ゴドーを待ちながら
https://www.youtube.com/watch?v=H5zoztwfs40
これで時間がたった
そうじゃなくてもすぎていくさ
そうさ,でももっと遅い
今度は何をしようか?
わからない
行こう
できないさ
どうして?
かわっちまったもんだ
誰が?
あの2人さ
・・・
誰だって変わるさ,俺ら以外は
第2幕でゴゴーが第1幕の記憶を無くしているのがよくわからんな・・・
だけど,第1幕のセリフの中でも,ディディは知っているがゴゴーは知らないということがあった
ループみたいになっている?
Where you go from here?
None of my business
How chenge(d?) you are?
ちょっと三文目がわからないからとても怪しいけど,1幕の「かわっちまったもんだ」と同じようなことを言っている気がする
そうなると,ディディたちは変われない?変わらない?のでそれについて何かしら思うところがある?
来ないかも,見逃したかもと言い出す.
ディディは早く行こうという
どこへかはわからない
「もし明日ゴドーが来なかったら首を吊ろう,今日はもう行こう」
so, shall we go?
Yes, lets go.
Everything is dead but the tree
なんか,全然よくわからなかった
広い荒野でなにもなく,やることもなにもないままただ2人は「ゴドーを待って」いる
もしかすると,「大義」のようなものかもしれない?
なんというか,大きな物語がなくなったあと,歴史に意味づけられなくなった現代の人々という感じもする
本質的にはなにもないなかで,やるべきこともないなかでただボーッと娯楽にふけってすごしているような.それでも輝かしい何かを待っているのだけど.
最終的には彼らは,明日ゴドーが来なかったら首を吊ろうという
これは先延ばしにしたようなものだと思う
きっとこんな感じでずっと伸ばし伸ばし生きていくのだろう.きっと明日ゴドーが来なくても,
参考:
この作品に描かれているのは何か? それは、いいことも悪いことも何も起こらないし、その状況を変えることさえ許されないという無力な人間が、まず絶望し、やがてその絶望に慣れ、苦しみに無自覚になっていくさまだ。だから二人は無意味な会話をし続けるほかないのだ。
刑務所で上演すると、受刑者が「俺たちみたいだ!」と大喜びするらしい。でも、べつに刑務所に限らないんじゃないかなぁ……。学校や職場や家庭においても、わたしたちがそういうドン詰まり状態(ゴドーをまちながら)に置かれることは、ときどきあるよね?
カミュは『異邦人』で、第二次世界大戦によって神なき時代が始まり、不条理な事件が起こる物語を描いた。でもこの作品では、そこからさらに袋小路に進んで、不条理な事件さえもう起こらない。“来ないものを待つふりをする”という、究極の不条理劇の超絶傑作――!
ベケットは戦時下における個人的経験を、普遍の物語に昇華してくれた。だから、いま読んでも面白く、胸苦しく、わたしもつい、「自分みたいだ!」と喜んでしまうのだ。