ロリータ
ハンバートの犠牲者(少なくともヴァレリアとシャーロットという二人の妻)への同情をそそりつつ、しかも好感は抱かせないところに、ナボコフの巧さがあらわれている。読者はハンバートの残酷な仕打ちを非難しながらも、彼女たちの凡庸さに対する彼の判断は肯定する。ここにあるのは民主主義の第一の教え、すなわち、すべての個人は、いかに下劣な人間であろうと、生と自由と幸福の追求の権利を持つという原則である。『断頭台への招待』と『ベンドシニスター』において、ナボコフの描く適役は、想像力に富んだ精神を支配しようとする、全体主義体制の卑俗で残酷な支配者だが、『ロリータ』においては、悪役のほうが想像力に富んだ精神の持ち主である。読者はムッシュー・ピエールに混乱させられることはない。だが、ムッシュー・ハンバートのような人物のことはどう判断すればいいのだろう。(河出文庫p73.74)
kana.iconの解釈だとこの本は広義の叙述トリック(というか文字通りの信頼できない語り手モノか?)で、「手は良いけど認知の歪んだ」HH vs 作者&読者チームという感じ。 そして、このお話それ自体は、サバイバーの話だと思った。
タイトルやイメージから(そしてハンバートの発言から)キモってなるかもしれないけど実際はわりとまともだからほかの人にも読んでみてほしい。
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