オーラの発表会
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どうでもいいけど、帯文の「恋愛未満小説」 って文言がマジで無理だった。なんで未満なんて、ちょっと足りない、みたいな言い方をするのかな? kana.iconは主人公たちはこの人たちのいう「恋愛」 になんて「発展」 してほしくないし、ほしくない抜きにしてもたぶんならないし。すでに完成されている愛の感情なんだが???? イヤなこといわんといて
おそらく主人公は知能の高くない自閉症なんだけど、高校までは身だしなみがある程度しっかりしていて友人に真似されるほどだったというのはなんでだろうと思った。一人称だから確定しないけどたぶん、親が何から何までやっていたから→さすがに自立が心配になったから大学で一人暮らしをさせたって流れかな
主人公はちょっと気持ち悪いんじゃないかとkana.iconなんかは思っちゃうけど、作中で案外周囲に受け入れられている。
たぶんkana.iconが気持ち悪いと思うのはそうやってまったく周囲に合わせようとしないのに少なくとも疎まれはしないというのがムカつくからだと思う。ずるいじゃん
で、まあ疎まれないのは当たり前だよなとも思う、なぜなら主人公には悪意というのかマウント心?優位に立ちたがる気持ち?がないから、周囲からすると多少浮いていたとしても嫌うほどのことでもないってわけ。
それに対して”まね師”のほうは、「周りからどう思われるか」を極端に気にしすぎている。この二人は対極になっていて、むしろまね師のほうが悪く言われるようになるのがちょっと面白い
友達の持ち物を、自分が使いたいから悪いけど同じの買ってしまった、でもなくもともと目をつけてましたみたいなやりかたでパクるとかすればそりゃあねという感じではある
これに対して「カツカレー」の例。「ただのカレーよりちょっと贅沢したい方が選んで、結局損」だという。
少しでもよく見せようとしていろいろ頑張ってるまね師は、「カレーよりちょっと贅沢したい」んだろう。その気持ちはとてもわかる。
「親友の思ってる人をとる」とか言われると、やおいか!?!???と思っちゃうわね。まあ実際ミルコとモネはGLだと思う。
「特に仲がいいわけではないけど、一緒にいるのがふつう」!?
これは、やおいですね
ミルコは、欲望の強いから萌音を好きなのかな。先生の白い嘘みたいな話で。 食べ物の描写、食べているシーンが多い
カチャーシーというのが出てくる。萌音はそれを知っているらしい、なぜ! 半分すぎた...というか60%くらいのところでやっと「オーラ」 が出てきた、
ところでこの主人公は、容姿がいいという扱いをされても悪いという扱いをされてもまったく嬉しくもならず傷つきもせずガンスルーというのか、まったく歯牙にもかけていない感じがいい。まったく無視しているし、気にしていない。あえて良くしようともしないし悪くしようともしてないしなにも思わない。kana.iconはイヤな気分になるから、まだ洗脳、刷り込み、呪い、から抜け出せていないんだなあと思う。
ときどき、この世の中がほんとに分からなくなる。あまりにも人間が多すぎて、各々が千差万別の気持ちを抱えていて、争ったり笑い合ったりうるさくしゃべったりしながら、狭すぎる街を行き来している。私は彼らの作り出すざわめきの、どれにも参加できていない、誰とも同じ時間を共有できていない、不思議な心持ちになる。そのふわふわした心もとなさもあって、せめて自分のオーラの音くらいはしっかり聞きたいなと思ったのかもしれない。
やっぱりこの、孤独感というのか他者とうまくやれない感が醍醐味というか、テーマなんだろうな。
今回の主人公はあまりに...まあ、わかるーっと「共感」 できる普通の子じゃないからちょっと異色の感じが出ているけど、やっぱり根っこの部分が変わらないみたい。
「オーラ」 は、特別にならないと、いいところを見せないと (仲良くしてもらえない) というような状態の問題の話で、そういうのナシでも、無理しなくても友達になれるよねって流れ
kana.icon
最初はなんだこのむかつく主人公、と思ったしそれは変わらなかったけど、とても読んでよかったような物語だった。無理しなくてもいいや、社会が気にするけど自分は気にしないことを無理に自分に取り入れなくていいんだ、とか、自分の求めるものがしっかりわかっているのは素敵だなとか思った。日々嫌なことをちょっとずつ抱えているのをうまく手放して肩の力が抜ける感じ。けっこう今の自分のテーマと合っていた。
あとは、主人公が最後まで、いわゆる世間的な意味での恋愛はわからないんだけど、大切に思っている という感覚が崩れなかったのもよかった。
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