彼に比べればあったばかりで信頼関係もない,パートナーですらないルツィアの命を優先したことは理解しがたい.異性愛者怖っ,信用できねー,と思う
怒りが湧いてくるが,それはそれとしてシェパードのこの選択は,個人的には「平和」「(自分の過ごしてきた)日常」「正気」の象徴だったウィリアムズを,「殺す」という意思も漠然としたまま殺してしまったという解釈だ
はっきりいって,「ジョン・ポールの死を背負った」つもりのシェパードの行動は現実逃避,放り投げ,それこそ著者が書いた通りの「空虚のたまもの」にしか思えない.そしておそらく,伊藤の意図もそこにあった・・・と,思う.
伊藤計劃が痛みについて書くの,マジで笑えない.リアリティがありすぎて,こわい.とてもつよい人だ.出来事から絶対に目を背けない.
SFの中にもいろいろあると思う.エンターテイメントにかなり振ったものもあれば,思想・哲学のものもあるし,より科学・物理の専門性寄りのものもあるし,フェミニズム・クィアに寄っているものもあって自由度が高い.伊藤の作品は実存に基づく,実感のともなった思索の途中成果という感じがあって好きだ
読了:2021/7/5
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